
このごろ、泊まりがけの取材に出かけると二日めが雨になってがっかりするということが続いている。
ボクは、めんどうなことはあとにまわしたい性分なので、一日めの仕事は簡単に済ませて、さっさと酒を飲み始めて、翌日に集中的に仕事をしようと考えるのだ。
ところが二日めになると朝から雨でがっくりさせられる。
それは、例えて言うならば、失恋をしたときの喪失感のようなものだが、まあ考えてみれば、恋をしたから失恋もしたわけで、恋をしなかったら失恋もなかったわけだけど、じゃあ失恋するのがいやだから恋もしないでおこうかというと、そこまで合理的な生き方は出来ない。
次の日が雨になるかもしれない旅に、それでも出かけないわけにはいかない時もあるのだ。
雨が降ったら、せめて一枚か二枚は雨の中での写真も撮るのだ。
そうして、「雨の写真は雨が降った日でなけりゃ撮れない」…などと、強がりを言うのである。
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- 2007/06/30(土) 23:40:09|
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標高1000m。
秋田県八幡平の山中の、隠れ湯のような鄙びた温泉宿。
運転の疲れと、湯上がりの心地よさと、全身に回り始めた酒の酔いとで、ボクはいつになく早い時間からうたたねをしていた。
キミはずっとボクの耳元でささやいていたんだね。
もしかしたらボクは、夢見心地の中で少しは「うんうん」と相づちを打っていたのかもしれないけど、実際のところボクはキミの話をほとんど聞いてはいなかった。
それでもキミのほうは特に構わないらしくて、寝ているボクの耳元で独り言のようにずっと何かをささやいていたのだ。
今朝は雨音で目が覚めたのだったね。
ザーザー降りの本降りではなかったけれども、しとしとしとしとと、トタン屋根を打つ雨の気配で、まどろみつつも「ち、雨か」と、がっかりな気分になっていた。
晴れていれば、前にこの辺りまで来たときに撮れなかった滝の写真を撮ってみたいと思っていたし、高原の沼地の写真も撮りたかった。朝寝坊のボクでも少しは早起きをして宿の周りを散策して、可憐な小さな花のクローズアップの一枚も撮ってみたかった。
それなのに、目をあける前から分かってしまう雨降りの朝だ。
ボクはふてくされて、わざわざ早起きすることもあるまいと、ひとつ寝返りを打って、このままずっと寝ていてやろうかと思うのだ。
片目だけ半開きにしてキミの気配を確かめると、キミもボクに背中を向けてまだすやすやと寝息を立てているようだ。
何もすることのないけだるい雨の朝だ。このまま二人でずっと寝ていよう。
チェックアウトの時間になったので仕方なしに宿を出る。
雨を気の毒がってか、「まだゆっくりしてもらっててもいいんですよ」と宿の人が言ってくれる。
そういう人情に、少し救われる。
昨日、この宿に向かう道すがら、「えっ、何?」と驚くような幻想的な花畑が突然目に飛び込んできた。帰り道では絶対ここの写真を撮っていこうと決めたのだった。
それなのにこの雨だ。
雨空の下で花を撮ってもなあ…と、思う。
だけれども、なんとなく侘しいものになってしまった今度の旅を、少しでも帳尻合わせしたくて、やまない雨の中、花畑の前でクルマをとめた。
イギリスの庭園風の、色とりどりの艶やかな花畑。標高1000mの、そこは天上の楽園。
ここで一枚写真を撮れただけでも、今度の旅をそんなに悪いものではなかったと思える自分である。
人に、そういう思いを抱かせられる花の強さだ。
※文中、〈キミ〉と表記したのは、別名〈津島ひなの〉。遠出するときにはいつも同行させている津島のiPod nanoです。
昨夜は、イヤホンをしたまま寝てしまったら、気づくと米朝落語が流れていました。
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- 2007/06/29(金) 21:04:37|
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昨夜は遅くまでずるずると家で飲んでいたため、風呂には入らずそのまま寝た。
今朝になったらさすがにカラダのべたべた感が気になって、出かける前にひと風呂浴びることにした。
ボクはぬるめの湯が好きなのだが、この季節、前の夜に沸かした風呂が、翌朝には絶妙の温度になっている。極楽なのである。カレーライスがつくって二日めのほうが美味しいのに似ている。
汗を流して、心身ともさわやかに仕事に出かけたのであったが、さて、同じ朝風呂にしても、たとえばこれからちょっとご婦人と逢う約束でもあって、そのたしなみとしてシャワーか風呂でもつかってから出かけようとするのであれば、自分で妙にそのことを意識してしまって、奥さんから「何で今ごろ風呂に入ってるの?」などと詮索されやしないかと、詮索されたらされたで、こちらも妙に意識してるから、「いや、その、別に‥」などと、ちょっとしどろもどろになって、かえって怪しまれやしないかと、それならいっそのこと、あえてシャワーも浴びずに出かけたほうがいいかしらん…などと、頭の中でぐ〜るぐるといろいろな思いがめぐり、それだけでめまいがしてしまう思いなのである。
