
たとえばね、クルマを運転していて踏切にさしかかったとき、ちょうど警報機が鳴り始めて遮断機が下りてきたら、あなたは「ちぇ、ついてないな」…って思いますか?
ボクなら逆に、「お、ラッキー♪」って思ってしまいます。
なぜならボクは電車が好きだから。
(田舎育ちなので、ほんとは“電車”と言うより“汽車”と言うほうがしっくりくるのだけど)
何をついてるかついてないかというのは、案外人によってまちまちなのかもしれないね。
ボクは今まで失恋もたくさんしてきたけど、「いつもうまくいかない恋ばかり」…と嘆くよりは、「たくさん想い出がつくれて幸せだったな」…って思ってしまう。(半分は負け惜しみだとしても)
ボクの一月は、パソコンのことやらなんやらで、ついてないことばかりだったけど、そんなことを友達の前で愚痴ったら、「一年分の災難が最初にまとめてきただけよ」…という言い方をしてくれたのだった。
ああそうか、そういう考え方をしたら、少しだけ気持ちが楽になるね。これから先に希望が持てるね。うーん、気持ちの持ちようなんだなあ。
夕方、街をクルマで走っていて、勤め帰りらしい若い女性と何人もすれ違う。
なぜか、暗い感じの顔をしている人が多い。
ボクは、勝手な想像をしてしまう。
このコは、幸せな恋愛や結婚を望みながら、我が身の良縁の薄さを嘆いて、いつもこんなに暗い顔をしているんじゃないだろうか…と。
あのね、きっと、真っ先に自分が幸せになろうとしたらいけないんだよ。まず、誰かを幸せにしてあげようってくらいの気概を持たないと。“誰かが幸せでいてくれたら自分も幸せ”…ってくらいの考え方ができないと。
ヒトを幸せにさせてあげたいって思える人が、ほんとうは一番幸せの近道にいる人なんじゃないだろうか。
暗い顔してとぼとぼと歩いている人のことなんか、誰も「幸せにしてあげたい」なんて思えないもの。せめて颯爽と、明るい顔で、できれば笑顔で、スタスタと街を歩いていてほしいよ。それだけでも運気は全然違ってくると思うよ。
そんなわけで、本日はありがたい神社の鳥居の写真を掲げておきましたから、「このごろついてないなあ」とお思いの方は、二礼二拍一礼の作法でお参りしてください。
それから、お賽銭として津島に3万円ばかし振り込んでください。
けっして不運と思わずに。
気持ちの持ちようですから…
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- 2008/01/31(木) 17:03:40|
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人心地、ついています。
ああ、なんて穏やかな時間。
思えば、七転八倒の日々でした。
ノートPCへのHDD換装も無事に済み、「えっ、ほんとにハードディスク動いてんの?!」ってくらいに、信じられないような静粛な仕事環境です。
あんまり音がないと寂しいのでiTunesでイル・ディーヴォを聴いてます。
通販で買ったHDDは、S川急便のサイトで月曜の朝には秋田支店に到着したのを確認していたので、現物が届いたらすぐに“臓器移植”を始められるように、午前中からiBookの開腹手術に取りかかりました。
秋田のブラックジャックと異名を取る津島のことです(主に触診専門ですけど)、神の手わざは見事なもので、iBookはたちまちばらばらになってしまいました。それはもう見事に、ほんとうにばらばらに。
ところが、待てど暮らせど、代わりの“臓器”が届かない。
クランケは既に患部を切除してしまっているし、ネットからもはずしているので、一体全体、何がどうなっているのか、訳が分からない。S川急便に確認しようにも、荷物の問合せ番号がPCの中のメールにしかないのだもの。
そんなわけで、「ごめんね、このままちょっと待っててね」とクランケに優しく声をかけて、開腹状態のまま一晩放置プレイ。
はたして火曜の朝にやっとブツが届き、そこからが神の手わざ、臓器を体内に戻し、神経をつないで機能するのを確認し、縫合を終えて、午前中にオペは完了しました。
7000円で買った80GBのHDD(愛称たっチャン)が今度の新しい相棒です。
しばチャンの晩年は、調子のいいときでもモーターの回転音が聞こえていたものだけど、たっチャンはあまりにおとなしすぎてかえって不安になるくらい。
しかしこの静粛さに、なんだかとても救われるのです。今までの苦労が報われる感じで。
なんだか、新年最初の一ヶ月をまるまる棒に振ったようなものだけど、ま、心機一転、今から頑張っていくことにしましょう。
で、写真の鶴の湯温泉、混浴露天風呂ですが、土曜日は、新雪がたんまり降った後のつかのまの青空で、見事なほどおあつらえ向きな雪見風呂日和でした。
混浴とはいえ、あいにく女性の入浴客はおらず(正面建物奥の女性専用露天風呂に入っているのでしょう)、男子だけ、のんびりとぬるめの湯につかっています。この風呂は底が玉砂利になっていて、足の裏に伝わってくるその感触も心地よく。
首から上は氷点下の冷気、首から下はぬくぬくの湯の中…、厳冬期ならではの温泉の楽しみ方です。入浴料500円は、極楽気分の代価としてはお安いですね。
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- 2008/01/30(水) 14:09:01|
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忙中閑ありというか、
パソコン環境が依然しっくりしない中、仕事のほうも久しぶりに一区切りついたので、土曜日、気晴らしをかねて、雪景色の写真を撮りつつ、話に出たついでに鶴の湯まで行ってみようと思ったのだ。
女房と一緒の道行きでもよかったのだけど、彼女は仕事だというので、いつものように朝10時にパート先までクルマで送っていって、その足での雪道ドライブとなった。
夕方6時には彼女が退社するので、都合8時間限りのシンデレラドライブだ。
このところの荒天続きで秋田にはどっさりと雪が降り、そして土曜日は珍しく天気も緩んで青空がのぞき、真っ白な雪景色に青い空という、理想的な雪景色撮影の一日になった。
ネイチャーフォトグラファーではないボクは、天気に合わせて行動することもできないし、撮影に適した天気になるまで何日もクルマやテントで寝泊まりするということもできない。だから、やっと取れた時間の日がどんよりとした曇り空であったり、めちゃくちゃいい天気なのに他の仕事があって撮影には出かけられずに地団駄を踏むということもしょっちゅうなのだ。
出かけてもいい日に晴天になるのは奇跡、あるいは、何かのご褒美。
こういうときは、煩わしいことは全部忘れて、大いに楽しまなければね。
鶴の湯の混浴露天風呂でもしっかり写真を撮ってきましたよ。
入浴中の人たちを撮影するので、礼儀として、こちらも素っ裸でちんちん丸出しで、仁王立ちで写真を撮ってきました。わっはっは。
その写真はまたあとでお目にかけましょう。
日曜の夕方、HDDを注文していた店から発送したというメールが入ったので、明日にはこちらに届くでしょう。
それを明日換装すれば、今回のPC環境騒動は、限りなく終息に向かいます。
