津島修三ブログ

カメラマン兼ライター津島修三のブログ

恋愛の品格

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ブログのネタに使いたいからと、彼女を岩の上に立たせ…
おっと、このフレーズは前回使ってしまいました。

唖然としてしまった。
参院女性新人議員にまつわる不倫報道。
記事の内容や書かれた人物についてではなく、そんなことを暴露する相手の男と、それを大スクープのごとく取り上げるマスコミに対して。
情けなさすぎる。
記事になるまでにどういういきさつがあったのかは知らないが、なぜこれほどのひどい露悪趣味に走らなければならなかったのか。
一番疑われるべきは、この男性のほうの人間性ではないのか。まっとうな恋愛者のすることではない。
結果論で言えば、女史自身にも「男を見る目がなかった」と言えなくもないが、それもまた酷な言い方になるかもしれない。
どんなにうまくいっていた恋であっても、途中からゆがみが生じてくるのも珍しいことではないのだ。
あるいは、彼女自身、最初はうまくいっていたのに途中からなんだか雲行きが怪しくなってきたのを危惧して、自分からその恋にピリオドを打ったのかもしれない。そこまでは賢明だった。
ただ、そうなったときに、相手はしばしば、報復をちらつかせたりする。そんなことで離れていった人の歓心を取り戻せるわけはないのに、スマートな恋が出来ない人々の往生際は、すこぶる悪い。
仮に自分が捨てられる側であったとしても、それは自分の側にも問題があったのかもしれないし、あるいは、はっきりとした問題はなかったとしても“相性”の問題でしっくりいかなかったのかもしれないし、それはもう運命としてすっぱり(心の中で未練は引きずるとしても)諦めるしかないのだ。少なくとも、逆恨みするような筋合いのものではない。恋に破れた程度で逆恨みするようでは、そもそも恋をする資格などないのだ。なぜ楽しかった思い出をわざわざ自分の手でぶち壊してしまわなければならないのか。あるいは、最初からそういうただの愉快犯だったのか。人が困っている様子を見て溜飲を下げるという“性癖”の。

恋愛にも品格というものがある。(たとえ“不倫”と括られる形態の恋愛であっても)
ベッドの上ではあられもなく淫らに、そしてベッドの外では人間として惹かれ合う者同士として、ココロとカラダでバランスよくしっかりとつながっていたい。
恋をするなら、そういうスマートな恋をしたいものだ。
 
 

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  1. 2007/08/31(金) 15:48:00|
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湖愁 〜サラ・ブライトマンを聴きながら〜

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湯治場の朝は早い。
5時を過ぎる頃にはざわざわと人の動き回る気配がしてくる。
前の晩、テレビもネットもなくて早めに布団に入っていたから、こちらも珍しくそんな時間から起きてみようかという気になる。
普通の温泉の取材では、興が乗らないと一度も風呂に入らずに帰ってくることもあるのだけど、黒湯温泉はボクの大好きな温泉だ。滞在中何回となく繰り返し風呂に入り、体中硫黄臭でぷんぷんとさせるのだ。
起きたらまず洗顔代わりに風呂だ。
混浴の湯小屋に行く。ボク一人。
湯小屋の中の湯船でまったりしていると、浴衣を着た若い女性が湯小屋の中に入ってきて、「おはようございます」とボクに小さく挨拶をして、そのまま湯小屋の外の露天風呂のほうに行った。
ほどなくしてから、どうしているのかと彼女の様子を見てみたら、浴衣の裾を太股の辺りまでたくし上げて(昔の少女がゴム跳びのときにスカートの裾をパンツの裾に巻き込んでいたように)、足湯のように太ももまで湯船に浸かっている。
ボクは素っ裸だったけど、ここは混浴だから彼女に遠慮する必要はない。
腰の周りをタオルで隠しただけで彼女の入っている湯船にボクも入っていく。
そうして、言ってやったのだ。
「入っちゃえばいいのに」
「えぇー、でもぉ…。うーん、入っちゃおうかなあ。うん、よし、入ろ!」
そう言って、覚悟を決めて、彼女は入ったのである。浴衣のままで。

おいおいおいおいおいおい…
入っちゃえばいいのに…とは言ったけど、「そのまま入ればいい」って意味じゃないって。
言葉のニュアンスから、関西人のようだったけど、まったく無茶しよんなあ、関西人は…。
早朝のこととて他に入浴客もおらず、彼女の奇妙な行動は他の人の目に触れずに済んだのがせめてもの救いだったけど、まったく、朝っぱらから度肝を抜かされた。
素っ裸の中年男と、びしょびしょの浴衣の若い女性は、そのまま混浴露天風呂の中で言葉を交わす。
「このあとどうするの?」
「国見温泉に行きたいと思ってるんですけど」
「どうやって?」
「歩いて山を越えるとかして」
「無理無理。行って行けないことはないけど、いつ着くか分からないよ。車もないんでしょ? 移動手段のない人がここから国見温泉へはちょっときついんじゃないかなあ」
「そうなんだあ。じゃあ諦めてここにもう一泊しようかな」

ボクが先にあがり、しばらくしたら彼女がボクの部屋の前を通りかかったので呼び止めてみた。
「ボクは9時頃チェックアウトするつもりだけど、そのあとはヒマなので、よかったら国見温泉に連れて行ってあげようか?」
「本当ですか? いいんですか? じゃあ、ぜひお願いしますぅ!」

そうして、ボクのチェックアウトに合わせて、彼女がボクのクルマに同乗して宿をあとにした。
彼女の希望で、田沢湖畔を回り、抱返り渓谷に寄ってから途中で食事でもして国見温泉に行くことにした。
このあたりはラジオの電波もあまりよく届かず、カーラジオのチューニングもうまくいかなくてCDに切り替えた。
「あ、すみません、それ、誰ですか?」
「うん? サラ・ブライトマンじゃなかったかな?」
「うわあ、大好きなんですぅ。音、大きくしてもらっていいですかぁ?」
まったく、屈託のない人だ。
大音量のサラ・ブライトマンを流しながら、ボクらは田沢湖畔の周回道路をクルーズする。
いくらなんでもこちらの素性が分からないと気持ちが悪いだろうと、ボクは最初に自分の名刺を渡したけれども、彼女の素性については、結局最後まで名前も歳も仕事も居住地も聞き出さなかった。
話の端々から、関西の人間であること、三十代半ばであることは分かったが、それ以上はあえて掘り下げなかった。彼女の一人旅の理由(わけ)も、問わず語りに聞かせてもらったけど、それはここでは触れずにおこう。
「ボクのブログのネタに使いたいから、写真を一枚撮らせてもらえないか」と、湖畔の岩の上に立たせてみる。
そして、クルマの中、渓谷の遊歩道、ボクらは、仕事のこと、結婚のこと、人生のことなど、大いに饒舌に語り合ったのだ。

