
あのときボクは惚れられていた。
ボクには妻があり、他にもガールフレンドの影が見え隠れしていたけど、それでも彼女はボクに好意を示してくれていた。
「あなたに奥さんがいるのは当然のことだから嫉妬はしないけど、他のガールフレンドには嫉妬するわ。分かってはいるつもりでも、女としては自分が“オンリーワン”だと思っていたいものなのよ」…と、言うのだ。
ああ、それが女心というものなのかと、ボクはひとつ学習した。
そうしたら今度は、「あら、アタシなら“ナンバーワン”がいいわ」と、別の女友だちが言うのだ。他にも何人もガールフレンドがいるのを承知の上で、「その中でアタシがあなたにとってナンバーワンの存在だと信じ込ませてほしい。(たとえ嘘でも)」ということだ。
人生いろいろ、オンナもいろいろ…である。
昨夜泊まった山の中の温泉宿にコミック週刊誌が置いてあったので、独り寝のつれづれに読んでみた。
『天才柳沢教授の生活』が掲載されていた。
柳沢教授が青春時代にほのかの恋心を寄せていた女性と、お互い老境に入ってから再会するのである。
穏やかな心持ちでレストランの席で向かい合う二人。
そこには教授のおしゃまな孫娘も同席している。
孫娘がたずねる。
「このおばちゃんは誰なの?」
教授が答える。
「おじいちゃんの大切な人だよ」
すると孫娘が気色ばむ。
「えぇっ、華子より大切な人なのっ?!」
世界一ヒューマンな大学教授柳沢は、ゴルゴ13よりも細いと言われる目のまま、いつものポーカーフェイスで、「大切な人に一番も二番もないのだよ」…と、諭すのである。
ボクも、一緒にうまくやっていけそうにない人には早いうちからエクスキューズするけれども、お互いにいい関係でやっていけそうであれば、オンリーワンでもナンバーワンでもなく、イーチワン“それぞれに大切な人”として、関わっていきたいと思うのである。
これは、なかなか理解されがたい考え方かもしれないので、理解してもらえない、あるいは否定されるようなことがあっても、それはそれで構わないと思っている。
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- 2007/07/31(火) 23:33:29|
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どこかの知らない街をクルマで走っていたとき、道ばたの看板に「HOTEL AFFAIR」と書いてあった。
助手席の女友だちは教養のある人だったので、即座にその英語表記を読み解いて、「ずいぶんと直接的だわ」と苦笑いしていたのである。
あれはもう何年も昔の話で、それがどの街の辺りだったかが思い出せないのである。
ネットで検索すれば見つかるかと思ったが、「HOTEL AFFAIR」でも「ホテル アフェア」でもヒットしない。
いや、今さらそのラブホテルを見つけてどうしようというわけではないのだけれど、そのホテルの場所が分かれば、その日ボクたちがどの辺りをドライブしていたのかがなんとなく思い出されるのではないかと、思ったまでのことだった。
今日、仕事の帰りに田舎道を走っていたら、今度は「ホテル情熱」という看板があった。
なんだか妙にインパクトがあって、思わずクルマをとめて写真を撮った。
まあこれもストレートではあるけれども、へんてこりんな名前のラブホテルが少なくない中では、悪くはないネーミングだと思う。
それにしても、“じょうねつ”という言葉は、話すにしても聞くにしても何の抵抗もない言葉だけれど、漢字ではこう書くんだっけかと、あらためて極太明朝で見せられると、なんだか少しドキリとさせられるのである。
出会って日の浅い女性を、「な、いいだろ?」などと言葉巧みにホテルに誘い、この看板の前まで来たら、半分はその気になっていた女性も、少しはギョッとしたりしないだろうか。
ラブホテルは、そのファシリティ自体も重要だが、ネーミングもキーではあると思う。安っぽくなく気恥ずかしくなく、恋を語る場にふさわしい“粋さ”がほしい。
わりない仲の女性とであれば、アメリカの映画に出てくるような、旅行者用宿としてのモーテルのような感覚で、どこにでもある安普請のラブホテルに泊まるのも悪くはない。女房とも、そういうドライブ旅行をしたことがあったな。建物はいささか安普請でも、ゆったりとしたバスタブ、大きくてフカフカのベッド…、まあ、それだけあれば十分なのだ。
映画“スター”と言うのは経歴詐称だが、津島は昔、映画やテレビドラマに出てたことがある。エキストラで。
今はどうなのか知らないが、昔は東京で暮らす学生がアルバイト情報を得るのは「アルバイトニュース」という本がメインだった。そこにエキストラ専門の芸能プロダクションの募集があり、ちょっと面白そうだったので応募したのだった。
