
昨夜テレビで〈武士の一分〉を観ていて、たかがフィクションの世界の話なのに、ボクはひどく感情移入してしまった。
人は誰かを簡単に傷つけるし、人は誰かに簡単に傷つけられるし、そして一度傷ついてしまったものは、簡単に消えるものではない。時の流れが傷の痛みを忘れさせることはあっても、傷跡は、むしろ永遠に残るものであったりする。
おためごかしに、ただただ人を傷つけてしまうだけのことを言う人間。自分の欲求を満たすためなら、女の人格など一顧だにしようとしない男…。
もっとも、人生そのものが、そういう地雷原を命からがらすり抜けていくようなものなのかもしれないけれど。
“晩節を汚す”という言葉がある。
映画の主人公三村新之丞の妻を手込めにした上役の生き様などは、まさにその典型。
自分の出世や私利にしか興味がなく、表面上はそれでいろいろと“おいしい思い”をしてきた人生だったかもしれないけど、結局最後には“ツケ”が全部回ってきて、長年積み重ねてきたはずの面目や信用は丸つぶれになり、自ら腹を詰めざるを得なくなる。
理想論からいえば、長い人生のあいだにいろいろ学習して、歳を重ねるごとに生き方上手になり、愛し方上手になっていいようなものなのに、まるで学習のあとが見えない人が、ボクらの周りでも案外少なくない。(どっかのお役所の事務方にもそういう人がいましたなあ。あれは、晩節を汚しちゃった典型)
ボクが仕事で取材記事を書くとき、担当編集者には二つの作業が発生する。
ボクとの間で“筆者校正”をするやり取りと、取材先との間で“クライアント校正”をするやり取りだ。
ボクは、取材先に媚を売るような原稿は書かないのだけれども、先日編集者からのメールで、「あの原稿、取材先の方も、よく書いてくれたと、とても喜んでいました。津島さんにもくれぐれもよろしくお伝えくださいと言われました」と伝言された。
その持ち上げ方には多分に社交辞令が含まれているとしても、持ち上げようとしてくれるだけでもうれしいじゃないか。
その逆に、こちらとしては相当頑張ったつもりなのにそういうこちらの努力をまったく評価してくれず、ひたすらあら探しのような難癖に終始されることもある。
今年はそういう案件でちょっと嫌な思いもした。
ボクは、基本的には何ごとも穏便に…と考えるほうなのだけど、他者をリスペクトできない人(会社)を相手にしてやる仕事ほど虚しいものもなく、そういうことどもとは、自分の中でどこかで訣別しながら生きていかなければならないだろうと、思うのだ。おのれの晩節を少しでも潔いものにするためにも。
ボクのブログを読んでくださっている方はお気づきのように、ボクの話には“男と女のこと”が多い。
なぜそういうことにこだわっているのかというと、単にスケベだからというのではなく(否定はしきれないけど)、一対の男と女というものが、“社会”というか“人間関係”というか、そういうものの“最小単位”だからだ。
人間関係において、これよりも小さい単位はない。
そうであるならば、たった一人の女、あるいは、たった一人の男とすらうまくやっていけない人間は、それ以上の大きな社会、大きな人間関係でうまくやっていける道理がないのではないか、と思うからだ。
それと、恋人との関係、夫婦の関係がうまくいってないと、単にその二人の間だけの問題ではなく、仕事や日々の生活に集中できないとか、ひどい時には心身にまで変調をきたす。たかが色恋と侮っていられないのだ。
恋は、人を潰し、あるいは、人を伸ばす。
あとになって、「ああ、いい人生だった」と振り返られるように、“人間関係の最小単位”に、もう少しこだわっていきたいと思う。
来年も津島は、“晩節を汚さない”程度に、恋を楽しめる一年にしたいものだなと。
皆さん、よいお年を♪
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- 2007/12/31(月) 16:09:18|
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27日の夜、ボクは小金井市にいた。
上京の用事はすべてつつがなく済ませ、あとは秋田に帰るだけである。
ロードマップを広げて、「さて、どういうルートで帰ろうかしらん」と、思案するのである。
例によって、もっぱら“下”を走りたいので、国道4号に出てしまえばあとは“道なり”といってもいいくらいなのだけど、問題は、都内をどうやって抜けるかだ。
長丁場のドライブは覚悟のうちだけど、都内を抜けるのにもたもたしたくはない。
外環道に乗ろうかとも思ったけど、インターまでの道がややこしそうだ。
その時目に留まったのが、東八道路という道を東進して高井戸から首都高に乗るというルートだ。
年末の首都高は渋滞も激しいのだろうが、夜なら少しは流れているだろう。
それに、ちょうど22日に首都高中央環状線、山手トンネルが開通したばかりだ。
新しい道を走るのが“目当て”ではないのだけれど、うまい具合に、今いる場所から都内を抜けるのには、山手トンネルを通るのが最善のようなのだ。
ニュースで見ていたこの地下高速道には関心を持っていたのだけれど、まさか開通から一週間もしないうちに自分で走ることになるなんて。
「いや、ほんとに、この道を通るのが目当てではないんだってば」と、心の中で言い訳しながら、同時に、ちょっとニヤニヤしてしまうのだ。