国見温泉の憧れの緑色の湯にたっぷりと浸かったあと、満足したのか、帰りのクルマの中でコクリコクリと居眠りを始めるのだ。
寝てしまっている自分にはっと気づいて、「あ、すみません。ごめんなさい」などと言っている。
「いいよいいよ。着いたら起こしてやるから、寝たいだけ寝てればいいさ」

黒湯温泉の駐車場まで戻り、彼女をおろして、「じゃ、元気で旅を続けてくださいね」と、軽く握手をして別れる。
ルームミラー越しに振り返ると、彼女はいつまでも手を振っていた。

帰宅の予定時間が少し遅れてしまい、ボクは女房の機嫌を損ねないようにと、ちょっとスピードをあげて家路についたのだった。
 
 

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  1. 2007/08/29(水) 23:42:05|
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ゆずりは

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息子が結婚して我が家で同居生活をしたいと言った時、我が家には死んだばあさんが隠居部屋に使っていた一番小さな部屋しか残っていなかった。あまりに狭すぎて新婚生活向きではなかったけれども、まあ贅沢なことも言えないし、先のことはまたあとで考えるとして、とりあえずその部屋で息子夫婦は新生活のスタートを切ったのだ。
ただ、いずれは彼らにも子どもが出来るわけで(つまり、津島は爺さんになるということ)、そうなるといくらなんでもあの狭い部屋ではまずいだろうと。
そこでしばし思案して、「だったら、いっそのこと、オレたち夫婦の部屋とお前たちの部屋を交換しようか」と。
ボクらの部屋は十畳ほどもあって、夫婦二人の居室としてはむしろ無駄に広かった。
部屋の交換には女房も異論はなかった。どうせボクらは部屋では寝るだけだから、どんなに狭くたって全然問題はなかった。
(ちなみにこの時、ボクは女房に「少し激しいセックスが出来るくらいのスペースがあればそれだけで十分だよな」と言ったら、後頭部を殴打された)

そんなこんなで、ふた夫婦が時間が取れる土日で一気に部屋の交換作業となった。早い話が、引っ越し作業だ。なんだかんだいってずいぶんな荷物の量だ。タンスを一旦窓から外に出して、それを隣の部屋の窓からまた中に入れたりする。大仕事。
最初にするのはまず寝る場所の確保だろうと、ボクらのセミダブルのベッドの位置を決めて、それからタンスやら小物やらの入れ替えとなった。
進捗率40%くらいのまだ散らかったままの新しい部屋で、土曜の夜にボクらは新しい部屋で寝た。
ああ、この狭さはなかなか悪くないな。なんだか、駆け落ちしてうらぶれた木賃宿におさまっているみたいな気分だ。

まだ全部は片づいていないけれども、日曜の夜になって大きな家具はひと通りおさまり、ボクら夫婦もちょっと新鮮な気分で、今夜からこの部屋で生活を再スタートさせるのだ。
全部の家具を入れてみると、いよいよ本当に狭い。
ちょっと、激しいセックスは無理っぽい。
(する予定はないけど)
 
 

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  1. 2007/08/27(月) 23:04:20|
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心にピストル

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“ひとごと”じゃねえよなあ…と、思うのである。
かつてはとても親密にしていたはずのヒトが、このごろなんだか冷たくなったように感じられて、自分から気持ちが離れていってるのだろうかと勘ぐり始めてしまうと、にわかにそのヒトへの憎しみが増してくる。
さすがに撃ち殺そうとまでは思わないけれども、すごくそのヒトを責めたくなる気持ちを、抑えきれなくなってしまうのだ。
そして、そういう心のラビリンスに陥っている自分に気づいて、慌てて、「いかんいかん。オレは彼女を“愛し続ける人”でなければならないのだ。仮に彼女に心変わりがあったのだとしても、だからといってオレは彼女を“傷つける人”に豹変するわけにはいかないのだ」と、かぶりを振って必死に、ちゃんと彼女を愛せていた頃の自分に戻ろうとする。

自分の手で幸せにしてあげられないのは辛いけれども、どこかで彼女が幸せでいられるように、祈ってやるしかないのではないのか。
失速しそうになっている恋を墜落させずに無事に軟着陸させるには、そういう心持ちしかないと、思うのだ。
 
 

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  1. 2007/08/26(日) 00:49:17|
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さらば青春

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この夏の、「青春18きっぷ」の旅を諦めた。
今度は西のほうに、行けるところまで行こうと、毎晩ベッドに入ってから時刻表広げて旅をシミュレーションしていたのだけれど、9月の末に十日ほども家を空けなければならない長い出張が決まり、この上18きっぷの旅をしていたら、月の半分以上も旅の空の下といった塩梅になり、なんだか想像しただけでもぐったりくたびれてしまった。

泳ぐのをやめると死んでしまうマグロのように、旅をしていないと窒息してしまいそうになる体質だけれども、仕事の出張も旅には変わりないし、出張で長旅が出来るんだったら、18きっぷの旅の楽しみはあとに残しておいてもいいんじゃないかと。
それでなくとも、このあとも盛岡だの仙台だのと細かい出張が目白押しだ。
「あ、そういえば黒湯温泉にも一泊しなければならないんだっけ」…と、忘れていたスケジュールを不意に思い出して、忙しさに悲鳴を上げるような表情を見せたら、横にいた女房が「それも仕事なの?」…と、珍しくウタグリのまなざしを向けてきた。
いろいろな口実で家を空けることが多くても、亭主が言うその口実を疑うようなことはほとんどしない女房なのだけれど、たまに「それも仕事なの?」などと聞き返されるとドキリとしてしまう。
今回だけは、あ、い、いや、もといっ、今回もっ、純然たる一人で行く取材の仕事なので、平然として「仕事だよ」と答えるのだけど、もしかここにちょっとでも女性がからんでいたら、上手にウソをつくのが得意ではないボクは、きっと大粒の脂汗を流していたに違いない。(頭の中で、中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」の熱唱が響く)

