
週末、ニョーボに、ミステリーツアーを提案したのだ。
ミステリーツアーは、GWの我が家の“風物詩”。
毎年必ずやるってわけじゃないけど、特に行き先も決めずに夜のうちにクルマで出発して、走りながら大体の行き先を決め、日が昇る頃になると、同乗者にとっては意外な場所に着いている…というパターン。
出発前に大体の行き先を決めている場合もあるけど、ほんとに行き先を決めないまま出発することもある。先年は、佐渡に行ってみたいという家族の希望を聞いてとりあえず新潟まで行ってみたら、フェリーの時刻が合わなかったので、めんどくさくなって(?)そのまま軽井沢まで行ったこともあったっけ。
子供たちが小さかった頃は、彼らもけっこう楽しみにしてくれていた。
そもそも、夜に旅に出発するのというのは、なんか、ちょっとした気分の高揚があるんだよね。
子供たちはクルマの後ろの席で大はしゃぎをする。そのうちにすやすやと寝息を立てる。
そして、朝になると、クルマは見たこともない風景の中にいるわけだ。
毎年GWが近づくと子供たちは、「今年もミステリーツアーに行くの?!」と、目を輝かせて聞いてくるのだ。
子供たちが成人してからは、ミステリーツアーは夫婦二人の楽しみになった。
夫婦して、夜中にクルマでふらりと旅に出るのだ。それはなんだか“かけおち”みたいでもあり、ちょっと愉快だった。
そんなわけで、この週末にもニョーボにミステリーツアーを提案し、彼女も、「悪くないわね」といった素振りであったのだけど、行くとすれば月火の彼女の休みに合わせて日曜の夜くらいしかないところだったのだけど、何時になっても彼女のほうからは出かけようとする気配がないのだ。
言葉で確認すればいいことだけれども、こういう時のボクらは、二人ともO型ということもあって、曖昧にやり過ごしてしまう。
はたして明けて月曜日。
朝食後、相変わらず彼女は部屋でのんびりとテレビを見ている。
どこにも行きたくないのか?
どこかへ連れて行けと言われたら、こちらは喜んで連れて行くつもりでいるのに。
昼近く。こちらがしびれを切らした。
「出かけるから準備しなさい。出発は今から15分後」
ちょうどボクは、今度の仕事のために下見をしておきたい場所があったので、そこを目指しながら、前後に彼女のお気に入りアイテムの“ラーメン”と“温泉”をセットすれば、夫婦とも実のある一日にすることが出来る。
ボクが下見をしておきたかったのは、いにしえの紀行家が「まるで桃源郷のようだ」と称えた山間の集落。今は廃村になっているのだけど、色とりどりの花々が今を盛りに咲き誇り、本当にそこは夢見心地の場所であった。
その景観にひとしきり「きれいねえ」と嘆じていた我がニョーボは、その後薮の中に入っていったかと思うと、かなりの量の竹の子(ササダケ)をポケットにつめて戻ってきた。タフな女である。
最後に食塩泉の温泉に入ってホカホカと身体が温まったせいか、帰り道のクルマの中での大半を彼女は気持ち良さそうに寝て過ごしていた。
今年は日帰りになったけれども、悪くないプチ・ミステリーツアーであった。
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- 2008/04/28(月) 23:40:46|
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銀山温泉の戻りに山形県金山町に立ち寄り、その町のなかにある屋根付き橋を、お薦めの撮影スポットとして撮影ツアー一行に紹介した。
そのときに撮った写真をPanoramioに載せようとして、「はて、屋根付き橋のことは英語でなんて言うのかしらん」と調べてみたら、“Covered Bridge”と呼ぶらしい。
アイオワ州マディソン郡の有名なあの橋も、Covered Bridgeだ。アメリカの主に降雪地帯には、このタイプの橋が結構多いらしい。
金山町の橋はこんな↓橋なので、

マディソン郡のものとはかなりおもむきが異なるのだけれども、これはこれで被写体になる。
ボクは、手前の花も一緒に撮りたかったので、服の汚れるのも構わず、地面に腹這いになってカメラを構えていた。
「お洋服が汚れちゃいますよ」
ボクの後ろを通りかかった、この町の人らしい女性が声をかけてきた。
特に裕福というほどではないけど、どことなく品があって、知的な感じもする中年女性だった。
「ははは、いい写真を撮るためだったら、服の汚れも必要経費のうちですよ」
「どちらからお越しですか?」
「秋田です」