今年は、よく旅をした一年だったなあ。
一番遠くはもちろんブラジルだけど、秋田から成田までクルマで行ったので、それ自体、ちょっとしたドライブ旅行だった。
なぜか今年は北海道づいていて、都合3回も渡道した。1回は青春18きっぷで、1回は秋田港からフェリーで、そしてもう1回は奥さんとの函館旅行で、下北半島の大間までクルマで行き、そこからフェリーで函館に渡った。
家族行事で猪苗代にも行ったし、信州もクルマで徘徊した。
それから、近場では十和田湖とか八幡平とか…。
取材で泊まった温泉宿も10軒あまり。
来年はどんな旅を楽しめるかな。
「とうとう来ちゃったわね」
「後悔してないかい?」
「ううん。思いっきり楽しむつもりよ。一度きりの人生だもの」
「そうだね。あとで思い出して気持ちがほっこりするような、想い出をつくろうな」
…な〜んて旅ができたら楽しいと思うのだけど、そんな旅が実現する日がくるのかしらん…と、あまり期待はせず、とりあえず、クルマの助手席に落ちている女性の髪の毛を、せっせせっせと拾い集めているのである。女房のであったり娘のであったり、それから、むにゃむにゃ…。
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- 2007/12/31(月) 01:09:33|
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小さな子どもたちは、それがいつだったかもよく覚えていない。
何をして遊んだのかもよく覚えていない。
ゲームをして、どちらが勝ったのかもよく覚えていない。
それでも、“あの時は楽しかった”という、〈空気〉だけは確かに覚えている。
〈空気〉なんだ。
空気さえあれば、それで十分なんだ。
たとえば友と、どんな店へ足を運んだのだったか、そこで何を食い何を飲んだのだったか、どんな話題を語り合ったのだったか、そんなことはまるで覚えていなくても、確かに“楽しかった”という記憶さえ残っているのなら、それでボクは十分だ。
空気トモダチ、空気ガールフレンド、空気恋人、空気夫婦、空気親子…。
いい空気を共有できる人間関係には心安らぐ。
空気でつきあえる友には、救われる。
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- 2007/12/29(土) 10:52:12|
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明日ちょっと遠出する予定でいたので、区切りのいいところで、年内の仕事は25日中に全部済ませてしまうつもりでいた。
千字程度の原稿を3本書けば、それで当座の仕事はすっきり片づく。
ところが、やっと2本書き上げたところで、ちょっと気力的にいっぱいいっぱいな感じになってきてしまった。
ど、どうする?
がんばる?
逃げ出す?
泣きを入れる?
よし、ここは一つ現実的に、泣きを入れてみることにしよう。
編集部のU子ちゃんに電話してみる。
津 「あの、今仕掛かり中の原稿だけど、年内に入稿したほうがいい?」
U 「いえ、こちらもまだ進行してないので、年明けでもいいですよ」
津 「ほんと?! そうしてもらえると助かるよ。2本は書けたんだけど、ちょっとしんどくなってきちゃってね」
いやぁ、命拾いしましたよ。
「ダメです。今日明日中に入れてもらわないと困ります」なんて言われたら、今ごろボクは、さんざん遊びほうけた夏休みの最後の夜に泣きながら〈夏休みの友〉に向かっているガキンチョのように、地獄のような夜を過ごしていなければならないところでした。
考えてみると、オトナになってからクリスマスの頃に穏やかな気分で過ごしたことは、ほとんどなかったような気がするな。
仕事は年末進行で一層タイトになる時期だし。
そういえば、おとといの日曜日も、別の編集部のY子ちゃんから「校正お願いします」ってメールが入ってたし。ああ、日曜日なのに出社して仕事してんだなあ…って。
いつもの月なら、どんなに忙しくても日曜日くらいは休むんだけどね。
ボクも、ずぅっと昔のサラリーマン時代、クリスマスが近づくに連れて段々忙しくなってきて、子どものクリスマスプレゼントを買いに行く時間も取れなかった。
イブの夜に閉店間際のデパートに飛び込んで、息を切らしながらオモチャをみつくろっていたことがありましたっけ。
なんかさ、せめて一年の最後の十日か一週間くらいは、おだやかな気分で過ごしたいものだよね。
ひとまず津島は、やりかけの仕事をほとんど投げ出すような塩梅で、逃避行に走ります。
探さないでください。
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- 2007/12/25(火) 23:29:50|
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クリスマスだし、3連休だというのに、ちっとも優雅な気分にはなれず(かろうじて、ネットラジオでクラシック流して、気分出してます)、気乗りしない仕事に明け暮れている昨日今日。
ところで、サンタクロースは実在するでしょうか?
何を今さら…って思うかもしれないけど、実在するのですね、確かに。
子どもの頃、25日の朝に、枕元にプレゼントが置かれていたでしょ?