実は、他にもちょっと調子の悪いところがあって、鶴の湯から帰ってきた後、突然ネットにもつなげなくなってしまいました。
まったく、ガッデム!…です。
もう、津島は憔悴しきっています。
そんな心境が今朝の夢見に出ていましたよ。
ボクは出張でどこかの街のビジネスホテルにいるのです。
それはショッピングセンターとホテルが一緒になっているような建物で、ボクはショッピングセンターのほうから入るのだけど、バックヤードのような通路を通ってロビーに出ようとして、どのドアをあけてもロビーにはつながっていない。プライベートだの厨房だの倉庫だの書かれたドアはあるのだけど、いくら探してもロビーにつながるドアが見つからない。
それと、今日のうちに帰るのには列車が一本しかない。ところが、その列車の発車時間が思い出せない。急がなければならないのか、まだ少しは余裕があるのか…。
なんだかね、今の自分の“手詰まり感”が生々しく投影された夢でした。
今朝になって、偶然ネットにつなげられる手だてを発見し、やっと活路を見出したのだけど、設定がクリアされてしまっていたから、もう一度メールサーバーにパスワードを入れ直して…。
この間、何度パスワードの入力を繰り返したことだろう。
いろいろなサイトにアクセスしたりシステムを動かすのに、パスワードを求められることがあります。
ボクは、通常1、2個程度のパスワードを使い回ししているので、滅多に困ることはないのだけれど、中にはメモを見ないと思い出せないパスワードもあり(たとえばネットバンキングのサイトなど)、そのメモもPCの中に残しているだけなので、PCがクラッシュしたときなど、パスワードのメモが残っているかどうか、それは実は非常に重要な問題です。
今回の騒動の渦中では、メモが完全に消滅したような状況だったので、ひとまず泣く泣く諦め、次に、メモが残っていたのが分かって狂喜し、そしてまたいつの間にか手違いでメモをなくしてしまったみたいで憔悴し、それでもやはりまだ残っていたのが分かって安堵し、なんだか、ただひたすらにPCという魔界に振り回されているようで、気持ちがぐったりしてきます。
パスワード…、これをしっかり覚えていないと、どこにもアクセスできないのだね。
キミとつながっているためのパスワードは、何だったっけか?
それを思い出せないと、もうキミにはアクセスできないのだろうか。
まだずっとキミとはつながっていたいのに…。
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- 2008/01/28(月) 00:31:21|
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ちょっと、背中を見せてごらん。
ああ、このホックをはずせばいいのだね。
大丈夫、あまり心配しないで。
「こういうことには慣れているから」…なんて言ったら、却って気を悪くするかもしれないけど、なんて言うのかな、できるだけ、キミが不安に思ったり悲しく思ったりするようなことにはしないつもりだから。
ほら、ボクってさ、男のくせにちょっと餅肌で、ね、手のひらもなんだかちょっとぽちゃぽちゃしてるだろ? キミの肌に触れる感触は悪くないと思うよ。
それにさ、一応、身だしなみで、爪はちゃんと切ってあるから、キミの肌をちょっとでも傷つけることはないよ。
その爪切りだってね、切ってすぐだとまだザラザラしてしまうから、三日ほど前に爪を切って、切り口が少しでも丸くなるようにしたんだ。
キミのすべてを見させてもらって、キミのすべてに触れさせてもらうのだもの、いい加減な気持ちではいられないよ。
グッバイ、しばチャン。
キミを初めて知ったのは2005年の2月14日。ああ、バレンタインデーの日だったんだねえ。
3年弱の付き合いだったんだねえ。
長かったような、短かったような。
ごめんね。もう少し、ボクもキミに優しくしてあげればよかったのかもしれない。
ボクはキミを強い人だと思っていたから、油断をしていたというか、キミに甘えていたのかもしれないな。
ごめんね、ごめんね。
悪いのは全部ボクだよ。
キミはちっとも悪くない。
グッバイ、しばチャン。
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と、いうようなわけで、我がiBookの内蔵HDDの交換を決断しました。
現在の内蔵HDDはTOSHIBA製。なので、ニックネームは“しばチャン”。
今日、価格.COMで代わりのHDDを注文しました。7,000円です。
今度のはHITACHI製。だから名前は“たっチャン”です。
iBookを自分で分解してHDDを換装するというのは実はとても大変なことなのだけど、それを解説するホームページがあったので、それを見ながら、「あ、なるほどなるほど、この順番でホックをはずして、ここで無理して爪を立てると肌を傷つけてしまうかもしれないので、あ、なるほどなるほど」…と、今からホックをはずすイメージトレーニングをしているわけです。
お互い(?)納得ずくで別れることに決めたボクとしばチャンだけど、いよいよあと2、3日で本当にお別れなのだとなると、なんだかちょっと、ほんのちょっとだけ、寂しいような気持ちにも、なってくるんですよね。
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- 2008/01/26(土) 00:18:34|
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ご通行中のお車の皆様にお知らせいたします。この先、工事中につき幅員減少しております。そして片側交互通行になっております。工事用の信号機がありますので。落石にも注意してください。工事中なんです。工事中なんで徐行してください。お願いします。ほんとにご迷惑をおかけしています。工事中なのでご協力をお願いいたします。トンネルの出口も工事中ですから。覚えてもらえましたか? あ、それから、道路のスリップ痕はあまり気になさらないでください。
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- 2008/01/24(木) 13:10:38|
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秘湯ファンに人気の乳頭温泉郷・鶴の湯温泉は、何を隠そう、わが秋田県にあります。
電車で来られるのなら秋田新幹線田沢湖駅が最寄り駅です。
津島自身の温泉歴は結構長く、温泉巡りを始めてからはかれこれ30年ほどになります。
で、鶴の湯温泉も昔からよく知っていて、ボクが通い始めた頃は冬季間休業していました。
なにしろ、雪深い山の中にあり、冬もやるとすれば除雪の手間や費用も馬鹿にならず、だいいち、真冬に東北の山奥の湯治場にわざわざ行きたいと考える人はそんなに多いとは思えず、商売にはならなかったのです。
ところが、秘湯ブームというものがおこり、交通の便の悪い僻地の温泉にまで、都会の人たちがこぞってやってくるようになりました。
それで鶴の湯も恐る恐る冬季営業を試みてみると、来るわ来るわ、酔狂なお客が!
