
これも老化現象なのかな。
最近、すごく物忘れが激しくなってきたんだよ。
たとえば、パソコンに向かって仕事していて、「あ、そうだ。あれのこと調べておこ」と、思いつくわけ。
それでもまあそれは、今やりかけの作業が終わってからだなと思ってそのまま作業を続け、さて一段落して、何か調べることにしていたということまでは思い出せるのだけど、何を調べることにしていたのかということが、とんと思い出せない。
『博士の愛した数式』じゃないけど(ていうか、その逆?)、1時間くらい前までの記憶は全然問題ないのに、10分前くらいにふと思いついたことを、すっかり忘れてしまっている。
たいていは、しばらくしてから、「ああ、そうそう、あれあれ」…って思い出せるのだけど、なんかあれだよね、思い出さなきゃいけないのになかなか思い出せないのって、気持ちが悪いよね。
そういえばね、こういうこともあるんですよ。
ときどき、永井荷風という名前を思い出したくなるときがあるんです。あの人の文体とか生涯とかには、ちょっと興味深いものがあってね。
ところが、いざ彼の名前を思い出そうとしたときに、なかなかそれが出てこない。
不思議なことに、いつも頭の中で、“二葉亭四迷”という人名がふっと浮かぶんだけど、「いや、二葉亭四迷じゃない。えぇっと、誰だっけ…。あ"ぁ"…」と、思い出したい名前が出てこないときの、その苦しいこと!
その場でネットで調べたり、本棚にある文庫本を見たらすぐに分かることなんだけど、そうじゃなくて、自分の頭の中で思い出せないのがもどかしくて歯がゆくてね。
結局諦めて、“ぼくとうきたん”とググって、「ああ、そうでした。永井荷風でした」と、我が記憶力の敗北を認めるわけです。
ボクの記憶力がいよいよ怪しくなってきたとき、
「ふふふ、ずいぶん久しぶりだったわね♪」…と言って、突然君がボクの前に現れる。
「ああ、そうだね。元気だったかい?」と鷹揚に応えながら、ココロの中でたらたらと冷や汗をかいて、「えと…、誰だっけ。いや、顔は覚えている顔なんだよ。でも、名前が思い出せない。それと、この人とは、どういう関係だったっけ。えと、してたっけ、してなかったけ…」などと、激しく、激しく煩悶するわけだ。
そういうときの為に、何か、突破口というか、刷り込みというか、一瞬にして記憶を呼び戻せる手はずがあってもいいかもしれないね。
たとえば…、日頃からおっぱいを触りなれていて、ちょっとおっぱいを触っただけで「あ、○子ちゃんだったね」…って思い出せるような。
…しゅみません、いっつもスケベなオチで…
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/27(水) 23:23:59|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2

どうもなんだか、海の向こうの香港の芸能界が騒然としているらしい。
はっきり言って、非常にヤバいことなので、早めに箝口令を敷いて、世間の人たちに気づかれないうちにうやむやにしてしまえばよかったのだ。
ところが、こういうネタの大好きなマスコミがここぞとばかりに書き立てるので、「えっ、何なに? 何があったの?」と、みんなが注目してしまう。騒動の後半は、マスコミ自身が作り出したものだとも言える。
一昔前であれば、仮に、人に知られたくない見せたくないフテキセツなものが出回ったとしても、それを目にするのはほんの一握りの人間にすぎなかった。だけれども今は、ネットの時代だから、ほんのひとかけらでも自己管理の域外に出てしまったら、もう歯止めがきかなくなってしまう。
できれば子供たちには見せたくないものでも、たちどころにインフルエンザが流行する以上の勢いで子供たちの間に広まってしまう。
海の向こうの国の芸能界のスキャンダルにすぎないのに、その“出回っているもの”とやらは、日本でも居ながらにしてまったくコストをかけないで入手できてしまうのだ。
個人的にはね、エロチックな局面を写真に撮りたいって心理は、分からなくもないんですよ。
誰に見せるためでもなく、いやむしろ、絶対誰にも見せたくないのだけど、なんか、想い出(?)のために、無性に撮っておきたくなる…みたいな。
ただ、かつては、写真の現像プリントはどうしても外部の人に頼まなければならなかったから、撮りたくても撮れなかったって現実があった。(そういうニーズのために「貸し暗室」という商売もあったのだけど)
津島自身は、四半世紀以上も昔から写真をやっているし、広告代理店勤務時代は会社にも暗室があったし、自宅にも暗室を持っていた。だから、堂々と、奥しゃんの“人には見せられない写真”を撮ったりしたこともあったわけですわ(^^;
そういうのって、ただのスケベ心ゆえの行動と思うだろうけど、もちろんそれも否定しないけど、ただね、考えてもご覧なさい、お互い中年になった夫婦の、奥しゃんがまだ20代の頃の初々しいヌード写真が手元に残っているんですよ! それって、すごい財産だと思わないですか!?
もしこれから先、女房が先に死んだら、ボクは時々、20代の頃の女房のヌード写真を取り出して、少し涙を流しながら、ウイスキーでもちびちびやるんだ。
人間てね、年齢を重ねてくると、どうしても容貌は衰えてくるわけじゃないですか。
それはそれで、人としての“年輪”だから悪くはないのだけど、あとになって人は思うわけですよ、「まだ若いうちの、肌がぴちぴちしていた頃のヌード写真を撮っておけばよかったかな」…って。
なのでね、今はデジカメというものがあって、撮影もプリントも、人手に頼らず全部自分でできてしまうのだから、若いうちに、それを自分の青春時代の“証(あかし)”として、「自分のヌード写真を撮っておきなさい」と、若いコたちには力説しているのですよ。
「なんだったらボクが撮ってあげてもいいし」と、付け加えつつ。
心ない人たちによって恥ずかしい写真をばらまかれてしまった香港の彼女たちはお気の毒だったけど、「ま、あまり気にしなさんな」と、声をかけてあげたい。
「本来は秘めてすることだから、人目に晒されてしまったのは残念だったけど、してたこと自体は世間の誰もがしていることなんだから、必要以上にナーバスになることはないよ」って。そして、「君は何も悪くないのだから」って。
あなたにエロチックな局面がおとずれて、もしも「写真を撮りたい」と相手に言われたら、まあ、すげなく断るのが一番だけど、よほど信頼できる相手であるか、あるいは、「万が一外部に漏れたって、それはそれでいっか」と開き直るか、それで二人のラブ・アフェアが一層深いものになるのだったら、それはそれで素敵ではないだろうか。
ま、こういう油断のできない時代ですので、もし皆さんが既に微妙な写真をお持ちなら、即刻津島に送ってください。
お、おっちゃんが、厳重に厳重に保管してあげますから。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/27(水) 18:13:11|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4