まだ携帯電話もこの世に存在しない時代。学生がアパートに固定電話を引くことも考えられなかった。そのため、プロダクションからの連絡先はアパートの大家さん宅。プロダクションから仕事の話があると大家さんが取り次いでくれて、直接撮影所に向かう。授業と重なってもバイトのほうを選んだ。滑稽なのは、その頃自分はテレビを持っていなかったので、自分が出演したドラマを一度も見たことがないということだ。あとから考えてみたらかなりの本数にはなっていたはずなのだけど。
バイトで稼いだ金で、週末、歌舞伎町に繰り出してオールナイトの映画をよく観たものだった。
[本日のオマケ]
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- 2007/07/31(火) 15:45:55|
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昨日に続いて“カーナビつながり”のお話をしたい。
ボクがあまりカーナビを使いたがらない理由のひとつに、“知らない道をあえて走る楽しみ”がある。
カーナビは確かに、確実に目的地にたどり着けるルートをサジェスチョンしてくれるけど、特に先を急いでいる旅でもない限り、必ずしもカーナビが教えてくれる道だけが唯一の選択肢ではないと思うのだ。
ボクなどは、知らない道に出くわすと、つい走ってみたくなる衝動に駆られる。
その道がその日の目的地につながっている道かも分からないし、“いい道”かも分からない。とんでもない回り道かもしれないし、とんでもなくひどい道かもしれない。
それでも、知らない道を走ることにはとても惹かれる。
たとえばそんな風にして初めて走った道の路傍に、その季節の色濃い花が元気に咲いている。
ボクは少し行き過ぎてからクルマをとめて、その花の写真を撮る。
それだけでも、ボクはこの道を走ったことを“正解”だったと思える。
恋も案外そういうもの、だと思うのだ。
確かに恋にも、確実に(あるいは無難に)目的地にたどり着くためのカーナビのような、マニュアルというかセオリーというか、そういうものがあるのかもしれない。
だけれどもあえてそういうものに頼らず、ワクワクと“知らない道”を走ってみるという楽しみもあるのではないだろうか。
失敗したっていいんだよ。もしかしたらこの道は袋小路で、引き返さなければならないかもしれないと、それを承知で走ってきたのだもの、新しい道を一本知っただけでもめっけもんと思わなくちゃ。
無難な道ばかり走っていたら、路傍の花を知ることもなかったのだ。
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- 2007/07/29(日) 23:27:17|
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バスに乗って遊びに来るガールフレンドがいる。
飛行機や電車と違って、バスは定刻よりも早く着くこともあるので、こちらも少し早めに仕度をしてバス停で彼女の乗ったバスの到着を待つ。
何ヶ月かに一度くらいしか会わない女友達だけれど、いつのまにかお互いに、とても安心できる間柄になっていて、バスを待っているときの気分というのは、ドキドキとトキメクというよりは、なんだか、お盆で久しぶりに帰省する妹でも迎えに出るような、ちょっと穏やかな気分であったりする。
彼女と合流したあとは、ひたすらドライブをしたり飯を食ったり景色のいいところに行って写真を撮ったり、あるいは温泉に入ったりと、その時々でメニューは様々だ。
彼女が帰っていくバスの時間は決まっている。
一日を一緒に楽しく過ごしたあと、バスの時間に合わせてそろそろデートはお開きにする。
十分に余裕をもってバス停までたどり着けるはずである。
ところが、こういう時に限ってポカをする。
そもそもボクのクルマにはカーナビを積んでおらず、道順の勘は悪くないはずだという自負と、途中途中の案内標識を頼っていれば必ず目的地にはたどり着けるはずだという思い込みがある。
なのにだ。
助手席の彼女との話に夢中になっていて案内標識を見落としたのか、あるいは、そもそも当てにしていた案内標識自体がなかったのか、しばらく走っているうちに「あ、あれ? な〜んか違う感じがするなあ。来過ぎちゃったかなあ…」
不安になってガソリンスタンドに飛び込み、にいちゃんに「○○バス停はどこ?」と聞く。
にいちゃんが示す指の先は何キロも手前だ。
やばい!
バスの時間は迫っている。
近くにパトカーがいたら確実に捕まってしまうスピードで、ボクは今来た道を疾駆する。
「じ、事故んないでよ!」
バスには間に合いたいけど、こんなところで事故ったらシャレにもならないと、彼女は少し青ざめた顔をしてボクに言う。
「あ、ああ、まかせとけ。絶対間に合わせてやるから。し、しかし、あれだなあ。オレたちのつきあいは、フツーのアヴァンチュールよりもスリルがあるなあ」
あはは…と、彼女もひきつって笑う。
クルマをとめて(ほとんど盗難車を乗り捨てるような勢いで)、そこからバス停まで猛ダッシュだ。
そうやってやっとバスに間に合う。
オレたちのデートには、常に最後の猛ダッシュがつきものなのか?!