秋田の温泉としては鶴の湯温泉が全国的に有名だけれども、ボクは個人的には同じ乳頭温泉郷の中にある黒湯温泉が好きだ。
黒湯温泉は、ボクの温泉行脚の原点でもある。
若い頃は「温泉なんて…」と小馬鹿にしていたけど、結婚前に入り浸っていた飲み屋のマスター夫婦が、ボクを黒湯温泉に連れて行ってくれて、そこで生まれて初めて自炊湯治というものの面白さを教えてもらった。
それで、結婚してからも、女房子どもを連れて夏休みには黒湯温泉で一、二泊の自炊湯治を楽しむのが習慣になり、東京の友人夫婦と一緒の夏休みを黒湯温泉で過ごし、ちょっとアルコールの勢いも借りて二夫婦で生まれて初めての“混浴”を体験したのもこの温泉だった。
そういう意味では、うちの女房にも馴染みのある温泉なので、今度の取材だって、もし女房の勤めの休みが取れるのだったら一緒に連れて行ってやってもいいのだ。ていうか、亭主としては、一緒に行きたい気持ちもある。
でも、現実のスケジュールからするとやっぱ無理だろうな。

さいあく、女房のスケジュールが噛み合ないのであれば、ほかのご婦人をお連れしてもいいのだけれども、日頃「女友だちは多い」と豪語しているわりには、「じゃあ、つきあうわ♪」などと言ってくれる人は皆無なのだ。
皆無なのに中途半端に女房にウタガワレルのもなんだか妙にくやすい。

降る雪の吹きだまりになる谷間に位置する黒湯温泉は、乳頭温泉郷の中でも唯一冬季休業する宿だ。紅葉シーズンが終わるとすぐに冬ごもりの準備に取りかかる。
都会はまだ残暑厳しい日々だが、あのあたりはもう微かに秋の気配に包まれているのだろう。
ええ、ええ、女房に中途半端に嫌疑をかけられながら、一人で初秋の黒湯温泉に行ってきますよ。一人侘しく旅の宿で熱燗を手酌でもして、明け方の冷え込みで風邪の一つも引いてきますよ。一人で道に迷って熊にでも食われてきますよ。

ええ、ええ、一人で黒湯温泉に行ってきますよ!
 
 

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  1. 2007/08/25(土) 00:15:18|
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愛するとは、温度差を埋める作業

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孫に手をかけられてしまったおじいさん、好きで好きでたまらなかった人にピストルを向けてしまった男…、なんとも哀れを感じてしまう。
そして、両方に、共通するものを感じてしまう。
それは、おじいさんも男も、“愛する者”であったということだ。
おじいさんは孫息子に対してとても厳しく接していたというのだけど、それもきっと本人にとってみれば、「孫のことを思えばこそ、孫には将来立派で幸せな人生を歩んでほしいからこそ、今あえて厳しくしている」…という考えだったのだと思う。
男もそうだ。彼女のことが、好きで好きでたまらなかったのだ。だからこそ、どうしても自分の気持ちを受け止めてほしかったし、自分の気持ちを汲んでくれない彼女に対していら立ちを感じ始めていた。
そして、やはりその二人に共通するのは、愛するということを勘違いしていたことだ。
愛するがゆえ(のつもりで)厳しく接すれば接するほど孫は憎悪の炎を燃やし、愛するがゆえ(のつもりで)一緒の人生を歩もうとすればするほど疎ましがられる…。
二人とも、想いと結果が裏腹になってしまっているではないか。
多くの人は、彼らのことを笑えない。
勘違いしない愛を全うできる人は、それほど多くはない。
なぜ、少年に、「おじいさんの心優しい想いはありがたい。おじいさんの言うことだけはちゃんと守ろう」と思わせられなかったか。
なぜ、彼女に、「彼が一番私のことを理解し、愛してくれている。彼と一緒に生きる決心をしよう」と思わせられなかったか。
人はそれぞれ最初から温度差で生きている。その温度差を少しでも埋める作業をすることが「人を愛する」ということなのではないだろうか。
その温度差に無頓着なまま、あるいは、かえって温度差を広げてしまうような態度ばかりとり続けていたら、誰もあなたの愛(と自分で思い込んでいるもの)を受け入れてくれるはずがない。
 
 

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  1. 2007/08/24(金) 02:23:14|
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スーパーマーケットのマボロシ

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男は日用品の買い物にはあまり神経を使わないから、買えるんだったらどこのスーパーでも同じじゃないの?…と思うのだけど、女からみるとどうやらそういうものではないらしい。
モノは確かにいいけれどもちょっとお高いスーパーとか、とにかく安いのだけが取り柄のスーパーとか、TPOでスーパーも使い分けるのが買い物の極意というものらしい。
我が家から少し離れたところに、安さではおそらく地域一というスーパーがあって、たまの週末など、女房の運転手で食料のまとめ買いにつきあわされるのだ。
そのスーパーで、思いがけない人の姿を見た。
かれこれ20年余り前に知り合った女性だ。
男女の関係というわけではなかったけれども、まあまあ仲のいい異性の友人だった。
そのスーパーで見かけたときは、彼女の息子らしい中学生くらいの男の子と一緒だったので声をかけそびれてしまったけれども、思いがけない再会にボクはちょっとどぎまぎしてしまった。
結婚をしたのは知っていたし、その結婚で確かこの街を離れていたはずだった。
それなのに、今またこの街にいるというのは、どういうことか。
単に、転勤か何かで家族でまたこの街に戻ってきただけなのかもしれないが、少しだけ気になるのは、そのスーパーが彼女の実家の近くにあるということだ。
もしかしたら、この街に戻ってきたのは彼女と息子だけだったりするのだろうか。

週末にそのスーパーに行くと、女房の買い物につきあいながら、そわそわと店内を見回しているのだが。
 
 

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  1. 2007/08/22(水) 01:38:26|
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永遠の嘘をついてくれ

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もし嘘をつく必要があるのなら、途中でバレてしまうような下手な嘘をつくのではなく、最後まで完璧に騙し通す嘘がいい。
たとえば良心の呵責に堪えかねて「実は…」などと白状してしまうと、そのことで却って相手を傷つけてずぅっと苦しめてしまうことにだってなりかねない。
ならば、もし嘘をついたほうがいい事情があるのなら、最後まで絶対にバレない嘘をつき通すことだ。
それは卑怯なことではない。むしろ、強い優しさだと思うし、生き方としてスマートだと思う。

男と女のあいだでも、女がうすうす「嘘じゃないかしら」などと思い始めていたときに、男は、「よく分かったね。嘘だよ」などと言い切るのではなく、どこまでも「嘘じゃないってば。ほんとだってば」と言い張ることだ。その言葉がうさん臭く思われても、そうごまかしてくれたほうがまだ救われる…という女心もある。うすうす嘘だと気づきつつ、その嘘に騙され続けていたい気持ちもある。