確かにそれを買って夜中にそっと枕元に置いたのは父親か母親だったかもしれないけど、その時、父親や母親にサンタクロースのスピリットが乗り移っていたんですよ。
父親や母親も、「あれは自分たちが金を出して買ったものだ」と思っているけれども、実は、サンタクロースのスピリットに魂を揺り動かされてそのような行動をとったわけで。
スピリットとしてのサンタクロースは、確かに実在するのです。
その年の6月に知り合ったN子と、ボクはもうすぐ初めてのクリスマスを迎えようとしていた。
ボクはあまり金も持っていなかったし、大きなものやはっきりと形の残るものをプレゼントしても却って彼女が困惑するだけではないかと、パフュームをプレゼントすることにしたのだ。
パフュームだったら、それほど高くもないし、大きくもないし、形の存在としてあまり目だちもしない。
ショップに足を運んだのは12月の10日頃だったと思う。
テイスティングにだけはたっぷり時間をかけた。
頭の中でN子をイメージしながら、これじゃない、これじゃない…と、消去法で、N子に似つかわしくない香りを寄せていく。
そして最後に、「よしこれだな」と思える香りを見つけ、それをきれいにラッピングしてもらった。
クリスマスまではあと2週間だった。
ところが、その2週間のあいだに、ボクとN子は、別れてしまった。
前にも一度、N子のほうから「もう終わりにしたい」と言っていたのを、未練を引きずるボクのほうから「そんなこと言うなよ」と、半ば無理矢理思いとどまらせていたのだった。
だけれども、クリスマスまで2週間を切った頃に、「やはり終わりにしたい」とN子はもう一度言った。
ボクは寂しかったけれども、N子を楽にしてあげなければならないだろうなと、思った。
一度ランチを食べてそれで終わりにしようとN子が提案するので、ボクはそれに応じた。
じたばたしてもしょうがない。
港の見えるレストラン。
それはおだやかなランチタイムであった。
クルマで彼女を家の前まで送り、「じゃあ、元気でね。はい、これ。ほんとはクリスマスにあげるつもりだったんだけど」。そういってパフュームの包みを渡した。
N子は、ちょっときょとんとして「あ、ありがと」と言って、クルマを降りていった。
数日後、実家に帰省するN子から電話があった。
「N子です。今、空港です。これから実家に帰ってきます。香水、ありがとう。うれしかったわ」
「うんうん、よかったら使ってくれ。元気でね」
クリスマスすら越えられなかった短い恋だったけれども、あの年、少しせっかちなサンタクロースのスピリットのおかげで、ボクはささやかな想い出をつくることができたのだ。
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- 2007/12/24(月) 15:27:01|
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ご案内のように、ボクはクルマの運転に関してはかなり“アナログ的”である。
カーナビも当分は取り付ける予定はないし、日頃のメンテナンスもあまりマメではない。何かあったらその時対処しようとのんびり構えているクチ。
ただ、ETCにだけはこのごろちょっと関心を持ち始めていた。
それというのも、高速道路のETC限定の料金割引制度がなかなか侮れないと思ったからだ。
そもそもボクは高速をあまり使わず、もっぱら“下”専門なのだけど、通行時間帯次第では高速料金が30%とか50%も安くなると聞くと、それはちょっと聞き捨てならない。距離によっては1000円や2000円も安くなるのだ。これは大きい。
基本、高速は使わないと言っても、急ぎの時とか、どうしても使わざるを得ない時などは、ETCを持ってなかったら大損だ。
それを考えると、ETCくらいは導入してもいいかなと。
自分の持っているクレジットカードのサイトでETCカードの申込みをしたら、あっさりと手続きも済み、昨日カードが送られてきた。
これで一歩ボクもドライブのIT化に足を踏み入れたわけだ。
さて、以下のエピソードは友人Y子から聞いた話。
Y子はこのブログを見ているので、ここで暴露したら気を悪くするかな。
許せ、Y子!
あるとき、Y子はボーイフレンドと郊外にドライブをした。
ボーイフレンドは立派なクルマを持っていて、もちろんETCも搭載している。
そして高速にのって休日の一日をY子とドライブをしたのだが、高速にのる時にわざわざカードをはずして現金払いで利用したのだと。
「どうして?」と、誰もが不思議に思う行動だが、理由はこうだ。
ETCで高速を利用すると、あとから利用明細が家に届く(らしい)。
それがもし当人以外の目に入ったら、「えっ、なに? この日はどこにいらしたの? 何の用事で? どなたと?」と、質問攻めにあうことになりかねない。
そんな余計な騒動を巻き起こさないために、“大人の判断”をしたわけだ。
良い子たち、大人にはね、いろいろと“大人の事情”ってのがあるんだよ。
そのうち、きみたちも大きくなったらきっと分かるからね。
ま、その点、津島は、自分の行動には逃げも隠れもせず超然としているから、いつどこへ誰と行く場合であっても、平気でETCを使うつもりだ。
ただなあ、ETCカードはあるけど、車載器を買う金がないんだよなあ…
(それじゃダメじゃん)
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- 2007/12/21(金) 16:49:22|
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それほど本好き、活字好きではなかったボクが、やたらと長い檀一雄の『火宅の人』を読もうと思ったのは、“もろもろの事情”で、自分自身としてもその小説の中に描かれている世界を理解したいと思ったからだ。
で、理解したかというと、多くの人が踏み込んではいけないと信じている世界に“あえて踏み込む”という生き方もあるのだということは理解できたのだけど、じゃあ自分も檀一雄と同じ生き方をするのはありかといえば、それははっきりと“なし”だった。