ギリギリ、やっとのことで彼女が飛び乗るのと同時に、バスは発車する。
窓越しに、まだ通路にいる彼女がボクに手を振っている。
それに応えてボクも手を振る。
走り去るバスを見送りながら、「まったく、困ったキミのボーイフレンドだね」…と、ボクはひとりごちる。
会うときはあんなに穏やかな気分なのに、別れるときはいつもこんなにドキドキなのだ。(意味が違うけど)
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- 2007/07/28(土) 20:22:20|
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いつもの習慣で、ベッドに入って眠りにつく前に文庫本を読んでいたら、この夜読んだのは太宰の短編集だったのだけど、そのフィクションの情景の映像が、実に鮮明に脳裏に浮かぶのだ。
あるいは、とても“映像化”しやすい作品だと思った。
映像化、つまり、視覚化していながら、うわべのことだけではなく、行間にいやでもにじみ出てしまう人生の悲しさ切なさといったものが、何も表現技巧に凝らなくても、あるいは、モノローグなどで“説明”しなくても、しみじみと読む人観る人に伝わってくるような。
あらためて、小説のような写真を撮りたいと思った。
映画のような文章を書きたいと思った。
恋に漂うような人生を送りたいと思った。
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- 2007/07/25(水) 23:32:41|
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「もう一度だけ聞くわよ。昨日あなたと一緒にいたメスは誰なのっ?!」
「‥‥‥」
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- 2007/07/24(火) 00:22:42|
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せめて晴れていたら、少しは爽やかな気分でキミを見送れたのにね。
ごめんね、アタシのわがままで。
ううん、キミが謝ることはないさ。悪いのは多分オレのほうだ。
あなたには、ほんと、感謝してるわ。
そこなんだ。こんなこと言うのも今さら未練がましいけど、オレはキミに感謝されたいわけではなくて、なんていうのか、もっとこう、キミとはもう少し、うーん、なんて言えばいいのかなあ…
ダメなのよね、アタシって。男の人とうまくやっていけなくて。
それじゃ困るんだよ、オレも。せめて向こうではうまくやってくれないと。そうでないと、オレがキミをあきらめた甲斐がない。
ごめんね、ほんと、アタシ…
バーカ、泣くなって。キミの旅立ちじゃないか。無理にでも笑っててくれよ。
落ち着いたらメールするからね。
ああ。でも、あまり無理するなよ。男ってさ、あんがいケツの穴が小さくて、自分の女が他の男とメールするのを嫌がるところがあるからな。ま、オレはキミとは今まで通りの距離感でいたいけど、とにかくキミは彼との仲をうまくやっていくことだ。
じゃ、行くね。今まで、ほんとにありがとね。
じれったいくらいののろさで、彼女を乗せた鈍行列車が、ホームを離れていく。
ボクが失ったものの大きさに気づくのは、たぶんもう少しあとのことだ。
やまない雨の下、ボクはわざと顔をあげたまま、とぼとぼと田舎の小さな駅をあとにする。
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- 2007/07/23(月) 16:18:19|
- ポジフィルム
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暑い日だったと思う。
そういえば、日比谷線の築地駅で落ち合おうと約束していたけれども、いったい地下鉄の駅の地上への出口はいくつもあって、N子がどの出口から出てくるか見当がつけられなかった。
それでボクは、築地本願寺の前の歩道橋の踊り場のあたりまであがって、少しの高みから俯瞰して地上に現われてくるN子を見つけようとしていた。そのポロシャツの背中にジリジリと容赦ない陽射しが刺さり、約束の時間から少し過ぎていた焦りとあいまって、じっとりと気持ちの悪い汗をかくのだった。
はたしてN子のほうもボクを見つけられず、携帯を持たない彼女のこととて、そのあたりの公衆電話からボクの携帯に電話をかけてきた。
「着いてるの? どこにいるの?」
「そこから歩道橋が見えるかい? その下にいるよ」
やっと合流できたボクたちは、はじめに築地場外を冷やかして回った。
築地から佃島のあたりを回ってみたいんだ…というボクの話に、「つきあうわ」…と彼女がのってきていたのだった。
ボクのほうは食べ物にはあまり執着がなく、ただ自分なりの写真が撮れればよかった。N子のほうは美味しいものには目がなかったから、勝手に写真を撮っているボクとの距離を保ちつつ、目を輝かせて店みせを覗いて回っているのであった。安くて珍しい食材を買いたい気持ちもあっただろうけど、きっと今日の彼女はこういうところに来ることにはなっていないはずで、説明のつかない買い物は辛抱するしかなかった。
ボクたちはかちどき橋をわたり、月島に入る。
ひょろひょろと永井荷風でも現われそうな細く薄暗い裏小路を、ボクたちは並んで歩いていく。これは少し前の話なので、そうやって並んで歩きながら、ボクたちがどういう話をしていたのかという記憶まではない。ただ、それがとても穏やかな時間であったような記憶だけは残っていて、きっとボクたちは悪くないひとときを過ごしていたのだと思う。
とりとめのない話をしながら並んで歩き、そうかと思うとボクは絵になりそうな風景を見つけるとすぐに彼女に断わりもせず小走りに駆け出してジーパンの片膝を地面についたりしながら一枚二枚とシャッターを切るのだ。その間も彼女は退屈もせず、むしろ物珍しげにうっすらとした笑みをたたえながら下町の商店街のショーウインドーを覗いて過ごすのだ。