「永遠の嘘をついてくれ」という曲は、中島みゆきが吉田拓郎のために書いた歌なのだそうだ。
この二人は、若い頃親密にしていた時期もあったのだとか。
だから、歌詞の内容は、中島みゆきが、恋人(であった)吉田拓郎に向けて発した、限りなく本音の、女の情念がまぶされている、という解釈もある。
そして去年のつま恋の夜、ステージに「永遠の嘘をついてくれ」が流れ始めると、聴衆にはなんの前触れもなく、中島みゆきがステージに登場する。激しくどよめく聴衆。
拓郎世代の人たちの多くは、それとなくこの二人の関係を知っていたのかもしれない。
その二人が今ステージに並んで立って、“訳あり”のこの歌を一緒に歌っている。
これこそ「感動もの」というものだ。
何かにつけ涙もろくなってきた津島のおっちゃんも、このシーンにはじんわりしてしまうのだ。
(今ならまだYouTubeに映像が残っているかも)

ひとつの優しさの表わし方として、できることならば最後まで嘘はつき通したほうがいい。
だけれども途中でボロが出てしまって、その嘘に激しく傷つく悲哀も、人生にはある。
傷つけたほうも傷つけられたほうも、何か重苦しいものを引きずりながら、それでもそれをバネにして、少しは強くなって、これから先も生きていかなければならないのだ。
できるだけ平穏で、いい意味での感動に包まれて生きていきたい。

こちらの好みや気分も無視して、「これ、美味しいから絶対食べてごらん」などと無理矢理目の前に食べ物を押し付けてよこすような、余計なお節介に感じてしまう“感動もの”には、ちょっと戸惑ってしまう。
どこかで延々とやってたテレビ番組のような…。
よく分かんないけど。
 
 

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  1. 2007/08/20(月) 14:28:40|
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港でいよう、と想う気持ち

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28年前、ボクは姉や兄がやたらとたくさんいる女性と結婚をした。
ボク自身は妹が一人いるだけの二人兄妹で育ってきていたので、結婚した途端にいきなり義兄や義姉がどかっとできてしまって、かなり面食らったものだ。全員の名前を覚えるのも一苦労だった。
女房の家系はどちらかといえば女系だったようで、兄弟も男よりも女のほうが圧倒的に多かった。
つまり、ボクとボクの女房、その実姉たちと連れ合いということで、その婚姻さえなければ縁もゆかりもなかったはずの男たちが義兄弟の盃を交わすことになったのだ。
20年以上総領で生きてきたのに、結婚した途端に末弟扱いで、それもなんだかめんどくさかった。それでも盆や正月に女房の実家に集合すると、酒飲み相手には事欠かず、実家でもけっこう好きなだけ酒を飲ませてくれたから、それはそれで悪い処遇ではなかった。

その義姉の一人がある年に病没した。
それはまあ人の運命だから、辛くても受け入れざるを得ないことだったけれども、一族が激しく受け入れがたく感じたことは、その義姉の連れ合いが、義姉の喪も明け切らないうちに他の女性を新しい妻に迎えたことであった。
まあ、大人には大人の事情というものもあるから、義姉の生存中からそのような女性がいたのだとしても、事と次第によってはうっすらと目をつぶってやることもできなくもない。
もしかしたら(これはあくまでも仮定の仮定だけれども)、義姉の存命中から夫婦仲はあまり良くなく、義兄の、男としての居場所のなさを支えてくれたのがその女性だったのかもしれない。そうであるとしたならば、そのように陰で支えてくれた女性を正妻として迎えてやることも、ある意味では“男の誠意”と言えなくもない。ただし、繰り返すけれども、これはあくまでも仮説の話であって、真相は当人たちにしか知る由はない。
それにしてもタイミングのはかり方がひどすぎる。見ようによっては、義姉の逝去を待ちかねていたようなタイミングだ。
このことで義兄の人望は一瞬にして失墜した。「人としてやっていいことじゃない」という声すらあがった。
へたくそだなあと思うのである。
喪があける頃を見計らって、「実はこういうヒトがいるのだけれど…」と申し出てくれれば、きっと一族は誰も“大人の斟酌”で理解を示してくれただろう。
あるいは、とことん穿った見方をすれば、それまで好意的だった周りの全ての人間を敵に回してでもその女性を後添えにもらわなければならなかった、余人には図り知れない深い深い事情があったのかもしれない。「極悪人」となじられる覚悟もあったのかもしれない。

さて、末弟であるところの津島なら、どうするかな。
今のところ、女房に先立たれても後添えにもらいたいと思う人はいない。
というか、結婚はめんどいのだ。(それも奥さんに対して失礼だけど)
女房に先立たれたら、きっとボクは当分一人暮らしを謳歌すると思う。(たまにガールフレンドの影がちらつくとしても)
うちの奥さんはとてもさっぱりした人だから、「あたしが先に死んだら、誰か好きな人と一緒になればいいよ」なんて言うだろうけど(あ、それはボクも彼女に言うだろうな。「オレが先に死んで、お前に誰かいい人でもいるんだったら、そいつと一緒に暮らせばいい」…って)、なんていうのかな、心があまり通わない夫婦であるよりは、心がかなり通い合っている友だち同士でいるほうが、人生としては心地よいわけで、要は、そういう人とのめぐり逢いがあるかどうかだね。

人は大海を彷徨う船であり、彷徨う船が折々に舫う港である。
自分自身が一人旅の果てにどこかで舫いたくなる港を欲するかもしれないし、仮に誰かがそれを望むのであればボクはそのヒトが舫う港でいたい、と想う。
 
 

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  1. 2007/08/20(月) 00:28:12|
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嗚呼、糟糠の妻 〜そして水の中〜

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最初、いくらなんでも、この話はブログのネタには出来ないなと思っていた。
シャレにならないのである。
たいていのことはカラカラと笑い飛ばせる鷹揚さを持ち合わせているつもりだが、今度だけはキレた。
シャレにならないのである。おもしろおかしくブログのネタにして笑いを取ろうなんて、そんな悠長なレベルの話ではないのだ。