「あら、お隣ですわね」
「そうですね。しかしこの町に住む人は羨ましい。こんな絵になる橋があるんだから」
「ええ、でも、実際暮らしてみると、けっこう大変なんですのよ。田舎はどこもそうでしょうけど」
「まあね、今の時代、田舎はどこも生きにくい」
「あの、ところで、高そうなカメラお持ちですけど、プロの方なんですか?」
「いやあ、プロってほどじゃあないんですけどね、他に取り柄がないから、これで食いつないでいるだけですよ」
「私、最近デジカメ買ったんですけど、取扱説明書も難しすぎて、使い方がちっとも分からないんです。主人が亡くなってから、なんだか、頼りないことばかりで…」
「ああ、そりゃあ大変ですねえ。ボクでよかったらお手伝いしてもいいんだけど、今日はもうそろそろ出発しなければならないんでね」
「プロの方に教えていただけたら心強いわ。いつでもいいですのよ。いつかまた、この町を通りかかったら立ち寄ってくださいな。気長に待ってますから。ふふふ」
「わかりました。それじゃあ、いつかまた、必ずこの橋のたもとで、お会いしましょう」
:
:
はっ!?
ま、またボク、妄想に耽ってました?
いけないいけない。
ゴールデンウィーク目前なもんで、ぼーっとして、現実と虚構の区別がつかなくなってますっ。
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- 2008/04/26(土) 14:19:54|
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23日は、我が社としては初の試みである、地元アマチュアカメラマン対象の日帰り撮影バスツアーを催行して山形県の銀山温泉まで行ってきました。
参加者17名、ほとんどが60歳以上のリタイア組。
それがさ、ほぼ全員、ボクよりもはるかにいいカメラ、いいレンズ、いい三脚を持ってるのだもの。なんだか、気後れしちまうよ。
まあ、考えてみれば、本格的に写真を趣味にするには、相当に時間とフトコロにゆとりがないとできないものね。みなさん、そんなユトリで、最上級の機材を揃えちまうんだろうなあ。
「先生」と呼ばれる柄じゃないんだけど、撮影ツアー同行カメラマンとして、当然みなさんは、先生先生と呼んでくださるわけで、ツシマ先生としては、馬脚を露さないように、心の中で冷や汗をかきながら、とりあえず一日、“写真家のセンセイ”役を務めてきたわけです。
まあ、てめえの写真の腕前はともかく、撮影ポイントについてはかなりコアに心得ているわけで、そういう場所に参加者を案内すると、「おおっ!」とどよめきが上がったりして、「ふふふ、してやったり!」と、ツシマ先生はほくそ笑むわけです。
晴天にも恵まれ、桜がちょうど見頃のところもあったりして、参加者が嬉々として撮影ツアーを楽しんでくれたことは、まずは何よりでありました。
ボク自身も一日で数十カットのストック用写真が撮れたので、趣味と実益を兼ねて…ってのも変だけど、まあ、かなり充実した一日だったと言えます。
24日の秋田は一転してシトシトと春雨の一日。前の日がこの天気だったらかなり辛いものがあったはずで、その点でも、今回はかなりツイテいました。
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- 2008/04/25(金) 00:38:40|
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特に伏せていたわけではないけど、実はボクはテレキネシスが使える。
たとえば、面前1メートルくらいのところにテレビのリモコンがある。
ボクがそれに向かって手をかざす。そうするとリモコンはふわっと浮き上がって、それからすっと吸い寄せられるようにボクの手のひらにおさまるのだ。
…という夢を、子供の頃から何度となく繰り返し見ていた。ついこのあいだも見た。
夢の中でボクは、それが特殊な能力とも思わず、当たり前のように“使っている”。
暇な時などは、何にでも手をかざして、それらがすとんとボクの手のひらに吸い寄せられる感触を楽しんでいるのだ。
覚醒して数日過ぎてから、「あ、なんだ、あれはやっぱり夢だったのか」と、ちょっとがっかりする。
そのことの繰り返し。
試しに、目の前にあるものに手をかざしてみるのだけど、やはり、ぴくりとも動かない。
昨夜は、夜更けに一度目が覚めて、「こんな時間に目が覚めても何ともならない。もう少し寝ないと」と思うのだけど、意識が冴えてしまってなかなか寝付けない。
