
どうにもムシャクシャすることがありましてね。
同じ会社の中だったら“パワハラ”、夫婦間だったら“DV”に匹敵するくらいのストレスです。
ま、よくある仕事上のジレンマなのだけど、こちらとしては、「いいですよ、もう。ギャラは払ってくれなくていいですから、御社とのおつきあいはもうこれっきりにしましょ」…ってことで早く忘れてしまいたいのだけど、相手のほうがなかなか粘着質で…。
ほんとはね、こちらにも反撃するだけの“隠し球”がなくはないんです。でも、人と人とが争うなんてのは不毛なことだから、徹底的に争うというよりは、「今度のことは“ボタンの掛け違え”のようなものだから、お互い、忘れてスッキリしましょうよ」…ってことにしたいわけですよ。
いよいよとなったら、こちらにも最低限の譲れない一線があるから、徹底抗戦の覚悟も必要なのだけど、なんだかね、厭なことに巻き込まれちまったな…っていうか、自分一人の考えではどうにもならないこともあるんだな…と、つくづく思わされているわけですわ。
そんなこともあって、先日も書いたように、携帯の着メロをショスタコーヴィッチの〈セカンド・ワルツ〉にしてみたのだけど、実はこれにはずいぶんと癒されています。もう、誰かから電話がかかってこないかと待ち遠しいくらい(^^;
きっと、ボクの中の波長と、この楽曲の持っているものとが、とてもマッチしているんだろうな。
スタンリー・キューブリック監督の作品(遺作)でトム・クルーズ主演の『アイズ・ワイド・シャット』という映画があり、その中でとても胸にしみたBGMがありました。ネットで調べてみたら、それが〈セカンド・ワルツ〉だったというわけで。
人生は、なかなかうまくいかないものだ。
時には、心も傷つく。萎える。
だから、それを癒してくれるものが必要だ。
それは、旅であったり、心優しい恋人であったり、お気に入りの音楽であったりする。
今夜もボクは、鬱々とした気分で原稿書きをしていたのだけど、シャッフルモードでかけていたiTunesから、偶然セカンド・ワルツが流れてきた。
ただそれだけで、ずいぶんと気持ちが楽になるのだ。
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- 2007/11/30(金) 00:57:32|
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「キミに頼みが二つあるんだ」
「あら、何かしら、改まって。あなたの頼みはいつもこわいのよね(笑)」
「キミの、ハダカの写真を撮らせてほしいんだ」
「な、何を言い出すの、いきなり?!」
「いや、真面目な気持ちなんだ。話だけでも聞いてくれないか。いいか、オレたちはもう、人生の半分以上を生きてきた。間違いなくいつかは死ぬ。キミかオレか、どちらかが先に死ぬ。もし君が先に死んだら、オレは、いずれはそれを受け入れなければならないだろうけど、ときにはしみじみとキミのことを思い出したくなるじゃないか。キミの写真はいっぱい持っているんだ。服を着ているやつはね。一緒に旅行した時のやつや、海や山に行った時の写真…。そんな写真を眺めながら、きっとオレは泣きながらキミのことを懐かしむと思うんだ。だけど、一つだけ足りないものがある。それは、ハダカでキミと抱き合った時の、キミの皮膚の感触や肌のぬくもりを思い出す縁(よすが)なんだ。服を着ているキミの写真からそれを思い出そうとするのは、あまりにも歯痒い。ハダカでキミと抱き合ったのは、二人で一緒に生きてきた想い出の中のかなりのウェートなんだ。だから、仮にキミが先に死んでも、ボクはずっとそのことをいつでも思い出せるようにしていたい。写真は、キミにも分かるところにしまっておくから、もしボクのほうが先に死んだら、写真は捨ててしまってくれても焼いてしまってくれても構わないから」
「ふふふ、あなたったら、そういうことだけは用意周到なのね。いいわよ、こんなハダカでよかったら、お好きに撮ってくださいな。せっかくだからきれいに撮ってね。少し、お肌のお手入れでもしておいたほうがいいかしらん。ところで、もう一つの頼みって?」
「ああ、つまりそれは、一番目の頼みの逆バージョン。オレのハダカをキミに撮ってほしいんだ。それをキミが持っていてほしい。オレが先に死んだ時の場合のためにね。無理にとは言わないけど、でもさ、笑い顔や交わした言葉の想い出だけじゃなくて、ハダカで抱き合ったことも懐かしく想い出にしていてほしいじゃん」
「うーん、今はまだあまり実感は湧かないけど、確かに、どちらかが先に死んでしまったら、やはりそういう、泣きたいほど懐かしく思い出せるものはあったほうがいいかもね。わかったわ、じゃあ、今度二人して撮りっこしようか!」
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- 2007/11/28(水) 12:57:52|
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仕事先で出会ったI子は、ボクより6歳年上だった。
男好きのする美人の顔立ちながら、人前で気取るということを知らないおきゃんなところがあった。
食べ物関係の会社にいて、自分でつまみ食いしていたものを、「ほら、これおいしいよ!」などと、ぐいとボクの面前に突き出してくるのである。
ボクはどきりとするのであるが、そこで顔をそむけたり変に固辞するのも場がしらけるだけかと、少し照れながら、彼女の手から直接その突き出されたものを口に運ぶのだ。
「ね、おいしいでしょ!」などと、天真爛漫に言うI子。
I子が、ボクのことを異性として好意を持っていたかというと、それはないと思う。
ボクは彼女より6歳も年下なのだ。
せいぜい、弟のような親しみだったのだと思う。
I子は20代の早くに結婚した。一女をもうけたが、夫の暴力が激しくなり、27の頃に離婚をした。それからは母娘二人の生活だった。
I子と知り合った時、ボクは40であったけれども、その頃のボクには浮気だの不倫だのという発想がなく、ほのかに彼女に寄せる思慕はあったけれども、それこそボクのほうこそ、“弟”的な感覚というか、年上の女の先生に持つ“憧れ”のようなものだったと思う。彼女はボクよりも6つも年上なのだ。
職場の中で姉御的な存在であった彼女は、あるとき、職場の若い子たちを家に呼んで飲み会をやろうということになり、それにボクも招待された。
心浮き立つその酒席では、ボクはついつい飲み過ぎて悪酔いをして、彼女の前で醜態をさらしてしまった。
それからしばらくして、彼女は会社を辞めて、あるショッピングビルの中にあるチーズケーキのショップで働き始めた。
その店は人気店で、いつも行列ができていた。
ボクも時々そのショッピングビルに出かけると、ショップの中で働いている彼女の姿を見つけるのが楽しみだった。
あるとき、行列も途切れていて、カウンター越しに彼女を見つけたので、「やあ、頑張ってるかい?」と声をかけてみた。
一瞬驚いた彼女は、「あ、ちょっと、そっちに回って」と、ボクに言う。
ボクが横の通用口の辺りでうろうろしていると、ドアを開けてチーズケーキの包みを持った彼女が現われて、「ほら、これ」と、ボクに差し出すのである。
「え? いいのかい?」
「いいからいいから」と彼女。
しばらくの間、ボクの携帯には彼女の電話番号が控えられていた。
一度彼女の家で酒を飲んだあと、「いつかまた飲もう」という社交辞令のような口約束があって、その連絡手段としての電話番号であった。