ただ、時間が過ぎてこちらの怒りも少しは鎮まり、ひとまず一件落着という体でもあるので、やはりブログのネタにしてしまおうと思った次第。

それは12日の朝だった。
女房もちょうど12、13と週休にあたり、明日は実家に墓参りに行くということもあって、朝から洗濯に掃除にとテンション高く動き回っていた。
ボクは12日は高校の同期会があり、飲み会になるので会場まで女房に送ってもらうことにしていた。13日は岩手まで仕事に行くつもりでいたので、今年は女房の実家への墓参りは彼女一人で行ってもらうことにした。
そんな段取りで、「さ、今日も一日元気にいきましょうか」と、歯磨き洗顔のあと、寝室に戻り携帯電話を探した。
が、ないのだ。
「あれ? オレの携帯は?」
「どこにおいたの?」
「半ズボンのポケット」
「えっ、洗濯したわよ」

おいおいおいおい、シャレにならんだろう!
言い合っている場合じゃない。洗濯機のところまで飛んでいった。
回っている洗濯槽に手を突っ込んで半ズボンを取り出す。
ま、何も期待できなかったけれども、案の定、完全に手遅れ。
高いところから落としたとか、ちょっと雨に濡らしたとかいう程度なら携帯はどうにかなるのだ。だけど、水の中に長く浸けてしまったものはどうにもならない。電気回路がショートしてアドレス帳などのデータが全部吹っ飛んでしまう。

何よりもショックだったのは、実は女房はちょうど一年前にも同じ失敗をやらかしていることだ。
ジーパンのポケットに携帯が入っていたのに、確かめもせずに洗濯をして携帯をダメにしてしまっている。
いくらなんでも、さすがに女房も学習したことだろうと思っていたのに、今度のことで結局何も学習していなかったということが分かり、それが、情けないくらいにショックだった。
ボクは、激しく落胆した。
仕事部屋の椅子にがっくり腰をおろしてうなだれた。
少ししてから、おそるおそる女房が顔を出した。さすがに女房も、同じ失敗を二度繰り返したうしろめたさを感じているようだった。
「どうだった? ダメ? データは?」
「データなんてどうでもいいんだよっ! なんで学習しないんだよっ!」
ボクにしては珍しく、声を荒げた。

いずれ海外出張も入る予定だし、そのうち海外でも使える機種に買い替えようかと考えていたところではある。
その矢先にこのアクシデントだもの。もうたまらない気分なのだ。
もう、女房とは口もききたくないと思った。
午後から同期会の会場に送ってもらうつもりでいたけれども、口もききたくなかったのでぷいと一人で家を出て、歩いて会場に向かった。
同期会から帰ってからも、居間で一人で酒を飲み続け、深酒をしてそのまま床についた。
13日は、朝何も言わずに起き出して、何も言わずに家を出た。
小岩井農場を中心にしてビデオを撮ってきたのだけど、仕事をしているあいだは鬱陶しい気持ちを引きずりたくなかったので、真夏のピーカンの空の下、一人でテンションをあげて仕事に集中したのだった。
まだ日のあるうちに家に戻ってきたのだけれども、女房は予定通り実家に行ってまだ帰って来ていなかったようだ。
そして、ボクの仕事部屋の机の上に新しいauの携帯が置いてあったのだ。
傍らにはメモ書きが。
〈dataはやっぱりだめでした。ICカードを付け替えれば海外でも使えるそうです。云々…〉
ごめんなさいともすみませんでしたとも書いていないところが如何にも鼻っ柱の強い女房らしかったけれども、やはり彼女なりに今回のことは激しく後悔して、実家に帰る前にauのショップに行ってデータの救済を試み、機種交換をしてきたものらしい。

うーむ、腹は立つけれども、亭主に言われなくてもそこまで自分で行動した誠意は認めてやるしかないだろう。
データは戻ってこないけれども、それには目をつぶってやろう。

その夜、少し遅い時間に女房が帰って来たので、頃合いを見計らって、「携帯の件はあれでOKだ」と告げて、この騒動にピリオドを打った。

世の中の会社の多くは夏休みで、今は携帯に電話がかかってくることは滅多にない。
新しい携帯にしてから今日初めての電話があった。
「おお、最初のアドレス帳登録だな」と、その着信履歴の番号をアドレス帳に転記しようとしたら、すでに一件アドレス帳に登録があった。
「○○子…って、女房じゃんっ!」

ったく、こういうところだけは手際がいいんだから…
 
 

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  1. 2007/08/15(水) 23:11:45|
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力不足のDNA

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花の東京で一人暮らしをしている娘23才から、引っ越しをするので保証人になってもらえないかと連絡があった。
自分たちが食っていくだけでも精一杯の貧乏暮らしなので、娘には何一つ贅沢をさせてやれないのが心苦しいのだけど、彼女の生き様だけは無条件に応援してやりたいと思うのだ。
そりゃあまあ、ちょっと道を踏み外しそうになっていたら、何かひとこと言ってやらなければならないだろうが、今のところはまあ安心して傍観していられる。
きっと彼女は彼女で、「とうさんはちゃんとあたしのことを分かってくれている」と理解していて、そのとうさんには心配をかけないようにしよう…と心がけているはずだ。短い携帯メールや手紙の文面からそれを感じることができる。

娘から入居申込書が送られてきて、その保証人欄に記入押印して送り返すことになる。
自分の勤務先を書き込むとき、「○○写真事務所」と書こうとして、事務所の務の字がすぐに出てこなかった。一応書いてはみたのだけど、なんとなく違う感じがする。字の右下の”力”が抜けていた。
パソコン生活に慣れ過ぎてしまって、いざ手書きで字を書こうとすると、ほんとにど忘れしてしまっている字が多くなってきた。

ふと、娘が記入を済ませていた欄を見てみたら、本人の職種を書く欄に「事務」と書こうとして、なんと、務の右下の”力”が抜け落ちていたのだ。
やれやれ、父娘で同じ失敗をやらかしてるなんて…

娘の筆跡を真似て、小さくそっと”力”と書き加えてやった父さんであった。
 
 

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  1. 2007/08/14(火) 12:22:51|
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拓郎を聴きながら旅でもしようか