確かに考えてみれば、ここは、この宿のほかには周囲に一切の人工物が見当たらない完璧なまでの山の中の一軒宿。建物はまるで時代劇の世界のようなレトロなたたずまいであり、それに野趣豊かな混浴の雪見露天風呂です。
これだけの別世界だもの、都会の人たちが憧れないわけがありませんね。
あいにく、ボクには、その鶴の湯温泉を撮った写真はあまり多くはありません。遠くからお客があると鶴の湯に案内することは多いのだけど、田舎暮らしのボクには鶴の湯の情景というのはそれほど珍しくなくて、勇んでレンズを向けるということをしないからです。なんだか、もったいないことかもしれないですね。
急に鶴の湯の話をしようと思ったのは、実は、2ヶ月前のニューヨーク・タイムス日曜版に、カラー写真付きで鶴の湯の紹介記事が載ったというニュースを目にしたからです。
取材は去年の3月だったそうで、まさしく雪に埋もれた混浴の露天風呂(ほかには入浴客はいなかったけど)にモデルの女性が入っている雰囲気のある写真が掲載されています。
ニューヨーカーはけっこう日本びいきが多いから、強い興味を持って読んだアメリカ人も少なくないかもしれません。
今年の鶴の湯の混浴露天風呂には外国人の姿を多く見かけることになるかしらん。
みちのくの山の宿の雪見の露天風呂で金髪のおねいさんと混浴…、ああ、いいですねえ。
カタコト英語で"Where from?"なんて声かけてみたりして。
パソコンのトラブルと仕掛かり中の仕事もやっと一段落というところ、あいまを見て一度、カメラとタオルだけ持って鶴の湯に行ってこようかしらん。
混浴だもの、同行者がいると退屈しなくていいのだけどね、ふふふ。
#本日の写真は、同じ場所で撮ったものを去年の暮れにも載せたけど、列車が写っていた方が雰囲気あるよねってことで、昨日ちょうど同じ場所を通ったので、列車の通過時刻を待って撮り直したものです。
鶴の湯温泉の近くを走る秋田内陸縦貫鉄道です。
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- 2008/01/24(木) 00:45:07|
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ほんの少し、複雑な心境なのである。
相変わらずパソコンネタで恐縮だけれども、とにかくハードディスクがダメになってしまって、今までのメールの記録もデータ関係も全部あきらめて、当面は外付けHDDで起動させてパソコンを動かし、近いうちに内蔵HDDを交換しよう、と考えていた。
過去を振り切り、ゼロからの再出発の覚悟だったのである。
データの救出のためにさんざんメンテナンスソフトをかけて、それでもどうにもならなかったのだから、例えて言うならば、別れ話が出た相手と話し合いでなんとか丸くおさめようとして、それでもどうしても溝が埋まらず、これ以上無理をしてもお互いが傷つくだけだからと、諦められない諦めをして、一緒に生きる幸せではなく、別れて別々の生き方をする幸せを模索しようと、切り替えられない気持ちを必死に切り替えていたのである。
ここ数日はネットへの接続もままならず、今日になってやっとネットにだけはつなげられるようになったので、真っ先に価格.comにアクセスして、うちのPCに合うHDDがいくらで買えるかを調べていた。ここまできてしまったら、HDD交換は少しでも早い方がいいと思った。もう、秒読み段階なのである。
そして夕方、作業の流れでPCをリスタートさせたとき、いつものように、「認識できないディスクがあるがどうするか?」というようなアラートが出るのだが、今さらもうこちらは何の未練もないので、でたらめな操作をしていたら、今度は「修復を試みるか?」というような表示が出た。
…?!
修復を試してみるってのか?
今まで高価なメンテナンスソフトを何度繰り返してつかっても修復できなかったのに?!
やれるもんならやってみりゃいいじゃないかと、冷ややかな気分で修復開始ボタンを押したら、なんと、我がPCは黙々と死に体HDDの修復を試み始めたのだ!
そして最後に、「修復が完了しました」の表示。
う、嘘だろっ?!
全部、復活した。
今までPCの中にストックしていたデータもメールの履歴も、再インストールの困難なアプリケーションも。
今までの数週間の苦労はなんだったんだ。
まあ、もっとも、作動音の様子などからして調子が悪いことには変わりはないようなので、復活したデータを今のうちに外付けHDDに移設して、今度こそほんとのほんとにダメになっても、いつでもすっぱり諦められるようにした。
それにしても、複雑な気分なのである。
諦めていたデータが復活できたのだから、祝杯をあげて大喜びしてもよさそうなものなのだけど、人がモノを諦めるというのはとてもエネルギーのいることであって、そうやって覚悟に覚悟を重ねて「諦めた」のに、今頃「うそだぴょ〜ん」とか言われたって、笑うに笑えないのだ。むしろ、なんだかちょっと腹立たしいような気分にさえなってくる。
一人の女が、別れたいと言い出した。
ボクは、別れたくないとごねた。
それでもどうしてもその女は別れたいと言う。
ボクは、諦められない諦めをして、すごくエネルギーを費やして、別れてあげることにした。
「お前はお前でほかの誰かと幸せになればいいさ。俺は俺でほかの女とうまくやるから」と、やせ我慢のような言い方をする。
そうしたいわけではなくて、そうせざるを得ないのだから、自分の気持ちに嘘をついてまで、無理にでもそういう考え方をしようとする。
そうやって、波だっていた自分のココロもやっと静まってきた頃に、「ごめん、やはりあなたと一緒にいたい」…と、女が戻ってくるのだ。
「うんうん、よく戻ってきてくれた!」…と、もろ手を上げて歓迎するかというと、そのとききっとボクは複雑な気分になる。
諦めきれない諦めをして別れた女なのだ。
何か、とてつもなく大きなものを、自分の中で断ち切っているのだ。
だのに、今になってまた、「元のように…」と言われても、はたして、そこまで自分の気持ちを引き戻せるものか。
嫌いになって別れた女なのではないから、受け入れたいと思う気持ちもあるのだけれど、一度、自分の中でスイッチを切っているので、今、この女と同じベッドに入っても、ボクは熱く抱き寄せられるのだろうか。
ボクのココロは、当惑しているのである。
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- 2008/01/21(月) 23:37:00|