昨夜風呂に入れなかったから朝仕事に行く前に風呂に入ってるだけなのだ…という現実があれば自分でも考え過ぎることはないのだが、ちょっと、ほんのちょっと、ココロにやましさがあると、妙に、妙に意識しちまうわけだ。
それはたとえば出張の時もそうで、あした実はボクは一泊で温泉の取材に出かけるのだけど、そういうときは実に平然と、「あした、泊まりだから」の一言で済まし、女房も、「あ、そう」で済ましてしまう。
ところが、これがもし、い、いや、あくまでも仮定の話なのだけど、よそのおねいさんと温泉に行く約束でもしちまって、それを仕事上の出張ということにして家を出ようとすると、やはり妙に意識してしまって、「あ、あした、出張で。い、いや、日帰りできなくもないんだけど、遅くなりそうだったらいっそ泊まってこようかななんて…」などと、ひどくぎこちない言い訳をしそうになる自分だ。
嘘はいけないと言ってしまえばそれまでだが、平和や幸福を守るためであれば、嘘は完璧につかなければならない。簡単にバレるような嘘はついてはいけない。
それにしては、ボクは上手な嘘はつけないタイプなんだよなあ。意外に小心者で。
今まで、仕事だということにして家を出たことは、まったくないわけでもないわけでもないわけでもないけれど。
案外、女房も、もしかしたら嘘かもしれないと勘づきつつ、気づいてない振りをしてくれているだけなのかもしれないけど。
たとえばボクが明らかに遊びで出かけることにして、女房には正直に申告すると、「お義母さんには仕事で出かけたことにしておくからね」などと、ボクの味方を買って出てくれる女房でもある。
昔、「セックスの時はシャワーなんか浴びず、むしろ汗臭いままのほうがいい」などと言い切った女友だちがいた。ボクにはそういうシュミはなかったので、正直、彼女の言葉には少し引いたが、共感は出来ないまでも理解は出来なくもない、と思ったことだった。
あのころ、彼女の気持ちは少し荒んでいた。自暴自棄というか、何か、自分で自分を無茶苦茶にしてしまいたいような、いくら酒を飲んでも酔えない苦しさにもがいているようなところがあった。シャワーを浴びて身ぎれいにして、ほのかにシャボンの香りで鼻腔をくすぐりながら、たゆたうように絡み合うのではなく、いっそ情交の最中に気絶寸前まで首を絞めるような、そんな激しいものでなければ、あのときの彼女の閉塞感は癒されなかったのだろうと思う。
人を押しつぶす苦しみの多くは、時が解決してくれる。
風の便りに、今の彼女は穏やかな日々を取り戻しているようである。まずはよかったなと、友人として思うのである。
ということで、津島は28日から一泊で温泉に行ってきます。
仕事ですから。
一人ですから。
う、嘘じゃないですからっ!
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- 2007/06/28(木) 02:29:51|
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『ある男の墓碑銘』
昭和10年の第1回芥川賞は、秋田県横手市生まれの作家石川達三の『蒼氓』に贈られている。そこでは、神戸移民収容所に日本全国から集まってきた移民志願者(秋田出身者もおり、作品の中で秋田弁が飛び交う)が十日間の収容所暮らしを経てブラジル移住に旅立つまでの人間ドラマが描かれている。その『蒼氓』の冒頭にこんな一節がある。
この道が丘につき当って行き詰まったところに黄色い無装飾の大きなビルディングが建っている。後に赤松の丘を負い、右手は贅沢な尖塔をもったトア・ホテルに続き、左は黒く汚い細民街に連なるこの丘の上の是が「国立海外移民収容所」である。 『蒼氓』の中で、上流社会を象徴するトア・ホテルの存在は、移住以外には生きながらえる術がないほど食い詰めた貧農の悲哀を、一層際立たせるのだった。
このトア・ホテルが、実は同郷の建築家下田菊太郎の設計によるものだったとは、おそらく達三も知る由はなかっただろう。
慶応2年(1866)に角館に生まれ少年期を秋田市で過ごした下田菊太郎は、のちにアメリカに渡って建築の修行を積み、現地で数多くの建築を手がけ、日本人初のアメリカ建築技師免許を取得している。その実績を携えて明治31年に帰国し、日本に本場仕込みの本格的な近代建築を広める先駆者の一人になるはずであった。東京駅をつくった辰野金吾や、旧帝国ホテルの設計者として名を残すライトのように、日本の近代建築を語るときには忘れられない人物になっていたはずなのである。秋田県民にとっても、誇れる先人として多くの人々の記憶に残っていただろう。ところが、運命は彼に味方をしなかった。菊太郎が入学した工部大学校造家科の指導教授であった辰野金吾と折り合いが合わず、辰野を頂点とする日本近代建築の本流から疎まれて、終生傍流に甘んじなければならなかったのだ。
そして、さらに不運なことに、国内に残る菊太郎の施工例が皆無に等しい(トア・ホテルも昭和25年に火災で焼失している)ため、彼を語るよすがといったものが乏しいのだ。