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今日は秋田からクルマで2時間ほどの山形県酒田市まで行って、さらに酒田市内をクルマで移動しながら、日和山公園や山居倉庫などをビデオに撮って、そしてまた2時間かけて帰って来たのだった。
今日は外で仕事をするのには陽射しと気温がきつすぎたが、青空であることが必須条件の仕事だったので、その意味ではこれほど仕事に向いている日もなく、むしろ嬉々として外仕事を楽しんできたのだった。
今日が帰省ラッシュのピークなのだそうで、渋滞に巻き込まれながら都会から田舎に向かっていた人たちも多かったのだろう。
そういう人たちに向けた企画だったのかもしれないけれども、今日のNHK-FMは、一日中かつてのアイドルソングをかけっぱなしするという特集を組んでいた。
家族を乗せて渋滞にイライラしながら田舎に向かうクルマのハンドルを握っていたお父さんたちも、かつてはひいきのアイドルがいたはずで(津島なら、石野真子、キョンキョン、中森明菜などである。ポッ)、カーラジオからそんな聞き馴染んだアイドルソングが流れてくれば、渋滞のイライラも少しは和らぐかもしれない。的を射たタイムリーな心憎い企画だと思う。

そういえば、と思う。
ボクは、シンガーやアーティストの誰かの熱心なファンということはないのだけれど、自分たちの青春時代には“吉田拓郎”がいたなあ…と、ふと、思うのである。
拓郎は、去年、「かぐや姫」と31年ぶりにつま恋でコンサートを開き、それがNHKで放送された。
カメラが観客席を映すと、ごくごく普通の(あまり風采のあがらない)中高年のおじちゃんおばちゃんたちが、陶酔するようにカラダを左右に揺らしながら拓郎の歌声に聞き入るのだ。きっと、あのおじちゃんおばちゃんたちは、拓郎の歌声に、自身の青春が蘇ってくる思いだったのだ。拓郎の歌声は、彼ら彼女らの青春そのものだったのだ。
もしかしたら、その青春時代というものを、彼ら彼女らは半分忘れかけていたのかもしれない。それを拓郎の歌声が蘇らせてくれた。どちらかというと地味な、人生や生活にくたびれているかのようでもあるおじちゃんおばちゃんたちの、拓郎の歌に聞き入る姿は、なんだかキラキラと輝いているようにも見えた。
だからボクは、テレビで拓郎のコンサート映像を見れたこともさることながら、観客席で枯れかけた木々がみるみる生気を蘇らせてくるかのような光景に、とても感動していたのだ。

都会でしか暮らせなくなった人生であっても、拓郎の歌を聞くとふと田舎で過ごした青春時代が甘酸っぱく蘇ってくるような、何かそういうほのぼのとした“効能”があるのだ。
ボクも来月にはかなり遠くへの出張旅行が予定されている。
長い旅の慰みに、iPodに拓郎の歌を詰め込めるだけ詰め込んで持っていこうかなと、思っているのである。
 
 

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  1. 2007/08/12(日) 00:07:09|
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キミの“居場所”になる

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この津島ブログは、実は意外なほど〈妻の浮気〉という検索ワードで訪れてくる人が多い。
確かに一度はそんなタイトルで記事を書いたこともあったけど、いつもいつもそんなことばかり書いているわけではないし、必ずしも検索の上位にヒットするわけでもないのに、それでも週に2、3件以上はアクセスがあるところを見ると、けっこう世の中には、奥さんの浮気、あるいは浮気の疑いで悩んでおられる男性諸氏が少なくないということなのだろうか。
そういうニーズに乗じてということなのか、浮気調査を専門とする探偵社も少なくないようだ。

このごろ津島は思うのだけど、恋愛や結婚において大切なのは“居場所感”というようなものなのかもしれない。
たとえば、夫がかなりの高収入で、奥さんに何不自由ない生活をさせていたとしても、奥さん自身がそこに“居場所”を感じられなかったら、奥さんとしては、夫以外の人に“居場所”を求めても不思議ではない。旦那の気持ちがちっとも優しくなかったら、奥さんはやっぱりそこには“居場所感”を感じられなくなってくる。
パートナーに浮気をされてしまった人は、確かに一面的には“被害者”なのかもしれないし、浮気をしたパートナーやその相手を責めたくなる気持ちも分からないでもないけれども、同時に、二人のあいだにちゃんとした“居場所感”をつくれなかった結果なのだということを、自身が強く反省しなければならないのではないかと思うのだ。居場所感を感じられなくなった側だって一面的には被害者なのだ。

ボク自身は、今、その“居場所”というものにすごくこだわっている。
女房はボクにとって大事な居場所だし、ボクもいつまでも女房の居場所でありたいと意識している。
“居場所”というキーワードを見つけたとき、ボクがそれまで答えを出せないでいたひとつのことが氷解した思いをした。
それは、ある女性とのことなのだけれども、その人はどうやらボクに好意をもってくれていたみたいだし、しばしばお茶や食事にも誘ってくれた。女性からモーションをかけられると悪い気はしないし、最初の頃は誘われるたびに出かけていったのだけれども、そのうち、そういうことが段々億劫になってきた。〈来る者拒まず〉というでっかい看板を掲げて生きているのだけれども、今度だけは拒みたい気分だった。
だけれども、なんでボクが彼女を避けたいのかが、自分でもうまく説明できなかったのだ。
彼女からの誘いを断わるとき、断わる理由(わけ)を問われたとき、どう説明すればいいのかが思いつかなかった。
今ならばはっきりと分かる。彼女の中に、ボクは“居場所”を見いだせなかったのだ。

今でもボクには気心の知れた女友だちが何人かいるけれども、結局そこには、小さなささやかな“居場所”が存在するから、波風も立たずに、平和で穏やかな関係でいられるのだろうなと思う。

もう一度言いますぞ。人に大切なのは“居場所”なんだ!

誰かがあなたの“居場所”になっていますか?
あなたは誰かの“居場所”になっていますか?
 
 

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  1. 2007/08/09(木) 22:19:19|
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アンパンかじって海を見ていた

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家出、をしたのである。

自分の母親のやることにガックリしてしまった。
我が家は、両親夫婦、ボクら夫婦、息子夫婦という、いまどき珍しい3世代同居住宅。まあ、大人6人がひとつ屋根の下に暮らしていたら、いろいろと考えや気持ちが噛み合ないこともあるけれども、それでも譲れるところは譲って楽しく穏便に暮らしていこうと、その点では家族のベクトルはそんなに違ってはいない。
そんな中で、母親が「家の一部をリフォームしたい」と言い出した。それはまあ、孫が嫁をもらって家族が増えたことでもあり、少しでもみんなが快適に暮らせるようにと、家族を思う気持ちから出た発想なのかもしれないけど、現状で不自由があるわけでもなし、両親は特に資産や蓄えがあるわけでもなし、つましい年金暮らし。急務ではないリフォームなどには金をかけず、どうせならもっと違うことに金を使ってほしい…というのが息子のボクの意見だ。
ところが、うちの母親という人は、まず家族の意見は聞かない。一度自分で決めたことは、家族が反対しても最後まで押し通す。どこかのソーリダイジンのような人だ。

夕食の時間にまたその話になったので、ボクは、「オレたちと息子たちの部屋を交換するという話もついているし、今のタイミングでのリフォームの必要はない」と言ったのだけど、母親が言うには、「今なら大工さんもヒマだって言うし、明日下見に来てもらうことになっている」などと言うのだ。
たぁー、家族の希望よりも大工のスケジュールを優先するのかよっ!?
母親本人は、家族のために良かれと思ってやってることがなぜそんなに反対されるのか理解できない…と思っているかもしれないけれど、家族のために良かれと思うのなら、まず家族の希望や意見を尊重することじゃないのか?
家族の希望や意見を無視してまで自分の思い通りにしてしまうのは、ただの善意の押し売りってもんじゃないのか?