いつだったか、ボクが何かのことで非常に気持ちが萎えてしまって、彼女に慰めてもらいたいような気持ちで電話をしたことがある。「じゃあ、飲もうか?」と、彼女に言ってほしかったのだ。
その時は時間をつくれないとかいう理由で、うやむやに終わってしまった。
所詮、ボクは6歳年下の弟でしかなかったのだ。
今であれば、むしろボクのほうが兄のようにでも振る舞って、もし彼女の心の中に何かちょっとした隙間でもあるのであれば、その隙間を埋めてあげるために最善を尽くすことも出来たかもしれないが、あの頃のボクはまだ幼稚過ぎて、包み込むような愛で女性を見守るということが出来なかった。
その後、ボクの携帯電話は水没させてしまうアクシデントがあり、I子の電話番号も消滅してしまった。
同じ町に住んでいるのだし、彼女の家も知ってはいるのだけど、結局はそれっきりになったままだ。
6歳という年齢差以上に、ボクたちにはあまり縁はなかったのだろうか。
せめて、今でも幸せでいてくれればいいと、思うのだけれども。
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- 2007/11/26(月) 00:42:38|
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昨日に続いて、“夢”ネタです。
ちょっとだけ、夢のことを意識していたせいだか、今朝見た夢は忘れずにはっきり覚えています。
そのことを書きます。
ちなみに、本日の写真は、パリではなく、アメリカ・ニュージャージー州、アムトラックのニューアーク駅です。止まっている列車はアセラ・エクスプレスと言って、フランスの高速列車TGVの技術を導入して運行されているものです。
今朝見た夢というのは、こんな感じ…
ボクはフランスを旅していた。
どこへ行こうとしていたのかは覚えていない。
だけれども、乗っていた列車が終着駅に着いたようなので、とりあえず列車は降りなければならない。
乗っていた車両からホームに降り立ち、そのまま歩いていこうとしたら、不意に誰かにぐいっと腕をつかまれた。
何ごとかと思ったら、「お前はまだ運賃を払っていないぞ」と言うのだ。
「あ、それはすまなかったね」と、ポケットから小銭を出すのだけど、運賃がいくらなのか分からないし、そして、ユーロではなくドルしか持っていないのだ。
それで、ありったけのドルの小銭を手のひらに乗せて相手に示し、「これでなんとかなるか?」と、聞いているのである。
相手は、「ちっ、ドルかよ。ったく、しょうがねえなあ」とかブツブツ言いながら、両替のためか釣り銭のやり繰りのためか、どこかに行ってしまう。
そして一人ホームにぽつんとたたずみ、辺りをきょろきょろしている自分。
さてさて、この夢が「夢占い」的にどういう意味かということを考えるまでもなく、自分の中の断片的な実体験や記憶をくっつけたものだったということに、我ながら笑ってしまった。
まず、なぜ舞台がパリの列車なのかというと、数日前に新聞で、ストライキのために駅構内に止まったままになっていたパリの列車の写真を見ていたからだった。
それから、乗務員に現金を差し出したのは、サンパウロ市内のバスターミナルから空港に向かう時のリムジンバスの運転手とのやり取りの記憶だった。
本来はチケットを乗車前に買うべきだったのだけど、ボクがパンフレットの記述を読み違えていて、乗ってから運転手に現金で払おうとしたのだった。運転手は、「窓口できっぷを買って来い」と言っているのだけど、もう発車時間がせまっている。「ち、しょうがねえなあ」とか言いながら、とにかくその現金を受け取って乗せてくれた。ほんとうは、お釣りをもらわなければならない金額だったのだけど、もとより運転手には釣り銭の用意がない。こちらの不注意だったので釣りは諦めるしかないのかもしれなかった。そしてバスが空港に着いて、そのままターミナルに向かおうとしたら、運転手にうしろから「おーい、あんた!」と呼びかけられて、釣り銭をくれたのだった。彼はずっと気にかけてくれていて、どこかで両替してきてくれたのだろう。
そのときの体験が夢の中で蘇ったというわけだ。
それから、とりあえず手持ちの金を手に乗せて「これで足りるか?」とたずねたのは、アルゼンチン側のイグアスの滝国立公園のゲートで入場料を払うとき、アルゼンチン通貨のペソは持っていないし係員の言っていることは理解できないし、とにかくわずかのドルとブラジル通貨のレアルを手に乗せて「さあ、どれだけ要るんだ! 必要なだけ取れ!」と談判した時のフラッシュバックだ。
夢の中のエピソードの一つ一つに心当たりがあるというのが、なかなか笑えることであった。
さて、ここからは現実の話。
夕食後、寝室に入っていったら女房がテレビドラマを観ていた。
女房は特にそのドラマを観ていたかったわけではないらしくて、ボクにチャンネルを譲るのもやぶさかではないようなのだった。
「何か見たいものはないの?」
「いや、特にない。そうだなあ、強いて言えば、“夢”を見たいかな…」
「…あ、そう。どうぞご勝手に」
嗚呼、なんて夢のない冷たいお言葉…
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- 2007/11/24(土) 20:24:37|
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突然彼女は妊娠した。
しかし、誰の子どもであるかは彼女には思い当たらない。
ただ、夫の子どもでないことだけは確かなようだ。
それでも彼女はその妊娠が嬉しく、ひそかに「産みたい」と想うのだった。
…という夢を見ました、と(既婚の)女友だちからメールが届いた。
面白い夢だね。
夫の子どもでないことは確か。でも、誰の子かは分からない。
それでもその妊娠をひそかに喜び、「産みたい」と想ってしまう…。
その夢を額面通りに解釈すれば、ちょっとアブナクもある。
あえて付け加えれば、彼女にはもう成人した子どももいて、今から先の妊娠はまずありえないだろうという年齢である。
だから、強い妊娠願望が見させた夢、ということでもないようだ。
非常に穿った解釈をすれば、優しくない夫への反旗として他の男の子どもを産んで痛烈な報復を企むということか。
で、そんなメールをもらったあと、何気なく仕事部屋の本棚を整理していたら、白井小夜子という人が書いた「深層心理 夢占い」という本が偶然出てきた。
自分で買った記憶もないので、どういう経緯でこんな本がボクの本棚にあるのかは思い当たらない。
それにしても、奇妙なメールをもらった直後に、たまたま「夢占い」の本が目に留まるというのも、単なる偶然とは思えない不思議なものを感じざるを得ないのだった。
〈妊娠する〉という項目のところを読んでみる。
それはちょっと意外な内容だった。
妊娠の夢は、本人にとって重要なものに危険が迫っていることを示唆するものだというのだ。
その重要なものとは、恋人かもしれないし、自身の社会的信用かもしれないと。
ただし、おなかが大きくなった夢なら危険度も高いが、妊娠に気づいたばかりという初期の段階ならさほど大きな危険ではないとか。
これに津島の解釈を付け加えるとすれば、今、彼女の中にはいろいろと迷いがあり、その迷いがすっきりと解決する方向に向かうのではなく、迷いに押しつぶされて、いわゆる“自滅”の方向に向かってしまいかねない危険を、その夢が示唆したということだろうか。
この本では、妊娠の夢の項目の最後を、「自分にとって大切なものが何かを考え、しばらくはそれを守ることに神経を使おう」と結んでいる。
このごろの津島自身は、寝ている間は夢を見ているのだろうが、起きるとほとんど覚えていない。