寝たいと思ったり寝なければならないと思っているのになかなか寝付けない時というのは、体験したものでないと分からない、とても苦しいものだ。
ところが、そのあとすうっと眠りに落ちて、朝はいつも通りの時間に自然に目覚める。
だとすると、あの夜更けの寝苦しさは、本当のことだったのか、あるいは、それ自体夢の中のことだったのか、怪しくなってくるのだ。
テレキネシスだって、本当の能力だと思い込みたい自分がいるくらいだから。
してみると、今こうやってリアルに生きている自分の意識も、実は夢の中のことであったりして。
さて、明日は20名ほどのアマチュアカメラマンを引率して日帰り撮影バスツアーに行ってきます。
朝が早いので、今夜はそろそろ寝ないと。
いい夢を見れますように。
(寝坊して大遅刻して脂汗をかいてるような夢を見そうだなあ…)
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- 2008/04/22(火) 23:41:39|
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昨日の土曜日、苦吟して原稿を一本書き上げたら、まだ日はかなり高い。
首も凝ったし、気晴らしの散歩を兼ねて角館まで行ってこようかと思った。
我が家から角館まではちょうど50km。3時間もあれば現地で1時間写真を撮ってもゆっくり帰ってこられる。
例年だと、角館の桜の見頃はちょうどゴールデンウィークと重なる。だからものすごい人出になる。桜を観に来ているのか人ごみを見に来ているのか分からなくなる。
そんなわけで、GWにはまだ一週間もある昨日あたりは、いくら何でも桜は早すぎるだろうと思っていたら、どうしてどうして、かなりの開花具合なのだ。
さすがに満開ではなかったけれども、遠くからはるばるやって来た人でも十分に満足出来る春爛漫。
昨日は泣き出しそうな肌寒い曇り日だったけど、今日はぽかぽかと日差しも暖かく、開花はさらに進んだことだろう。
こりゃ下手をすれば、GWの頃にはもうかなり散り始めているかもしれない。
夢見るような角館の桜を観たければ、来週末など待たずに、今週中の平日にでも、会社や家に「探さないでください」と書き置きを残して秋田に飛んでくることだ。(秋田新幹線を使えば東京から日帰りでも十分楽しめるけどね)
昨日は空が冴えなかったので、写真的には納得のいくものは撮れなかったけど、ま、アリバイ的には、とりあえず今年も角館の桜を観てきましたよってことで。
では、特別サービス。本日2枚目。

これは、近年の東北の桜の新名所、岩手県雫石町の“一本桜”です。後ろの山は岩手山。
当ブログの4月9日の記事に載せた写真の場所と至近で、この辺り一帯は小岩井農場の牛の放牧地。これらの大木は、夏の暑い陽射しから牛を守るための「日陰樹(ひいんじゅ)」として植えられたものです。
そういう謂れを知ると、なんだか一層親しみがわきますね。
NHKの連ドラ「どんど晴れ」のタイトルバックに登場したことから一躍有名になり、桜の季節に限らずいつでも多くの観光客やカメラマンが訪れています。
この写真を撮ったのは4月9日だったのでまだ桜のさの字もないけど、情報だと、ちょうど今日20日あたりに開花し、4、5日先あたりが見頃だろうとのこと。
去年はウソ鳥の被害で花はよくなかったようだけど、今年は対策を施したので、きっと素晴らしい一本桜が観られるでしょう。
北東北の春は、今週あたりが“萌えどき”のようです。
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- 2008/04/20(日) 13:45:06|
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うちの女房の仕事は変則シフトで、今週は金曜日が休みだった。
ボクは、動かせないスケジュールの時は自分の仕事を優先するけれども、多少融通が利く時は女房のシフトのことも考慮する。
自分の仕事の予定があっても、原則として朝晩彼女を仕事場に送り迎えすることを優先するし、送り迎えに引っかかる時間帯の仕事が発生した時は、なるべく彼女の休みの日に合わせるようにしている。
今週がちょうどその判断を迫られた週であった。
先日取材したフォトエッセイ記事の挿絵に、夕景の中での写真を使いたいと思ったのだ。
してみると、直近では今週金曜日しかなかった。