男と女のつきあいには、ある瞬間を境にしてぷっつりと糸が切れるような、サドンデスな終わり方や、少しずつ少しずつ疎遠になっていって気づいたら終わっていたというような、フェードアウトな終わり方など、さまざまなパターンがある。
これからも付き合いを続けていくのか、すっぱりやめるのか、今この場でただちに白黒つけたいという人もいるだろうけど、振るにしても振られるにして、どちらかというとボクなどは、フェードアウトな終わり方のほうがいいな。そのほうがなんだか、胸の疼きも少なくて済むような気がして。
500km離れた街に女友だちが一人住んでいる。
女友だちといっても、これがまさしく“フェードアウト”途上のカンケイで、かつてはお互いに示し合わせてひっそりと逢ってみたり、非常に頻繁にメールのやり取りをしたりしていたものだけど、いつのころからか、彼女の言動の行間にひところのパッションが感じられなくなり、「ああ、これはもう、フェードアウト段階に入り始めているのだな」と、うすうす認めざるを得ないような状況であった。
今でもまったく音信不通というわけではないのだけれど、たとえばそれは、離婚した元夫婦のようなもので、何かの事情や気まぐれで連絡を取り合うことがあったとしても、復縁につながるものではないだろうと、分かっているのだ。
そんな彼女から、この週末、一本のメールが入った。
内容は実に他愛ないものなのだけど、ボクからすれば今でも彼女は“めんどくさい”相手ではないので、どういう言葉を並べれば彼女が喜ぶかと苦吟しつつ、「へえ、そうなんだあ」などと、話に相づちを打つメールを返してやるのである。
土曜の夜にそのような一往復のメールのやり取りがあり、日曜の朝になって、また彼女から話の続きのメールが届くのだ。
このごろは、彼女からメールが来てもたいてい一往復で終わってしまっていたので、続けざまのメールに、正直、ボクは少し驚く。
結局、日曜日中のメールは3往復にも及んだ。最近にない出来事であった。
途中のメールには、「(メールを出すことで)あなたの仕事の邪魔をして楽しいなあ(^^)」なんてジョークまで書いてある。
分かるかなあ。その一行が、ボクには、無性に嬉しいのだ。
もしかしたら彼女のほうも、どういう言葉を並べればボクが喜ぶか、苦吟してくれているのかもしれない。
彼女からメールが届いても、あえて、ボクはすぐには返事を書かない。
こちらが未練たらたらで、でれでれとだらしない気持ちになってしまっていて、メールが届いたら狂喜してここぞとばかりに…と考えていると思われるのもちょっとイヤだし、さりとて、あまりクールに構えすぎて、「もう、あたしからのメールは迷惑なのかしら」などと深読みされても困る。
すぐには返事を書かないけれども、心の中で深呼吸する感じで、一拍おいてから、さりげない返事を返してやるのだ。
男と女の間で、ちょうどいい“距離感”を保つというのは、存外に難しいことだ。
重くもなりすぎず、冷たくもなりすぎず、なかなかさじ加減がむじゅかしいのだよ、大人の恋は。
- 2008/02/25(月) 13:21:25|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:5

渡り鳥というのは、毎年同じ場所に必ずやってくる。
うちの近所にも、毎年白鳥がやってくる川がある。
毎年同じ場所にやってくる白鳥というのは、いつも決まって同じ鳥、およびその子々孫々と、いうことなのかな。
人には(そして鳥にも)、一番居心地のいい場所が一つあればいいのだけど、そういう場所が二つや三つあっても、いいのかもしれない。
自分の居心地のいい場所が、「ここでもない」、「あそこでもない」と、消去法で渡り歩かなければならないのは辛すぎるけれども、いつでも自分を受け入れてくれる場所がいくつかあって、そういう場所にいつでも飛んでいけるのなら、それはとても幸せなことだ。
それとは逆に、毎年のように来ていた人(あるいは鳥)が、いつの頃からかやってこなくなるということもあるかもしれない。
それは、待っている側の者としては、とても寂しいものだ。
そっちから来ないのだったら、こっちから逢いにいくか…ってものでもないし。
長い間、姿を見せなかった人(あるいは鳥)が、久しぶりにやってきてくれたら、それはもう、奇跡を目の当たりにしたように嬉しい。
そんな奇跡に一縷の望みを賭けて、毎日空を見上げているのである。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/23(土) 23:46:08|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

昨日はひさしぶりに胸のすく、気持ちのいい一日だったなあ。
取材という仕事は、行く前から大体予想がついていたり、行ってみるまで予測がつかないことなど、さまざま。
ひどいのになると、集合時間だけ決められて、“どこに”“何を”取材に行くのか事前に知らされないこともある。これじゃあまるでミステリーツアーだ。
一番困るのが、この取材記事で“誰に”“何を”訴えるのかという、いわゆる“おとしどころ”がはっきりしていないケースだ。暗闇で手探りする気分になる。
それでも津島だったらなんとかまとめてくれるだろうと、頼りにされているのかもしれないけど、こういう仕事だと、達成感よりもストレスのほうが、少し上回る。
その点、昨日の取材は、期待以上のものだった。
これから原稿を書いて活字にして発表するネタなので、ここではまだあまり具体的なことは書けないのだけど、昨日は、津島の数少ないレギュラーの一つの連載エッセイの取材で、ある神社を訪れたのだ。
最初に宮司さんから、「写真はどのあたりを撮られるおつもりですか?」と聞かれた。
その言葉を、“ここは神域だからどこでも好き勝手に撮られては困る”というような意味だと解釈して、控えめに、「ええ、参道のあたりから社殿を望遠レンズで…」と答えた。
あとになって分かったのだけど、宮司さんには、ぜひ撮っほしいポイントがあったのだ。
取材に行く前に自分なりに“おとしどころ”を想定して、それに沿ってインタビューを進めていたのだけど、ほぼ聞きたい話を聞き終えて、別の話に移ったとき、「それならまず社殿を見てもらいましょう。ご案内します」と、さっさと席を立った。
「ここはね、どなたでも自由に社殿に入ってお参りしていただけるんです」…と、通されたその社殿の中で見たものはっ?!
この話の続きは2分後!
ちょっと尿意をもよおしてきたので、トイレに行ってきます。
:
:
:
お待たせしました。では、話を続けます。
すみません。見たものについては、まだ具体的には書けません。ネタの要(かなめ)なので。
もったいぶってすみません。
ざっくり紹介するとね、ここは、子宝、子授けの神様だということ。
そういう神社は全国どこにもけっこうあるのかもしれないけど、どうやら、この神社の霊験はハンパないものがあるらしいのだ。
真偽を詮索してもきりがないので聞いたままの話を紹介するけれども、なかなか子宝に恵まれず、不妊治療すら実を結ばずに諦めていた夫婦に、この神社へのお参りのあとに子供が出来たいうケースも少なくないようなのだ。
その、子宝に恵まれたお礼のお参り(“お果たし参り”というらしい)のときに奉納された品が社殿の中を埋め尽くしているのだ。その数のすごいこと!
津島自身はどちらかというと信仰心は薄いし、子授けの神様といっても“気休め”か“迷信”のようなものだろうと考えてしまうのだけど、これだけの圧倒的な数の奉納品を見ると、どうやら世の中には、やはり人知の及ばない“力”が存在するのかもしれないと、信じざるを得ないような気がしてくるのだ。
この神社は、子授けだけではなく、女の人の人生全体を見守り、幸せをもたらすらしいのだ。
なので、なかなか良縁に恵まれない人、どうも女としての人生に今ひとつ輝きが足りない人、女としてもう一花咲かせたい人、女としての今までの不運な日々を逆転させたい人、あるいは、今までは男として生きてきたけどこれからは女として生きていきたい人などは、ぜひ一度お参りすることです。
秋田市近郊にあります。
お参りしてもどうしてもご利益がなかった女性には、そのときは、えと、津島がなんとかします。
- 2008/02/22(金) 13:41:33|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4