唯一、長崎市に彼が設計した旧香港上海銀行長崎支店の威風堂々たる洋風建築が残っている。長崎市最大の洋館でもある。この建物も、昭和60年代には老朽化のため取り壊しが検討されたが、市民から取り壊し反対の声が上がり、一ヶ月で10万人(市内有権者の三分の一)もの署名が集まり、修復保存が決まったものだ。菊太郎は、かろうじて彼の墓碑銘を残すことが出来た。長崎市民にも感謝しなければなるまい。
#2006年11月 『郷』Vol.61掲載
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- 2007/06/26(火) 15:53:00|
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ボクは、仕事では編集ものの写真を撮ることが多いので、一度に数十枚、多い時は百枚以上の写真を撮ってCDに焼いて納品するのである。
それに、サービスとしてA4の紙にインデックスプリントをして添付してやる。
A4一枚に30〜40カット程度のサムネイル画像が並ぶインデックスプリントが、納品前のボクの仕事机の上に無造作に置かれている。
ふらりとボクの仕事部屋を覗きに来た女房が、そのインデックスプリントを手にとって、「お、いいじゃない」などと、偉そうな言い方をするのである。
しかし、女房に自分の写真をほめられると、悪い気はしないのだ。「な、いいだろ?」と、ボクは自画自賛する。
ボクの写真は我流だし、(ちょっと個性的ではあるかもしれないけど)技術的にもセンス的にも中途半端で、良くも悪くもこういう写真しか撮れないし、どちらかといえばあまり自信もないのだ。
「だめだめ。こんな写真、使い物にならん!」…と、ボツにされてしまう夢を見ることだってある。
なので、一番身近な人間がボクの写真を分かってくれるという、それだけでボクにはとても大きな救いでもあるのだ。
先日取材に行ってきた温泉は、言うなれば“セレブ御用達”系の高級温泉宿で、それはそれでとてもよかったのだけど、貧乏が服を着て歩いているようなボクには、ちょっと敷居が高かった。
そういえば、『火宅の人』の檀一雄が、生涯の愛人となる恵子(作中の人物名)と初めて結ばれるのが青森県八甲田山中の蔦温泉であった。小説だから多少の脚色はあるのだろうけど、おおむね事実に基づいているのだとすれば、やはり二人は蔦温泉でそういうことがあったのだろうと思う。
木造の、古びた、いい味を出している温泉宿なのである。ああいう宿なら、ボクもあまり敷居は高くない。
今日逢った30代独身のY子に、ボクはこういう言い方をするのである。
「こないだ行ってきた宿ね、悪くはなかったんだよ。悪くはないんだけどね、連れて行ってあげたくても、一泊2万5千円、二人で5万円じゃあ、とても今のボクの甲斐性じゃ連れて行けない。あと、5年待ってくれないか」。
そううするとY子は、ボクの目を見ながら、「あと5年、待てばいいのね」と、少し寂しそうな顔をして応えるのである。
もちろん、ボクとY子はそういうカンケイではない。
何かのついでの雑談に、そんな“思わせぶりトーク”をして遊んでいるカンケイだ。
5年経ってボクのほうがすっかり忘れてしまっているころに、不意にY子から「あの日の約束は守ってくれるの?」と迫られたら、そうなったらこちらもニッポン男児、どこからか5万円工面してでも、その時は彼女を温泉に連れて行かないわけにはいきますまい。
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- 2007/06/26(火) 00:38:42|
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田沢湖は我が家からクルマで1時間半ほど。
行こうと思えばいつでも気軽に足を伸ばせる距離にある。
実際、仕事でもプライベートでも、田沢湖の湖畔道路を走る機会は少なくない。
ネットを通して知り合った友人が秋田に遊びにきた時は、武家屋敷の角館や乳頭温泉郷鶴の湯などとセットで田沢湖にも案内するのが通例になっている。
おとといも、温泉取材の帰り、どうせならすがすがしい気分で走れる道を通って帰ろうと思い、湖岸道路を経由して帰ってきたのだった。今日の写真はそのときのスナップ。
その四日前にも別の広告の仕事で田沢湖に行っているわけだから、まったく飽きもせず…といったところではある。
で、実は、秋田には、「田沢湖で恋人がデートすると別れる」というジンクスがある。
田沢湖には辰子姫伝説というのがあって、その辰子が、湖畔でいちゃいちゃしている恋人たちにヤキモチを妬くというのがジンクスの根拠らしい。
そのジンクスが気になって田沢湖には行きたがらない初々しい恋人たちもいれば、そろそろ区切りをつけたくて無理にでも恋人を田沢湖に連れて行こうとするやつもいるとかいないとか。
さて、津島の場合はどうであったかな。
女房を含めて何人かの女性と田沢湖には行っているけど、田沢湖に行ったあと別れたっていうケースはなかったんじゃなかったかな。
もっとも、津島の場合は、つきあいが自然にフェードアウトしていくことはあるけれど、はっきりと区切りをつける別れ方をすることはほとんどなく、今でも関係が続いているのかどうなのか、それはボクにも曖昧で、相手に聞いてくれって、言いたくなってしまう。