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今年は正月早々、“ついてない”感が激しいのですわ。
パソコンを壊してしまったり、そのせいで書きかけの原稿をもう一度最初から書き直さなければならなくなったり、10日に仕事の支払いが一件あるはずだったのでそれをよりどころにやり繰り算段をしていたら実はボクの勘違いで支払日は20日だったりと、なんだかもう、弱り目に祟り目、するめはあたりめ、泣きっ面に蜂、「全然いいことないじゃん!」って感じなわけで。
なんていうのか、すっかり気持ちが萎えてきてしまうんですな。
やけ酒でも飲もうと思ったらちょうど酒が切れていて、酒を買いにいこうにもフトコロに余裕はないし、クルマのタンクのガソリンもギリギリなので不要不急の外出は避けなければいけないし…。
そんな中、今日、原稿の入稿先の担当者と、パソコンが壊れちまった言い訳などをしていたら、全部で5本の入稿予定の原稿のうち、2本は既に入っているって言うのです。
「いや、そんなはずはない。確かに2本以上は書き上げていたのだけど、CDに落とす前にデータを消失してしまったので、もう一度最初から書かなければならないはずだよ」
「来てますって。だいいち、もう校正があがってるんだから」
と言って、その場で校正を取り出す。ありゃ、ほんとだ。
そうなのか、あまりにパニクって日々を過ごしていたので、先に書き上げた2本は入稿していたのを、すっかり忘れていたんだ。
データが飛んだだけじゃなく、記憶まで飛んでしまってたということか(苦笑)。
しかしこれは間違いなく朗報である。
想定していた労力、気苦労の40%が軽減されたわけだから。
それでもまだ失ったものは大きいけれども、なんていうのか、少しだけ気持ちが楽になるのだね。
逆境に立ち向かう気力もかろうじて維持できる、みたいな。
ていうか、せめてその程度のささやかなグッドニュースでも、弾みをつけるきっかけにしないとね。
以上、復興にむけた意欲が見え始めたパソコンクラッシュ被災地の現場から、津島がお伝えしました。
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- 2008/01/14(月) 15:49:08|
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逝っちまいました、うちのMac。
8日の記事にも書いたように、ここのところ、うちのMacはずっと調子が悪く、なんとかリカバリーしようとあの手この手を試していたのだけど、数日前からいやなガリガリ音がして、ファンがいかれちまったのかなと思っていたら、今にして思えばそれは、瀕死の内蔵ハードディスクの、最後のシグナルだったのです。
金曜の昼頃、妙に動きが鈍くなり、「ったく、しょうがねえなあ」と再起動させようとしたら、何分経っても起動画面が現われず…。
パソコンの不調やデータの消失はこれまで何度も体験してきて、今更、ちょっとやそっとの不調には動じないのだけれど、それにしても、復旧の見通しの立つものと絶望的なものとでは、あとあとのスケジュールが違ってきます。
何しろこのMacの中には、書きかけの原稿が入っていて、この3連休のあいだに残りを書き足して入稿しようと思っていたので、その原稿がパーになってしまったのでは、泣くに泣けません。
仕事で書いた文章でもブログなどの遊びで書いた文章でも、たまに、唐突に消失してしまうことがありますよね。あのときの喪失感ったらないですよね。同じ文章をもう一度書く気力も失せてしまって…。
とにかく、自分一人ではどうにもならないので、Macのことに詳しいデザイン会社経営の友人のところに持ち込んで、せめて、ハードディスクの中にあるデータをいくらかでも救出できないものかと、金曜日の半日をかけて粘ってみたのだけど、仕事の時間をつぶしていろいろ手を尽くしてくれた友人も、「申し訳ないけど、これ以上を何もしてやれない」と最後通告。
まあ、これで津島はあきらめのいい方なので、だめならだめでしょうがない。すぱっとあきらめましょう。
ただし、このあとも引き続きパソコンで仕事(および、遊び)をしなければならないので、さてそれをどうするか。
友人が言うには、「その写真の入っている外付けはFireWire? だとしたら、それにOSを入れて起動ディスクにして使えるかもしれない」…と。
おお、その手があったか!
うまくいくかどうかは保証できないと友人は言うのだけれど、とにかく今はそれに賭けるしかない。
友人の会社が終業時刻になったので、あとは自宅に帰って孤軍奮闘。
それで、結論から言うと、今日までかかって、外付けハードディスクでパソコンを動かすという荒技に、なんとかめどがつきました。
HDDとPC本体を結ぶFireWireケーブルがまさしく生命線。なんだか、生命維持装置でかろうじて息をしている重病人みたいです。
新しいのに買い替えたくても、今は懐に余裕がないので、しばらくはこのiBookに生命維持装置で生きながらえてもらって、そのうちiMacでも新調することにしましょう。
で、Macは逝ってしまったけど、今年新しく我が家にきたものがありましてね。
それはなんと、“孫”です!
津島は、爺さんになったのです。
我が家に同居している息子夫婦に、1月3日に女の子が生まれました。
もっとも、赤ちゃんは、息子の嫁さんの実家のある福島の産院で生まれたので、生まれた当日に我々も福島まで行ってちょっとだけ顔を見てきたけど、赤ちゃんとママが我が家に帰ってくるのは、もうちょっと安定してからになるでしょう。
IT時代だなあと思うのはね、福島の病室でママが赤ちゃんを携帯で動画撮影して、メールで秋田にいる夫(我が息子)のところに送り、その動画を今度は赤外線通信で僕の携帯にも取り込んでいるわけです。そういうことがリアルタイムにできるというのが、なんだかすごいなと。
四半世紀昔に息子が生まれたときは、まだホームビデオなんてものもなく、そのとき僕が買ったのは8ミリカメラでした。
8ミリカメラのフィルムは、一本で確か3分くらい撮れたと思います。その一本のフィルムを数週間かけて撮り、それを現像に出して出来てくるのに数日かかり、都合、動いている映像にお目にかかれるのは一ヶ月も先のことになってしまうわけです。
それが今はリアルタイムに出来てしまうのだから!