「午後から出かけてくるからね。夕方の写真を撮りたいんだ。晩飯は帰ってから食う」
はたして、我が家から75km離れた山里の町で、帰りの時間を気にせずにゆったりとした気分で写真を撮ることが出来た。
これはもちろん紛れもなく“仕事”なのだけれども、時間を気にせずに狙った通りの写真を撮れるということに、なんだかとても贅沢な気分にも、なれたりするのだ。
家に帰って遅い夕食のあと、仕事部屋でパソコンをいじっていて、ちょいとトイレに立ったら、女房が風呂に入っているようだったので、ついでにこちらもご一緒させてもらう。
休日の一日、彼女は奥様仲間とお茶などをして一日を過ごしたようだった。
問わず語りに、その茶話会の模様を話して聞かされた。
仲間の一人の旦那さんが、過労からきたものなのか、病いを得て、それにつきあわされている奥さんもかなりの心労のようなのである。
(だからこそ、いっとき“憂さ晴らし”になる奥様仲間の茶話会も大事なのだろうが)
一緒に浸かっている狭い湯船の中で、女房はその話題にしか触れなかったから、それが今日の茶話会の中では一番印象深いことだったのだろう。
人の人生が、生涯楽しいことだらけだったらいいのだけど、神様はそんなに“お人好し”ではないから、ずいぶんと人を辛い目に遭わせる。
どこかで上手く“ガス抜き”でもできないと、無事に人生をまっとうできなかったりする。
茶話会で仲間に愚痴をこぼしたり、そうやって聞かされた話を湯船の中で亭主に聞かせてやったり、ほんのわずかな時間だけでも雑事を忘れて自分のライフワークに没頭出来たり…と、そんなひとときを持てるだけでも、人はまだ幸せなのかもしれないと、思うのだった。
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- 2008/04/19(土) 00:58:51|
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女房のパート先には駐車場がない。
なので、ボクのほうの都合が許す限り、ボクが彼女を職場まで送り迎えしている。
それがまったく面倒でないとは言わないけれども、その朝夕それぞれ10分ほどの、二人きりでクルマの中で過ごすひとときも、まんざら悪いものでもないのだ。
秋田は、今からが桜の季節だ。
ここ数日、天気もいい。
朝のクルマの中で、「いい天気ね。今日はどこにも出かけないの?」と、女房が囁く。
特に出かける予定はなかった。
だけれども、女房の言葉には「出かければいいのに」というニュアンスも込められているように感じられたし、曲がりなりにもフリーカメラマンを名乗っていて、せっかくの桜の季節に家にこもっての原稿書きを優先するというのも確かに芸がなさ過ぎると思った。
それで、急遽、今日を“桜を撮る日”にしたのだった。
一日クルマを走らせて、桜の写真を撮って回った。
夕方近く、秋田市まで戻ってきて、小さな川沿いの土手の前に出たら、桜と菜の花がいい感じに咲いている。
空き地にクルマを止めて、ここで今日最後の桜撮りをする。
そしてそのまま一旦家に帰ってもよかったのだが、改めて女房を迎えに出ることを考えると、ちょっと中途半端な時間になった。それで、そのまま少し時間をつぶして、6時に女房を迎えにいった。
「どこかに出かけてきたの?」
「一日中、桜を撮っていたよ」
「どうだった?」
「ああ、草生津川(くそうづがわ)の土手の桜がなかなかいい感じだったよ」
「見てみたいわ」
「よし、今から見に行こう」
右折すれば我が家に向かう交差点を左折して、急遽草生津川に向かった。
空き地にクルマを止めて土手に出ると、「わあ、すごい!」と、女房が歓声をあげる。
すごいすごいと言いながら、一つ上流の橋までの間の数百メートルを二人で往復した。
太陽は既に水平線に沈み、仄かな残照を頼りの、通り抜けの花見であった。
- 2008/04/17(木) 01:19:52|
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前にも一度お話ししたけれども、ボクが仕事(と道楽)で使っているiBookを前にしていると、どうも左手に何か得体の知れない不快感を覚えるのである。
その感覚は上手く表現できないけれども、たとえて言うならば、微弱電流で感電している感じというか、低周波治療器をちょっといやなレベルでかけられている感じというか。
ネットで調べてみたら、“漏電かもしれない”という説もあり、電源をアースしてみたりもしたけれど、あまり変化はない。