見た夢を覚えていないというのは、夢占いではどういう意味になるんだろうか。
「お前の人生は、忘れてしまいたいような厭なことばかり」…ということだろうか。
かなすい。
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- 2007/11/23(金) 12:13:11|
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いいニュースだなあと思った。↓
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/98311/なんだか、ほっとするのである。
ああ、みんな優しいんだなあって。
世の中にはたちの悪い大悪党小悪党も少なくないから、そういう奴らの悪事は徹底的に暴き、罰を受けてもらわなければならない。
だけれども、法に触れることを犯したのは事実だとしても、なぜその人物が法を犯さなければならなかったのか、そのことも、やはりちゃんと考えてやらなければならないのではないかと、思うのだ。
たとえばこの裁判の被告人の場合は、平然と悪事を働く人生をみずから選んだのではなく、運命のいたずらがその人を狂わせてしまったのだから。
その運命のいたずらさえなかったら、悪事を働くこともなかったはずなのだ。
言ってみれば、その人自身も、運命のいたずらの被害者なのだ。
「情状は酌むとしても、罪は罪として償ってもらう」…と冷酷に言い放つのが、法律の建前なのかもしれない。だけれども、このニュースの裁判では、裁判官や弁護人、それに検察官までもが、どうしたらこの被告人を救ってやれるだろうかと、本当に親身になって心を砕き、知恵を絞ってくれているというのだ。
そう、周りの誰かが救ってあげなかったら、どんどんと底なし沼に落ちていってしまう人間だって少なくはない。法律というモノサシに照らして罰を与えたら、それで司法の仕事は終わりかもしれないけれども、二度と同じ底なし沼に落ちないように、その先の道を明るく照らしてやることも大切なことなのではないだろうか。
(それとは別に、非のない被害者に一生癒えないような心や体の傷を負わせてしまった者は、当然厳しく厳しく罰を受けるべきだと、ボクは思います)
冒頭のニュースは、裁判自体も異例の展開ながら、それを記事にした記者の目線も素晴らしいと思う。
昨今は、悪人捜しに躍起になったり、一度悪人のレッテルがついた人物を徹底的に“さらし者”にするような報道姿勢が目につくような感じがする。中世の魔女狩りのような怖さ。
ちなみに、一昔前の週刊文春は、他の週刊誌とは一線を画す“オトナの週刊誌”というおもむきがあって、ボクは好んで読んでいたのだけれど、最近はなんだか、取り上げる記事や切り口が、ひどく下品になってきたような気がする。やはり悪人捜しや、人をさらし者にして面白がっているような感じで。
発行部数を維持しなければならないというような事情もあるのかもしれないけど、それにしてもね…と、こちらは逆に、新聞広告を見ただけで読む気がしなくなってしまうのだ。
たとえば有名人の離婚や不倫騒動などが発覚すると、マスコミは面白がって(ほんと、面白がっているとしか思えない)、ハイエナのように当事者に群がる。でも、当事者にしてみれば、そこに至るまでには気が狂わんばかりの心の苦しみもあったかもしれないのだ。だれがそれを斟酌してくれるのだろう。他人の不幸や不祥事を面白がっているだけじゃないか。
もっとボクたちは、“他者を想う”ことも大切ではないかと、思うのだけど。
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- 2007/11/21(水) 21:52:50|
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RRRRR...
突然、電話がかかってくる。
突然といっても、そろそろかかってきてもおかしくはない時期であった。
「あの仕事、進んでる?」
「えぇとですね、大体、今日いっぱいには出来ると思ってるんですけど」
「それ持って先方にも一度会わなければならないし。ま、出来次第でいいんだけど」
「あ、それなら、間違いなく今日中には仕上げておきますから、明日以降いつでもアポとってもらっていいですよ」
自信満々に答えるのである。
その実、まだ着手すらしていなかったりするのである。
つくってもいないのに電話で「今出ました」と答えるそば屋の出前のようなもの。
あるいは、つくる作業すらしていないのに子どもが生まれてくる日のことを夢見ているようなもの。
どうも津島は仕事が遅い。
すごく、エンジンのかかりが悪いのだ。
かかってしまえばどうにかこうにか目的地にたどり着くことは出来るのだけど、いかんせん出だしでもたつく。
まあ、もっとも、一度約束してしまえば、(もうあとには引けないのだし)約束通りにちゃんと仕上げるのだから、それはそれですごい。(すごかないか)
だいたい、パソコンってやつがいけない。
今、パソコンは自分の仕事には欠かせないマストアイテムだけれども、同時に、パソコンってやつは“オモチャ”でもある。
パソコンに向かって、死力を尽くして一所懸命原稿を書いているさなかに、どこかのおねえちゃんからメールが入れば、どうしてもそのメールを開いてしまうじゃないか。「メールを読むのは仕事の区切りがついてから」なんて毅然としていられるほどのオトナでもないのだ。
場合によってはすぐにでも返事を書きたいではないか。
「どこか温泉にでも行ってみたいものだわね」なんて書いてあったら、この季節に二人で行って盛り上がりそうな温泉を、死力を尽くして一所懸命ネットで調べ始めたりするではないか。
何年前だったか、ボクは、フリーランスという身分のまま、請われて、ある会社のWeb担当契約スタッフとして、会社員同然の生活をしていたことがあった。
普通に出勤して、一日中オフィスのパソコンの前で仕事をして、6時になると退社するのである。
パソコンは当然ネットにつながっている。
するとおねえちゃんが、「どう? 頑張ってる?」なんて、メールをよこすのである。
なのでボクは、「キミのことが頭から離れず、仕事が手につかないんだ」などと返してやるわけだ。
そのうち、何かの拍子にボクが“1”という数字をもじった駄洒落を書いてやると、すかさず相手から“2”の駄洒落が返ってくる。そうなれば当然負けてはいられないから、死力を尽くして一所懸命“3”の駄洒落を考える。相手から“4”が返ってこないうちに、(つぎは“5”だな)と、死力を尽くして一所懸命“5”の駄洒落を考えるのである。
そのうち、退社時間も迫ってきて、お互いに、普通の仕事よりも頭と神経を使ってぐったりとしてしまって、「今日はこれくらいにしておこうか」などと言ってお開きにするのである。
フロアには他の社員もいるから、さぼっているということが気づかれないよう、ことさら険しい顔をして、仕事上の難関にぶちあたったかの体で、“5の駄洒落、5の駄洒落”と苦吟しているのである。
つくづく、「オレの人生、うだつが上がるわけないよなあ」…と、思わざるを得ないのである。
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- 2007/11/20(火) 11:47:21|
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ああ、ついに線路が雪に埋もれてしまいました。
さきほどやっと除雪車が走り始めましたが、なんだか、焼け石に水のような感じです。