太宰もそうだけれど、檀一雄なども、あまりにおのれの心の中に沸き立つものに正直すぎる。
誰かを好きになり、その想いをためらわず相手にぶつけ、相手はそれに喜び、そして二人は抜き差しならぬ間柄になるのだけれど、それで相手を幸せにしてあげられたかというと、結局は却って深く傷つけてしまう幕引きになる。
まあ、“うまくいく恋なんて、恋じゃない”なんていう歌の歌詞もあるように、くたびれてぼろぼろずたずたに傷つく恋も恋のうちなのかもしれないけれど、やはりそんな“激しい恋”などはできそうもないちっぽけな自分。
自分が誰かを好きになって、すったもんだがあって、それをおもしろおかしく書けば、十万人の客(読者)が喜ぶだろうけれど、その小説に登場することになっていたかもしれない一人の女友だちの心の内のほうが、自分には気になる。
『火宅の人』で愛人・恵子として描かれた実在の女性・入江杏子さんによる返歌のような『檀一雄の光と影』というような著書もあるが、そこまで相手方も言いたいことをはっきり言えるような、昇華され尽くした男と女の出会いであったならば、それはそれで面白いかもしれないけれど。
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- 2007/12/18(火) 16:50:44|
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初めての土地を車で走る時でも、自分の勘を過信して、NAVIも載せず、地図もろくに見ずに、しったかぶりでハンドルを握っているのである。
それでもちゃんと目的地にたどり着くことが少なくなく、「あなたってほんとに良く道を知ってるわね!」と感心されて、ちょっと鼻高々になるのだけれども、たまには勘もはずれて、とんでもないドライブになってしまうこともあるのだ。
「よし、この道だ!」と確信してしばらく走ったら行き止まりだったり、海を目指していたはずなのに走れば走るほど山の中に入り込んでいったり…。
せっかく同乗者にかっこいいところを見せてやろうと思ったのに、かえってひどく無様な結果に終わってしまい、まったく立場がないのである。
心優しいガールフレンドだから、立ち直れなくなるような罵詈雑言は並べ立てないのだけれど、「最初から高速を走ればよかったのに」と、遠慮がちにポツリという一言が、ぐさりとボクの胸につきささる。
まったくその通りなのだ。
山を一つ越えた峠の向こうに広がる海を見せてやろうなんてサプライズを企むよりも、高速にのって早く街までもどって食事の時間をたっぷりとったほうが、そのほうがずっと楽しい一日の締めくくりになったろうと、あとになれば思うのだ。
道に迷い道に迷い、きっと死ぬまで修行は続く。
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- 2007/12/17(月) 01:08:44|
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『やわらかい手』というのは、今、渋谷のル・シネマで上映しているイギリス映画。
津島は、好きなんだなあ、こういう映画。
人生、きれいごとでは済まないけれど、でも、きれいごとでは済まないということと心がピュアであり続けることは決して矛盾しないのだと。
イギリス映画には、『カレンダー・ガールズ』という、ちょっと面白い映画もあったけど、さすがユーモアの国、一歩間違えばキワモノになりそうなモチーフを、すごく面白く料理して見せてくれる。
『やわらかい手』も、ちょっとエチーな映画ではあるんだけど、最後はほろりとさせる、とてもヒューマンタッチな映画です。(って、紹介記事と公式サイトを見ただけの想像だけど)
きっと、女の人が観ても面白いかもよ。ひとときココロが和むような。
ボクも、観てみたいんだよなあ。観れるかなあ。まあ、観れそうだったら観るとするか。
今日の毎日新聞に、記者が面白いコラムを書いていたんですよ。
杖をついたおばあさんが、JRの大きな駅の「動く歩道」の前で立ち往生してしまった。
動く歩道は怖いから、遠回りでもいいから他の道はないかと駅員に尋ねている。
そうかあ、盲点だったなあと、思ったわけですよ、これ読んで。
近頃は大きな駅や空港に「動く歩道」が普及してきていて、ボクらは「楽チンだなあ」とありがたく利用しているのだけど、よくよく考えてみたら、障害のある人や高齢者には、「動く歩道」に乗る瞬間や降りる瞬間はかなり危険なものなのかもしれない。
その点ではエスカレーターも同じかもしれないね。
皮肉なもので、健常者には楽チンの出来る便利な設備なのに、弱者には使い勝手の悪い危ない設備だったんだね。ちっともユニバーサルデザインじゃない。
本来なら、「元気なやつは自分の足で歩け。歩行が困難な人はこの設備を使ってね」…というようなものであるべきなのにね。
このコラムには続きがあって、おばあさんに相談された駅員は、そこではっと気づいて、他の道を教えるのではなく、備え付けの車イスを持ってきておばあさんを乗せて、それを押して「動く歩道」を通ってホームまで案内したのだと。
そして、おばあさんが目的地の駅に着いて、「今度は頑張って階段を上らないとね」と思っていたら、ホームには車イスを用意した男女の駅員二人が待っていて、「連絡を受けてお待ちしていました」と、笑顔で言うのだと。
そして最後に筆者はこう締めくくるのです。
「人の力はすごいなあ、と思った。」
駅員たちのやったことは、“業務の一部”と言ってしまえばそれまでだけど、でも、なんか、“彼らのココロがユニバーサルデザインだなあ”…と、こちらまで気持ちがほっこりさせられるのでした。
人を優しく想う気持ちは、世の中をまろやかにします。
『やわらかい手』も、“人を優しく想う気持ち”が、底流にあります。
ボクたちも、“人を優しく想う恋”をしましょう!(…って、やっぱりそういうオチかよ!)