まあ、気にし過ぎなのかもしれないし、いずれデスクトップ機を買うまでの辛抱だと、あまり深刻に考えないようにしていたのだけど(健康被害が生じないのかどうかは心配だけど)、一昨日も、パソコンで仕事をしているとどうも左手だけに違和感がある。文章を推敲していて何気にほおづえをつくと、今度は肘のあたりに違和感がある。
ああ、これはもう、間違いなく“何かが出ている”。
改めてネットで調べてみたら、どうも“電磁波”であるらしい。iBookの左のパームレスト部にはハードディスクがおさまっているので、それが発生源なのではないかと。
気になりだしたらもう我慢が出来ない。
対症療法的だけれど、今すぐ出来ることといったら、単体のキーボードを買ってきて、それを接続して使用し、iBookを出来るだけ身体から遠ざけることだ。
そうと決まったら善は急げ。夕方近くだったけど大型電器店に走る。
しかし、実は、地方にいるとMac関連商品はなかなか手に入れづらい。それでなくてもシェアの小さいMacは、地方ではなおさら少数派で、従って、Macや関連商品を扱っている店も極めて少ない。
通販や取り寄せという手もあるけれど、そんな悠長なことではなく、たった今、すっきりさせたいのだ!
ケーズデンキに行ってみた。
キーボードの商品棚には、やはりMac用はない。
Mac本体の島に行くと、アップル製や他社製のキーボードも扱っているようではあったけれど、安い他社製は在庫切れの様子。「取り寄せになります」と、店員が言う。
「取り寄せじゃ間に合わないんだ! 今すぐ欲しいんだ!」と、心の叫び。
ふと見ると、デモ用にサンワ・サプライ製の白いキーボードが使われていた。
「これを売ってもらえないのか」
「あ、これでよろしかったら」
「よろしいです。売ってください。今すぐに必要なんです!」
というわけで、三千円弱でキーボードを手に入れてきました。(キーボードって案外安いんだね)
ローマ字入力専用で仮名文字表示はなくすっきり、ちゃんとテンキーまでついていて、なんだか、一気に作業環境がグレードアップした感じですわ。
家に戻ってすぐに机の上を大改装。
iBookは机の一番奥まで下げ、手前には買ってきたばかりのキーボードを置く。
こうしてみると、ディスプレイとボクとの間の距離はざっと1メートルくらいもある。今まで、ディスプレイをこんなに離してパソコンを操作したことはなかったので、なんだかちょっと不思議な感覚。
電磁波の発生源も身体から遠ざかったので、例の不快感はなくなった。
ボクは近視で老眼なので、普段は遠近両用眼鏡をしているのだけど、それでも今まではディスプレイが近すぎて、パソコンの前では眼鏡を外して作業をしていた。これだけ距離があると、眼鏡をしたままでの作業にもちょうどいい。
少し距離を置いてみるというのも、案外いいもんだな、ふふふ。
(余談だけれど、記念写真などで自分が写真に写る時なども、ちょっと意識して眼鏡をはずすことが多い。微妙な違いだけど、眼鏡をはずしたほうが、若干、ほんのちょっとだけ、15%くらい男前に写るからだ。(当社比)...)
そして、この新しいキーボードだ。
キーボードなんて、基本的にはみんな一緒なんだろうけど、微妙に勝手が違うというか、たとえば、今までのヒトだったら、ギュッと強く抱きしめてもニコニコしていただけだったのに、今度のヒトは、ほんのちょっと指先が触れただけでも「あ♪」なんて吐息が漏れたりして…みたいな。
だから、最初のうちはどの程度の力加減がいいのか、少し様子を探らなければならなかったりして。
「あなたの好きなように触ってくれてもいいのよ」と、白い肌を投げ出しているのだけど、まだ少しの間、きっとボクの指先にはタメライが残るのだ。
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- 2008/04/15(火) 12:20:44|
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ボクはしばしば忘れ物をする。
忘れ物と言えば、普通は“置いてきてしまう”ものだけど、時には“持ってきてしまう”こともある。
いつだったかも、取材である温泉旅館に泊まった時、チェックアウトで「たいへんお世話になりました!」と丁重に挨拶を述べ、仕事のほうも上々の首尾で、気持ちよく帰途についたのだけど、我が家に帰り着く直前、何気なくポケットに手をやったら、宿のルームキーが入っていた!!!!!!