何年もご無沙汰していた人でも「久しぶりに飲まない?」と言われたらボクは「うん、いいよ」と応えるだろうし、あるいは、まだ一応つきあいが続いているつもりでいてもそのまま二度と会う機会のない間柄になってしまうかもしれない。
約束もしないし区切りもつけない…それでお互いが納得していられる男と女の関係というものも、ボクは嫌いじゃない。
そして湖畔道路をクルーズしながら、“あ、そういえば あ、そういえば”と、折々に田沢湖畔で一緒に過ごした女性の顔を思い浮かべて一人ほくそ笑むのである。
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- 2007/06/25(月) 00:35:14|
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今日も、秋田市の展望タワー「セリオン」に行ってきた。
いや、決して“遊び”でも“暇つぶし”でもないのだ。りっぱな(?)仕事なのだ。
ずっと連載をさせてもらっているフリーマガジンのフォトエッセイのネタで、今回はセリオン展望台から写した写真を使って展開してみたいと考えたのだ。
かりそめにも秋田県内で26万部(!)も発行しているフリーマガジンなので、責任は重大というか、胃に穴が空くほどの真剣さで取り組んでいるのだ。決して遊び気分でやれる仕事ではないのだ。
だがしかし、石部金吉ではない津島としては、どうしても遊びたい気持ちは捨てきれない。
幸い、展望台に上ってすぐに、撮りたいと思っていた構図の写真は撮れた。
じゃああとは“遊びの時間”だ。
ちょうど遠くの製紙工場の引き込み線からコンテナ列車がやってきた。
これだね。
これで模型のジオラマ風の写真をつくって遊んでしまおう。
てなわけで、仕事で出かけていっても、ナナサンで、ほとんど遊び感覚で帰ってくる津島であった。
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- 2007/06/23(土) 14:44:34|
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『おっぱいバレー』という本が、巷で話題になっているらしい。
おっぱい星人の津島としては、内容はさておき、おっぱいと聞いただけでちょっとワクワクドキドキしてしまう。
内容的にもかなり面白いらしい。しかも、実話を基にしているのだというから、一層想像をかき立てられる。ブームにすぐに飛びつくのはボクの主義じゃないからしばらく静観していたいけど、いずれは読まずにはいられまい。
しかし、ま、“エサ”というか“ご褒美”というか、世の中にはいろいろあると思うけど、「今度のバレーの試合に勝ったらおっぱいを見せてあげる」…と、おねえさん先生に言われたら、そりゃあ男子中学生は頑張るわ。男子の垂涎の憧れだもの、おっぱいは。
ボクだって、「原稿の締切守ってくれたらおっぱい見せてあげる♪」とかって言われたら、たぶん締切の二日前には原稿書き上げてしまう。平生の150%くらい(当社比)のパワーは振り絞られそうな気がする。
根がスケベだからおっぱいにばかり興味がいくんだと言われたらそれまでだけど、個人差こそあれ、意識するしないに関わらず、人間のオスがメスのおっぱいに強い執着を持つのは、神の摂理なんだ。そこには、〈種の保存〉という、非常に深遠な命題があるわけで。
母乳で子どもを育てるほ乳類は多しと言えども、人間のようにおっぱいにあれだけのふくらみのある動物は他にいますか?
人間だけでしょ?
本来、ほ乳類のオスは、メスのおしりに引き寄せられるものだったわけですよ、種の保存の摂理によって。
なぜならば、四足歩行の動物では、一番目に飛び込みやすいし、一番無防備だし、一番アピールしやすいから。
(たぶん、人間のオスがメスのおっぱいのことばかり考えているように、他のほ乳動物のオスはメスの尻のことばかり考えていると思います。いや、これはボクの想像だけど)
ところが、人が進化の過程において二足歩行を常にするようになると、オスにとってメスの尻は必ずしも一番に目に飛び込んでくるものでもなくなったし、メスとしても、全身の中で一番アピールしやすい部位ではなくなってしまったわけです。
そんなこんなで、“尻に代わるもの”として、人間の女性のおっぱいは、あのような“ふくらみ”を持つに至ったわけですな。
オトコはオトコで、なぜおのれが女性のおっぱいが気になって仕方ないのかということに答えを出せないまま、やっぱり理屈抜きでおっぱいに惹かれてしまうんですな。
女性の中には、おっぱいが小さいことを気にする人もいるのだろうけど、そんなのは取り越し苦労。ただそこにおっぱいがあるというだけで、femaleとしては平等に幸せな人生を送れるチャンスと可能性があるのです。
いくら男が女のおっぱいに惹かれるからといって、電車の中で赤の他人の男に勝手におっぱいを触られるなんてのは論外な話で、なんていうのかなあ、もっとこう、粋にというかスマートにというか、おっぱいを男と女のインターフェースの一つとして、お互いがほっこりとした気分になれればいいのになあと思う、今日この頃。