この3連休を利用して、息子は当然のように福島に行っています。
僕の母親(赤ん坊からすると曾祖母)も、早く赤ん坊の顔が見たいと、自分から頼んで息子の車に便乗して福島に行きました。
うちの母親という人は体があまり丈夫でなく、すぐに車酔いをする人なので、こちらが誘っても遠出のドライブはあまり行きたがらないのに、今回は自分から行きたいと言い出したくらいだから、よほどひ孫の誕生がうれしかったんだろうな。
さっきも、福島の家で赤ん坊を沐浴させている動画が秋田に届いて、留守部隊(僕と女房と親父)はニマニマしながら眺めていました。
ちょうど、うちの娘が帰省中に赤ちゃんが生まれたわけで、そしたら娘は、ぽつりと、「あたしは弟が欲しいな」と言い出して、すかさず母親、「何言ってんの。次はあんたが産む番でしょ」と。
「そうだねえ、今からお母さんが産むのはたいへんだろうから、“腹違い”でよかったら考えてみてもいいけど」…と娘の父親。
写真ブログをやっている人の中には、若いママさんが自分の子供の成長記録を撮り続けている人がいます。(昔は、子供の写真を撮るのは父親の役割と相場が決まっていたのだけど、今はお母さんが撮るケースも多いね。これも時代だね)
そういう子育てブログをみていると、子供に愛情がたっぷり注がれている感じが伝わってきて、とてもほのぼのとした気持ちにさせられます。
僕も、自分自身の子育てのときは余裕もなかったけど、孫については、折に触れていっぱい写真を撮ってやって、それを爺さんからのプレゼントにしてやりたいと思ってます。
女友達たちには、「今度キミに会うときは孫をおぶっていくかもしれないからな」…なんて言ってます。
困ったジジイだなあ…
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- 2008/01/12(土) 23:25:12|
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写真右奥に〈女性露天風呂入口〉というプレートが掛かっていることからも分かるように、ここは“女風呂”です。
盗撮です。
ウソです。盗撮ではありません。
山の湯治場に取材に行ったときに、宿の人にことわって、中に女性客がいないのを確認した上で撮影しています。
ここの温泉(秋田県・乳頭温泉郷 黒湯温泉)は、混浴露天風呂が名物なのだけど、やはりどうしても混浴はあり得ないという女性のために女性専用露天風呂もあるので、シャイな女性でも安心です。
女性専用露天風呂はあるのに男性専用露天風呂はないので、オトコとして、露天風呂に入っているときにいつか女性が入ってきやしないかと、入っているあいだじゅう、どきどきそわそわなのです。
混浴温泉のことでちょっと面白いお話をお聞かせしましょう。
ちなみに、この話にはボクは一切関わっていません。
ある温泉愛好家が、自分の温泉探訪記を一冊の本にまとめることにしました。
出来上がったその本には、巻頭に筆者があちこちの温泉で撮ったカラー写真が多数掲載され、本文の方もなかなかよくまとめられた温泉紹介記事になっていました。
さて、その本が書店に並べられてほどなく、出版社に慌てふためいた男性の声で抗議の電話がかかってきました。
抗議というのは、その温泉本の巻頭写真に、当人が写っているものがあるというのです。抗議氏が言うには、「自分がその混浴露天風呂に入っているときに、写真を撮らせてもらっていいかと言う人がいたので、個人的な記念写真だと思って了承したのだけど、本に載せるという話は聞いていない。勝手に載せられるのは困る」…と、いうのです。
実はですね、そこは混浴露天風呂だから女性の入浴客もあったのだけど、そういう場所で抗議氏と一緒に写真に写っちゃうのはまずいんじゃないの?…というご婦人が写ってしまっていたんですね(^^;
そりゃあ慌てますわね。
抗議氏も不用心だったけど、責任をとるべきは、本に載せることの了解をとらないまま写真を撮って掲載してしまった筆者でしょう。
それで結果はどうなったかというと、書店に出回っていた第一刷はすべて回収され、巻頭カラー写真を差し替えて第二刷での仕切り直しになったのでした。
こわいですねえ。はらはらどきどきですねえ。
でね、ボクは、混浴はわりと平然と入ってしまいます。
女房とも一緒に入るし、一人のときに先客で若いカップルなんかが入っていると「おお、仲がいいねえ」と、微笑ましい気持ちで眺めながら入ります。
それと、ごくまれにだけど、ガールフレンドと入ったこともありました。
別に、人目を忍んでこそこそと行動しているわけでもないので、ドライブがてらふらりと温泉まで行って、「俺は混浴に入るけどキミはどうする? どっちだっていいぜ」と言うと、「じゃあ、あたしもこっちにするかな…」と。
まあ、こちらも、今さらガールフレンドのハダカが目当てってわけじゃないし、彼女は彼女で、それこそ「少しくらいハダカを見られたって、別に減るもんじゃなし」と、ちょっとそういう豪胆なところのあるヒトだと、あっけらかんとして入ってくるわけです。その意気やよし。
ドイツあたりにも混浴文化はあるみたいだね。若いきれいな女の人が、すっぽんぽんであまりにも平然と堂々としているので、東洋の島国あたりから来た男子などは、かえって圧倒されて面食らってしまうとかしまわないとか。
まあ、日本の山の湯治場で、ちょっといいムードで、しかるべきお人と混浴を楽しんでいるときには、もし他人がカメラを向けるようなことでもあったら、二人のうちのどちらかが、あるいは二人ともが、なにげにカメラに背を向けてしまえば、つまらぬ騒動にもならないでしょう。
どうしても他人の目が気になるというヒトは、最近は貸切風呂のある温泉も多くなってきたから、そういうところでパートナーと一緒のお風呂を楽しむことです。
誰にも気兼ねなく一人でのんびりと入る風呂もいいけど、パートナーと一緒に風呂を楽しむというひとときも、オツなものですよ。
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- 2008/01/10(木) 23:43:21|
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今年の箱根駅伝で、途中棄権チームが出たじゃないですか。
選手本人の意志としてはあくまでも最後まで走り抜きたいのに、どう頑張ってもこれ以上カラダが動かないという、やりきれない状態。
映像で観ていても、なんだか、電池の切れかかったロボットでも見ているようで、かなり痛々しいものがありました。
ああいう状況って、ボクも体感的に分かるような気がするのですよ。
去年、ガラにもなく低山歩きをしたときのこと、前夜のうちに現地に入り、当日、早朝に起き抜けに歩き始めたら、そのうちなんだかだんだん気分が悪くなってきてね。
このままでは予定していたコースは歩き通せそうもないんです。
まさに、意識はハッキリしているのに、体を動かす電池が切れかかっているような感覚。
朝から何も食べずに動き始めたので、血糖値が急激に下がり、動き回るのに必要なエネルギーがなくなりかけていたってことなのでしょう。
同行者がたまたま菓子パンを持っていたので、奪い取るように貰い受けてそれを食べたら、みるみるうちに調子が戻ってくる実感がありました。
まさしく、ニンゲンにも“電池”が必要なのですよ。
菓子パンとかチョコとかバナナとか、そういう“電池”は、アウトドアでの撮影活動時には必須アイテムかもしれないですね。
自分は、それほど頑強ではないけれどもそれほど軟弱でもないつもりだったのに、あの日の朝、自分の中で電池が切れかかっていく感覚になったのはちょっとショックでした。
逆に言えば、電池さえあれば、人はまだまだ元気に動き回れるってことかな。
カラダに電池。ココロに電池。
ココロにエネルギーを充填してくれる電池も欲しいものだよねえ。
あのときの駅伝選手のように意識はハッキリしているのに体が動かないっていうのも辛いけど、カラダには問題がないのにココロが動き出さないってのも辛いものねえ。
まあ人生は、「ココロを揺り動かす電池を探す旅」、なのかもしれないな。
ボクは元々、それほどのアウトドア派ではないから、山歩きとかはあまり得意ではないのだけれど、その逆に、街歩きというか、平坦なところならカメラを抱えてどれだけ歩いても苦にはならない。ところが、山歩き派の人は、街中の平地歩きはちょっと苦手だったりするみたいなのだ。
そんな人と街歩きをするときは、あの日山の中でボクが菓子パンをもらったように、街の中では一緒にビールを喉に流し込むひとときを設けて、つきあってもらうのだ。
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- 2008/01/10(木) 01:02:51|
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どんなネタでブログを書くか考える前に、今夜は少しでもヌケのいい写真を使いたかった。
新年の仕事始めをしようとしていた矢先にパソコンの調子が悪くなって、結局丸二日メンテナンスでつぶれてしまった。
ひとまず解決したからいいようなものの、出ばなをくじかれて、かなり気分が鬱屈してしまうのだ。
なので、せめて今夜のブログに載せる写真だけでも、ヌケのいいカットにしようかなと。
こまごまとしたりごちゃごちゃとしたイメージの写真も、それはそれでいい味を出していることもあるのだけど、遥か遠くまで見渡せるような、写真を見ながら思わず深呼吸したくなるイメージの写真も、何か気分をすっきりさせてくれる、ささやかな精神作用があるような気がする。
そういう、奥行き感のある写真やすっきりと遠くまで見通せるような写真を“ヌケのいい写真”と言うのだけど、写真でも映像でも、たまにそういうシーンに出くわすと、多くの人は、「おお、ヌケのいい絵だねえ」と、思わず知らずニマッとするのである。
それで思ったのだけど、もしかしたら、男と女の間にも、ヌケのいい関係と悪い関係みたいなのがあるかもしれないね。
目の前に鬱陶しい縄のれんでもぶら下がっているような、先を見通せない、何か今ひとつすっきりしないような関係と、その人といることによって一層ココロが解き放たれて、いつも晴れやかな気分でいられるような関係…。
当然、ボクなら後者のような関係が好きだ。
過干渉にも過依存にも過疎外にもならず、いつも心地のいい、ちょうどいい距離感のところにいてくれるヒト。こちらはこちらで、そのヒトが心地いいと思ってくれるような、ちょうどいい距離感で、自然に接していられるような相手。
なかなか難しいけどね、そういう人と出会えるのは。
でも、ほんとうに縁のある運命的な出会いであったのなら、すごく頑張ったり無理をしたりしなくても、自然にそういう関係になれるのかもしれないけどね。
どうですか、皆さんは、ヌケのいい、心地よい男女交際をしてますか?