がーん…。
なんという粗忽なんだ!
最近では、取材に行くのにペンを持たずに家を出てしまうことが多い。
途中で気づいて、コンビニに立ち寄ってボールペンを買ってから取材先に向かう。
そんなことを何度となく繰り返していたから、今度はやたらにボールペンが増えた。
机の中もバッグの中もクルマの中も、ボールペンだらけ!
そのボールペンの数だけ、忘れ物を繰り返してきたってことだ。
さすがに、今では、どこかに必ずペンがあるから、確認しないで出かけても、筆記具で困ることはなくなったけど。
ペンそのものには困らないのだけど、ちゃんとした赤ペンがないのでは時々不自由している。
文章を書く仕事をしていると、校正などで時々は赤ペンがあったほうがいいことがある。
だけど、絶対必要ってほどでもないものだから、改めて赤ペンを買い置きしておこうという気持ちには、なかなかならないのだ。
唯一、赤と黒の2色ペンがある。
少し平べったい形をしていて、裏に Haneda Airport とプリントしてある。
上京したN子がボクへの土産として羽田空港で買ってきてくれたものだ。
ボクとN子がつきあっていたのは、9年前の半年間だけだったから(あれからもう9年にもなるのか!)、このボールペンも、してみると9年前のものだ。
あまり頻繁には使わないから、まだインク切れもせず、買った当時のままで時々出番が回ってくる。
ボールペンには替芯というものもあるけれど、さて、このN子が買ってくれたボールペンの赤インクが切れたら、ボクは替芯を入れ替えて使い続けるだろうか。
多くの人がボールペンは使い捨て同然に使うように、ボクも、赤インクが切れた時点でこのボールペンは捨ててしまうだろうか。
あまり、“想い出の品”というものには固執しないたちなのだ。
あるいは、いざとなったらやはり何かが惜しくなって、「ボールペンは芯を替えて使い続けるのがエコなのだ」などと言い訳をして、あと何年かは手許に置こうとするだろうか。
そうかあ、あれからもう9年も経ったのかあ。
あの頃は彼女もまだ30代だったけれど、今はもう40代なのだな。
40になったN子にも、逢ってみたい気持ちもするのだけれど。
水ぬるむ季節、ぼーっとして忘れ物をしないようにと、気をつけなければ。
これからも何かと出歩く日々が続く。
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- 2008/04/11(金) 17:14:48|
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実はね、あした、日帰りで青森県の「十二湖」まで行ってこなければならないのよ。
この、「行ってこなければ“ならない”」…ってのが微妙な話でね。
誰に依頼されたわけでも命令されたわけでもなく、行ってきた分をどこかに請求できるってわけでもなく、行けば行っただけ、ガソリン代が“持ち出し”になってしまう。
そういう意味では、行かずに済むんだったら、そのほうが絶対いいわけよ。
それでも、いろんな“大人の事情”で、行かないわけにもいかない…みたいな。詳しい事情はあとでまたお話しするとして。
どうせならね、もっと積極的な理由というか、「他の仕事を差し置いてでも、今の季節の十二湖を撮っておきたいんだよ!」とか、「キミにどうしてもこの景色を見せたかったんだ!」とかいうんだったら、十二湖に走らせるクルマの中でも心弾むものがあるけれども、今回は、そういう意味ではちょっと消極的な理由だからね。
本日は、岩手県雫石町の小岩井農場界隈で遊んでまいりました。
本日の写真もそこで撮ってきたものです。
これもまた、“行きたくて行った場所”とか、“撮りたくて撮った写真”というのではなく、取材であの近くの温泉宿に泊まったので、「せっかくここまで来たのだから、“ついでに”何か撮っていこうか」というような、かなり消極的な理由で撮った写真。
小岩井にしろ十二湖にしろ、ボクは、自分で納得のいく写真が撮れたらそれだけで十分に幸せなのだけど、でもやはり、どうせなら、自発的に出かけていって写真を撮るっていうほうが、はるかになんだか、潔いっていうか、そうであるべきなんじゃないかなあなんて、思うわけ。
ボクの写真はなんだか、“ついで”とか“それを撮りたくて行ったわけじゃないんだけど”…ってのが、かなり多いような気がしてね。
今回泊まった温泉宿は、女将さんがとてもはりきって頑張っている宿でした。
彼女は、だいたいボクと同じ世代かな。
いつものように、雑談調に、いろいろ問いかけてインタビューして取材します。