よし、こうなったからには、津島も話題作に対抗して、田舎の中学校の弱小女子バレー部のやる気を引き出すために頑張る新任コーチの奮戦記の青春小説でも書いてみるか。
題して…
[おっぱいバレー]の続きを読むテーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2007/06/23(土) 00:36:40|
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人のキモチというのは不思議なもので、周りにどれだけ人がいても言い知れぬ孤独感に押しつぶされそうになったり、その逆に、たった一人なのにとても精神が解放された満ち足りた気分になったりもする。
配偶者や恋人の存在も、必ずしもそれが満ち足りた気分を保証してくれるものではなく、かえってヒドい孤独感の原因になったりもするのだ。
ややこしい人間関係はご免だけれども、“誰かとツナガッている”という確信は、欲しいと思う。
愚痴をこぼしたいときに何も言わずだまって耳を貸してくれる相手。
向こうが愚痴の一つもこぼしたいときにその相手としてこちらの顔が思い浮かぶ関係。
そばにいながら孤独感を感じられてしまうよりは、遠く離れていても確かに二人はツナガッているのだと、そう感じられる人のいることが、ボクはシアワセだと思う。
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- 2007/06/20(水) 23:42:48|
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隔月の連載で一年余り続いたドライブ紀行風クルマ広告の日帰り取材に、先日行ってきた。
基本はモデルを絡めた取材なのだが、今回はモデル抜きで、ボクの他に、ディーラーの担当者、代理店担当者、デザイナーという、男4人だけのむさいロケであった。
初夏のさわやかな湖畔を風を切ってクルマを走らせたり、山あいのひなびた温泉宿で露天風呂を楽しんだり美味しいごちそうに舌鼓を打ったり…というシチュエーションだ。
2台のクルマに分乗した男4人は、湖畔の周回道路を撮影のために何度も行ったり来たりしてちょっとへろへろになって、同じ湖畔にあるオーガニックなメニューが売り物のレストランで昼食をとったあと、高原の温泉郷にあるT温泉に向かった。
部屋の写真や露天風呂の写真を撮ったりしたあと、撮影用の料理の準備ができるまで、ボクらは部屋でしばし待機することになった。
窓辺に立つと、眼下に渓流が眺められ、山あいの秘湯の風情ひとしおなのである。
…………
かれこれ15年くらいも昔になるかなあ。
その頃もボクは雑誌の仕事をしていて、やはり温泉ネタが得意だったこともあって、この温泉宿に一泊取材にきたことがあるんだ。
カメラマン兼ライターのボクと、モデルの女の子との二人だけで。
あまり予算もない仕事だったので、モデルといってもプロではなく、知り合いとか友だちとか、友だちの友だちとか、そんなあたりから調達して、ギャラも“友だち料金”でお願いしていた。
T温泉の取材でも、少し前に知り合って何度か酒を飲んだことのある女友だちにお願いした。声をかけたら、「一度そういうのをしてみたかったの!」と、喜んで協力してくれることになった。
プロであれ素人であれ、普通、温泉の取材では、女の子はバスタオルでカラダを隠し、さらにはその下に水着を着用することも通例になっているのだけれども、彼女はノリがいいというか大胆というか、入浴シーンには素っ裸で臨んだ。
カメラマンのこちらとしては真剣勝負なので、ハダカだろうがタオル着用だろうが粛々と仕事をこなすだけなのだけれども、常識的に考えてバスタオルでカラダを包んで風呂に入るのが不自然であるように、被写体が素っ裸でいてくれたほうが、自然なポーズもつけられるというものだし、雰囲気のあるいい写真が撮れたと、喜んだものだった。
ま、ぶっちゃけ、オトコとしては、“眼福”であったことも、まぎれもないことではあったけれども…。
入浴シーンに続いて夕食シーンの撮影も済ませ、あとは寝るだけ。
宿の仲居さんが、「お布団のほう、どうします?」と聞いてきた。
「へっ?」
言っている意味が分からなかった。
お忍び旅行じゃあるまいし、一応はまっとうな仕事で来ているのだから、一人ずつ別々の部屋でお願いしますと、前もって言ってあったはずなのだ。
「はい、そう伺っておりますけど、なんなら一部屋にお布団ふたつ敷かせてもらってもいいですし、私どもはどちらでも構わないのですが」
「いいんじゃない? それで」モデルの彼女もけろっとして言うのである。
想定外の展開。
「あ、あ、そうですか。じゃ、じゃあ、それで…」
「かしこまりました」
気の弱いボクは、その場の流れになんとなく逆らえないのであったのであった。
そして、その夜に起こったことは、酔っていたのであまりはっきりとは覚えていない。
…………
部屋の窓辺に立ってせせらぎの音に耳を傾けながら、
「昔ボクはこの宿でそんなことがあったんですよ」と、3人の男たちに聞かせてやろうかと思ったのだけど、一応ボクのイメージもあるので、しばしの逡巡ののち、やっぱ、言わないでおくことにした。