もはや、陸の孤島です。
なので、今はキミに逢いにいけません。
…って、もう誰も信じませんよね。はい、ウソです。
今朝降った雪は解け始め、当分これ以上天気は悪くならないみたいです。
写真は、2006年1月5日の秋田駅構内。
このときは本当に豪雪で、何日も列車が止まりました。
もっとも、道はキミにつながっていても、金がないから今はどこにも行けないよ。
そういう意味では、心の“陸の孤島”状態と言ってもいい。(ふっ)
さて、腹が立つのはですね、一つ前の記事で“スタッドレスタイヤ”というフレーズを使ったら、その言葉にからめたトラックバックの申し出が今朝から相次いでいることなんですよ。もう5本以上。
「こっちも同じ話で盛り上がっているからトラックバックさせて♪」っていうようなフレンドリーな申し出なら大歓迎だけど、おそらく、アフィリエイト専門のブログなんでしょう、こちらで書いた文章を勝手に自ブログのコンテンツの中に取り込んでいるわけです。
どうなんだろう、他人の書いた文章を無断で自分のコンテンツに使うなんて、常識的に言って、かなり失敬なことなんではないだろうか。法的にどうのという以前に、ネチケット違反なんじゃないかと津島は思うわけです。
実は以前にも、温泉ネタを書いた時に、勝手に他のブログで流用されていたことがありました。そのブログは、管理人が訪ね歩いた全国の温泉を紹介するという体裁になっているのだけど、文章を読めば、本人は行ってないことが一目瞭然。ということは、そのブログの情報自体が非常に不確かで、人に誤解を与える内容に終始しているということでもあるわけです。
「勝手なコンテンツの流用は認めがたいので削除を要求します」とコメントしたのだけど、梨のつぶて。
ネット上で出会った人たちとは、原則的にみんな仲良くしたいけれど、中にはこういう人たちもいるんだよねえ。
どんなことからでも収入を得ようとするアグレッシブな姿勢は、一面では素晴らしいことだけれども、それにしたって、やっていいことと悪いことがあります。
こういうのに出くわすと、ちょっとがっかりします。
拙サイトのトラックバックは、今は事前承認制にしています。フレンドリーなトラックバックは大歓迎だけど、目障りなやつは即刻、拒否削除してます。
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- 2007/11/19(月) 15:20:19|
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母さん、寒い寒いと思っていたら、雪です。
いきなりの大雪です。
ちょうど去年の今日、ボクは東京で遊んでいました。東京は、まだまだ秋のたたずまいでした。
そんなことを思い出していたら、急にまた東京に遊びに行きたくなったのだけど、この突然の大雪で、今夜の寝台列車も夜行バスも運休になってしまいました。
逢いたい人がいても、すぐには逢えなくなってしまいました。
か細い恋は、距離も障害だけれども、天気もなかなかのくせ者です。
母さん、天気に負ける恋は、弱い恋でしょうか。
でも、いいんです。
ボクはそれを雪のせいにして、「しょうがないじゃん、だってあの日、急に雪が降ったのだもの」と、子どもじみた言い訳をするんです。
忘れたほうがいい恋なのならば、いっそ雪は永遠に消えなければいいのに。
…な〜んてね。
うそです。
日曜日の夕方はちょっとみぞれ模様だったけど、積もるほどじゃあありません。写真は今年の1月のです。
この季節になると、秋田の人々のあいさつは、「タイヤ替えた?」です。
雪が降る少し前に、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤに交換しなければなりません。
交換する前に雪が降ってしまうと、大慌てです。
津島は非常にものぐさなので、少しくらい雪が降っても、「うん、このくらいならまだ大丈夫」…と、夏タイヤのままで走ります。
いずれにしろ、「タイヤ替えた?」の挨拶の時季になってしまいました。
皆様も、お風邪を召しませぬように、お手近のパートナーとくっついて、あったかくしてお休みください。
では、今週も元気にまいりましょう!
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- 2007/11/19(月) 00:51:26|
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人生を、さらりと生きられるのなら、それに越したことはない。
ボクなどは、人一倍、さらりと、淡々と、飄々と、人生を送りたいと思っているのに、そういう生き方を標榜すればするほど、目の前に積まれた“解決しておくべき事柄”の山が大き過ぎて、それだけで目眩がしてくるのである。
ただ気分がモヤモヤしているだけだったら、映画を観たりドライブをしたりして気分転換をするだけでもいいのだけど、たとえば、面倒くさくて後回しにしている仕事の山がどんどんとうずたかくなっていって、最初のうちはずるずるとその現実から逃げ回っているのだけど、逃げ回れば逃げ回るほど結果的には自分の首を絞めることになるわけで、今度はそのプレッシャーに押しつぶされそうになり、ちっとも、さらりでも淡々でも飄々でもいられなくなってしまうのだ。
山の尾根まで登り切ったら、その向こうに、さらりと生きられる地平が広がっているのかなあ。
ああ、また旅でもしたいなあ。
今年の冬は青春18きっぷの旅に出られるかなあ。
旅に出られるとしても、仕事の山を片付けてからのことだけどね。
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- 2007/11/18(日) 00:35:32|
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三十代の半ばくらいだろうか。
左手の薬指に指環があったから、結婚はしているのかもしれない。
取材の窓口になってくれたそのヒトは、きりりとしたまなざしで、まっすぐにこちらを見据えていろいろと話をしてくれる。
なんだか、視線をそらしたほうが負けのような気がして、ボクも一生懸命そのヒトを直視するのだけど、芯が強そうで、いかにもそつのない仕事をこなしそうなそのヒトと、何から何まで自信がないボクとでは、“判定”でボクのほうの負けが目に見えているようで、心の中でちょっとだけしっぽを巻いてしまっていた。
しっかりとした感じの女性にはてんで弱い津島なのだ。
「津島さんはさっき、『舞台って、一度上がるとはまるそうですよね』っておっしゃっていましたけど、実は私、5年ほど、舞台に上がっていたことがあったんです。5年やって、限界を感じたとか、挫折したとかではなく、なんとなく、自分の中で“やり切った”って感覚になったんです。なので、そのころ今のお仕事のお話があったとき、まったく抵抗なく気持ちを切り替えることが出来ました。そういう意味では、“舞台は一度上がるとはまる”というのは、自分的にはちょっと違うかなと」
舞台云々というのは、ほとんど雑談として口にしたことであった。
だから、その風聞が本当かウソかなんて、ボクには別にどうでもいいことであった。
それだのに彼女は、取材の終わりかけのころに、自分のほうから口火を切って、きっぱりとした口調でそう言ってきたのだ。
ああ、やはり、芯の強いヒトなのだなあ。
ボクに誤解されたままでいてほしくなかったんだろうなあ。