そうして、他のある温泉宿の独身女将の話になったときに、彼女がぽつりと、「あたしも独身ですけど…」などというのです。
そんなプライベート事情は本題に関係ないのでさらりと聞き流して、すぐに次の質問に移るのだけど、内心、「えっ、独身?!」などと、ちょっとばかりドキドキしちゃったりして。
こちらからは聞いてもいないのに、わざわざ自分から白状するなんて、これは何かの“アピール”なのかしらん、なんて勘ぐってみたくなったりもして。
さらに続くインタビューの雑談部分をつなぎ合わせると、独身といっても、未婚というわけではなく、結婚したばかりの娘さんがいるようだから、自身は、一度は結婚していて、その後、生き別れなのか死別なのか…。さすがにそこまでは掘り下げなかったけれども。
まあ、いずれ、“仕事が恋人”みたいな張り切りお姉さんだったので、“独り身”であることの寂しさとか無聊とかはあまり感じずに日々を過ごしているのだろうと思う。
それがまた、男の目には、ちょっと“健気(けなげ)”にも映るのだけどね。
小岩井農場のそこここの情景にシャッターを切りながら、「そうかあ、独身かあ…」と、意味もなくひとりごちるのである。
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- 2008/04/09(水) 23:59:14|
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大都会にお暮らしの皆さんはどうだかわかりませんが、秋田のような田舎だと、春先にフキノトウの天ぷらが食卓にあがることがあります。
雪解けが始まる頃、ある日不意にフキノトウの天ぷらが出されます。
そしてみんなそれに驚き、「お、春だねえ」と、ちょっとした感慨に耽るのです。
めちゃくちゃ美味しいってものでもないけど、まるでそれは、新しい季節を迎えるセレモニーのように。
カラッと揚がった天ぷらを、これは醤油ではなく塩でいただく。
田舎にあっては、自然に生えている植物も、目で愛でるものであるのと同時に、「食えるか食えないか」で値打ちが違ってくることもあったりして。
我が家では食べないけど、そういえばツクシも天ぷらにして食べられたはず。
ツクシってやつは、ほんの数本が路傍に出ていると可憐でもあるけど、あまりに群生していると、なんだか地球の異変を感じさせて不気味。
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- 2008/04/06(日) 11:31:38|
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ふだんはまったく音信不通なのに、秋田で大地震や集中豪雨などがあると、「大丈夫? 被害はなかった?」などとメールをくれる人がいる。
A美もそんな一人。
40歳過ぎ、独身、首都圏在住。
知り合ったのはネット上のサイトだった。
知り合ったと言っても、2、3度電話で話をしたことはあるけれども、一度もリアルには逢っていない。
いつかは秋田に遊びに行きたいと言っていたし、「ほんとに来るんだったらいつでも歓迎するよ。あちこち案内してあげるから」と言ってあるのだけど、ついぞ彼女の足は秋田に向かない。
その理由の一つが“花粉症”。
あいにくボクにはアレルギーがないので、花粉症の人の辛さは分からない。
秋田には“秋田杉”と言うものがあり、県内いたるところで杉林を目にする。
きっと、春先には相当の杉花粉が飛散しているのだろう。
「秋田には行きたいんだけど、花粉の季節は絶対に無理だわ」と、言うのである。
そりゃあ、そうなんだろうな。
花粉の心配さえなければ、水ぬるみ、山桜咲き、可憐なカタクリが群生し、水芭蕉ひらく今からの季節は、最高なのに。
A美は、無理目な恋をする女だ。
彼女には好きな男性がいる。ところが、相手の男性にはまったく脈がない。
彼女が逐一ボクにメールで知らせてくる近況報告によれば、男性には、結婚する意志もなければつきあう意志すらないようなのが、手に取るように分かる。
せいぜい、“友だちづきあい”自体はやぶさかでない…といった程度。
そんな相手であり、彼女自身、ハードルが高いことを半ば知りつつ、それでも、彼ともう一歩踏み込んだ関係になることに固執している。
津島としては、うまくいきかけている恋愛がどうすれば成就するかとか、なかなかうまくいかない恋愛が何がネックになっているのかとか、そういうサジェスチョンなら出来るかもしれないけど、最初から無理目と分かっている恋に固執する女性に、かけてやれる言葉は見当たらない。