電磁波の話はひとまず終えて、次は赤外線カンケイの話です。
わが孫娘は、未だに猪苗代のママの実家にとどまっています。
1月3日の誕生からかれこれ一月半。
ママのおっぱいをたっぷり飲んで、とても順調に、ていうか、少し丈夫過ぎない?…ってくらいに元気に育っています。
そんな日々の成長の様子を、ママが携帯で動画撮影して、こちらにいるパパのところにメールで送ってよこします。
それを回し見して、家族でああでもないこうでもないと言いながら晩酌をするのが、最近の我が家の夕餉のひとときです。
ボクは性格が淡々としているので、猪苗代からの定期便が届かない日は、それはそれで構わないと思っているのだけど、ボクの父親(赤ん坊からするとひいじいさん)は、「今日はまだ届いてないのか」などと、ことさら毎日の猪苗代からの動画メールを楽しみにしているみたいで。
孫娘がこっちに帰ってくるのはちょうど一ヶ月後の3月20日の予定なのだけど、秋田はまだまだ寒いし、少しでも暖かくなってから帰ってくるということには異議はないところ。
ただ、いくらボクの性格が淡々としているといっても、孫娘のことに全然無関心だと思われるのも心外なので、パパ(ボクの息子)に、「どれ、その動画をこっちに送れよ」と言って、お互いの携帯を向き合わせて、赤外線通信で孫娘の動画をボクの携帯にも取り込んだりするわけです。
一つだけ気になるのは、母乳育ちのせいなのか、なんだか“育ち過ぎ”てる感じがしてしまうこと。まあ、か細いよりは安心だけど。
息子には、「赤ん坊の顔に携帯を近づけて撮影すると、ワイドになって顔が必要以上にふっくらと写ってしまうから、少し離れてズームで寄って撮るように言っておけ」と、ちょっとカメラマンっぽいアドバイスをしたりしているのだが。
今現在のわが孫娘は、ちょっと丈夫すぎて、知らない人が見たら男の子だと思ってしまうかもしれない。
本人が成長して結婚するときに、披露宴で“生い立ち紹介”のビデオなんかで公開される写真として、一番人に見せたくないカットの一つが、今の時期の写真かもしれないな。
もっとも、年頃になってすごく美人だったり可愛かったりする女性が、赤ん坊の頃は男の子と間違われるような丈夫チャンだったりするというのはよくあることだから、うちの丈夫チャンも、年頃になったら、きっと、かなり可愛い娘になるであろうと、親バカならぬ爺バカな淡い期待を抱くのだ。
猪苗代から息子のところに、孫娘の寝顔のアップの静止画が送られてきたので、「どれ、それを待ち受け画面にするかな」…と、また赤外線通信で転送させたのだ。
自分の孫娘の写真を待ち受けに使うというのは、観念的にはなかなかオモムキのある趣向だと思うのだけど、外から電話がかかってきて折りたたみ式の携帯を開くたびに、ちょっと複雑な気分になってしまうのだ。
だって、うちの丈夫チャン、“高見盛”そっくりなんだもん…。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/20(水) 22:59:39|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:6

“夜行バス”の話に続いて、“夜行列車”の話をさせていただきたい。
3月から新しく走り始める夜行バスもあれば、その逆に、3月で廃止になる夜行列車も、実はずいぶん多いのだ。
ダイヤ改正以降、定期列車として運行される“ブルートレイン”寝台列車は、わずか7本になってしまう。(“電車”で運行されているサンライズ瀬戸・出雲を別として)
秋田と東京を結ぶ「あけぼの」、大阪を結ぶ「日本海」はかろうじて残るが、もはや夜行列車という存在そのものが、“風前の灯”と言えるのかもしれない。
東京で過ごしていた学生時代、秋田に帰省するときはもっぱら夜行列車だった。“夜汽車”で田舎に帰るのだ。
その“夜汽車”という言葉も、そのうち死語になるのかもしれない。
今は音信不通になっているのだが、かつて東京にM子というガールフレンドがいた。
ボクが上京すると半日くらいは時間を割いてつき合ってくれるのだ。
秋田を経由して青森まで行く寝台特急「あけぼの」は、上野駅を夜9時過ぎに発車する。
M子は既婚者であったけれども、(そのことをボクは少し気にかけつつも)「最後まで見送ってあげる」というので、発車時間までの間、アメ横の中にある居酒屋で二人して他愛ない与太話をして笑い転げながら、酒を酌み交わすのだ。
「お、いけない、そろそろ時間だ」…と言って席を立ち、上野駅に向かう。
改札口の前で「じゃあね」と言いかけると、「ホームまで送るよ」と言う。
それはうれしいのだけれども、さんざん語り尽くしたあとの、発車時間を待っている間のホームでの数分間というのは、今更付け足して言っておくこともなく、なんだか妙にぎくしゃくとした気分になってしまうのである。
これが、恋人であったり、あるいは、“心の恋人”であったりするのであれば、人目もはばからずハグをして発車までの時間を過ごすのもいいだろうけど、残念ながらM子とはそこまでの縁(えにし)ではなかった。
実際、最後の一分くらいに、ボクはちょっと唇をとがらせて、“チューでもしようか!”というアピールをしたのだけれど、ふふんと、鼻で笑われて無視されてしまった。
間もなく発車のベルが鳴り終わる。
キスを拒まれたボクは、一番無難な女性との別れ方である“握手”をして、車両のデッキに戻る。数秒ののちにドアが閉まる。
ドアのガラス越しに、ボクは未練たらしく唇を突き出す。エアーキッスだ。
それにはM子もエアーキッスで応える。
お互い、にやっと笑い合って手を振って、静かに夜汽車は上野駅のホームを離れていく。
もう、上野駅のホームにM子はいないけれども、“夜汽車”という言葉が死語にならないうちに、また夜行列車の旅も楽しんでおきたいものだと、思うのだ。
- 2008/02/18(月) 22:46:58|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3