取材を終えて、ボクは駐車場で自分のクルマに乗り込み、じっと立って見送ってくれている彼女に最後のあいさつをするため、運転席の窓をあけ、走り出しながら「どうもお世話になりました。ありがとうございました!」と会釈した。
そのヒトは、「お気をつけて」と言いながら、右手をちょっとだけ挙げて手を振りかけて、でもすぐに、手を振るのは馴れ馴れしすぎると思ったのか、その手をおろして軽く頭を下げたのだった。
芯が強く、そして可愛い女性だった。
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- 2007/11/16(金) 23:02:57|
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飛んできた飛行機はプロペラ機だった。
旅客機といえば全部ジェット機という思い込みがあったから、ちょっと意外な感じがした。
妻は若い頃、まだボクと出会う前に、わずかな期間名古屋の大きな会社で働いていた。
それからもう四半世紀以上も経つのに、その会社時代の同期の連中とは未だに年賀状のやり取りがあり、何年かに一回は同期会のようなものもやっていた。
一度会社を辞めてしまうと、今の時代は、それまでの同僚とのつきあいもそれっきりになりがちなものだけれども、田舎の学校を出て集団就職に近い形で都会の大会社に就職し、見るもの聞くもの初めてのことばかりで、そんな“仲間”たちと、ピクニックに行ったりスキーに行ったり。
そうやって過ごした数年間だったから、妻たちにとっては、“会社の同僚”というよりは、まさに“クラスメート”に近い感覚なのかもしれない。
なので、何年かに一度の名古屋での同期会の誘いがあっても、妻としては、行きたい気持ちはやまやまでも、休暇をとる煩わしさや費用のこと、亭主への遠慮などで、しばし逡巡するのであった。会いたい人がいるのなら、それはぜひ会ってきたほうがいい。「行って来いよ」と、ボクは妻の背中を押すのだ。
そうして飛行場の出発ロビー。
名古屋からの便が今到着した。
「へえ、プロペラ機なんだな。今どき、珍しいな」
乗客を降ろしてカラになったら、燃料を補充してすぐにまた名古屋に帰っていく。
妻はそれに乗る。
「じゃ、行ってきます」
「うん、行っといで」
搭乗ゲートの手前のギリギリで、ちょっとだけ力を入れて妻をハグして、プチュッとキスをする。
日本人で、田舎者で、中年で、それらのことどもを十二分に意識しながら、あえて人前でのキスもしてみようとする夫婦、であった。
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- 2007/11/15(木) 00:56:26|
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何か大きなことをする直前になって、わけもなくそれが億劫になることはないだろうか。
楽しみにしていた旅行なのに、出かける直前になってなんとなく面倒くさくなったり、ワクワクする結婚式の当日が迫っているのに(あるいは、結婚式の当日なのに)、急に不安というか、「いいのかなあ」…などというような、ためらいのような気持ちが心に滲んできたり…。
ボクは今から一泊で温泉の取材に出かけるのだけど、その直前になって、少し億劫になってきている。もし自分の一存でスケジュールが変えられるのだったら、今日はやめにしたい気分。
だけどそういうわけにもいかないから、とりあえず出発して、走りながら気分を切り替えていくしかない。
ま、案外、人生はそんなものなのかも。
立ち止まってばかりいては何も先に進まない。走りながら気分を切り替えていくしかないんだ。
昨日、買い物から帰ってきた女房のレジ袋を覗いてみたら、男物の髪染めが入っていた。
ボクは、年齢のわりにはふさふさとした黒髪がささやかな自慢だったのだけど、ある時期から急に白髪が目だち始めてきた。
最初のころは自分でそれを受け入れられなくて、必死に隠すように女房に頼んで髪を染めてもらっていたのだけど、まあ、ロマンスグレーというほどカッコ良くはなくても、歳相応に白髪まじりの頭も悪くないなと、最近はほったらかしにしていた。
どっちみち、髪を染めるにしても女房の手を煩わせることになるので、女房がヒマで機嫌がいい時でなければならず、こちらから予定を決めて髪染めするのも面倒くさくなっていた。
そうしたら、頼みもしないのに彼女のほうから髪染めを買ってきたので、彼女なりに、“そろそろ染めごろね”と、思ったのかもしれない。
夕食のとき、女房が聞いてくるのである。
「今夜、お風呂入るでしょ? 何時に入るの? 10時半? だったら10時にこの部屋に来て」
ずいぶんと意味深なことを言う。
最初は何のことか分からなかったけど、どうやら、風呂に入る時間を決めて、そこから逆算して髪を染める時間を決めようということらしかった。
そういうことなのだろうと独り合点して、「なぜ10時なのだ? 10時に何があるのだ?」とも聞かず、「分かった」とだけ答えるのだった。
久しぶりにボクの頭が真っ黒になった。
今朝、仕事に出かける女房が、助手席から運転席のボクの頭を手グシして、「少し黒過ぎたかしら」などと言っている。
「そんなこともないよ」と、ボクは答える。
「そうよね。シャンプーしているうちに明るくなってくると思うし」などと、気休めのようなことを言う女房。
さてと、それではボチボチ、ボクも出かけますかな。
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- 2007/11/13(火) 10:59:25|
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飛行機に乗るたびにマイルを貯めれば、一定のマイル数で飛行機にただで乗るチャンスが得られる。
旅好きにはこれはおいしい。
それで、とりあえず、ANAとJALのマイレージカードを持つことにした。
ところが津島は、実際にはそれほど飛行機には乗らない。
去年はANAで新潟から福岡に一往復しただけだった。
一昨年はエア・カナダでニューヨークに往復したのでこの時はずいぶんマイル数を稼いだ。このときのマイルはスターアライアンスでANAのマイルに付け替えた。
今年のブラジル行きはコンチネンタルで、これはANAともJALとも提携関係がなく、かなりのマイル数になるはずなのになかなか上手く生かせない。生かせる可能性があるとすれば、同じスカイチームの大韓航空でソウルに飛ぶくらいか。
コンチのマイルは、帰ってきてから事後申請したので、まだどれくらいのマイル数になっているのか分からない。
さて問題はANAのマイルだ。
今、11,000マイルほどで、あと4,000マイル稼げば国内線をタダで一往復できるのだけど、頻繁に飛行機を利用する人ならともかく、津島に今から4,000マイルは、あまりに遠すぎる。参る。
しかも、今あるマイルの大半は来年の3月で失効してしまうのだ。
もったいない。もったいなさ過ぎる。
すごくいい女から「デートしてあげていいわよ」と言われてるのに仕事で忙しくて時間をつくれないでいるようなもんだ。
国内線タダの旅は諦めるしかないのか。
なんか救済措置はないものかと、ANAのサイトを覗いてみたら、ありましたがね。
空の旅は無理でも、10,000マイル以上であれば、カタログの中から好きな商品をもらう方法が一つ、もう一つは、10,000マイルを電子マネーにしてプレゼントするというのだ。
ANAのマイレージカードにはEdy機能がついている。それに、1万円分チャージしてくれるというのだ。1マイル1円というわけだ。