「この店にしようか」
月島である。もんじゃ焼きを食べなければここまで来た甲斐がない。
「はじめてですか? おつくりしましょうか?」
ふくよかなおかみさんが、愛想良くボクたちのテーブルでもんじゃ焼きをこしらえてくれる。
「ええ、お願いしますわ」などと応えながら、N子はボクの女房の気取りだ。
店の人もきっと、亭主が写真趣味のただの中年夫婦と疑わなかっただろう。
そして、ひととき、ボクら自身もひそかにそういうたたずまいを楽しんでいたのだ。
「飲みたいんじゃないの?」ボクの目を覗きながらN子が聞いてくる。
「うん。できれば」
「すみませーん、ビールお願いします」
大ビンと、安っぽいコップが二つテーブルに届く。
どうぞといいながらN子がボクに酌をする。
そのビンを引き取って、「きみも」とN子にもすすめる。
「じゃ、少しだけ」そういってN子はコップに半分の酌をボクから受ける。
コチンと小さくコップをぶつけて「おつかれさま」などと妙な乾杯の挨拶を交わす。
ボクはほとんど一気にコップの半分以上を飲み干し、フーッと大きなため息をつく。
N子も、「おいしい!」と小さく叫び、ふちについた口紅を軽く拭う仕草でコップをテーブルにおく。
佃島という地名からは、典型的な東京の下町のイメージを抱いていたのだが、今のそこにあるのは高層マンションが林立するという近未来的な光景。
撮りたい風景がないことに戸惑いながら、隅田川の川べりをおろおろと徘徊する。
まだ日は高いのだが、帰りの時間を考えるとそろそろお開きの時間だ。
ボクらは門前仲町から大江戸線に乗り新宿に向かう。
他の電車より狭い大江戸線の車内で並んで座り、あっけらかんとあいも変わらぬ他愛のない話をしているボクたちだ。
「じゃあね」
ちょっと強めの握手をして、N子は新宿駅でJRの改札機の向こうに吸い込まれていった。
考えてみれば、あれは、ボクとN子が一緒に過ごした最後の一日だった。
あれは、ボクたちの〈卒業旅行〉だったのかもしれない。
それを〈恋〉と呼んでいいのであれば。
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- 2007/07/21(土) 12:02:30|
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ボクが東北各地の温泉宿やリゾートホテルを取材して写真と文章で記事にまとめる連載が今月末の発行号で36回目となる。
隔月の発行だから、かれこれもう6年目になるということか。
もうそんなになるのか。感慨深いなあ。
こんなへっぽこライターなのに、よくも続いたもんだ。
そういえば、ビンボーでなかなかデジイチが買えなかったボクは、このシリーズの前半分ほどはポジフィルムでの取材だった。一貫してエディトリアルデザインを担当してくれているY子ちゃんとも、6年のつきあいになるのだなあ。大きな会社の中で話が合わない上役に振り回されて、仕事をすればするほどストレスがたまる一方のY子ちゃんだから、“仕事はやりがいがあって楽しくなければならない”が身上のボクは、何よりもまず、彼女が見て楽しい気分になれる写真を撮りたいと思うのだ。それでなくてもストレスが少なくない職場なのに、外注のカメラマンの撮ってくる写真がろくでもないものばかりだったら、彼女には救いがない。
取材をする宿は、ボクの一存で決められればいいのだけど、世の中にはいろいろと“メカニズム”があって、「今回はこの宿を取材してくれ」と、上のほうから指定される。取材に行ってみてすごくいい宿であったら何も問題はないのだけど、中には…ちょっとガッカリな宿もあったりするわけで。
ボクにとっての“いい宿”の基準は、〈いつか誰か“いい人”を連れてきたくなるような宿〉である。
そういう宿に当たると、取材するこちらも心弾むし、いい写真も撮れる。
写真と原稿を編集部に持ち込んで、Y子ちゃんに、「いやあ、今回の宿はすごくよかったよ。いわゆるボクが言うところの“誰かと行きたい宿”だよ。今度一緒に行こう!」…と、なにげにモーションをかけてみるのだけど、身持ちの固いY子ちゃんは、ただ薄笑いを浮かべて、話を右から左に受け流すのである。
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- 2007/07/20(金) 02:08:39|
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なんで左の頬を隠しているかですって?
いえ、別に隠しているわけではありません。
たいしたことはありません。
なんでもありません。
ぼ、ボクは肌が弱いので、ちょっとかぶれただけかもしれません。
気にしないでください。全部法律にのっとってやってますから。
確かにバンソーコは買いましたけど、領収書を公開するつもりはありません。
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- 2007/07/17(火) 17:33:44|
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先月からパートに出ている女房の新しい職場には駐車場がなく、通勤は原則として自転車ということになった。
最初の数日は彼女も頑張って自転車で出勤していたけれども、女房に甘いボクは、少しサービスしてやろうかと思い、こちらの都合が悪くない日はボクのクルマで送り迎えしてやることにした。ボクのほうにも泊まりがあったり、早朝出発深夜帰宅などという日があるから、そんな日は勘弁してもらうとして、それ以外はつとめて彼女を送り迎えしてやりたいと思っている。
さて、そうやって女房のアッシー君(死語?)を始めてほどなく、思わぬ余禄にあずかった。
実は、前々から少し気になっていた女の人がいて、ただ、同じ街に住んでいるという以外にはまったく接点がなく、ココロの中で慕っているだけの、マボロシのマドンナ、だった。
そのマドンナが、女房を送っていくクルマの横の歩道を、同じ方向に向かって自転車で走っていたのだ!