今朝の地元の新聞に、個人的にはちょっとうれしいニュースが載っていた。
JRバスが3月から、秋田と横浜を結ぶ夜行高速バスを運行するというのだ。
しかも、どういういきさつなのかは知らないけれども、始発が秋田大学前となっている。
秋田大学といったら、我が家からは歩いても10分ほどのところ。
そんなご近所から首都圏直結のバスが出るなんて、なんだか無性にうれしい。
バスは東京駅八重洲口にも停まるので東京に用があるときにも利用できるけれども、ボクはけっこう横浜が好きなので、バスの行き先が横浜というのは、とてもワクワクする。
今までは、旅程上、横浜に滞在するのは半日程度だったけれども、これからは出来るだけ長い時間滞在して横浜を遊び倒してみたいものだ。泊まるのも、都内ではなく横浜に宿をとるというのもいいな。
あっちのほうにいる女友だちの誰かと連絡をとって、
「横浜駅に着くのは朝の7時前だから、きみはそんなに早く来てくれなくていいよ。大さん橋のあたりでうろうろ写真を撮っているから、きみのタイミングで出かけてきてくれたらいいさ」
と告げ、まだはっきりとは目覚めていないような横浜の港で、少しだけゆったりとした気分でボクは写真を撮っているんだ。
そして、何時間も何時間も経っても彼女は現れず、あとになってから彼女のほうが日にちを勘違いしていてその朝はまだぐっすり眠っていたというのが分かるのだけど、ならばこちらから電話を一本すればすぐに分かっていたのに、ボクは、“きっと何か事情でもあるのだろう”と、こちらからは電話しないことに決め、彼女に逢えないヨコハマの一日を無聊に過ごすのだ。
ああ、なんだか、ワクワクするなあ...(^^;
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/16(土) 13:32:25|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3

この冬一番という大荒れの天気の中、海沿いに北上して津軽の取材を敢行して帰ってくると、ありがたくないバレンタインデー・プレゼントだ。
auの一月分の請求書が届いていたので、なにげに封を切ってみたら、請求金額が1万円をはるかに超えていて仰天。
ボクの携帯料金は、多くても月に6千円程度だから、一月はその倍以上。
まったくココロアタリがなくもないのだ。
一月はパソコンが絶不調で、ネットに接続できない期間が一週間ばかしあったので、その間は携帯でニュースをチェックしたり、自分のブログに届いていたコメントを読んだり、友人のブログを覗いたりしていた。
確かに普段の月よりはパケット通信が多めだなとは思っていたのだけど、それにしたって、それが何千円分にもなるとは想定していなかった。
ボクはぼんやり生きているので、自分の携帯がどういう料金コースになっているのか、どういう割引サービスを利用しているのか、全然把握していない。
それでも、まあ、めちゃくちゃ通話をするわけでもないし、着メロをダウンロードとか頻繁にウェブにアクセスするとかするわけでもないので、月々の携帯料金がバカ高くなるはずはないと、漠然と思い込んでいたのだ。
結果論から言えば自分が無知だったとしか言えないが、少しくらいウェブを使ったって、パケット料金なんてたかが知れているだろうと思っていたのだ。
ところが、どうやらそうでもないらしいのだね。割引サービスや定額サービスなどを使わずに油断していると、パケット料だけで月に一万円を超えることだってあるようなのだ。
まったく迂闊でした。
不器用な男ですから、油断して生きて、結局どこかでみすみす損をしてしまう。
それでなくとも生活が苦しいのに、携帯料金だけに一万円以上もかかってしまうなどというのは、気絶してしまうくらいボクにはショッキングなこと。
それで慌ててauのサイトにアクセスして、いろいろ調べてみたら、「ダブル定額」というサービスを利用すれば、ボクのような利用パターンの場合、月々の支払いがおおむね五千円を超えることはないだろう…という試算になった。
ああ、だとすれば、今までどれだけ余計な金を携帯に払ってきたことか。
無知というのは、お金を損するということでもあるのだ!
今回の請求額が減額されるわけではないけれども、とりあえず大急ぎで、auのサイトからダブル定額を申し込んだのだった。
どうせ同じ痛い出費をするのであれば、たとえば、携帯の向こうに、久々にココロが熱くなるようなヒトでもいて、メールをやり始めたらそれが止まらなくなり、今すぐにでも逢いたいけれどもそれも叶わず、二人の絆が薄れるのを恐れて、まるで激しくお互いのカラダをむさぼるような、とめどない激情のメールを交わし、それが積もり積もって、とんでもない携帯料金の請求になり、少し冷静さを取り戻した頃に、「ちょっと高い授業料だったな」と自嘲できるような、そんな背景を持つ請求書の金額であれば、まだしもキモチとしては納得できそうな気もするのではあるが。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/15(金) 00:30:28|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:5

雷に打たれたような…というのは、こういうことを言うのだろうと、生まれて初めて、そのとき分かった。
ボクはもう、恋などはすることはないだろうと思っていたのだ。
いささか人生にくたびれてきて、穏やかな陽気の縁側で膝枕でもさせてくれて、心地よく耳掃除などしてもらえるような、そんなゆるい関係の相方ならともかく、たとえば、この人が欲しくて欲しくてたまらず、とてもじゃなく人のものにさせることなど考えられず、自分のものにならぬのならいっそ刺し違えてでも…などというような、そんな激情を女に抱くということは、まず我が身にはあり得ないだろうと、思っていたのだ。
そんな平穏な人生で終わるはずだったのに、どうして今頃、君というヒトはボクの前に現れるのだ!
はっきりと言っておくが、ボクは君に、激しく憤っているのだ。
なぜ君は、ボクの人生を狂わそうとするのだ!
いや、もちろん君には罪はないのだ。
罪があるとすれば、こんなときにボクと君を引き合わせた神だ。神というより、悪魔だ。
雷に打たれて、ボクは人格が変わった。
何が何でも、ボクは君を手に入れる。
悪いのはボクではない。こういう運命に仕向けた神だ。
恨むなら神を、運命を、恨んで欲しい。
ボクには、絶対に、君が必要なのだ。
--------
ハイ、今夜の妄想ごっこはこれでおしまい。
しつこいですけど、昨日の電磁波のお話の続きです。
パソコンで仕事をしていると、やはりどうしても左手に不快感があるので、ネットでちょっと調べてみました。
そしたら、Macユーザーのフォーラムのページがあって、やはり同じようなことを体験した人たちがたくさんいたんです!
おお、ボクだけじゃなかったんだ!
それで、いろんな体験談や意見が書き込まれていたのだけど、「それは電磁波ではなく漏電が原因ではないのか」という意見がありました。
確かに、言われてみると、直接金属に触れているわけではないからビリッとはこないのだけれども、なんだか、感電したときの不快感に似ています。
みなさん、感電したことありますか?
なんか、妙に不快な感じになるものですよね。
ボクのパソコンも、電気が漏れていて、それがプラスチックの筐体越しにボクの左手に伝わってきているのでしょうか。
そういえば、Macの電源アダプターのプラグからはアース線が分かれています。通常はアースの必要なんて感じることがないから気にも留めていないのだけど、漏電があるとすればアースは必須、とりあえず急いでアースを機能させることにしました。さあ、これで左手の不快感が解消されるでしょうか。しばらく様子見です。
さて、明日は久しぶりに一泊の温泉取材。
雪の津軽に行ってきます。
日本海に面した温泉宿なので、仕事の写真以外にも雰囲気のある写真が撮れたらいいのだけど。
というわけで、次回の津島ブログの更新は早くて木曜日の夜になります。
どちらさまも、お風邪など召しませぬように。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/13(水) 00:22:48|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2