うむ、これはありがたい。金欠気味の昨今、自由に使える1万円というのは大いに助かる。
ただし、秋田では、秋田空港のカウンターでしか手続きが出来ない。市内から秋田空港はちょっと遠い。1万円だけのためにのこのこ出かけていくのもなあと思ったけど、背に腹も代えられない。
で、週末、行ってきました、秋田空港のANAカウンター。
ああ、ありがたやありがたや。助かるなあ、1万円。
「そんなわけだから、Edyの使える店でだったら奢ってやってもいいぜ」と、中途半端に気が大きくなっている津島であった。
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- 2007/11/12(月) 02:07:48|
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「今日あたり、ヨリミチできる?」
会社が終わるころを見計らって、そんな電話が携帯にかかってくるのである。
そろそろそんな電話があるころだと予測していた時期なので、「ちょうど同じことを考えていたよ」などと、べんちゃらを言う。
彼女のマンションから一ブロック先の角にクルマを止めると、小走りに駆けてくる彼女の姿がルームミラーに映る。
「いつもありがと」
「いやいや、こちらこそ」
符丁のようなあいさつを交わし、クルマを郊外のショッピングモールに移す。
そこのスーパーで、ボクたちは簡単な食事の買い物をする。傍目には、勤め帰りの夫婦の買い物風景にしか、映らないかもしれない。
調理道具や食器のある場所に行くわけではないから、買うのはごくごく簡単な出来合いのものばかりだ。たとえばそれは、パックの寿司であったり袋菓子であったり缶入りの飲み物であったり。
誰か知っている顔に出くわさないかと少し警戒しながら、しかし、遠足の前夜におやつを買う子どものように、どこか喜々としたものが胸の内にある。
レジで二人ともが財布を出してどっちが払うなどと言いあうのも妙な光景なので、ここはボクのほうが超然として、レジの先でただ所在なく立っていたりする。
会計の時に財布を覗いていた彼女が、「あれ。ねえ、100円ない?」となどと目線も上げないまま言ってくるので、ボクはすぐに自分の財布を取り出して、「うん? 100円でいいのか?」などと応じるのである。
その夜、この男と女には、記録に残らない空白の時間が訪れる。わずか2時間あまりの短い時間だが。
その2時間あまりののち、現実に戻らなければならないときが迫り、建物の外に出る。
するとそこはすっかり夜の帳が下りているのだ。
来た時はまだ日の光が残っていたから、なんだかちょっと奇妙な気分になる。
それはちょうど、明るいうちに映画館に入って、映画を観終わって外に出たらすっかり暗くなっていた時の、あの不思議な感覚に似ていた。
マンションの一ブロック手前の角のクルマの中でボクたちは軽いベーゼを交わし、そしてまた二人は現実の時間に戻っていくのである。
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- 2007/11/11(日) 13:25:22|
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『永遠の嘘をついてくれ』
ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便は まだまにあうだろうか
片っぱしから友だちに借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろう
ニューヨークぐらい
作詞・作曲:中島みゆき 歌:吉田拓郎
このところ、拙ブログに“永遠の嘘をついてくれ”というフレーズの検索でお越しになる方がずいぶん多いんです。
ほぼ毎日、一日に一人か二人は必ず。
何か今、この歌が巷でちょっとした話題にでもなっているのでしょうか。
それとも、中島みゆきや吉田拓郎というアーティストに、今でも多くの人の関心や興味が寄せられているということなのでしょうか。
実は、津島のiPodにもこの曲は入っています。拓郎は好きだし中島みゆきは好きだし、それでもって津島の好きな街ニューヨークが出てくるのだから、これはもう、感情移入せずには聴けません(^^;
何か小さなウソをそっと抱え込んでいるとき、その後ろめたさに堪えきれなくなり、懺悔のつもりで白状してしまうことがあります。
でも、ウソの内容によっては、白状されたことによって却って激しく傷ついてしまうこともあります。
一度聞いてしまったことは、生涯記憶から消し去ることは出来ません。ずぅっと、心の隅っこに引っ掛けながら生きていかなければなりません。
そんなことならば、最後までウソをつき通してほしかった、などと思ってしまうわけです。
それが時には本当の“優しさ”になることだってあるんです。
津島には二人の子どもがいて、どちらも成人しています。
それとは別に、幼稚園の年長さんの子どもがいます。女房は、その子のことは知りません。
ボクは、ボクの周りの人々にはすべて対等に愛情を注いでいるつもりなので、妻の知らないところにもう一人の血のつながった子どもがいることを、やましいことだとは思っていません。
ただ、一つだけ苦しんでいるのは、その事実を妻に打ち明けるべきかどうかということです。
やましいつもりはないので、堂々と打ち明けたほうがいいような気もするし、「いや、これは自分の中で折り合いをつければいいことであって、女房には最後まで知られないままでいたほうが、女房の心の平和のためにもいいのではないだろうか」などとも考えてしまうのです。
…な〜んてね、もう十分な生殖能力もないくせに、もしそんなことになってしまったらどうしよう…などと、ありえない妄想に耽っている津島です。
ああ、粉雪のニューヨーク、行きてえなあ…
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- 2007/11/08(木) 14:17:45|
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「…ねえ」
「うん?」
「足が冷たいのよ。そっち、行っていい?」
「構わんけど、オレはイビキをかくぜ」
「平気よ。あたしは寝付きがいいんだから。きっと、全然覚えてないわ」
「で、オレはどうすればいいんだ?」
「そっちむいて、横向きに寝ててくれればいいの。ちょっと膝を曲げてね。そうすれば、あたしが後ろからくっついて寝るから」
「キミに背中向けてていいのか?」
「いいの。ほら、自転車かオートバイの後ろに乗せてもらっている感じよ。男の人の背中にしがみついていると、なんだかとっても幸せな気分でいられるのよ」
「いろんなオトコの背中にしがみついてきたんだ」
「やぼなことは言わないの。オトコの人だって、まんざらな気分じゃないでしょ? 女の人に後ろからしがみつかれたら。おっぱいが当たってる感触もあるし。うふふ」
「うん。運転どころじゃなくなるな」
「あらこわい」
「やっぱ、布団の中では向き合って寝たほうが…」
「いいから、そっち向いて寝るの!」
「はいはい」
背中を向けて寝ていれば、夜半に流すオンナの涙に、オトコは気がつかない。
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- 2007/11/08(木) 00:27:34|
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みなさん、最近、いいキスしてますか?