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- 2008/01/09(水) 00:16:58|
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当津島事務所は、今日を新年の仕事始めの日にしようと決めていたのだけど、昨日あたりからパソコンの調子がすこぶる悪く、パソコンなしでは仕事にならない当所としては、何はさておきパソコンのコンディションを安定させるのが最優先の急務になった。
メインテナンスソフトを使ったりしてチェックしてみると、どうもハードディスクに物理的な不具合箇所があるようだ。
そうと分かれば、データのバックアップをとってハードディスクを初期化し、システムを再インストールしてしまうのが結局は一番手っ取り早い。
それは分かっているのだけど、こわいのは、作業の過程でデータを消滅させてしまわないかということと、諸々の設定まですべてリセットされてしまって日常のPC環境をもう一度ゼロから再構築しなければならなくなるかもしれない煩わしさだ。
写真の管理用に外付けハードディスクをつないでいるから、データや設定のバックアップをそちらにとって、いよいよPC本体のイニシャライズとシステムの再インストール。
ああ、やっぱパーフェクトにはいかなかった。書きかけで保存していた原稿が見当たらない。今までのメールの送受信の履歴も消えてしまった。
明日友人からファイル復元ソフトを借りることにしたので、それでいくらかでも救出できればいいのだけど。
写真は外付けHDDのほうに入っているのでまったく影響はなかったけれども、PC本体のiTunesに入っていた3GBほどの音楽と落語のコレクションもなくなってしまった。
おかしいなあ。なくなっても当然というような操作はしたつもりはないのだけどなあ。
しかし、これについては、ほぼ全曲がiPodに入っているので、iPodからiTunesにデータを戻すという作業でおおむね復旧をみた。iPodからPCにデータを戻すというのはレギュラーの操作ではないのだけれど、ネットで調べつぶしてその方法を探り当てるのだ。
いやそれにしても、一年の最初の作業がPCのイニシャライズというのは、縁起がいいんだか悪いんだか…。
一年の最初っからこんなんじゃ…と、先行きに暗澹たる気持ちになってしまうけれども、ま、見方を変えれば、すべてリセットして心機一転、「ゼロからの再出発だあ!」と開き直ってしまうのも、面白いかもしれない。
過日、うちの女房が面白いことを言った。
所用で女房と少し遠くにクルマで出かけたのだけど、帰りが少し遅くなったのだ。
夜も更けてかなり冷え込んできて、油断をすると道路はスリップしやすくなっていた。
ボクは雪道の運転には慣れているつもりだし、こんな夜はいっそう慎重に運転をするのだけれど、緩い下り坂で、ほんの一瞬の隙にクルマのコントロールを失ってしまった。凍結路の下り坂でひとたびコントロールを失ってしまったクルマは、あとはもう、なるようにしかならないのである。
ハンドルを切るのとは無関係にふらふらと右左に揺れながらクルマは前に進み、左の路肩の雪の吹きだまりに頭から突っ込み、それから180度スピンしてやっと止まったのだ。
深夜のこととて対向車もなく、突っ込んだところが雪の固まりだったのでバンパーがわずかに凹んだ程度で済んだ。
一歩間違えば大事故だったから、笑い事では済まないのだけれど、そのときに女房の言った言葉がこうだ。
「年末ジャンボが当たらなかったから良かったのよ。あれが当たっていたら…」
つまり、万がいち年末ジャンボに当たっていたら、そこで運を使い果たしてしまって、その反動で今のは大事故になっていたかもしれない。宝くじに当たらなかったからこの程度で済んだのよ!…と。
ものは考えようと言うけれども、ここまで前向きな考え方をしてくれると、ハンドルを握っていたボクの憔悴は、少しやわらぐ。
でもね、うちの奥さん、昔からそういう気性のヒトではなかったんだよ。結婚したての頃に同じようなことがあったら、きっと彼女はグーでボクの側頭部を殴っていたはずだ。
末っ子でどちらかと言えばわがままに育ってきた彼女は、短気というか、ものごとを、自分が気に入るか気に入らないかで判断して生きてきたようなところがあった。
だから、結婚した前後の頃も、ちょっとでも気に入らないことがあると、すぐにボクの頭をたたいていたのだ。まあ、こつんと小突く程度だったけど。
かつてはそんな風であった女と今も一緒にいるわけだから、雪道でスピンしてバンパーを凹ませてしまったボクを慰めるように、「年末ジャンボが当たらなかったから良かったのよ」とまで言ってくれる女房には、またちょっと特別の感慨をおぼえるのである。
ところで、所帯も長くなると、わざわざ自分の古女房の写真を撮ろうとは思わないし、女房の方だってあまり撮られたがらないものではないかと思うのだけど、いつの頃からか、うちの女房は、ことあるごとに自分の写真を撮らせようとする。
その真意はよくわからない。
目に見える形で生きてきた証しを残したいと思っているのか、せっかく写真屋の女房をやっているのだから“タダで”撮ってもらわなかったらもったいないとでも思っているのか…。
二人でクルマであちこち行くと、彼女の方から「ここで撮って」と要求される。
こちらも曲がりなりにも写真屋なので、どうせなら可愛く撮ってやりたいと思うのだ。
もし何十年か先、女房が先に死んだら、ボクの手元には、可愛らしくにっこりと微笑んでいる彼女の写真が何十枚も残って、それを眺めながら、ボクはずっとほっこりとした気分でいられることだろう。
スリップ事故の翌日、明るい日の下で改めてクルマを眺めてみて、「ほとんど気にならないわね」…と、女房は言う。
いや、いくらなんでもそれは言い過ぎです。
あきらかにはっきりと凹んでいます。
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- 2008/01/08(火) 00:50:00|
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なにげに某大手新聞社のウェブサイトを見ていたら、トイカメラの商品紹介特集があった。
記事というより、特集広告なのだろうが。
そのコーナーのヘッドコピーがこうだ。
デジカメによる高精細な画質に飽きたら、トイカメラを使って、レトロでアーティスティックな写真を撮ろう!ほんの些細なことなのかもしれないけれども、こんな文言にも津島のおっちゃんはツッコミを入れたくなってくる。
高精細な画質に飽きたらぁ?