好きにすればいいさ…と、突き放すしかないのだ。A美にしても、津島から気休めや希望に満ちた言葉は引き出せないと知りつつ、ほかに話を聞いてくれる人もいないらしく、ときどき思い出したように“近況報告”してくるのである。
メールなんかだとまだるっこしいので、ちゃんと秋田に来てくれればもっと親身に慰めてやれるのに(いや、変な意味じゃなくて。変な意味でもいいけど)、花粉が阻んで、結局彼女は、このまま秋田には来ないで終わってしまうのではないかと、思っている。
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- 2008/04/03(木) 13:12:05|
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男と女が、向き合って抱き合うのも、あれはあれでいいものだけれど、たとえば女の背後から男がギュッとハグするというのも、これはこれでまた、オモムキあるものである。
同じ背後からのハグでも、それに込められた意味には、微妙なニュアンスの違いがあるのではないだろうか。
一つは、「もうキミはボクのものだからね。絶対に離さないからね」…みたいな感じ。
もう一つは、「心から愛しているよ。ずっとキミを守ってあげるからね」…みたいな感じ。
どちらであったとしても、ギュッとハグされた女性のほうは悪い気はしないし、最高にシアワセを感じる瞬間であるだろうけど、厳密に言うと、そのニュアンスの違いはけっこう大きいものがあるのではないだろうか。
前者は、言い換えれば、「お前はもうオレのものだ」という“独占宣言”のようなもの。
後者は、ある意味ではその反対の、尽くし続けることを誓う“奉仕愛”の宣言。
人の愛し方、人と人との愛し合い方は千差万別だから、どっちのニュアンスのほうがいいなんてことは一概に言えないのだけど、「自分だったら…」という想像で考えてみると、そのハグには後者のニュアンスを持たせるかな。
背中からのハグというのは、一般的には男のほうがするパターンが多いのだろうけど、ボクは一度だけ、女性からそういうハグをされたことがある。
か細い声でよく聞き取れなかったけれども、「離したくない…」と、ボクの背中でささやいていたような気がする。
「すまないね、辛い恋をさせてしまって。でも、キミには帰るところがある。ボクにも帰るところがある。お互いそれを承知の上で始めた恋じゃないか。どこかでちゃんと気持ちを切り替えないと」
「ねえ、あまり突然で悪いんだけど、あたしたち、一緒に暮らせないかなあ…」
「な、何を言い出すんだ、唐突に?!」
「ごめんなさい。あたし、自分でもこんな気持ちになるなんて、思ってもいなかったのよ。あなたの言う通り、割り切った恋にするつもりでいたわ。でも、やはり、なんだか、あなたのこと、他の人のところへ帰したくなくなっちゃって…」
ボクは、少し呆然としてしまった。
思いもしない展開になってしまったのだ。
ずるい男と言われたらその通りかもしれないけど、この恋は“楽しむ恋”、人生のオプションのような恋のつもりでいた。
それだのに、彼女がここまで“真剣”になってしまっていたなんて。
一瞬、ほんの一瞬だけれども、ボクも、人生をリセットして、この女と一緒に生きるという想像を、頭の中で働かせてみる。
しかし、それでは、失うものが多すぎやしないか。
“楽しむ恋”ではあったけれど、それでもその“楽しむ恋”という括りの中で、ボクは彼女を愛していた。そんな愛しているはずの彼女の、痛々しいほどの本心を聞かされながら、しかしボクは、“失うものが多すぎやしないか”などという打算の考え方をしているのだ。
話が長くなるのも無粋なので途中を省略しよう。
結果、ボクは、多くのものを失った。彼女も多くのものを失った。
今でもボクのことを憎んでいる人は少なくないはずだ。
彼女から離れていった友人知人も少なくない。
そんないきさつで一緒になったボクと女房だけど、はたして、これは幸せな選択だったのだろうか。
いや、意地でも、「これはこれで間違いではなかった」と、思うことにしたいのだ。
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- 2008/04/01(火) 00:00:00|
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