我が家の場合は、女房と二人で寝室にいるときなど、彼女が、何か違う行動に移ろうという刹那、まるでこちらの隙をつくような、不意に唇を奪うようにしてボクにキスをして、そして何ごともなかったように次の行動に移っていく。ボクもボクで、何ごともなかったようにそのままテレビを見続けていたりして。
そんな、さりげないキスができる感覚も、ボクは嫌いじゃないです。
映画を観に行ってきました。
というより、“映画館に行ってきました”。
今の時代、観たい映画があれば大抵はビデオやDVDで観られるし、うまくすればテレビでも観られるわけで、映画館に足を運ぶ機会というのはめっきりなくなってきたのだけど、映画館という空間には、またそれなりの独特のオモムキがあるわけで。
観た映画というのは、「ニューシネマパラダイス」です。
地元の新聞の映画館情報を見ていたら、駅前のショッピングビルの中にある小さな映画館で「ニューシネマパラダイス」をやっているというのです。
ボクが自分の好きな映画として必ず挙げる一作。
しかも、旧作だからか、料金は一律千円。
作品自体は、観たくなればそれこそビデオかDVDでいつでも観られるのだけど、“映画館で上映している”ということに、とても惹かれてしまったわけです。大好きなこの映画を映画館で見られるチャンスなんて、そうそうないだろうと。
ちょうど、追い込みの仕事が一つ片づいたところなので、今なら映画館に行く時間はつくれなくもない。
この映画の日本での初上映は1989年12月。
最初にどこでどんな風にしてこの映画を観たのだったかは忘れてしまったのだけど、とにかく一遍で気に入って、ずぅっとボクの好きな映画の一つに数えていたのでした。
なので、あらすじは大体分かっていたし、ラストシーンなんかはすごく泣けるという記憶があり、今回も多分ボクはそこでちょっぴりウルウルしてしまうだろうなと、予想していたわけです。
ストーリーの大体の流れが分かっているから、筋を追うことに必死になることもなく、今回はディテールを細かく観察することもできました。
たとえば、主題自体にはまったく関係のないところの脇役の芝居で、最初映画館で見初めた若い男女がいて(この作品には、映画館内のシーンが何度もくり返し出てくるのだけど)、しばらくするとその二人は結婚していて、さらにしばらくすると子どもができていて、ラストシーン近くには、すっかり老け込んだ二人が、さりげなく画面に登場するのです。そういう“仕掛け”があったことは、今回初めて気がつきました。
感動の不朽の名作であることは誰でも認めるところだけれども、「実によくつくられている」というのが、今回観た感想でした。それでもって、やはりラストシ−ンでは、ウルッとさせられるわけです。悪くない涙です。
そうそう、終盤に出てくるこういうシーンも、よくつくられているなあと思いました。
主人公が30年ぶりに故郷に戻ってきます。
年老いた母親は家の2階の椅子に座って編み物をしています。
“ブー”と、門のベルが鳴ります。
年老いた母親は、その瞬間編み物の手を止め、「トトだ。あたしには分かる」と言って、そわそわと椅子から立ち上がります。
編みかけの編み物は椅子の上に置くのだけど、慌てていたので毛糸玉は自分の服に引っ掛けたまま。
母親は部屋を出て階段を下りて玄関に向かうのだけど、毛糸玉を持ったままなので毛糸が引っ張られて、編みかけの編み物がドンドンほつれていくのです。
カメラは、その、ドンドンほつれていく編み物だけを写しているのです。そして次の刹那、ほつれが止まる…。
つまり、母親が玄関の外までたどり着いて、30年ぶりに息子トトと、その瞬間再会したわけです。
部屋の中を写していたカメラは、窓のところまで移動して、玄関の前で抱き合う母子を俯瞰で写します。その母は、白い毛糸をずっと引きずったまま。
毛糸を引きずったままの年老いた母親の滑稽さが、いっそう切なさを募らせるわけです。
いや実によくできている映画です。
ああ、やっぱ、いい映画はいいなあ。
シチリア島に行ってみたいなあ。そういえば、『マレーナ』もシチリア島が舞台だったなあ。
シチリア島、惹かれるなあ。行ってみたいなあ。
おっと、一人で感情移入してしまって、すっかり忘れてました。
最初にキスの話をしたのは、この映画が、“キスシーン”というものを縦糸にもってきているためなんです。
まだ観たことのない人は、ネットなんかであまり予備知識を仕入れず、いきなり観てください。
最初のほうで出てくるキスシーンがらみのエピソードが、ラストシーンでどのようにつながってくるか、ウルウルしながら楽しんでもらえたら幸いです。
もう一度聞きますけど、いいキスしてますか?
キスくらいはちゃんとしないとダメですよ。
たとえば飛行場で、送ったり送られたりするときに、「それじゃあね」と、最後の最後にプチュッとキスをする…。ああいうキスはボクは好きだなあ(^^;
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- 2007/11/06(火) 23:44:27|
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質問したいのだけど、パソコンのハードディスクがクラッシュして泣いた経験というのを、皆さんはお持ちですか?
パソコンに詳しい知人に聞いた話なのだけど、「ハードディスクは消耗品と考えるべきで、いつかは必ず壊れるものだ」…と。
デジカメ時代になってから、仕事の写真も趣味の写真も、当然ハードディスクに入れているわけだけど、もしハードディスクが簡単に壊れるものであって、ある日突然クラッシュして、それまでの画像データが全部取り出せなくなってしまったら、泣くに泣けません。
うちの場合も、最初はPC内蔵のHDDに写真を入れていたのだけど、最悪のことを考えると保険をかけておかなければならないなと、一つの筐体に二つのHDDが入っているミラーリング対応の外付けHDを買ったわけですわ。
これで、一つの写真データを同時に二つのHDDに記録して、仮にどちらかのHDDがクラッシュしても、もう一つのHDDのほうでデータを消滅させずに済む可能性が高くなるわけで。
自分にとって写真(のデジタルデータ)は、仕事上の一番の資産であるのと同時に、あんなことやこんなことの想い出のよすがでもあり、それが機械的な障害で一瞬にして消滅してしまうのは、あまりにも堪え難い。(この点が実はデジタルフォトのアキレス腱の一つかもしれないですね。余裕をもってバックアップを取っていればいいことなんですが)
今の時代、身の回りには便利な機械がたくさんあって、それらがなしには生活できないほどになってしまっています。
同時に、なんだか、そういう機械に振り回されてしまっているようなところもあり…。
ハードディスクのクラッシュを常に心配していなければならないというのも、そんな理不尽の一つですね。精神衛生上、実によくないことです。
精神衛生上と言えば、実は津島は今、電話のベルにちょっとナーバスになっています。
たぶん、今ちょっと自分はスランプなのかもしれないのだけど、原稿書きがあまり捗らず、少し焦っているのです。書けないことで更に自己嫌悪に陥ったりして。
そんな状態で激しく煩悶しているときに、ジリリンといきなり電話のベルが鳴ったら、それだけで飛び上がってしまいそうになるし、ただでさえ危うい集中力が、いっぺんに霧散してしまいます。
そんなわけで、固定電話は呼び出し音が鳴らない設定にしてしまいました。大事な用がある人は留守電に吹き込んでくれるだろうから、特に問題はないはずです。仕事関係のほとんどの電話は直接携帯のほうにかかってくるし。
固定電話をその設定にしてから一週間ほど経つのだけど、未だに留守電には何も吹き込まれていません。あまり重要な用件でないか、おおかたセールスの電話なんでしょう。ほんと、なんで“電話セールス”ってのがあるんだろう。めちゃくちゃ効率の悪いセールス手法だと思うのだけどね。
オペレーターがかけてくるのだって迷惑千万なんだけど、中には、録音したものでかけてよこす会社もあったりして。「ふざけんなっ!」って、いきなり受話器を戻します。こういうのはむしろセールスとしては逆効果だと思うのだけどね。
昨夜、急に思い立って、携帯の着メロも変えてみようと思ったのですよ。
何かとイライラすることの多い昨今だから、せめて携帯の着信音だけでも爽やかな気分で聞きたいものだなと。
