
誰かの幸せというものを考えるとき、直接的に自分がそのヒトを幸せにしてあげたいと思うことと、ただ遠くからそのヒトが幸せになってくれるのを祈るしかないこととがある。
今夜のブログで何を書こうか、ボクは少し煮詰まっていた。
載せたい写真は決まって、早々とアップしていたのだけど、文章が思い浮かばない。今夜はちょっと飲み過ぎてしまったかもしれない。
手詰まりに落ち込み、焦燥と衰弱の夜だ。
その矢先、業界の友人Cちゃんからメールが届いた。
昨日のボクの「同級生」というタイトルのブログを読んだら自分の恋愛体験とだぶり、胸がキュンとしてしまった…というような内容で、その恋愛体験というものを、メールの中に連綿と綴っていた。
ボクは少し驚いた。
Cちゃんにそんな恋愛体験があったとは、思いもしなかったのだ。
いつも元気で行動的で、やんちゃで男勝りなところも感じられ、恋愛体質ではない女の子だとばかり思っていた。
彼女にもちゃんと、心の中の引き出しの一つに、今でも住んでいる男性がいたのだ。
彼女のメールの表現を借りれば、
“嫌いになって別れた人じゃなかったので、今で
も遠い親戚のように心のどこかにある人”…。
そういうことも、あとから彼女の前に現れる男は、大切にしてあげなければならないのかもしれないね。
あとから現れた男との恋のほうが断然良くなって、昔の恋など追憶の彼方に消え去ってしまうのであれば、それはそれでいいのかもしれないけど、思い出したくもないほどの苦渋に満ちた恋でもない限り、人は案外、どんなに新しい恋をしても、心の中の奥のほうの引き出しに、昔好きだった人をひっそりと住まわせているものなのかもしれない。
だから、誰かを抱いていてその場の官能に酔いしれていても、ふと、昔の人のことを思い出してみたり、誰かに抱かれていてその場の官能に酔いしれていても、ふと、昔の人を頭の中で重ねてみたりするのではないか。
切ないけれども、それは許してしまう。
幸せには、自ら注げる幸せと、ただ祈ってやるしかない幸せとが、あるのだ。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2006/07/31(月) 23:47:05|
- OLYMPUS E-300
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よ〜く分かります
自分の幸せを遠い空から祈ってくれてる人がいる・・・その恋は結婚という形で実らなくても、そんな人がいないよりいる方がずっと幸せだと思います
- 2006/08/01(火) 00:43:39 |
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- ノエル鷺草 #-
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>ノエルさん、海月さん
人の心の中はミルフィーユのように(←いいのか、こんな比喩で?)、幾層にも折り重なっているものなのかもしれません。
今現在のパートナーを大切にしなければならないのはいうまでもないことですが、それとは別に、大切にしまっておく別の人への想いというものがあってもいいと思うし、むしろ、そういう“心の財産”を大切にする人生でありたい、とボクは思います。
- 2006/08/02(水) 01:11:17 |
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- 津島 #-
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>誰かの幸せというものを考えるとき、直接的に自分がそのヒトを幸せにしてあげたいと思うことと、ただ遠くからそのヒトが幸せになってくれるのを祈るしかないこととがある。
そうですよね。ほんとはすごくわかるんです。
ごめんなさい。ちょっぴり自己嫌悪で消去しました。
はい、楽しく生きていきたいし。
- 2006/08/02(水) 21:14:56 |
- URL |
- らら #1wIl0x2Y
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あ、一つ前のコメントをご自分で削除されたのですね。
よく読んでませんでしたけど、いずれ、了解しました。
恋は頭でするものではなく、心でするものだと思います。
ところが、その心も、誰もがみなとても健康な心を持っているとは限りません。
心が未熟なこともあります。
心がたくましくないと、盤石な恋というのは、なかなか難しいものかもしれませんね。
- 2006/08/03(木) 12:39:05 |
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- 津島 #-
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