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- 2007/12/15(土) 01:20:57|
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モノゴトには、“ソレ以前”と“ソレ以後”とがある。
ひとたび“ソレ以後”に足を踏み込んでしまったら、もう二度と“以前”の時間には戻れない…というような。
その、“以前”から“以後”に切り替わる瞬間が、“コペルニクス的転回”。
おじさんやおばさんが、もはや男女関係なく無礼講で酒を飲んで騒いで、下ネタ話が飛び交うようになると、恒例のように「初体験はいつだった?」…というような告白タイムになる。
そうすると、ごくごく普通の、つつましく暮らしている(はずの)おばさんが、さらりと、“17”だの“16”だのと、言ってのけるのである。
実はその点では遅いほうなのかもしれない“22”だった津島としては、十代のうちから、あんなことやこんなことをするってことが、どうにも想像できないっていうかイメージできないっていうか。
自分自身がその年代に、何かの勢いとかモノの弾みとかでそういうことをしていれば、「あ、こういうことなのね」と、想像もつくのだけど、なにしろ自分はそういう年頃では何もしていないし、とにかく想像もつかない世界だったので、ほんとに分からない。いや、いい悪いではなくて。
ただ、今にして思えば、17歳の高2の時に京都奈良に修学旅行に行った際、一人、ボクに親愛の情らしきものを示していた女子がいて、移動のバスの中では他の連中は全て男同士、女同士で座っていたのに、彼女だけはいつもボクの隣に座っていたのだ。
それは確かにボクにはちょっとした優越感ではあったけれども、「ん? もしかしたら、こいつはオレに気があるのかな? こりゃ、もしかしたら、うまくアタックすれば陥落するかな」…という発想が、まったく出来なかったのだ。つまりそれだけボクがまだまだネンネだったということ。全然、性に目覚めていない。
いや、たとえば、女風呂を覗きたいとか、そういったスケベな精神はむしろ人一倍だったかもしれないけど、自らの人生や肉体にコペルニクス的転回の時を迎えようという決心は、まだまだついていないのだ。
その“22”のときだって、こちらから果敢にアタックしたというよりは、その頃のガールフレンドと二人でボクのアパートで酒を飲んでいて、そのうちなんだか相手のほうがそういうモードになってきて、「え"っ? なになに?!」と、結局流れに身を任せるままにそういうことになってしまった次第で。
そのときの彼女とは、ほんとに“友だち感覚”だったから、その夜も、まさかそんなことになるとは想像もしておらず…。
ことほどさように、自分がスロースターターだったものだから、「18の時よ」とか「16だったわ」と平然と言ってのけるおばさんたちの“コペ転”(と略す)話を聞くにつけ、実に羨ましいやら妬ましいやらイメージがわかないやら。
まあ、今さらだからどうでもいいのだけど、修学旅行の隣の席のE子ちゃんとか、あるいはそれ以外でも、もしかしたらボクだって十代のうちにコペ転できたのかもしれないのに、そんなことに今ごろ気づいている自分が歯痒くて歯痒くて…。
十代の時に出遅れたから、その反動で今になってこんな“エロじじい”になったのだろうって?
しっ、失敬なっ!
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- 2007/12/12(水) 23:37:07|
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若かった。
身も心も。
人を許せる許容範囲というものが、あのころはとても狭かった。
そもそも、彼女とは何も約束はしていなかったのだ。
ただ、いつものように、週末の夜に彼女のアパートの前まで行けば、部屋には明かりがついていて、トントンと2、3度軽くノックをすれば、待ちかねていたように彼女は笑顔でドアを開けてくれるはずだった。いつものように。
そしてきっとボクは、いつもの週末の夜のように、たぶんその夜も彼女のアパートに泊まることになるのだ。
何も約束はしていなかったけれども。
だけれどもその夜は、彼女の部屋に明かりがついていなかった。
試しにドアをガチャガチャしてみても、鍵はかかったままだった。
「おかしいな。こんな時間まで何をしているんだろう」
何も約束はしていなかったのだから、彼女が何をしていても、それは彼女の勝手だったのだ。
だけれどもボクは、“いつものように”週末の夜には必ず部屋に明かりをつけて彼女がボクを待ってくれているものと決めてかかっているから、そうではないその夜の事態に、少し動揺していた。
残業か何かで、ちょっと帰宅が遅くなっているだけなのだろうと自分に気休めな解釈をして、少し他で時間をつぶしてからもう一度来てみようと思った。
無為に市内をグルグルとクルマで走って、30分ほどしてからまたアパートに来てみたけれども、それでも部屋に明かりはついていない。
ボクは、少しずつ少しずつ、彼女を憎み始めていた。
何も約束はしていないのだから、彼女を憎むのは筋違いなのだ。
若さゆえ、そんな道理もその頃のボクには意味をなさず、ただひたすら、憎み始めていた。
人を、愛するということと憎むということは、湖水に映る山の姿形のように、愛する想いが強いほど、それと同じくらいの強さで憎しみへの変容も内包してしまうものなのかもしれない。
実を言えば、その頃のボクの彼女への想いというのは、恋愛感情というよりは“気の合う女友だち”といった、フランクな感情だったと思う。それなのに、いつものように会えると思ってやってきた夜に会えなくて激しく負の感情をたぎらせている自分に、知らず知らずのうちに、それほど彼女がボクにとって大きな存在になっていたのかと、軽い幻惑を覚えるのであった。
のちに彼女はボクの女房になって、今でも“腐れ縁”は続いているのだけど。