果たして翌日の午後になって大工さんがやってきた。
家に上がって下見の作業に取りかかる。
ボクは仕事部屋で自分の仕事をしていたのだけど、もうたまらない気持ちになって、逃げるように家を飛び出した。
本屋で本を立ち読みしたりして時間をつぶすのだけど、なんとなく気もそぞろ。
ボクはもともと家が大好きで、できればいつでも家の中でゴロゴロしていたいのに、今はその家に帰りたくない気分。さりとて、何か他のことで時間つぶしとか気晴らしする気分にもなれない。

今、女房は駐車場のない職場にパートに出ていて、ボクが忙しくないときは朝夕彼女を職場に送り迎えしている。
こうなれば今日も、このまま数時間外で暇つぶしして6時に女房を職場に迎えに行って、それから家に帰ることにしよう。
母親、つまりボクの女房からすると姑だけど、こんな風に勝ち気な人だし、女房は女房で末っ子育ちであまり気回しが出来ない人だから、昔はずいぶん衝突もしたものだ。息子であり亭主であるボクとしては、どちらかに肩入れするのは不公平だと考えていつも「まあまあ」という言い方をしていたのだけど、次第に、「ちょっと母親のほうがひどすぎる」と思わざるを得なくなってきた。
同時に、女房も少し学習してきて、相変わらず姑から理不尽な言い方をされながらも、「お義母さんはああいう人だから」と、割り切るというか、諦められるようになってきたのだ。そういう意味では、母親よりも女房のほうが、ボクに言わせれば、よほど人間が出来ている。しかもだ、そういう我が家のアキレス腱の姑であるにも関わらず、女房は休みの日には温泉に誘って連れて行ってやってたりするのである。この女房の神経には感服する、いい意味で。
実の息子のボクは、トラウマのほうが強いから、自分から母親をどこかに連れて行ってやろうなどとは、とてもとても思えない。その意味では、ボクのほうが女房よりも人間が小さいのかもしれない。

途中のローソンでアンパンと牛乳を買って(昼食をとっていなかったので腹も空いていた)、海の見える場所まで行った。
アンパンをかじりながら、海を眺めて女房の仕事が終わる時間までそこで過ごした。
あともう○十分で女房と会える。
ボクはなんだか、おかあちゃんが仕事から帰ってくるのを待ちわびている“鍵っ子”のような気分だった。
 
 

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  1. 2007/08/08(水) 22:54:35|
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良くてこの程度

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少し気持ちが萎えているときなどは、ついついその日の占いに目がいってしまう。
血液型占い(0型)、星座占い(乙女座)、誕生月占い(9月)…
占いの通りになったためしはないけれども、悪いことが書いてあると一層暗い気持ちになってしまうし、少しでもいいことが書いてあると、ワラにでもすがる思いになってくる。
たまに「新しい恋の予感♪」なんて占いが出ているときがある。仕事運や金銭運に賭けたいときに限って。
ちっとも嬉しくないのだ。

昨日ガールフレンドとガストでコーヒーを飲んでいて、「ケータイの待受を富士山の写真にすると運が開けるっていうから変えてみたんだけど、全然いいことがないんだよ」と、その待受画面を彼女に見せたら、彼女がポツリと言うのだ。

「この富士山のおかげでやっとこの程度でいられるのかもよ」

げげっ、そ、そうだったのかっ?!
 
 

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  1. 2007/08/07(火) 11:13:31|
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Twilight Love Train

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大阪と札幌を結ぶ〈トワイライトエクスプレス〉という豪華寝台列車があるのだが、先般の新潟の地震で経路中に不通区間が生じ、現在運休中である。
単純に関西と北海道を行き来するだけなら飛行機のほうが便利だし、東海道新幹線・東北線を経由して行き来することも出来る。
ただ、〈トワイライトエクスプレス〉にはそういうこととは別の次元の存在意義があって、いわばこの列車は“線路の上を走る豪華客船”のようなもの。一刻も早く目的地にたどり着くための交通手段ではなく、むしろ、波間に漂うような感覚でのんびりと(過ぎ去る時間を惜しむかのように)、この列車に乗ること自体がひとつの旅の大きな目的になっているのだ。
なので、乗客の多くは、恋人同士であったり夫婦であったり、あるいはその中間の関係のカップルであったりする。
津島も、一度は中間の関係の…、もとい、妻と、この列車で旅をしてみたいものだと思っているのだけど、あいにく、この列車は秋田駅を通るには通るのだけど秋田駅からは乗り降りすることは出来ない。なにしろ豪華客船のような“高級列車”なので、途中の小さな駅でいちいち客を乗せたり降ろしたりはしないのだ。
ま、ほんとに乗れるときが来たら、一度飛行機で大阪まで行って、始発駅から終着駅まで乗り通すことだろう。
寝台はすべて個室で、カップル御用達列車ということだから、ついついエッチな想像をしてしまうのだけど、全てのカップルがとは言わないけれど、かなりのカップルが日本海沿いの線路の上を、闇を貫いて北に向かって走るこの列車のベッドで、その、なんていうか、アンナコトヤコンナコト…を、してるんじゃないだろうか。
ていうか、誰でも、「一度はそういうことをしてみたい♪」なんて思ったりするもんじゃないだろうか。
いや、はっきり言って、ボクだったら、してみたい。(きっぱり)
以前、メールだけであけすけな話をする女友だちがいて(結局彼女とは一度も会うことはなかった)、「寝台列車でエッチをしたことはあるか」と聞いてみたことがある。
「もちろん。飛行機でもしたことがあるわよ」
「ひ、飛行機で?!」
期待以上の答えというか、一歩も二歩も先を行かれたような感じがして、自分で聞いておきながらなんだか無性に悔しい気分になったものだった。