狙ったのは、ボクの好きなショスタコーヴィッチの「セカンド・ワルツ」。
そんな楽曲が着メロコンテンツにあるかどうか分からなかったけど、検索したらありました。情報料105円だったけど、これで心安らかになれるんだったら安いもんです。
携帯に電話がかかってくるたびにセカンド・ワルツ…、ああ、悪くないなあ。慰められるなあ。
着メロなんて…ってバカにしていたけど、気持ちがすっきり晴れないときなんかは、自分が一番ココロを“許せる”楽曲にしてみるのも、けっこう気分転換には悪くないかもね。
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- 2007/11/06(火) 00:16:18|
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繰り返し白状しているが、津島の稼ぎは悪い。
泊まりがけの温泉取材があったり、経費全部クライアント持ちの海外取材があったりして、部分部分を抜き出すとちょっと美味しい仕事もあるのだけど、全体で見るとやっぱり稼ぎは悪い。
一番大きな原因は、自分にビジネスセンスがないということだろう。
自由業なのだから、やり方次第では面白いくらいに自分の思い通りの仕事ができて、稼ぎたいだけ稼げそうな気もするのだけど、他人に提供するアイデアはいくらでも思いつくのに、自分のことになると、てんで意欲もアイデアも湧かない。
たとえばガンガン仕事をとってきて、寝る間も惜しんで仕事をこなせば、小粋な外車を乗りこなせるくらいのリッチな暮らしもできるのかもしれないけど、どうしたわけだか、ココロがそういう方向にシフトしない。
そんなわけだから、未だに中古で買った安い国産車を、しかも去年の秋にちょっとした接触事故を起こしてフェンダーがべこべこになっているのに、修理代を工面するあてもなく、そのまま乗っているのだ。
蛇足で言えば、そのときは妻ならぬ女性を助手席に乗せていた。心浮き立つドライブになるはずだったのに、とんだミソをつけてしまったものだ。事故そのものは軽微なものだったし、全部保険で済ますことにして、こちらにはさほどのダメージはなかったのだけれども、こちらから事故を起こしておきながら、助手席にいる女性が何もアクションしないのも不自然なので、ボクは彼女にそっと小声で、「すまないが、ここは一つ、ボクの女房になり切って小芝居をしてもらえないか」と、お願いしたのだった。それで彼女は、「ほんとにすいません」などと、ボクと一緒に頭を下げてくれたりしたのだった。以上、蛇足終わり。
その時のドライブは、接触事故のことを除けば、比較的順調に、楽しいものになったのだけど、やはり同じ頃、短期間で百ヶ所ほどを取材して逐次原稿を書き上げていかなければならないというハードな仕事を抱えていて、しかし、取材は粛々とこなしつつも、書くほうはスランプに陥ってしまったのか、全然原稿が捗らない。目の前に仕事がたまっているのにそれを消化できない自分の不甲斐なさに落ち込み、ノイローゼ寸前だった。いや、もうノイローゼ状態だったのかもしれない。
こなさなければならない仕事の山と、それをこなせない自分とのギャップで、人は“鬱”になっていくのではないだろうか。
ボクは、自分自身、“鬱”予備軍だと思っている。あともう少しだけ無理をしてしまったら、ボクは覿面に鬱になる。
ほんとの鬱になってしまったら、それを克服するのは大変なのだろうなと、実際の事例を見聞きしていて思う。だから、ボクは、ギリギリのところで、鬱にはならないようにと踏ん張っている。仕事ができないダメな自分や、稼ぎの悪い自分を(甘やかすわけではないけど)、いたずらに追いつめるようなことは、自分からはしたくないと思っている。
ボクの女友だちや、仕事で知り合った女性たちには、とても“頑張る”人が多い。
深夜と言っていい時間に、東京の編集プロダクションの女性からメールが入ることがある。「ひぇー、こんな時間まで会社で働いているのか!?」
男であれ女であれ、東京ではそれくらいのこと当たり前なのかもしれないけど、あまり頑張り過ぎて、いつの間にか鬱になってしまったり、“自分は何のためにこういうことをしているのか”といった迷路に陥ってしまうのではないかと、ひとごとながら心配になってくるのだ。
楽して稼ぐ方法なんてのは世の中にはないのかもしれないけれど、頑張ることとココロにゆとりを持って生きていくこととのバランスポイントを、うまくみつけなければねと、思うのだ。お互いに。
編集プロダクションの彼女の場合、やはり、日々がちょっとしんどいみたいで、「私は秋田が好きです。今度秋田に行くときは、お酒につきあってくださいね」などという私信を、業務連絡の最後に付け足してよこす。半分は社交辞令かもしれないけれど、ボクは、「おうおう、酒はもちろん、あなたの行きたいところにどこへでもクルマでご案内しますぜ」と、返事をしてやる。
人には、“ココロののどかさ”が必要だと思う。
霞を食って生きていくわけにはいかないので、食える程度の稼ぎは不可欠だけれども、仕事という魔物の奴隷になって生きていくのではなく、“ココロののどかさ”を見失わない生き方は、希求し続けたいと思う。
彼女がほんとうに秋田に来るかどうかは分からないけど、来るんだったら、「のどかな生き方も悪くはない」という実感をお土産に持たせて、東京に帰してあげたいと思う。
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- 2007/11/04(日) 14:32:56|
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たまに、…というか、ほとんど忘れたころに、メールをくれるヒトがいる。
昔親しくしていたことのある女性からだ。
「ご無沙汰していました」などという通り一遍な書き出しではなく、いきなり「ねえ、…」などと、まるで、ずっと、昨日もおとといもメールをしていたかのような、なれなれしげな書き出しだ。
突然のそのヒトからのメールにボクは少しドギマギしながらも、そんな気持ちの高揚はおくびにも出さず、「ああ、それはね、…」などと、ずっと二人の間で続けていた話の、その続きに過ぎないような口調でメールを返してやる。
ずっとずっと、つながっていたいと思っていたのはボクのほうだ。
でも、お互いに、のめり込む恋ができる身分ではないことを知っていたから、いつも左足を半分ブレーキペダルに乗せながらドライブをするような、そんな二人の時間だった。
言葉ではっきりと確かめたわけではないのだけど、思っていたよりも遠くまで“ドライブ”に来てしまったことを不安になったのか、そのヒトは次第に逡巡の表情を見せることが多くなってきた。
そうであるならば、二人の“ドライブ”もそろそろ潮時だ。真っ暗闇になって帰り道が分からなくならないうちに、そのヒトを家まで帰してあげなければならない。
メールをすれば、こちらだけが未練たらしく引きずっているようで(それは事実なのだけど)、そのヒトを困惑させるだけだと思ったから、よほどのことでもなかったらメールも控えていた。
きっとこれは、ゆっくりとゆっくりと、フェードアウトしていく関係なのだろうなと、思っていた。
それだのに、不意にまた、そのヒトからの、何ごともなかったようなメールが届くのだ。
寒くなっていく季節の、人恋しい侘しさがそうさせるのか。
ああ、このヒトの中では、まだ少しはボクとつながっている気持ちがあるのかな。
だけど、ぬか喜びはよそうと思う。
ボクたちはもう大人なのだから、するならば“大人の恋”だ。無邪気な恋はもう卒業だ。
不意に届いたそのヒトからのメールにボクは、「なんだよ今ごろ」と突き放しもせず、さりとて、「待ってたんだよ〜、キミからのメール!」などとはしゃぎもせず、ただただ、“キミの望む距離のところにいつもボクはいます”というメッセージが伝わるように、言葉を選び言葉を選び、つとめてさらりとした文章のメールを、返してやるのだ。
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- 2007/11/02(金) 21:48:46|
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