内蔵ハードディスクを交換してから、iBookの調子はすこぶる快調なんですよ。
以前より起動も速くなったしね。
前のHDDが30GBで容量め一杯だったのに対して、今は80GBなので余裕もしゃくしゃくです。
ただね、ただ、ちょっとだけ違和感が、あるんですよ。
キーボードを操作するでしょ。そのときの左手の手のひらを載せるところの下にHDDがあって、稼働中は発熱したHDDの温度が手に伝わってくるわけだけど、それ自体はパソコンでは普通のことだから良しとして、気のせいなのかどうかよく分からないのだけど、なんだか、熱とは違う奇妙な不快感が、左手に伝わってくるんだな。
まさしく、“変な電波”に攻撃されている感じ。
でも、そんなことってあるのかなあ。
まあ、電気製品だから当たり前に電磁波は出ているのだろうけど、電磁波が人体に良くないとはいえ、パソコンごときからは、はっきりと人体に影響が出るほどの電磁波は出てないとも言うし、まして、HDDの上に手をかざしただけで知覚できるような、そんな分かりやすいものでもないでしょう、電磁波ってものは。
とはいえ…ですよ、電磁波が人体に及ぼす悪影響の一つに“無気力を引き起こす”というのがあって、実は津島、この一、二年、パソコンの前で仕事をしようとするとひどく集中力を損ねられる…ということを、体験しているわけですよ。
クルマを何百キロも走らせたり、写真を何百カットも撮り続けることはちっとも苦にならないのに、パソコンで原稿を書く段になると、締め切りが迫っていてもまるで気持ちが集中できない…。
もしかしたら、やっぱこれって、電磁波のせいなのかなあ。
まあ実際、パソコンと向かい合っている時間がやたらに多い日々だからなあ。
いずれはデスクトップパソコン(iMac)を買いたいと思っているわけで、そうすれば仕事をするときもPC本体と体の間を少し離すことが出来て、電磁波の影響も軽減できるのかしらん。
ほんとにカラダにいいんだったら、iMacの購入計画を少し早めたほうがいいのかな。
電磁波の影響がなくなったら、きっと、気力が充実してきて、疲労回復、食欲増進、発毛促進、精力増強…、嗚呼、夢のようだ。
みんな、電磁波が悪いんだ!
電磁波のせいなんだ!
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/12(火) 01:08:47|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4

小さなニュースだったけど、大いに注目して読んだ記事がある。
それは、JR西日本が、青色発光ダイオードの照明灯を試験的にいくつかの踏切に設置したところ、それまで年間4〜9件あったそれらの踏切での人身事故が、設置後の一年間はゼロになった、というのである。
青色の光には人の精神を落ち着かせる効能があるという研究があり、実際、街灯を青色の明かりにしたところ、その街区での犯罪の発生が激減したという報告もある。
青色光が人の心に何かしら穏やかなものをもたらすのであれば、なによりだ。
秋田は、自殺率が全国一と言われ、自死については大いに関心が寄せられている。
しかし、実数で言うと、東京のほうが秋田の5倍ある。
ネットのニュースを見ていると、首都圏の鉄道で“人身事故発生”というニュースを見ない日がないくらいに、なんだか、“日常茶飯事”的になりつつあるような気がする。これは、異常事態だと思うのだけど。
当事者にもよほどの事情があってのことなのだろうけど、普通に何気に電車に乗っていて、いつなんどきそういう現場に出くわしてしまわないかと思ったら、たまったもんじゃない。また、予期せぬときにそういう事故で電車が止まってしまって、その日一日の予定が狂ってしまうのも大変だ。
自死を防ぐには、抜本的には当人が抱えている大元の問題を解決するしかないのだけれど、たとえば電車のホームのはじっこのほうの照明だけでも青色光に変えれば、なんとはなしに「やっぱ今日はやめておくかな」と思いとどまる人が出てくるんじゃないだろうか。ぜひそうあってほしいと思うのだ。
このブログの以前の記事で「もし目が見えなかったら…」というようなことを書いたけど、それとは矛盾するかもしれないけれど、目から入ってくる情報は存外に大きな意味を持つことがある。
たとえば一日の始まりにひどくイヤなものを見てしまったら、一日中もやもやくさくさした気分を引きずってしまって、気分を切り替えられないままで終わってしまうことにもなりかねない。
人生きれいごとばかりでは生きていけないので、たとえイヤでも直視しなければならないこともあるのだろうけど、自分の出来る範囲だけでもいいから、なるべくイヤな思いにならないような、目に涼やかなものを見ていたいと思うのだ。
実は、自分の写真観もそういう考えが底流にある。
深い意味を持たせるとか本質を突くとか自我の投影などというのではなく、“なんとはなしのスッキリ感”が漂う写真が、ボクは好きだ。
なので、“深い写真”に比べたらいささか薄っぺらかもしれないけれど、それでもボクは、これからもスッキリ感のある写真を撮っていきたいと思うのだ。
いつもいつもそんな写真ばかり撮れるわけではないけどね。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/11(月) 14:34:22|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2