どんなもんだろうなあ。妄想してしまうなあ。
個室寝台の広くはないベッドの中で、ボクは誰かに、もとい、妻に腕枕をしているんだ。
ゴトンゴトン、ゴトンゴトンと、レールの継ぎ目をまたぐリズミカルな音。ときどき踏切の警報機がドップラー効果で甲高く大きく響いてきてすぐに低く小さく遠ざかっていく…。

その〈トワイライトエクスプレス〉が、今年の夏は地震被害の復旧工事待ちでおそらく8月中は一本も走らない。
何ヶ月も前からこの列車での旅を楽しみにしていた人たちも少なくないはずで、心よりご同情申し上げたい。
被災地の皆さんたちの復興と健康を祈念しつつ、乗るはずの列車に乗れなかった人たちの愛が萎えてしまわないことも、祈っておきたいと思う。
 
 

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  1. 2007/08/05(日) 23:30:16|
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長い旅

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長い旅をしていた。
私は既に帰路についていたのだが、走っても走っても我が家にたどり着かない。
無理をしてでもせめてこの夜のうちには我が家に帰り着きたいと思っていたが、さすがに夜半には睡魔も襲ってきて、電話の向こうで妻も「無理しないで休み休み帰ってきてよ」と言ってくれるので、あともう一夜だけクルマの中で寝起きすることにしたのだった。
ただ単に遠くまで旅をしたというのではなく、なんだか、“違う世界へワープ”したような旅で、そしてまた現実に戻るために自分が今ワープの最中であるかのようであった。

最後の朝に目覚めてあと一走りの我が家への道のりを走り始めたとき、朝日の中にピンク色のハスの花が揺らめいていた。
あれが、この旅のワープの出口だったのかもしれない。
 
 

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  1. 2007/08/04(土) 16:08:18|
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ワインをおくるオンナ

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同居をしているボクの親父は、田舎の俳句団体の事務局をしていて、カルチャースクールでも俳句の講師をしている。
そういうわけで、親父のところには“付け届け”がよく届く。
何か宅配便が届いたなと思うとそれは親父宛てて、中身は大抵酒である。
その酒に、息子のボクもしばしばご相伴にあずかっているのである。
親父が俳人でよかったなと思うのは、ま、そういう“付け届け”が届くときくらいのものか。

今日も今日とて、梅雨明けの猛暑で家族全員家の中でグデーッとしていたところに小包が届いた。
ああ、また親父への付け届けだ。
はいはいと、おふくろがシヤチハタを持って玄関に出ていく。
(余談だが、シヤチハタは、シャチハタではなくシヤチハタが正しい。キャノンが、キャノンではなくキヤノンが正しいのと同じ)
「しゅう…ぞう…。これ、あんたにだよ」
「え? オレ宛? 誰からだろう。心当たりないけどなあ」
送り状を見てみる。
あ、Y子からだ。
そうか。だったらもう、中身は見なくても分かる。ワインだ。
お中元のつもりなのか、Y子は年に一度ほどワインのセットをおくってくる。
送り状にははっきりと〈東京都○○区… △山Y子〉という彼女の住所と実名が記されている。
「Y子って誰?」当然女房はそう聞く。
「東京の女友だちだ」ボクはケロリとして答える。

ボクがY子と酒を飲む夜は、ワインであれ焼酎であれ、まずボトルを一本用意する。
それを一本空けたら、その夜はそれでお開き。
ある意味、さばさばとした気持ちのいい関係だ。

それにしても…と、思うのだ。
義理堅くわざわざワインなんかおくってくれなくてもいいのに、何かおくってよこしたらボク以外の家族にもその名前や住所が知られるところとなり、「この人は誰なんだろう?」と、当然詮索される。
そういう事態になることもおそらく想定内のこととして、あえてボクに付け届けをしてくるY子も、なかなか痛快なやつである。

常々女房は、「あなたに何かあったときに連絡しておいたほうがいいヒトがいるんだったらリストにでもしておいてね」と言っているのだった。半分は冗談気分なのだろうけど。
そうだな、ボクに何かあったら、Y子にも女房から報せを出してもらうことにしておくかな。
 
 

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  1. 2007/08/02(木) 23:25:32|
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恋多し、されど…

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ある女性をデートに誘ってみたときのことだ。
その人は、たまたまほんとうに都合が悪かったのか、あるいはボクの行状に気に入らないものがあって少し意固地になったのか、とにかくその時のボクの誘いを断わった。
そして、こんなことを言うのである。
「どうせアタシが断わっても、あなたにつきあってくれるヒトは他にもいくらでもいるでしょ?」

いや確かに、声をかけようと思えばかけられる女性は何人かいる。
しかしだ。
“ヒマだったから誰でもいいや”と思ってとりあえず彼女に声をかけたわけではなかった。
ボクは彼女とのデートを楽しみたかった。
まして、他の誰かに断わられたから二番手として彼女に声をかけたわけでもない。

結局そんなことがあったりして、彼女は少しずつボクからフェードアウトしていった。
しょうがないのかなと思う。
昨日の話の続きで言えば、彼女は、"Only One"であることを望んでいたのかもしれない。
だけど、お互いの境遇からしたら、そこまで本気の恋をしてしまったら、お互いにいつかは身が焼けるほどの苦しみを味わうことになるのは、目に見えていた。
だからボクは、「俺がほんとに好きなのはお前だけなんだ」とは言わない。(冗談では誰彼なくよく言うのだけど…)
先の約束はせず、お互いの腹の内も詮索せず、「ああ、この人とはうまくやっていけそうだなあ」といううわべの“空気”だけで十分なような気がする。少なくとも、その“空気”がいつまでも続くのであれば。
きっと彼女も、最初のうちはそうだったのだ。
でも、次第に“欲”がでてきた。欲、あるいは嫉妬、あるいは煩悶。

そうであるならば、寂しいことだけれども、じたばたせずに、笑って手を振る気持ちのゆとりのあるうちに、離れていこうとする人を見送るのも、ひとつの恋の締めくくり方ではある。

ヤケドを負うほどの身を焦がす恋も素敵かもしれないけれど、心に残ったヤケドの痕はなかなか消せない。
恋は人生を楽しむためのものだから、それが違う方向に走り始めたら、臆病なほど早めに、ブレーキを踏むことだ。
 
 

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  1. 2007/08/01(水) 13:06:19|
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