うわぁっ、あのコじゃないかっ!
なんという偶然なんだ!
そういうことが2、3日続いた。
つまり、彼女は、この辺りに住んでいて、いつもこの時間に自転車で職場に通っているということだ。
ああ、なんていう幸せ。
ボクは、恋にはあまりどん欲ではない。
好きになった人をどうにかしようというよりは、ただずっとその人を遠くから眺めていられるだけでいい。
すがすがしい風景に心癒されるように、ただ眺めているだけで幸せな気分に浸れる恋もあるのだ。
ところがだ。
そんなささやかなヨロコビが…
新しい職場にも馴れてきた女房が、ある日こんなことを言い出したのだ。
「だいたい感じがつかめてきたから、あと5分遅く家を出てもいいわね」
え"っ!! ご、5分すか?!
一抹の不安…
ああ、やはり…
5分遅れて家を出るようになってからは、一度もマドンナを見かけることはないのだ。
さりとて、「や、やっぱ、元通り5分早く家を出ようよ」と、女房を説き伏せる合理的な理由が思い当たらない。
恋にどん欲ではない。
どん欲ではないけれども、ほんのわずか、あと5分だけ早く家を出れば、かなりの確率でマドンナに会えると分かっているのに、それが出来ない歯痒さ。
二兎を追う者は一兎をも得ず…か。
いやいや、せめて一兎だけでもキープしておきたいので、たった5分のタイムラグに悶々としながら、今朝もニコニコと女房を勤務先まで送る津島なのであった。
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- 2007/07/17(火) 02:25:48|
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仕事の流れが途切れたのを幸いに、自分で勝手に決め込んだプチ夏休み。
休みのあいだに何かをしようというのではなく、まったく何もしないでまっさらな気分で過ごそうと思った。
なので、いつかは観ようとキープしていたDVDの映画作品すらまったく観ないで過ごした。
さすがに連休明けくらいには少しは仕事モードに戻らないと。
それで、最後のお楽しみということで、「cars カーズ」を観ることにした。
いやー、感動した。
CGアニメでここまで表現できるのかという信じられないほどの表現技巧、人間が一人も登場せず擬人化されたクルマだけで展開されるヒューマンタッチなストーリー、すごくほのぼのとした気分にさせられる。見終わったあと、すがすがしい気分にさえ、なる。ちょっとくさくさした気分でいるときなど、それを忘れさせてくれるほどのパワーをもらえる。
実は津島、ちょっとくさくさした気分でいたのだ。
なんていうのかな、うまく表現できないけれど、たとえば職業生活であれ、友だちづきあいであれ、恋愛であれ、すべては“自己実現”の一環である、とボクは考えたいのだ。
ひとつひとつのピースをつなげていって、あるいは、ひとつひとつのブロックを積み重ねていって、その先にやっと自分らしさというか、自分の“居場所”のようなものが見つかると言うか。
だけれども、ときおり、そういう自己実現のための作業であるはずのものが、“ため息”の元になってしまっていることがある。
かつてボクは、これは異性のことではなく同性の友人とのあいだでのことだが、“絶交”というものをしたことがある。
それまでは彼のことを親友の一人だと思っていたから、多少の無理難題でも「はいはい」と安請け合いしていたのだけど、よくよく冷静に考えてみたら、どんなに親しい間柄でもお互いに対するリスペクトってものは必要なはずなのに、彼からはそういうものがまるで感じられず、結局ボクはただ彼に振り回されていただけなのではないかと、気づかされたのだ。彼のためにボクはため息をつくことが多かった。
親しくしていた者と訣別するのは思い切りのいることだが(「何も絶交しなくとも」という逡巡もある)、“自己実現”という考え方を通すとすれば、ここは心を鬼にしてでも彼とは絶交するべきではないかと思った。
いくら違和感があるからといって、相手が悪いというわけではないこともある。悪気はないことも分かる。だけれども、どうしてもそこには“ため息”の元が潜んでいるのだ。
今も少しだけ、ため息をつきたくなるようなことを抱えている。
どうしたものかなという迷いもある。
そんなときに観た「カーズ」は、ちょっとだけボクの気持ちをほっこりとさせてくれた。
「ま、ガンバるっきゃないかな」という気分にさせてくれた。
快活な気分でいるときよりも、少しだけ気持ちが萎えているときに観ると、心に沁みるものがあります。
皆さんにもお勧めします。
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- 2007/07/16(月) 13:27:39|
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アヴァンチュールという言葉はフランス語で、[aventure]と書く。
このスペルからも想像がつくように、英語の[adventure]アドベンチャーと同義である。
というわけで、アバンチュールも本来の意味は[冒険]で、そこから転じて[冒険的な恋]の意味で使われるようになった。
大辞林では[危険な恋愛][恋の火遊び]などと説かれているようだ。
まあ確かに、火遊びの度が過ぎて大ヤケドを負うこともあり、シャレにならないこともあるけれども、[人の道に背くこと]を意味する[不倫]という言葉で十把一絡げに片付けられてしまう日本語文化よりは、なんだか少しは救いがあるような気がする。
かく言う津島も、そういう冒険恋愛者の一人と思われるかもしれないが、それはちょっと違う。(「全然違う」とは言いきれないところに、ちょっとした“大人の事情”もあるわけで…)
