
昨日の夜、ものごとが一段落して、家族みんなが寝たあと、ひとり居間の炬燵に入ってなにげなくテレビのスイッチをひねったらーー正確には、スイッチを“ひね”ったりはしないし、チャンネルを“回し”たりもしないわけだがーードラマをやっていた。
ボクはテレビドラマにはあまり関心がないし、今やっているそのドラマもどんなストーリーなのかまるでわからなかったのだけど、なんかちょっと面白そうな感じもしたので、とりあえず観てみることにした。
ドラマは確かに味わい深くて面白かった(重松清の小説が原作だった)が、ボクが注視したのは、主人公にからむ脇役として出演していた小料理屋のおかみ役のキョンキョンだ。
キョンキョンは、アイドル時代から知っているけど、このごろ時々テレビで観るキョンキョンには、「ああ、いい中年のおばちゃんになったなあ」…という感慨だ。
ところでキョンキョンはいくつになったのだ?
えぇっと、1966年2月生まれだから、もうすぐ46歳かぁ。
ピュアなアイドルオタクだったら、自分のひいきのアイドルが老けていくのって、耐えられない思いで観てしまうものかもしれないけれども、自分自身も含めて、どう足掻いたって人は老けていくもので、なんか人には、“いい老け方”をする人もいれば、“切ない老け方”をする人もいるんじゃないかと…。
その点では、ボクの目には、キョンキョンは、悪くない老け方をしているヒトのように、思えるのだ。
顔なども、プクプクと丸みがついて、明らかに中年女性の容姿だ。
だけれども、本人自身がそれを受け入れて、変に隠したりごまかしたりせず、自然体で生きている(ように見える)生き様が潔い。
若い頃に人気絶頂だった女優とか歌手とかは、しばしば過去の栄光を引きずり、いくつになっても派手な化粧をしたり(それが却って哀れを誘う)、落ち目を挽回する最後の砦でヘアヌード写真集を出したりする。
いやいや、女性のハダカは眼福なのでそれはそれで結構なのだけど、あきらかに落ち目になってからのヘアヌードは、なんだか見ていても痛々しい。でも見るけど。
あとから渋々脱ぐ人よりも、早いうちにパッパと脱いじゃった宮沢りえとか樋口可南子とかのほうが、どんだけ潔くカッコいいと、我々の目に映ることか。
宮沢りえにしても樋口可南子にしても、そのことで安っぽい印象を与えることなく、むしろ、好ましい後半生につながっているように思える。
脱ぐんだったら早いうち。いや、これが今日の結論というわけじゃないけど、ま、それが正解だと思う。
加齢ということでは、ボクにとっては倍賞千恵子もとても印象的。
僕らにとっては、倍賞千恵子と言ったら、寅さんの妹の“さくら”のイメージ。
彼女の名前を聞いたら、頭の中では真っ先に寅さん映画に出ていた頃の彼女の容姿が思い浮かぶ。
なので、久しぶりに彼女をテレビで観たときには、正直、あまりに老けていたので愕然とした。
1941年生まれだから、今70歳。
70歳と言ったら、そりゃあ乗り物で優先席を譲られる歳だものねえ、個人差はあっても、老けたおばあさんに見えてもおかしくはないわけだ。
映画のさくらちゃんの印象が強すぎるものだから、あまりの変貌に愕然とするのだけど、慣れてくると(?)、それはそれでチャーミングな女性に思えてくるのだ。
なんだったら、まだ倍賞千恵子でご飯の2、3杯はいけるくらい。
好むと好まざるとにかかわらず、人は老けていく。
だけれども、その老け方も、萎れて見る影もなく老けていく人もあれば、たとえばドライフラワーのように、枯れてはいくけれども一定の美しさとか気品とかを保ちながら老けていくという人も、いるのではないだろうか。
できれば、後者のような老け方をしたい。ボクも、あなたも。
三十代とか四十代に知り合った人と、十年後、十五年後に再会したら、当然だけど明らかに老けている。お互いに。
だけど、その老けた姿に愕然とするのではなく、佳き想い出を共有する者同士ならではのシンパシーで、ほっこりと再会を喜び合いたいものだ。
今のキョンキョンにだったら、だまされてもいいと思える今日この頃。
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- 2012/01/15(日) 16:35:56|
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あなたの心労はよくわかるよ。
ボクにも似たような経験があるからね。
気の利いたアドバイスはしてあげられないけど、メルアドを教えてもらったので、あとでちょっとメールさせてもらうね。
それが少しでも気休めになればいいのだけど。
- 2012/01/18(水) 13:57:27 |
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