ああ、そういえば、ちょうど今頃の季節だったなあ。
そのころ、ボクにはM子というガールフレンドがいて、不意にかかってくる電話の相手をしたり、ときどきは一緒にメシを食ったりドライブに連れ出したりしていたんだ。
今頃の秋田というのは、ちょうど各地で冬まつりが開かれる時期で、ボクもある町の冬まつりの写真を撮りたいと思っていたら、M子も「あたしも見たことがないから行ってみたい」と言うので、現地で合流することにしてわずかな時間ながら冬まつりの夜を一緒に過ごしたのだった。
屋台で豚汁を注文してみたり缶ビールを飲んでみたり、そこだけ切り取ってみれば恋人同士のような、あるいは、アバンチュールのような、楽しいひとときではあった。
こういう行状はボク自身はあまりやましいことだと思っていないので、そのころ持っていた自分のホームページのBBSに、その夜のことをおもしろおかしく書いたのだった。
そうしたらすぐにM子からメールがきて、「ああいうふうに書かれるとちょっと困るので、もうこれきりにしたいと思います。今まで楽しかったわ。ありがとう。さようなら」…と、いうような内容であった。
ボクはなんだか、狐につままれたような気分だった。
あとになってから断片的な情報をつなぎ合わせてみると、どうやらボクはずっと、彼女に嘘をつかれていたようなのだった。
あらましを言うと、ボクは彼女から、「あたしは全然その気がないんだけど、しょっちゅうメールをよこす人がいるのよ」と、いうような話を聞いていたのだった。ボクは、「あはは、一歩間違えばストーカーだな。キミにその気がないんだったら、無視し続ければいいじゃん。中途半端に相手をしてしまうと、少しは気があると、相手に思わせてしまうからな」などとアドバイスしていたのだ。ところが真相は、気のない相手から言い寄られていたのではなく、彼女自身が相手にかなり執心だったようなのだ。なので、どうにかして相手の気を引き続けなければならないのに、冬まつりの会場で他の男(つまりボク)としっぽりやってたなんてことがおおやけになってしまうと、彼女としては非常にまずいことになってしまうわけだ。
バカだなあ。
それならそうと最初から正直に言ってくれていたら、ボクはむしろ積極的にM子の恋を応援してやってもよかったのに。
ボクはしばしばこのブログで自分の女友達のことを書くけれども、彼女たちにとって、ボクこそが大本命の恋人…などということは、まずない。彼女たちには夫がいたり恋人がいたり、あるいは、血反吐を吐くような辛い恋をしたばかりのヒトだったりする。
だからボクは、そんなことどもを全部ふまえた上で、「まあ、オレでよかったら話し相手になってやるぜ」とか、俺でよかったら愚痴の一つも聞いてやるぜって感覚で彼女たちとつき合っているのだ。
「ボクと真剣につき合ってほしい」などと言ったことはないし、まして、「女房とはいずれ別れるつもりだ。そのときはオレと一緒になってほしい」などというような約束手形を振り出したりもしない。
なので、こちらが相手に対して口にすることはほぼ真実であるし、相手が吐露することもほぼ真実であろう…ということが前提になっている。(言いづらいこと、言いたくないことを言わないでいいとしても)
今になって、なんでM子はボクに嘘をつこうと思ったのかと、考えてみたりする。
ボクの論理からすれば、本当のことを話してくれていたらボクはちゃんと彼女の恋心を応援してやれていたと思うのだけど、なんなのだろうな、彼女は彼女なりに、ボクのキモチのことも考えていたのかな。「あなたとつきあっているけど、本当に好きなのは他の男なのよ…などとはとても言えないわ」などと。
親しくしていた女に嘘をつかれたことが、ショックでなかったとは言わないけれども、それよりも、ボクに嘘をつくことで帳尻を合わせようとしていた彼女のココロが、なんだかとても痛々しく思われるのだ。
あの日以来、M子とはまったく音信不通だけれども、幸せでいてくれたらなあ、と思う。
仕切り直しで、「また昔のように一緒に遊んでよ」と言われたら、それもやぶさかではないのであるが。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/10(日) 00:07:27|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2

高速バスに乗った。
座席指定になっているようで、チケットを買ったら一番前の席だった。
運が良かった。ボクは乗り物が好きだから、一番前の席はボクには特等席だ。
一度、小田急のロマンスカーの一番前の席にも乗ってみたいものだ。
さてその高速バス、乗客も全員乗り込んで、発車直前、最後に若い女性が乗ってきた。
その女性は、運転席となりの補助席を引き出してそこに腰掛けた。
バスが発車すると、女性は、持ってきた紙袋からサンドウィッチを取り出して運転手に渡している。コーラだかコーヒーだかの飲み物も渡している。
それらを食ったり飲んだりしながら、運転手と女性は延々とペチャクチャペチャクチャ雑談を交わしているのだ。
乗客は、そんな運転席周りの様子を、まったく意に介していない。
これ、去年秋、ボクがブラジルで乗ったバスの中の光景。
女性は、たぶん運転手の奥さんかガールフレンドなのだろう。
日本だったらまずありえない光景だ。
公私混同しないで運転に集中しろ!…と、煙たい顔をする人もいるだろうし、乗客の誰かがバス会社にチクって運転手が処分されることになるかもしれない。
(実際、そういう展開で運転手や運転士が処分されるケースは日本ではしばしばある)
でも、少なくともそのときのボクは、このバスの乗客であることにちっとも不安でなかったし、個人的には、とても微笑ましい、あるいは、羨ましい光景だなとも、思ったことだった。
お次は、ある外国の航空会社の飛行機に乗った人の体験談。
その航空会社というのは、北欧のスカンジナビア航空なのだけど、ヨーロッパからの帰途、満席と聞いていたその便に、乗り込んでみたら座席が一つ空いていた。
どういうことかと客室乗務員に尋ねてみたら、「その席の客は機長の息子で、今は離陸の様子を見るためにコックピットに行っている」という返答。
我々日本人の“常識”からすると、飛行機の操縦席というところは、ただ一つの例外も認めず乗務員以外は立ち入れない場所のはずだから、それにはちょっと驚く。
よくあることなのかと重ねて聞くと、「北欧の航空会社では乗務員以外の家族や友人を入れることは日常的にある」という答えだったとか。
後日この件でスカンジナビア航空日本支社に尋ねたところ、「その件に関しては既に乗務員からの報告があり、承知している。当社のレギュレーション上は何ら問題はない。お客様が日本の関係機関に通報されるとしても当社は阻止しません」という回答だったという。
おお、なんという毅然とした態度!
日本人の感覚からすると、はたしてそんなことで空の安全は本当に守られるのかと不安になってこようというものだけど、彼らには彼らなりの行動規範というものがちゃんとあるのでしょう。
決して無神経とか無頓着にやっていることでもないみたい。
乗客からの問い合わせがある前に乗務員から会社にきっちり報告もあがっているというのだし。
日本で今騒がれていることといえば、倖田來未の失言問題だけど、それに関わる企業の対応が、その意味ではいかにも日本的。
彼女が出演しているテレビコマーシャルがのきなみオンエア中止という事態になっている。
“スカンジナビア航空”式の対応をとって、「今般の発言はたいへん遺憾ではありますが、当人も失言であったと認め、深く反省の弁も述べておりますので、CMの放送継続は何ら問題ないと考えております」とか表明する企業があったらカッコいいなと思うんだけどね。
みずからの失言を失言と認識できなかったり、聞き苦しい言い訳に終始するようなセイジカさんたちに比べたら、ついつい口が滑って不謹慎なことを言ってしまい、かつ、人に指摘されてすぐにそれが不適切だと気づいて謝罪している25歳のお嬢さんの失言は、おおらかな気持ちで許してあげてもいい範疇じゃないのかしらん。
なんか、日本全体がぎすぎすしてるというか、反応が過剰すぎやしないかとか、ちょっと、この国の空気に窮屈な思いを持ってしまう今日この頃です。
「あっちゃー、來未ちゃん。言っちゃいけないことを言っちゃったね。そんなこと言うと傷つく人もいるんだから、気をつけないとダメだよ」くらいにしとけばいいのに、なんだか、よってたかっていたずらに騒ぎを大きくしている感じで。
なんだかね、誰かの間違いを糺(ただ)すというより、ここぞとばかりに徹底的に痛めつけてやるとか、あるいは、人の不始末を単純に面白がってるだけみたいな。
そういうのも、“いじめ”ってもののひとつなんじゃないのかなあ。
そんなわけで、乗務員の家族でも友人でもないボクは、コックピットには入れてもらえないかもしれないけど、今度ヨーロッパに行くときはスカンジナビア航空を使いたいなあ。
あ、今からスカンジナビア航空のスッチーと仲良しになればいいのか♪
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/08(金) 12:44:12|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:9

