
昨日は、盛岡の某高校で写真を撮るという仕事があった。
ボクは秋田からクルマで直行し、東京から来るB社の女性の担当者と校門の前で合流することになっていた。
先に着いたボクが校門の前で待っていると、しばらくしてタクシーがやってきて女性が降り立った。
初対面だったけれど、この人だろうなと思って、ボクのほうから歩み寄り、「B社さんですね?」。
「あ、そうです。どうも。今日はお世話になります!」
「こちらこそ、よろしくお願いします! すぐに取材を始めますか?」
「えぇっとですね、ここでカメラマンさんと合流することになっていまして…」
「…?! あ、あの、私、津島で、今回は撮影の仕事ということで来たつもりなんですけど、他にカメラマンが来るんですか?」
「あ、あ、ごめんなさい! 失礼しました! 私、先生かと思っちゃいまして!」
そうかあ…、これでも一応カメラマンなのに、見た目で教師に間違われちゃったかあ…。
まあ、最近床屋に行ったばかりで白髪まじりの短髪だし、ポロシャツによれよれの棉パンという格好だったから、出世コースからはずれた冴えない中年教師(たとえば美術科とかの)に、見えなくもなかったかな。
仕事は、校内で生徒たちをランダムに撮影するというもの。
共学で進学校のこの学校の生徒たちは、なかなかはつらつとした印象だ。
校内を、にこやかに、輝きながら行き交う女子高生たち!
胸のふくらみは、もう、大人のオンナのそれではないか!
おじさんカメラマンは、ちょっと目眩がした。
胸のふくらみだけに限らず、精神面でも、十分に成熟した大人のオンナの印象すらある。
たとえばそれを恋とは呼ばないまでも、少し大人びた女子高生と、少しリベラルな生き方をしたい教師とが、お互いに惹かれ合ったとしても不思議ではないのではないかと、津島は思うのだった。
日本人女性の何割かは、十代のうちに初体験する。
それは、同級生が相手かもしれないし、少し年上の男性かもしれない。白髪まじりの短髪で、ポロシャツによれよれの綿パンの風采の上がらない中年の美術科教師であっても、あまり不自然なことではないかもしれない。
「先生、あたし、シャガールの絵には、天才的というより、なんだか、狂気のようなものを感じてしまうんだけど、そういう感じ方って、間違ってますか?」
「いや、間違っていないと思うよ。多くの芸術家にとって、才能と狂気は紙一重なんだ。そして彼ら自身、その狭間でもだえ苦しみながら一生を終えるんだな」
「なんだか、つらいですね」
「うん、つらい。生涯を讃えたいほどの幸せに包まれて生きた芸術家はそう多くはないかもしれない。まあ、狂った生き方をまっとうできるのも、芸術家にとっては本望かもしれないけどね」
「どういう生き方をすればいいのか、分からなくなってきます」
「うちに、シャガールの生涯を描いたドキュメンタリーのビデオがあるんだけど、見に来るかい?」
「えっ! いいんですか? あたし、見てみたいです、それ!」
そんなこんなで、それを恋とは呼ばないまでも、彼女が大人の階段を一段上ることになったとしても、それはそんなに不思議なことでも不幸なことでもないような気がするのだ。
ただ、やはり、世間の目がうるさいからね。
同級生同士のエッチだったらスルーされるけど、相手が教師だったら周囲の総攻撃を受けて、あげくに職まで失うわけです。
ボクらの世代で「高校教師」といえば、アラン・ドロンの映画ですな。
つくづく、教師にならなくて、よかったです。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/06/28(土) 13:28:04|
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