なので、今日のこの話も、皆さんは聞かなかったことにしてください。
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- 2007/06/20(水) 11:37:09|
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その日、仕事が思いがけなく早く終わって、昼頃には家に戻ることが出来た。
ヒマそうにしていた奥さんに、「遊びに行こうぜ」と声をかけた。
遊びに…とはいえ、今月はちょっと物入りで、ボクも奥さんもあまり金は持っていない。金のかかる遊びは出来ない。
昼なのでまずは腹ごしらえなのだけど、さて何を食おうか。
「全皿105円ていう回転寿しがあったよ」
「あ、それにしよう」即決。
「もう食べれない」と奥さんがギブした時点で、二人の前に積まれた皿は14、5枚。二人合わせて2千円にもならない。あー、なんて安上がり。
「くやしい。どうせならもっとお腹がすいているときに来るんだった」
「いやいや、少ない量で満たされるのが理想だ」貧者の屁理屈。
次は、秋田港の岸壁に立つ展望タワー「セリオン」だ。
地上100mの展望台は、今年4月から無料になった。
有料だった頃は、金を払ってまで見るほどのものもない…と、ボクは一二度くらいしか来たことがなかった。多くの人が同じように感じていたらしく、セリオンは長い間巨額の赤字続き。それで今春から思い切った転換で無料化に踏み切ったものだ。
タダだとなれば、ま、行ってやってもいいという気にもなるし、なんだか、気持ちにも余裕をもって展望台からの眺めをゆっくりと堪能できる気がするのである。
「お父さんお父さん、ちょっとこっち来て!」
「なんだよ」
「ほら、線路がいっぱい。なんだか模型みたいね」
「そうだろ? 男が鉄道模型に夢中になる気持ちが分かるだろ?」
「いや、それは分からないけど。でも面白い。あの機関車はなんであんなところに止まってるの?」
「あれはね…」と、しばし鉄道談義。
不思議だなあ。有料だったときには特に見たいと思わなかった景色が、無料になった途端に、なんだか見てて飽きない景色になっている。
その次に目指したのは秋田県立博物館だ。なぜならば、そこも無料だから!
ところがだ、博物館の前まできたら、「あ、水心苑に行きたい!」と奥さんが言い出した。それで急遽行き先変更。
水心苑は博物館に隣接する本格的な日本庭園。ここもかつては有料だったが今は無料開放されている。
今まではあまり関心もなくて、入口のあたりをうろうろして「こんなものか」と思っていたのだけれども、今回初めて奥まで入ってみたら、意外に中は広大で、植生も非常に豊か。さまざまな木や花を愛でながら、小一時間は楽しめる。奥さんなんかは、庭園が借景にしている裏手の小山の林の中に入っていってちゃっかり山菜のミズまで採っている!
ケチに徹して過ごした奥さんとの半日だったけれども、とても充実した時間の過ごし方だったなあと、ほんとにそう思うのである。
そんな先日の結婚記念日であった。
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- 2007/06/19(火) 00:43:37|
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キミは小さなハンドバッグを指に絡めたまま、後ろ手に組み、なんだかオバアサンのような穏やかなたたずまいで、ふむふむと目をにこやかに笑わせながら一軒一軒の町家を覗き込んでいるのだ。
そしてときどき、「あら」などと小さな感嘆の声をあげる。
それを少し離れたところでボクは確かに耳にしながら、キミが何に驚いているのかをあまり気にも留めず、ボクなりに気に入った風景をカメラで切り取っていく。
お互いに、てんでんばらばらの興味で、てんでんばらばらのペースでその宿場町の細い道をそぞろ歩きながら、不思議に二人の間はいつも同じ距離を保っている。
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- 2007/06/15(金) 14:58:14|
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ときどき、メールソフトの調子がおかしくなるんだ。
読み終わってメールボックスに残している着信メールはすべて〈既読〉になっているのに、何かの拍子に〈未読〉に戻ってしまう。
間違って消してしまうよりはいいけど、一つ一つ手作業で〈既読〉に直していかなければならないのでめんどくさい。
まあ、ついでなので、一つ一つ〈既読〉に直しながら、今まで消し忘れていたごみメールとか、もうこれは消してもいいなと思われるメールを削除していくのだ。
そういう意味では、定期的なメインテナンスの一環だと思えばいい。
しかし、その作業が別の意味で辛く思われることがある。
それは、今はほとんどメールをくれなくなったヒトが、かつての一時期にはとても頻繁にメールをくれていたという事実が蘇ってくることだ。