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- 2007/12/11(火) 22:38:50|
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トントンと、ボクより先にそのヒトが階段を下りていく。
小さな窓から差し込む明かりで、そのヒトの背中が仄かなシルエットになる。
その背中は、幸せな背中だろうか。
階段を下りていくそのヒトの背中をじぃっと見ていると、踊り場で身を翻したそのヒトは、きょとんとしてボクを見上げる。
「ん? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
我にかえって、ボクも階段を下りていく。
幸せにしてあげたい…とは思う。
でもそれは、100%の保証の出来る幸せではない。
ボクには、今の生活を変えることは出来ない。
だから、ボクが出来るのは、“今のボクに出来る範囲での幸せ”でしかない。
それでいいのよ…と、そのヒトは言う。
A型のそのヒトは、きっと、ボクに手を引かれるか、あるいは、ボクの後ろについて歩いていきたいのではないだろうか。
それなのに、ときどき、すたすたとボクより先に歩いていく。
それは、何かそのヒトがとても“頑張っている”ように見えて、ひどくいじらしいのだ。
頑張らなくてもいいのだよと言ってあげたいけれども、今のボクたちのつながりは、その人にも少しは頑張ってもらわないと成立しない。
幸せにしてあげたいと言いながら、実は、少しずつ少しずつ、そのヒトを不幸にしてしまっているのではないか。
こちらが何を頑張ればそのヒトを少しでも幸せに出来るか、そんなことを思案しながら、ボクより先をすたすたと歩いていくそのヒトの背中を、ボクは眺めている。
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- 2007/12/10(月) 17:15:54|
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今日は、企業の視察に筆記者兼カメラマンとして同行する仕事だった。一行はボクを入れて5人。
最初は、応接室で会社の概要をうかがって、そのあとに工場を見学させてもらう。
「それでは工場のほうは私が案内させていただきます」と現われた青年が、一見すると秋葉原辺りによくいるタイプのように見えて、一抹の不安がよぎった。
案の定…というか、工程工程での説明が、なんだかまるで要領を得ないのだ。
こちらは「はあ、はあ」と、とりあえず説明を聞いているのだけど、重要なこととそうでないこととがぐちゃぐちゃに説明されている感じで、「ここが我が社の一番の売りなんです!」というアピールもない。抑揚がなさ過ぎるというか、我々も、どこに着目し、どこに感心したらいいのか、気持ちの的が絞りきれずに、なんだか次第にイライラしてくるのだった。
それはみんなも感じ始めていたようで、一行の後ろのほうでは、「なんだか、KYだなあ…」なんて小声でささやきあっているのだ。
若くて経験不足だからしょうがないのかなあと、一定の同情はするけれども、それにして、ちょっと“勘の悪い”タイプの人間、というイメージは拭いきれなかったのであった。
一行の一人の運転するクルマに同乗してその会社に行ったのだけど、車中での話として、たとえば彼の会社には、取引先からなにげに電話が入って(しかも、たまたま残業していたけど本来なら営業時間外に)、とりあえず用件を聞いて電話を切ると、すぐにまたかかってきて、「あ、それからね」と話を継ぎ足して、その電話を切るとすぐにまたかかってきて…ということを4、5回繰り返されることがあるのだという。
普通、我々だったら、急いで相手方に連絡をとりたくても、相手の営業時間外だったら翌朝まで先送りするとか、とりあえずメールを出しておいて朝一で先方に用件が伝わるようにする。それが“節度”ってものだと思うのだけど、自分が“立場的に上”と思い込んでいる人たちは、自分の都合とか自分のペースでだけ事を進めようとしたりする。そういうのを取引先に持ってしまうと、実際、なかなかしんどいものだ。
しかも、同じ相手に立て続けに4、5回も電話を繰り返すなんて、やっぱ、どう考えても“ヘン”でしょ?
もうちょっと用件を整理してから電話してきたら?…って言いたくなるよね。
仕事って、一つの事を成し遂げた心地よい疲労感というものもあるけど、それとは別の、虚しい疲労感とか、“徒労感”みたいなものも、あるのだよね。
同じクルマでの帰り道、運転手は自分のiPodにトランスミッターをつなげてカーラジオから音楽を聴いていた。
途中でなかなかリリカルな、滲みる曲が流れてきたので、「これ、誰?」と聞いたら、スキマスイッチの「奏(かなで)」という曲だった。
ふだんはメロディだけを聞き流しているけれども、あらためて歌詞に耳を傾けると、なかなか滲みるものがある。
疲れ切って、腐り切った中年親父ではあるけれども、こんな歌にしみじみと耳を傾けたいキモチも、まだあるにはあるのだ。
せめて自分は、「KYなやつ」とは、言われたくないなあ…。
- 本日の写真は、猪苗代町の天鏡閣 -
- 2007/12/08(土) 00:30:02|
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『母のオブラート』
小説『蟹工船』で知られる作家小林多喜二は、明治36年(1903)、現在の秋田県大館市下川沿に生まれた。
多喜二が生まれたころの小林家は生活に困窮しており、多喜二4歳の冬に一家は小樽へ移住した。小樽でパン工場を経営していた伯父を頼っての渡道だった。