どちらかというと、津島は、冒険恋愛者たちの話につきあう“聞き役”という役回りであることが多い。
みずからが家庭を持つ女性であったり、あるいは家庭を持つヒトと出会ってしまった女性であったりという、そんな微妙なニュアンスの恋愛事情を、彼女たちはしばしばボクに話して聞かせる。
こういったたぐいの話が嫌いな人にはとんでもないことだと思われるかもしれないけれど、恋愛生活であれ結婚生活であれ職業生活であれ、一歩足を踏み込んでしまった世界で「これでよかったのか」と煩悶することは少なくなく、先に進むべきか戻るべきか、答えを出せない迷宮に迷い込んでしまうことも人生にはあるわけで、ボクに言わせてもらえば、冒険恋愛者たちのやっていることもそれらとなんら変わりはないことだと思うのだ。
いずれにしろ、歩みの途中で力尽きてしまったり抜け出せない落とし穴にはまったりすることなく、最終目的地あるいは出口まで、ちゃんとたどり着かなければならない。
某日も、女友だちの一人と食事をしていて、彼女が抱えていた冒険的恋愛から最近卒業したことを聞かされた。それは冒険的恋愛には違いなかったけれども、端で見ていて比較的安定した関係のように思われて、当分は波風も立たずに平穏に推移するのだろうなと思っていただけに、「へえぇ」と、ちょっと意外な感じもしたのだった。
そして、なぜそういう結果になったのかも彼女は話して聞かせてくれた。自分でちゃんと分析が出来るだけでも偉いけれども、惜しいかな、少しだけ学習が足りなかったものだから、彼女は途中でうまく軌道修正できなかったのだ。
恋愛は、一にも二にも“学習”だ。失敗から学び成功から学び、自分から学び他人から学び、その学習結果を実践に生かせなかったら、何度でも同じ失敗を繰り返してしまう。
まぁ、理屈では分かっているつもりでも、それでも判断を誤ってしまうのが“レンアイ”というものの怖さなのかもしれないけれど。
いろいろと、心の隅にぐずぐずと引きずるものはあるだろうけど、それでも大ヤケドを負わずに済んだのは幸いだった。
これに懲りてもう二度と[危険な恋愛]をするんじゃないぞ…とは言わず、今度こそちゃんと学習して次の恋ではもっと上手になることだ…というような言い方を、津島はする。
「恋が終わったことは受け入れるけれども、彼にもらった想い出の品はいつまでも大事に持っていたい」と、臆面もなく彼女は言う。「あー、はいはい」と、津島は微苦笑する。
思い出したくもない想い出にならなかったのはよかったことだった。
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- 2007/07/14(土) 15:58:44|
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クルマで2時間半の町まで出かけていって、プレゼンテーションをしてきた。
うちのような個人商店では、プレゼンに参加してくれと声をかけられるのも珍しいし、実際のところ、パワーポイントで資料づくりをしたのも初めてだった。
プレゼンをするということは、どうにかして受注に結びつけようと真剣勝負になるものなのかもしれないけど、実は、仕事にそういうどん欲さがない(あったほうがいいのだろうけど)ボクは、必ずしもボクのプレゼンが通らなくてもいいと思っているのだ。
自分の仕事に結びつけるためのプレゼンというよりは、クライアントの今後のことを考えて、「これくらい思い切った取り組みをするべきではないでしょうか」…というような、少し大胆な提言をしてみたかっただけなのだ。
だから、ボクのプレゼンの内容はちょっと突飛だったかもしれない。
せめて、ボクの言いたかったことがクライアント側の人たちに伝わったのならいいけど、もし理解を得られないのならそれでも構わない。とりあえずボクは、言うだけのことは言った。
逆に、「全部おまかせします!」などと言われたら、ボクはきっと、少しため息をつく。
その町は温泉の町だ。そして女房の仕事が休みの日だ。
「オレがプレゼンしている間、キミが一人で温泉に入っているのなら連れて行ってもいいのだけど」と言ったら、さっそく例によっていそいそとお風呂セットを準備する女房だった。
現地のプレゼン会場でボクが降りて、あとは一時間ほど別行動だ。
30分あまり、パワーポイントを使って昨夜遅くまでかかって仕上げた30枚のスライドを見せながら滔々としゃべり続け、少しぐったりして終わる。
まもなく風呂上がりの女房がボクを迎えにくる。
運転を代わりながら、やや疲労感がにじむボクに「うまくいったの?」と、少し心配そうに声をかけてくる。
「ああ、まあ、言うだけのことは言ったから。仕事になるかどうかは分からないけど、とりあえず自分の意見は言い切った」
「そう」
仕事に結びつかなかったら意味ないじゃん…とは言わない女房である。
来るときは曇り空だったが帰り道はザーザー降りになった。
この日のプレゼンでボクは当面たまっていた仕事がひと通り片づいた。翌日からは少しだけ休みを取れる。
あのプレゼンが通るか通らないかとやきもきするのではなく、とりあえず当面の忙しさから解放されたことで、ボクはとっても安堵な気分で、雨降りの国道をリラックスして帰ってきたのだった。
風呂上がりの女房は、助手席ですーすーと気持ちよさそうな寝息を立てている。
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- 2007/07/13(金) 17:06:22|
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そうよ、どうせアタシは抜け殻よ。
中身なんてこれっぽっちもない。
生きていくためなら、するりするりと殻を脱ぎ捨てて、勝手気ままに生きてくの。
騙された?