写真をやってる人間がデジカメの高精細な画質に“飽きる”ことがあるのか?
トイカメラというのはデジカメの高精細な画質に飽きた人が手にするものなのか?
な〜んか違うような気がするんだよなあ。
きっと、このコピーを書いた人は、自分ではカメラや写真をやらない人なのだと思う。
自分の知らない世界のことだから、上滑りなコピーしか書けなかったのだと思う。
この例に限らず、その世界のことをあまりよく知らないのであろうライターが、(勉強もしないで)軽々に文章にまとめてしまっている事例はよくある。
情報誌を読んでいると、たとえば鉄道旅特集とか秘湯だの隠れ宿だのといった温泉特集の記事をよく見かけるのだけど、なんか、妙に記事の視点がずれているように感じられることが少なくないのだ。
自分の手慣れた題材ではないからだ。
手慣れていなくても、自分のキャラや技巧、あるいは熱心な勉強で面白い文章にまとめられることもあるにはあるけれども、それらが不足していると、ヘタをすると書いている人よりも読んでいる人のほうがずっと詳しい事柄であったりもする。
まあ、もっとも、ボク自身も文章ではずいぶん失敗してきた。
自分が良かれと思って書いた文章でも、全然違う意味に解釈されることもあるのだと、あとから気づかされて青くなったこともある。
そういう意味では、失敗をおそれてはいけない。
失敗を糧にしてみずからを成長させていくことだ。
それも“人生を学ぶ”ということなのだと思う。
冒頭のコピーを、ライター氏に敬意を表して、最大限にフレーズを生かして書き直すとすれば、
デジカメの高精細な画質とは別世界のトイカメラで、…などといった感じになるだろうか。
レトロでアーティスティックな…なんていう文言も薄っぺらな感じがして個人的には好きになれないけれども、商業的コピーとしては、そこまでツッコむのは野暮か。
そんなわけで、津島のおっちゃんも、もう少し文章でレンアイを語りたいので、勉強不足を悟られないように、粉骨砕身、いっそうの精進に努める所存です。
恋はいつでも
初土俵、もとい、初舞台♪
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- 2008/01/06(日) 12:54:27|
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特に好きな写真家というわけではないけれども、同じ写真人生を愛する一人として、アラーキーという写真人には一目置いている。(ちょっと偉そうな言い方だけど。ちなみに、彼の初期の写真集『わが愛、陽子』は持っています)
“花鳥風月”的ではない彼の写真世界は、必ずしも「一般受け」するものではないはずなのだけど、それでいて、彼ほど写真表現の妙味に開眼したカメラマンも珍しく、なぜかは知らねど、この人の撮る写真、あるいは、この人の“写真生活”に、惹かれる人は少なくない。
今、ローマでアラーキーの個展が開かれていて、その評判は非常に高く、現地のアカデミズムやメディアもまさに一目置く、ニッポンを代表する芸術的なカメラマンなのだ。
そのアラーキ−が、現地の記者のインタビューに答えた言葉が新聞の記事になっていたので、そこだけ抜き出してみたい。
「わたしにとって写真は人生そのまま。(写真家を目指す人には)写真を勉強するより人生を勉強しなさい、と言いたい」
いかにもアラーキーらしい言葉だなあ。
しかしやはり現実には、写真家を目指す人は人生を勉強するより写真を勉強したほうが手っ取り早いのだ。人生を勉強することで大成するカメラマンなんて、アラーキーのように、ほんの一握りなのだから。
むしろ、“写真家を目指すわけではないけれどもドップリと写真生活を送りたい人”にこそ、「写真を勉強するより人生を…」という彼の言葉を伝えたい。
ボクがひねくれているのかもしれないけど、他の人の写真ブログを見させてもらっていると、モチーフがどうとか撮影スキルがどうとかいうこともさることながら、その撮影者自身の日常とか人生観とか価値観とか死生観とか心模様とか、そういうものが写真の行間ににじみ出ている感じがするのだ。そこはかとないユーモアが感じられて「ああ、心にゆとりを持って生きている人なのだなあ」とか、「なんか、ものの見方が“表面的”だなあ」とか、「今、この人には心に迷いがあるんじゃないかしらん」とか…。
もちろん逆にボクの写真を見られる時も、「津島というのはこういう人間なのだな」と、当たらずとも遠からずの、“人物像”を見抜かれているのだろう。
そういう意味では、写真はけっこう怖いのだ。
単純にきれいな風景を撮って公開しているだけのつもりでいても、実は自分自身の“人間性”を世間に暴露していることになっていたりもするのだ。
逆に、写真生活を送ることで、それで人生を勉強できるのであれば、それはまた願ってもないことである。
とても美しい写真を撮れるスキルを持っていても余りココロが共鳴しないような写真ばかり撮っている人よりは、少しくらい技術的に未熟で稚拙な写真であっても撮った人の人柄が感じられてジーンとココロに滲みてくるような写真に出逢うと、異性に一目惚れをする瞬間のような電気が走る。
そして、有無をいわさず、その撮影者が好きになる(^^)
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- 2008/01/06(日) 01:40:55|
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夜行バスというものは、決まって定刻よりも早く目的地に着く。
終点からの“二次アクセス”を担当するこちらは、少し早めにバス停についていなければならない。
案の定、予想していたよりもかなり早い時間に、バスは着く。
そのバスの乗降口から、寝不足顔のS子が降りてくる。
「おつかれさん。よく眠れたかい?」
「うん、少しは眠れたわ。あなたのほうこそごめんなさいね。朝の苦手な人にこんな早くからつきあわせて」
「なあに、オレのほうはかまわないさ。眠くなったらどこでも寝るから。クルマはオレにはベッドルーム同然だ。あはは。それよりさ、腹はすいてないか? コンビニで何か買って、それを食べながら移動しようと思うんだけど」
「うん、それでいいわ。あまりおなかはすいてないけど、お茶でも買おうかな」
オレは、写真を趣味にする女とつきあっている。
いや、つきあっているという表現が正しいかどうかは分からない。