そういうメールをやり取りしていた季節のことや、その頃のボクの心の中のことなどが、フラッシュバックのように蘇ってくる。
今さら想い出すのはちょっと切なかったりして、できればずっと忘れていたかった。
だけれども、そんなメールはいつまでも捨てきれずにいる。
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- 2007/06/15(金) 02:40:11|
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ひと仕事終えた帰路、クルマを走らせていたら携帯が鳴った。
運転中の着信はまったく厄介だ。現実、去年運転中の携帯使用で一度捕まっているから、人一倍神経質になっている。
とりあえず路肩にクルマをとめて電話に出る。
「もぉしもし」
この第一声のトーンで誰だかすぐに分かる。
年に一二度ビデオ撮影の仕事をくれる東京の会社の社長だ。
「あ、どうも、お世話さまです」
「あの、(C国の)S市に行ってもらう件ね、S市で今建設中の超高層ビルが来春の完成だそうだから、どうせならそれから行ってもらおうと思ってね。その代わりって訳じゃないけど、(R国の)M市なんかどう? 行く? 冬場は辛いから行くとすれば9月くらいまでの間だろうけど」
「ははは、Mですか。面白そうですね。行けと言われればどこへだって行きますよ」
ボクは余裕で答えるのである。
「え、Mですか?! そ、そんな遠いところ、即答は出来ません。女房と相談させてください!」などと動揺したりはしない。
大体、ここの社長はひどく気まぐれなのだ。一度、「ブラジルに行かないか?」と言われ、半年近く現地の日系人とコンタクトとったりして準備万端というところまで来て、「特に今行かなければならないって仕事でもないんだよ」などと言うのである。結局ドタキャンだ。仕事を出す、もらうの関係だからボクから強いことは言えないけど、本来なら、準備にかけたコストをキャンセル料としてもらいたいくらいだった。
とにかく、そんなヒトだと分かったから、それからは、少しくらい美味しい話でも、あまり有頂天にならず期待せず、いつ立ち消えになってもいいくらいのつもりで、「はいはい、いいですよ。いつでもお引き受けしますよ」と、軽〜く受け止めているのである。
S市に行く話だって、最初は年明け早々に持ち出されて、早ければ3月か4月頃にということだったのだけれども、どうせまた土壇場で変更になるかもしれないと思い、家族にすら知らせていなかった。案の定、直前になって、「行くのは9月頃にしてもらえないか」と言う。「あ、そうですか。はい、結構ですよ」…、もうボクはどっちでもいいのだ。
そしたら今度は、「Sは来年にして…」という話。もう、全然オッケーです、ボク的には。
「じゃ、今年はMってことで、そっちでもいろいろ調べててよ」
「はい、分かりました」
というわけで、まっすぐ家に帰る道から回り道して図書館に寄って、『地球の歩き方』のM市が載っている版を借りて帰宅したのだった。もちろん、家族にはまだSのこともMのことも話していない。
「それとは別にね、…」社長が話を続ける。
「京都って、どう? キミの活動範囲?」
「ああ、はい。もう十年ばかり行ってないけど、いいですよ、行きますよ、クルマで」
「そう。じゃあ、行ってもらおうかな。あとで取材先のリスト送るから」
うはは、なんとまあ、これは“棚からぼたもち”ってやつだな。
京都には今年プライベートで撮影旅行に行こうと思っていたのだけど、“仕事で行けることになった”わけだ。
この仕事はビデオ撮影の仕事なので、東京の会社が所有するビデオカメラや三脚を借り受けて現場に向かう。
つまり、秋田をクルマで出発して東京に寄って、それから国道1号を西進(ボクはあまり高速道路は使わない)して京都に向かうのだ。
ギャラのほうはあまり期待できないけど、自費でプライベート旅行しようと思っていた分がタダになるのだから、これはちょっと嬉しい。
往路を東京経由として、復路で北陸方面でも回ってこれたら、撮影旅行的にはずいぶんとお腹いっぱいの旅になりそうだ。
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- 2007/06/14(木) 00:34:15|
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『ちょっと愉快な仁王クン』
失礼ながら、最初は何かの間違いではないかと思った。
大きなお寺や神社では、参道に仁王門があって一対の仁王像が祀られている。神聖な場に邪気を寄せ付けないのが仁王像の勤めだから、小さな子どもが見たら怖がるくらいに、ことさら険しい形相をしているのが仁王像の常だ。
ここは仙北市田沢湖梅沢の金峰神社。創建は養老2年(718)、社殿炎上の歴史を経て現在地に遷宮、仁王門の建立ですら今からおよそ150年前の安政4年(1857)の建立という、たいへん由緒のある神社だ。秋田県の天然記念物に指定されている樹齢400年ほどという参道の杉並木もなかなか見事なものだ。
それだけの由緒のある神社でありながら、あまたの寺社仏閣の険しい形相の仁王像とは一線を画す金峰神社の、すこぶる“ユニークな面体”の仁王像!