昔、津島は小さな町の町長になりかけたことがありました。
と言っても、「お前、町長選に出てみないか?」と言われて、その場で「ありえません」と速攻で断っただけなんですけどね。
声をかけてきたのはそのころボクが勤めていた会社の社長で、この人には、ボクが人生で煮詰まっていたときに「うちの会社に来ないか」と拾ってもらった経緯もあり、それなりの恩義はあったのだけど、同時にこの社長、寝技で仕事を取ってくるようなタイプの人物であり、ボクに町長になれと言ったのも、支配下の人間を町のトップにして、その町の仕事を難なく引っ張ってこようという、実にえげつない魂胆であったわけです(^^;
ボクもいい加減お人好しですけど、「社長がそう言うんだったら、出るだけ出てみてもいいです」とか言って引き受けてしまって、まかり間違って当選でもしていたら、もう、きっと人生ぐじゃぐじゃになっていました。
今頃、収賄で牢屋に入っていたかもしれません。
それとも、女性問題とかのスキャンダルで更迭されていたか…。
あと、十代の頃は、教師になることを夢見ていたこともあったけど、それも、ならないでいてよかったなと。
もし教師になっていたら、今頃きっと、自分の教え子のお母さんとあんなことやこんなことになっていたかもしれません。(“教え子と…”ではなく、“教え子のお母さんと…”というところが、いかにも津島的であり)
そういう関係を世間では“不適切”と断じるのだろうけど、純粋な気持ちで親しくできる人間は何人いたっていいじゃないかというのがボクの持論で、不適切というのであれば、結婚しているのに慈しみ合えない夫婦や、喧嘩ばかりしている恋人同士の関係なんかのほうがよほど不適切なんじゃないかと、ボクは思ってしまいます。
「そっちに遊びに行っていい?」って言って飛行機やバスに乗って遊びにくる女友達もいれば、上京したときに酒につきあってくれる女友達もいます。
そんな自然体の生き方が、きっと町長や教師では難しかっただろうと考えると、今のように、モデルという職業を選んだのは正解だったかなと、つくづく。
[町長になりそこねた男の話]の続きを読むテーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/07(木) 14:08:26|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4

恋にはしばしば裏切られる。
とても優しい人だと思っていたのに、実はその人は二つの心を使い分けていただけだったりする。
ああ、どうしてのその人のもう一つの心を見抜けなかったのだろう。
ボクはときどき思うのだ。
もし今自分の目が見えなくなったら、かえって、人の、本当の優しさと嘘の優しさを嗅ぎ分けられるようになるんじゃないかと。
心で物を見分けることを“心眼”というけれども、今目の前にいる人が口にする言葉とか、その言葉のトーンとかから、それが本当の優しさなのか嘘の優しさなのか、あるいは、本当に自分が信じるべきなのは誰なのかということが、“心眼”を研ぎすませればはっきりと見えてくるのではないかと。
ボクらはなまじ目が見えることで、かえってその感覚が鈍っているのかもしれない。
見た目のかっこよさに惹かれたり、目に見えるデジタルな情報だけを判断のよりどころにしてしまう。
言葉と言葉の行間にあるものとか、言葉の裏にあるものを、見失ってしまう。いや、見分ける野生の力を削がれてしまっているのだ。
見せかけの優しさなどには、惑わされないことだ。
----
さてさて、ボクは今日は一日、家で仕事をしていたのだけど、図書館から借りていた本の返却期限になったので、夕方から外出して本を返してきました。
今日の秋田市は、天気はそんなに悪くはなかったのだけど、数日雪の降る日が続いたので、あまり人通りの多くはない歩道には雪が積もっているところもあります。
秋田市は海沿いの街なので、秋田県の中でも雪はそれほど多くは積もりません。それでもひと冬のうちの何十日かは雪の中での生活になります。
図書館の前の歩道は、ある程度人通りがあるためか、あるいは職員がまめに雪寄せしてくれているからか、アスファルトが顔を出しています。
だけれども、そこから十数メートル先は踏み固められた雪道になっています。
ふと気づくと、この歩道には点字ブロックが敷かれていました。
ということは、実際に視覚障害者の行き来があるか、あるいは行き来があることを想定してつくられている歩道なのでしょう。
ところが、少なくとも今日現在のその歩道は、十数メートル先でその点字ブロックも雪の下に埋もれて途切れてしまっているのです。
突発的な大雪のあとなどであれば、除雪が追いつかないとかでそのような状況もやむを得ないかもしれないけれど、どうも、最初から誰もそんなことは気に留めていないような、今日の雪に埋もれた点字ブロックでした。
冬の、雪が降ったあとの戸外は、健常者でも歩くのは困難なことがあるから、目の不自由な人ならあまり出歩かないほうが無難といえば無難です。でも、それでも出歩かざるを得ないこともあるだろうし、出歩くなと強制することもできません。
ならば、冬の、雪の下にうもれがちな点字ブロックのことは、どう解釈すればいいのだろう。
最初から点字ブロックのない道ならまだしも、ブロックが敷かれているということは、視覚障害者の行き来を想定しているものであり、少しでも安全に誘導するために設置しているものだと思うのです。
今、秋田市は、多くの地方都市の例に漏れず、中央街区の空洞化が進み、市街地の活性化が大きな課題になっています。
だけど、こんな、“ただ造りっぱなし”としか思えないような点字ブロックを見るにつけ、残念だけど、施政者の本当の優しさというものが、見えてこないのです。バリアフリーということを、この程度にしか考えていないのかと。
あるいは、たとえば町内会などが立ち上がって、自分の家や会社の前の歩道だけでも徹底して雪寄せして、その結果、見事に点字ブロックが一本につながるようなことにでもなれば、この街に住む人の心の温かさのようなものが実感できるのだろうけど。
こういう事例にも、なんだか“見せかけの優しさ”をかいま見たような思いに、なったことでしたよ。
(うっ、いつになく熱くなってしまったぜ)
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/07(木) 00:37:03|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2