小樽での一家の住まいは、小樽駅より二駅札幌寄りの小樽築港駅の駅前にあり、ここで伯父の工場のパンを売る店を始めた。多喜二は伯父の援助で学校に進むことができ、卒業後、小樽市色内にあった北海道拓殖銀行小樽支店に就職したのである。多喜二は築港駅から旧手宮線色内駅まで列車で通い、この銀行員時代に『蟹工船』や『不在地主』などの代表作を執筆していた。
多喜二の生きた時代は、今のように言論の自由といったものは保証されておらず、警察からマークされていた多喜二は、昭和8年(1933)の2月に非合法活動家として捕えられ、激しい拷問を受けてわずか29年の生涯を閉じるのである。
この人生の終え方が、多喜二について語るときの気分を少しばかり重苦しくさせる。社会の暗部というか、傷口というか、できれば触れずに避けて通りたくなるのである。
そんな重苦しい気分を和らげてくれるのが、三浦綾子の『母』という小説だ。この作品は、多喜二の母親セキの独り語りという手法で、秋田時代の小林家の様子や、小樽での一家の暮らしぶり、多喜二が死んだときの状況など、多喜二の全生涯が母親の目線で描かれている。作品自体は、実際にセキが語ったものを聞き書きしたのではなく、周辺の人々への取材や多くの参考文献を元に、三浦綾子がセキの想いを代弁するような形で創作したものである。
この小説でも紹介されているが、読み書きができなかったセキも晩年にはわずかに字を覚えることがあったようで、死後、遺品の中からノートの切れ端にたどたどしく書かれた遺筆が見つかった。
あーまたこの二月の月かきた
ほんとうにこの二月とゆ月か
いやな月こいをいパいに
なきたいどこいいてもなかれ
ないあーてもラチオて
しこすたしかる
あーなみたかてる
めかねかくもる(大意)ああ またこの二月の月がきた/ほんとうにこの二月という月がいやな月/声をいっぱいに泣きたい/どこへ行っても泣かれない/ああ でもラジオで少し助かる/ああ 涙が出る/めがねがくもる
小林多喜二という人物像を、母はオブラートで優しく包んで、改めて私たちに引き合わせてくれている。
[キャプション]
小樽築港駅を出る函館本線の電車。多喜二はこの駅から旧手宮線の色内駅まで列車で通勤していた。小樽築港駅前には多喜二一家の住居跡を示すプレートがある。
#2007年3月 『郷』Vol.63掲載
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- 2007/12/06(木) 18:19:58|
- ツシマノシゴト
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「すみません、この辺にきっぷ落ちてませんでしたか?」と、その女性は困ったような顔でボクに聞いてきた。
発車時刻までまだ少しある途中駅で、外の空気を吸いにホームに降りていた彼女は、車内に戻って自分の席についてから、ほどなくしてもぞもぞし始めた。コートのポケットやらバッグの中やら、いろいろ探しまわっている。どうやら、きっぷを見失ってしまったようだ。
ボクは、一両きりの車両の中ほどの進行方向左側の窓際の席に前を向いて座っていた。
同じ始発駅から乗ってきた彼女は、ボクとは通路をはさんだ反対側の、ひとつ前のボックスの窓際で後ろ向きに席を取っていた。つまり、ボクが車内を見回すと、右斜め前方に彼女の姿がいつもあったのだ。
おしゃれ一途の都会のOL風というよりは、少し内向的な、女だてらに独りの貧乏旅行を好む女性のように見えた。
その彼女がきっぷを見失って青ざめて、ボクのボックスまでやってきて助けを求めているのである。
「ええ? 見てないよぉ。どこにしまってたの?」
「コートのポケットです。確か、コートのポケットに入れてたんです」
「さっきホームに降りてたでしょ? ホームに落としてない?」
「見てきます」
ボクもあとを追ってホームに向かおうとした。
そして何気なく彼女が座っていたあたりに目をやったら、あっけなく失せものは見つかった。
「ねえねえ、あったよ! ほら、こっちこっち!」
きっぷは、シートと背もたれのあいだの隙間に落ち込んでいたのだ。あと少しでも隙間が広かったら、そのまま床に落ちていたのだろうが、途中でひっかかってわずかにきっぷのはじっこだけが覗いていた。
それをボクがつまんで取り上げ、彼女に手渡した。
「ははは、見つかってよかったね」
「すみません、おっちょこちょいで。助かりました。ありがとうございます!」
少し大げさ過ぎるくらいに、彼女は深々と頭を下げた。
その四角い緑色のきっぷには、いくつかのスタンプが押されていた。
「あなたも青春18きっぷの旅なんだね」
「ええ、お金がないから、旅行をする時はいつもこのきっぷなんです」
そしてゴトリと鈍行列車は動き出し、何ごともなかったようにボクは左側の車窓から外の景色を眺め、彼女は相変わらず後ろ向きに座って過ぎ行く風景を見送っている。
じろじろと観察するわけにもいかないのでボクの錯覚かもしれないけれど、過ぎ行く風景を見送りながら、ほんの少しの間だけ、彼女は目を潤ませていたのではなかったか。
楽しいだけの旅ではないのかもしれない。
このローカル線の終点に、列車は着いた。
さらに旅を続けるものは、ここから上りか下りの本線の列車に乗り継ぐことになる。
ぺこりと、今度は軽い会釈をボクにして、彼女は列車を降りていった。
もし彼女がこの先もボクと同じ列車で旅を続けることになるのであれば、ボクはあたたかい缶コーヒーを2本買って、彼女の向かいの席に座り、「よかったら飲む?」などと言って、しばしの旅の道連れを楽しむつもりでいた。
だけれども彼女は、ボクが乗る下り線のホームにとどまらず、上り線に続く跨線橋の階段にすぅっと消えていったのだった。
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- 2007/12/06(木) 00:35:06|
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まれに女友だちから、「たまにはあたしのことをネタにしてブログを書いてよ」などとリクエストをもらうこともあるのだけど、そういう申し出は少数派で、やはり、あまり軽々には書いてほしくないという思いのほうが多いのかもしれない。