本気で愛してたのに?
はいはい、ありがとね。
愛した女に騙されたと思ったら、あなたも殻を破って一回り大きな男になったら?
そうしたら案外アタシももう一度あなたに惚れ直すかもよ。
アタシはね、男の愛を栄養にして生きてくの。
殻が窮屈になったら自分で脱ぎ捨てていくの。
愛なんて、代わりはいくらでもあるの。
まだ、“ホンモノの愛”というのにはアタシもお目にかかったことはないけど。
悪いけど、アタシは誰も愛さない。
アタシは、誰かに愛されるためにだけ生まれてきたのだから。
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- 2007/07/08(日) 09:48:51|
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恋がうまくいかないと、ひどく苛立ったり、相手を責めたりする。
ほんとうは愛し合うために一緒にいるはずなのに、その瞬間は憎み合っている。
なぜ相手を責めるかというと、相手に優しさや愛情が感じられなくなるからだ。
それに苛立って、相手を責める。
でも、その瞬間は、自分自身も相手に優しくすることや愛情を注ぐことを忘れている。
優しい心を失った人から責められても、人は素直な気持ちにはなれない。
ボクはキミを愛すると決めたのだから、たとえ待ち合わせ場所にキミが現われなくても
そのことで苛立ったりキミを責めたりはしない。
天気のようにころころと変わるような愛し方は、したくないから。
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- 2007/07/06(金) 12:10:09|
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「…ね、ねえ、今シャッターの音しなかった?」
「ん? 気のせいだろ。気にすんなよ、そんなこと」
「でもぉ、なんだか、誰かに見られてる感じがして気になるわ」
「知ったこっちゃねえよ。見られてるなら見られてるで。俺たちの愛は誰にも邪魔させねえさ」
「こんな、いつ誰に見られるか分からないようなところでしてたら、“ケダモノ”呼ばわりされちゃうわ」
「そ、それはないと思うけど…。それよりかさ、ほら、もっと、集中して。腰振って…」
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- 2007/07/04(水) 22:58:54|
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仕事を変えて日が浅い妻の職場は休日が変則的で、今週は今日が休みでこのあとは土日も出番なのだと言う。
まだ仕事にもあまり慣れていなくて、何かちょっと違和感を引きずっている様子でもある。
ボクのほうは、けっこう細かい雑用が多かったり、大きなプレゼンを控えていたりするのだけど、妻に時間をつくれと言われたらつくってやれないでもない。
人が人生において仕事でストレスを募らせることほどアホらしいこともないので、亭主のボクが一緒に遊んでやって少しでも気が紛れるのであれば、それはぜひそうしてあげたいと思うのだ。
とはいえ、彼女は彼女で、自分で観たい映画があればボクをほっぽって一人でさっさと映画を観にいくくらいの人だから、今日の休みも、一人で好き勝手に過ごしてくれれば、こちらは予定通り自分の用事を消化できるから願ってもないことなのだ。
しかし、やっぱり彼女はボクに甘えてきた。
「一緒に出かけてもいいって言ったよね」…と、念を押しにきた。
よしよし、しょうがない、じゃあつきあってやるか。
昔と違って人間が丸くなったボクは、自分の都合を差し置いても、自分に出来る範囲であれば可能な限り相手の意向を汲みたいと思う。
ボクたちは、クルマで1時間余りのラベンダー園まで出かけた。
ボクはボクで見頃のうちに写真を撮っておきたかったし、まあ、自分の趣味と女房孝行との一石二鳥ということである。
現地に着いてほどなく、妻は「摘み放題300円」とかいうラベンダー摘みを始めた。
彼女が夢中になっている間はボクも好き勝手に写真を撮っていられるから、これはこれで都合がいい。
帰りのクルマの中で、「いい香りでしょ」と、小さなラベンダーのブーケをボクの鼻にもってくる。
それから少しまどろむ。
我が家に戻り着いてクルマを降りるとき、さりげなく「ありがと」と、言うのである。憎めないやつだ。
妻とのデートのためにつぶしてしまった昼間の数時間は、少し夜なべして挽回すればいい。
ほんの、それだけのこと。
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- 2007/07/04(水) 20:54:56|
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ブログに載せる写真を選ぶとき、ボクはいつも誰かのことを思い浮かべている。