到着した飛行機から、君は降りてこなかった。
どうしたのだろう、何があったのだろう。
少しだけ、ボクの胸がざわざわする。
出発の直前に、君の身に何かが起こったのだろうか。
携帯電話を持たない君のことだから、こうなってしまっては何も確かめようがない。
「今度の旅行のこと、反対されたらどうするの?」
「関係ないわよ、あたしの人生だもの。誰もあたしを止められないわ」
ボクは、あまり深く考えないことにしていた。
他人の生き方や考え方をとやかく言えるほど、ボクはエラくはない。
君が思い切って人生をジャンプしようと言うのであれば、ボクは、放られた生卵を下で受け取る者のように、傷つけず殻を割らず、そぉっと、そぉっと、両の手のひらで受け止めて、そしてそれを、どこかやわらかい場所に移し替えようとするだけだ。
やはり誰かに止められたのかな。
それとも君自身が、この旅は行くべきでないと思い直したのかな。
旅を取りやめることが、君自身の“ためになる”選択であったのなら、ボクはそれを祝福しなければならない。
国際線の到着ロビーで、少しだけ、少しだけ、ベソをかきながら、飛行機に乗らなかった君の幸せを祈っていようと思った、ボクであった。
----
…という、今夜の妄想ストーリーでございます。
以前ブログのネタにもしたことがあったけど、竹芝桟橋から三宅島まで一緒に旅をしようと約束した女の子が、出発当日に桟橋に現れず、何があったのかまったく理解できないまま、一人で船上の人になったことがありました。
まったく、旅は人生であり、人生は旅であります。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/05(火) 23:47:03|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:7

今、ニューヨークに来ています。
東京は雪だそうだね。
君は、「これからそっちに行ってもいい?」なんて言ってたけど、成田からの飛行機は飛びそうかい?
君が本当にこっちに来るんだったら、JFKでもリバティでも僕は迎えに出られるけど、その前に、一度深呼吸して、もう一度考えてみてほしいんだ。僕たちのことを、そんなに急いで答えを出そうとしたり、そんなに急いで階段をのぼる必要があるのかと。
来られたら困るとか、来てほしくないとかいうのではなくて、なんていうのかな、こう見えて僕はけっこう運命論者なんだけど、今日東京に雪が降ったのも、「何もそんなに急ぐことはないんじゃないか?」って、神様が君の心にブレーキをかけてくれたってことだったんじゃないのかな。
今、僕は、君から見たら地球の反対側にいるわけだけど、僕からすれば、いつだって、君が一番心地いいと感じられる距離にいたいと思ってるんだ。僕が感じているそういう“距離感”を、君とも共有したいと思っているんだよ。
僕たちは、永遠に一つにはなれないけれど、誰よりも一番、君の心のそばにいられる自信はあるんだ。
今夜は少し寒いかもしれないけど、それは、心まで凍えさせる寒さではないはずだ。
僕の想いを信じられることが、少しでも君の気持ちをほっこりとさせてくれればいいのだけど。
----
てな感じの妄想ストーリーを、東京に雪が降った日の夜に、焼酎呑みながら中島みゆきの『永遠の嘘をついてくれ』やら桑田佳祐の『東京』やらを聴いているうちに書いてみたくなった津島でございました。
てへ、飲み過ぎちまったい。
さて、寝るとすっかぁ。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/04(月) 00:29:20|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:5

東京は雪だそうですね。
年に一度の青梅マラソンも中止になったそうで、あちこちいろいろ雪の影響がでているのでしょう。
首都圏の皆様は、猫のようにコタツで丸くなっておられますか?
それとも、犬のように、カメラを持って狂喜乱舞して街に繰り出しておられますか?
秋田はその逆に、ひと冬に何度もないような清々しい青空が広がっています。
小さな国なのに、ちょっと離れた土地はまるで違う天気になるのだから、面白いものですね。
そういえば、本当かどうかは分からないけど、なぜ秋田に色白美人が多いのかというと、年間の日照時間が少ないからだ、という説があるそうです。
紫外線の影響を受けないから肌がきれいなのだと。
とりあえず、ボクは男ですけど、ぽっちゃりもち肌のキメの細かい肌をした色白人間です。
よろしかったら肌触りをお試しください。試供品をお届けします。
ちなみに、肌の色だけでいうと、ボクのほうが女房より色白です。
同じ秋田生まれだし、彼女がことさらアウトドア派というわけでもなく、ボクがことさらインドア派というわけでもないんですけどねえ。
ボクも一時期、男があまり色白なのもかっこわるいと、少しでもオンナにもてたくてコパトーンで褐色の日焼け肌を目指したのだけど、根気がないのですぐに挫折しました。
ならば逆に、色白病弱な文学青年くずれで女性の母性本能をくすぐる路線に切り替えようかと。
ケホケホ…、嗚呼、今朝から咳が止みませぬ…。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/03(日) 13:26:14|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:5

去年の秋に、息子夫婦と家の中で部屋をチェンジすることになって、20年あまりを過ごした、割に広い部屋から、二回りほど狭い部屋に移り住んでいるのである。
まあ、寝るだけの部屋だから、狭さは全然気にならないのだけど、やはり微妙に勝手が違うのである。
一番大きな違いがテレビの位置。
以前はダブルベッドの足元のほうに置いてあったのだけど、今はベッドの左側にしか置けないのだ。
ボクと一夜をともにしたご婦人はよくお分かりのように(そんな人いないって。すみません、見栄をはってしまいました(^^; )、ボクは基本が左利きなので、ベッドでは常に左側に寝ているのである。
もちろん女房との四半世紀あまりの結婚生活でも、ボクはずぅっと彼女の左側で寝ていた。
そうすると、今の寝室では、女房が寝ながらテレビを観ようとするときは、どうしてもボクのカラダ越しになってしまう。
昨夜など、ボクは早めに寝たかったし、女房はもう少しテレビを観ていたかったようなのだ。
そうなると、テレビと彼女のあいだにいるボクの存在がなんとなく鬱陶しい。
それでボクは言ってやったのだ。「場所を代わろうか?」…と。
「うん!」と女房が言うので、すぐにボクがベッドの右側に移った。
左側で女房はテレビを観続けている。
それに背を向けてボクはベッドの右側で、少しカラダを丸めて寝ているのだ。
おお、なんとも奇妙な感覚!
自分の人生で、こんな気分になったことは一度もなかった。
オレの左側にオンナが寝ている!
まるで、全然違う女とベッドをともにしている気分だ!
…ってか。
んなわけないよ(^^;
右に居ようが左に居ようが、女房は女房だ。
なんとなく微妙な違和感はあったけど、それでもボクは十分に熟睡できたのでした。
皆さんも、もしベッドをともにするパートナーがおられるなら、一度、「今夜は場所をチェンジしてみない?」などと提案して、ちょっとだけイレギュラーな気分の夜をお試しになってみてはいかがかしらん。
※「いつもは下だけど今夜は上で」…というチェンジは論外です。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/02/02(土) 00:21:28|
- OLYMPUS E-300
-
| トラックバック:0
-
| コメント:9