一度、「これくらいのエピソードは書いてもいいだろう」と書いたものを、たまたま当事者の女友だちに読まれて、「なんであんなことを書くのよ!」と、えらい剣幕で叱られたこともある。
とは言いながら、やはりブログのネタに登場させた女友だち本人も読んでいることを想定して、「ふふふ、今回はキミのことを書かせてもらったぜ」などというつぶやきを行間に滲ませることもあるのである。
ご存知のように、ボクはたまに女房のこともネタにするのだけど、まあこの程度のことは書いても女房は怒らないだろうとか、あらかじめ、怒られない程度の範囲のことに限って書いているつもりなのである。
このブログで使った写真は全部panoramioのほうにも載せているのだけど、先日もボクがブログ遊びをしている時に女房が仕事部屋を覗きに来たので、ボクはpanoramioのページを見せて、「ほら、お前の入浴シーンが全世界に流れていて、けっこう評判がいいんだぜ」と言ってやると、にやにやと、彼女もまんざらではなさそうな感じなのである。
やたらと、女友だち女友だちと、あけすけに書いているけれども、これでもプライバシーとか、そのヒトの安穏な生活には気遣っているつもりで、“今これ以上のことを書くのはやばいだろう”ということは抑えている。ほんとうは、書きたいのも山々なのだけど。
仮にだ、家庭のあるボクが(いや、ボクのほうは“放し飼い”のような人生だからどうでもいいのだけど)、家庭や恋人のあるヒトと接点があって、それを洗いざらい書いてしまったら、それはいかにも不見識だ。たださらりと酒を飲むだけの間柄だとか、たまに一緒にドライブするような間柄だとか、その程度のことだったとしても、相手が特定できないようなカタチであればともかく、「どこそこの誰それさんとそういう時を過ごしました」というような露悪趣味な書き方は出来ない。
しかし、今はまだ書いていないところにこそ、大きなドラマがあったりする。
それをいつかは書いてみたいという思いも、なくはないのだ。
書きたいという欲求と、その人の安穏な日々を願う気持ちのはざまで、ペンは鈍るのである。
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- 2007/12/05(水) 01:41:27|
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出かける予定がない時は、明るいうちから酒を飲む。
昼間のうちから飲む酒は、思いのほかに捨てがたい。
いよいよ迫る締切に、酒が背中をポンと押す。
くいと一口飲む酒で、すっかり締切忘らるる。
(七五調でまとめてみました)
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- 2007/12/03(月) 15:50:43|
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旅をしていました。
行き先は、上の写真の人物の出生地。
秋田からざっと350km。
当初のもくろみとしては、金曜の深夜に出発して途中で仮眠でもしながら土曜の朝に着くように…という算段だったのだけど、家族5人、2台のクルマに分乗しての移動だったので、みんなの都合や意向などを聞いていたら、とにかくあまり遅くならないうちに出発して、そのまま成り行きで走ろうということになった。現地で世話になる親戚の家も、「布団は敷いておくから何時に着いても構わない」と。
そんなこんなでひたすら走ったら、夜中の3時に現地に着いた。
それからビールを少し飲んで寝て、土曜日は先方の案内で周辺の観光ドライブ。フォトジェニックな観光スポットや、ラーメンで有名なK市でラーメンを食べたりと、それなりに観光を楽しんだのだけれども、本音の本音で言うと、行きたい時に行きたいところに行って、納得のいくまで写真を撮る旅をしたい津島としては、そういう欲求をことごとく抑えなければならない団体行動には、とても窮屈な思いをするのだった。
日曜日も、午前中の半日を先方の案内で周辺ドライブし、昼飯に新そばを食って、さあ、あとは帰るだけだ。
帰路のボクのもくろみとしては、まっすぐ帰りたい連中をもう1台のほうのクルマ(息子が運転している)に乗せて帰し、ボクは寄り道しながらところどころで写真を撮ってゆっくり帰ろうかと、いうことであった。
ところが女房が“無粋”にも、「せっかくだから一緒に帰ろうよ」と言い出し、その場の空気で、また同じ道を2台並んで走るという、実に芸のない帰り方をすることになってしまった。
ああ、なんでそういう言い方をするかなあ。なんで写真を撮りたいオレの気持ちを軽視するかなあ。写真屋の女房がなあ。
「あなた、写真を撮りながら帰りたいんでしょ? だったらあたしたちはあっちのクルマで先に帰ってようか? それとも、あたしだけあなたにつきあえばいい?」…などと、なぜ気を回せないかなあ。
結局、写真屋としては、とても“収穫”の少ない旅であった。
あからさまに不機嫌な態度で、ボクはクルマを走らせ始めた。きっと女房だって、ボクの機嫌が悪くなっていることに気づいたはずだ。
最大限に好意的に解釈すれば、女房としては、少しくらいボクの機嫌を悪くしても、みんなで一緒に帰るということを優先したかったのかもしれない。それも、分からなくはないのだ。
だから、ボクは、彼女を口汚く責めることも出来ない。
ざっと350km、6時間の道のりのあいだに、ボクは自分で自分のいら立ちを鎮めるしかなかったのだ。
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- 2007/12/03(月) 00:34:40|
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