“この写真を載せたら、あの人は楽しんでくれるだろうか”…というように。
惚れさせるためとか、自分のほうだけ向かせるためとか、強く惹かれるためとかいうことではなく、「あ、うん、悪くないんじゃない?」くらいな、その程度の反応でもいいのだ。せめて、それくらいは思ってもらえそうな写真を選んで載せている。
たとえば「今日はこの写真にしよう」と一度ピックアップしながら、「待てよ。これはあの人の琴線に訴えるものがあるだろうか。ちょっと弱くないか?」などと、自分自身ではそれほど悪い写真ではないと思っても、“あの人”という存在を意識したとき、これではない別の写真にしようと、もう一度写真を選び直すこともある。
“あの人”というのは、いつも同じ人のこともあれば、時には違う人のこともある。何度か逢ったことのある人の場合もあれば、一度も逢ったことのない人の場合もある。
きっとボクは少し臆病で、人の気持ちがボクから離れていくのを怖れているのだろう。それでも人の気持ちというものは、離れていくときは離れていってしまうものなのだけれども、それを強く引き止めておく術のないボクは、せめてそんなつもりで写真をセレクトして、ほのかにほのかに、恋のような想いをちろちろと灯しているのである。
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- 2007/07/04(水) 01:08:55|
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やんなっちゃうのである。
「R国へ行かないか」「C国へ行かないか」と、そっちのほうから持ちかけてきて、こっちはもうその気になっていろいろ現地事情などの下調べを始めていると、あとになってから「Rは見合わせよう」だの「Cはオリンピックが終わってからにしよう」だのと、ころころと話が違ってくるのだ。
そんなふうにさんざん振り回されているっていうのに、今度は「やはりB国にも行ってほしい」と来たもんだ。
おいおい、Bは完全になくなった話じゃなかったの?!
こっちだって外国取材の話が舞い込むと嬉しくなるから、つい友だちに話したりブログでネタにしたりする。それなのに途中で話が違ってくるから、行くと言っていたのに行かないことになったり、行かないことになったと言っていたのに行くことになったり、これじゃあまるでボクがオオカミ少(中)年になっちまう。
これで、「インド行ってみる?」なんてことになったら、BRICs完全制覇だ。なんだか、行かないうちから時差ぼけでへろへろになってしまう。
さすがにボクもその程度の話ではもう一喜一憂しなくなり、羽賀研二から美味しい話を持ち込まれたときくらいに眉唾な気分で、右から来た話を左に受け流すのである。
そんなわけで、今年の秋頃には、どっかの外国に取材に行ってるかもしれないし、行ってないかもしれないし…みたいな、そんな感じの今日この頃です。
外国と言えば、ボクがこのブログに載せた写真をpanoramioにもアップしているのだけど(panoramioとflickrには、津島ブログで公開した写真以外もアップしています)、panoramioが全世界向けの写真共有サービスであることから、外国の人からもボクの写真へのコメントが寄せられるようになってきたのです。
世界中の人にボクの写真を見てもらえる機会があるというのは嬉しい限りなのだけど、英語が全然だめなボクとしては、コメントの返事を書くのが苦痛でしかたない。実は、今夜の段階でもいくつかコメントが溜まっているのだけど、よほど時間と気持ちに余裕がある時でもないと英語で返事を書く気力がないので、今夜はこのまま寝ちまって明日にでも書こうかなと。
その、英語だっておぼつかないのに、メキシコ語やポルトガル語でコメントしてくる人もいる。昨日届いたのは、コメント自体は英語だったけどハンドルネームはあれはどう見たってロシア語だ。
ど、どう返事を書けばいいのだ?!
ま、考えてみれば、少し日本語をしゃべれる外人がかなり文法や微妙な言い回しを間違っていることも珍しくなく、それでも大意は伝わるから、こちらもブロークンイングリッシュでいいのかなと開き直ってみたりもして。
ほんとに、ボクはろくすっぽ英語はしゃべれないのだけど、成田からバンクーバー空港に着いてトランジットの合間に空港内で日本の友人たちに絵はがきを書き、ところが投函すべきポストが見当たらず、売店のおねいちゃんに「この近くに郵便局かポストはないのか?」とたずね、「何? 絵はがき? 切手は貼ってあるの? じゃあ、あたいが出しといてあげるよ」…と、そしてその絵はがきがちゃんと日本の友人たちに届いたというのは、あれは奇跡に近い出来事でした。
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- 2007/07/03(火) 01:10:07|
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