なにしろ彼女は夜行バスでやってきて、それをオレが自分のクルマにピックアップして、彼女が喜びそうな撮影ポイントを巡って、そして最後には握手かハグで、まあ、それはその時の気分で、そんな別れのあいさつをして、新幹線かバスで、彼女は帰っていく。
どんなプレゼントをすれば自分の恋人が喜んでくれるかを探るように、どんなところに連れて行ってやればこのヒトが喜んでくれるか、“現地妻”ならぬ“現地ボーイフレンド”のオレは、それなりに真剣に思案する。
そんな画策が当たって、彼女が喜々として夢中になってシャッターを切る姿を、その後ろからほのぼのとした気分で眺めている瞬間が、オレは好きだ。
どこの馬の骨とも分からぬ男を信用して、このヒトははるばる夜行バスを駆ってやってくる。一人の女をそんな行動に走らせただけでも、オレの人生には収穫だ。
いつか彼女が、他の男と幸せな時を過ごすかもしれないという、朧げな予感。
それでもいいではないか。
誰かが幸せになるの邪魔するほど、野暮な男にはオレはなりたくない。
新幹線かバスでこのヒトが帰っていくまでの、刹那の時間の、疑似恋愛とでもいうようなひとときが、オレの人生には救いになっているのだ。
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- 2008/01/05(土) 00:45:27|
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その年の米の出来は予想外によかったのである。
そのことに何よりも安堵していたのはお千代の父であった。
貧乏人の子だくさんとはよく言ったもので、今年八つのお千代を頭に、この水飲み百姓の家には既に四人の幼子がおり、冬にはもう一人生まれようかというところであった。
どうにもこうにも食っていけないのである。父は、お千代を売ることを本気で考えていた。もう、それより手だてはなかったのである。
それが、予想をはるかに上回る米の大収穫で、かろうじてお千代を手放さずにすみそうなのだ。
庭先で無邪気に遊ぶお千代の姿を眺めながら、心から安堵し、そして我が身の不甲斐なさを嘆いて涙する父であった。
女だてらにチャンバラをして遊んでいる相手は修作といい、お千代より一つ年上。近くの足軽の家の一人息子である。足軽とはいえ武家の子には違いない。武家の子と農民の娘が一緒に遊ぶなど、あってはならぬことではあったけれども、こんな田舎の小藩のこと、まだがんぜないこの二人が毎日のように無心に遊びほうけるのをとがめ立てする大人はいなかった。
身分の違いというものをいずれは分かる日が来るのだろうしと、しかし、万が一おさむらいの子どもにケガでもさせたらと、それをハラハラしながら、お千代の父も今はそっとしておくのであった。
そんな大人の心配を知ってか知らずか、お千代は、「あたいは大きくなったら修作あんちゃんのお嫁さんになるんだ」と、大人が苦笑するようなことを誰彼なく言いふらすのである。
数年が過ぎた頃である。
お千代は城下の津沼道場に奉公に出ていた。
道場主の津沼は既に五十に手が届こうかという年配であったが、どこでどういうことがあったのか十八の小娘を嫁にとり、一男を設けていた。しかしその幼すぎる母は産後の肥立ちが悪く、床に伏していることが多かった。そこに子守りで雇われたのがお千代であった。
そしてお千代は、分別がついてからは顔を合わせることがなかった修作と、偶然にその道場で再会をするのである。
赤ん坊をおんぶし、修作の稽古姿を遠くから眺めて、さすがにこういう歳になると、たとえどんなに恋い焦がれる男であっても、添い遂げることはできないのだと、はっきり理解するのである。
しかしまた、それとは別の、何かはらわたの中からぐつぐつと煮えたぎってくるような、不思議な感覚が、お千代の、女のカラダを揺さぶるのである。修作は、時にはチャンバラでお千代に負けて泣きじゃくっていた幼い頃とは違い、胸板厚く眼光の鋭い青年に成長していた。
お千代は、そんな修作を遠くで眺めながら、心の中でそっと思うのである。
「お嫁にもらってもらうのがかなわないまでも、この人になら一度くらいは騙されてもいい」…と。
修作が稽古に来る日に限ってお千代が遠くから修作を見ているのを、修作の仲間がめざとく気づいた。柳田登馬は、仲間内でもひときわませており、何にでも首を突っ込み、よくしゃべる男であった。その登馬が、お千代に絡むのである。
「お千代ちゃん、あんた、いつも修作の稽古姿を見てるよなあ。もしかして修作に“ほ”の字なんじゃないかい? あはは。いっそ、駆け落ちでもしたらどうだい。あっはっはぁ」
お千代は、心の内を見抜かれたようで、カァーッと顔が火照り、だまってうつむくしかなかった。そして、心の中でそっと思うのである。
「この登馬という男、軽々しくていけすかない。でも、案外こんな世慣れた感じの男も悪くないかも。この人になら一度くらいは騙されてもいい」…と。
暮れの晦日のことであった。津沼がお千代を呼びつけた。
「千代、もうすぐ正月だ。道場もしばらく休みに入るし、奥もあらかた片づいた。お前も久しぶりに家に帰って親孝行をしてきなさい」
「でも奥様がまだ…」
「いやなに、お前がいてくれたおかげであいつもだいぶんよくなった。それに、親戚の娘が遊びがてら手伝いにきてくれることになってな、少しの間ならどうにかなるのだ」
ああ、なんて優しいことを言ってくれる男(ひと)なのだろう。剣術の道場主なのだから、人を斬るのも厭わぬ冷徹な心の持ち主だと思っていたのに。
そしてお千代は、心の中でそっと思うのである。
「津沼さまも、せっかく若いお嫁さんをもらわれたのに、すぐに床に伏せられて、男としても何かと不自由をされていられるのではないかしら。そんなこと、ちっともおくびに出さずに…。奥ゆかしい人。この人になら一度くらいは騙されてもいい」…と。
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はい、いかがでございましたでしょうか。
初春にふさわしく、藤沢周平風にまとめてみましたが。
(途中まで真剣に読んでた人、怒んないでね(^^; )
本日ご覧いただいた写真は、映画「蝉しぐれ」の撮影のために山形県鶴岡市羽黒町松ヶ岡に組まれた
松ヶ岡オープンセットです。
ここは今でも見学することができます。
テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2008/01/01(火) 21:58:53|
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