感じたままを正直に言わせてもらえるなら、まるで「子どもの工作」のようだ。いったい誰がつくったのだろうと逆に興味をそそられるが、近隣の大工の手によるものらしいという言い伝え以外には正確な記録は残っていない。
金峰神社は牛馬畜産の神様で、三代続く神社の社守で梅沢集落在住の高倉萬六さん(81歳)によれば、戦前戦中には200戸の集落で60頭のウマを飼っていて、神社の周囲は放牧場になっていたのだという。日が暮れる頃になると神社の周りで草を食む自家のウマを連れ戻すのが、子どもたちの仕事だったのだとか。
今は地域内でも牛馬の姿を見ることはないが、それでも金峰サマの威光はなかなかのものである。重い病気を患った人が神社にお参りしたら医者に宣告された余命よりも長生きできたとか、お参りした受験生が全員合格を果たしたとか、萬六さんは誇らしげに語るのである。
そういえばこの仁王像には、股の下を三度くぐらせると子どもの健康増進に霊験あらたかとの言い伝えがあるらしく、他では柵や金網で隔離されている仁王像も、ここでは引き戸で自由に中に出入りできる構造になっている。
金峰神社の仁王さんは、邪気を払うことよりも、人の命を育むことに思いを強くして、あのように柔和でユーモラスな面持ちでいらっしゃるのか。
神社では、今年前半だけでも4組の結婚式を挙げているという。時代に取り残された忘れられた存在ではなく、今でも人々の暮らしとともに息づいている“心のよりどころ”なのである。
#2006年9月 『郷』Vol.60掲載
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- 2007/06/12(火) 22:13:14|
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それではクイズです。
この消火栓はなぜやたらと背が高いのでしょう。4択でお答えください。
A.部品が余ってたのでシャレでつくってみた。
B.設計図には〈高さ60cm〉と書いてあったが〈高さ60寸〉と勘違いしてしまった。
C.ギネスに兆戦している
D.雪に関係があるらしい
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- 2007/06/12(火) 21:27:54|
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迂闊だった。
キミはこの津島ブログをあまり見ていないと言うから、すっかり油断していた。
実際は、けっこうマメにチェックしてくれていたんだな。
いや、キミがこのブログを見てくれることは一向に構わないのだけど、さっき女房がボクの仕事部屋に入ってきて、「あなた、ブログとかやってるの?」などと唐突に聞いてくるわけだ。
「えっ、あ、ああ、一応やってるけど、何か?」
「ノブコとメールしてたらね、ノブコが妙に我が家の様子を知ってるのよ。なんでそこまで知ってんのって聞いたら、ブログで読んだって。別にいいんだけど、変なことまで書いてたりしないでしょうね?!」
「か、書くわけないじゃん、そんなこと…」
そうは答えてみたものの、少しは変なことも書いてることにココロアタリがないわけでもないから、それ以上突っ込まれたらどうしようと、内心ドキドキしていたんだ。
いや実際、女房も自分のパソコンを持っていてネットにつながっているから、彼女が直接津島ブログを見ようと思えば見れなくはないんだ。それはある程度想定済みなんだ。かなりきわどいことも書いているけど、ま、この程度のことは女房も許してくれるだろうという許容範囲のつもりで。
ただ、現実には、女房はそういうことにはかなり無頓着だから、わざわざ自分からこのブログをチェックすることはないと思うのだけどね。
しかし、姪ルートからブログの話が漏れるとは想定外だった。
そりゃあ、「あんた、うちら夫婦のこと、どこまで知ってんの? うちの亭主、どこまで書いてんの?」と、気にならないわけはない。
あの、このブログの中の話は、多少の脚色や誇張や妄想に彩られているので、全部が全部、キミの叔父さんの真の姿だとは思わないことだ。
それと、ブログを見るのは構わないけど、親族のあいだでこのブログの話はなるべくしないように…。
やってることが大胆な割にはけっこう蚤の心臓の叔父さんは、今日は少し動揺してしまった…。
頼んだよ、ノブコ。
今度ババヘラアイスごちそうしてあげるから。
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- 2007/06/12(火) 00:29:15|
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週末も休日もなく、原稿書きや雑務に追われる日々。
スケジュール化されてしまった仕事は仕方ないけど、それが一段落したら思いっきり羽目をはずしてやるんだ!…と、それだけを励みに、机に向かっている今日この頃であるわけです。
昨日の日曜日も、できれば一日中自分の仕事をしていたかったけど、夫婦の時間も大切にしたい当宅としては、奥さんに「遊ぼうよ」と言われたら、それにはつきあわないわけにはいかないわけであるわけなわけです。
案の定、午後になって奥さんがボクの仕事部屋に「どっか、遊びにいこうよ」と、やってきました。
覚悟していたので、スパッと仕事を中断して、「よし、じゃあ、行こうか」と、阿吽の呼吸で、お風呂セット持参の日曜ドライブに出発したのです。
目指したのは、夫婦で何度か行ったことのあるG町のY温泉。
そのY温泉にあと2、3分のところまで来たとき、奥さんがぽつりと言ったのでした。
「どうしてさっきの温泉には行かないの?」
Y温泉の少し手前にK温泉があります。
ボクたちはその前を何度も通っているけれども、そこには一度も入ったこともないし、入ろうともしてなかったのでした。「あそこの温泉はどうなの?」と奥さんに聞かれるたびに、「たいしたことないよ」と、全然関心のない素振りを、ボクは見せていたのです。
「でも、そんなに行きたいのか?」
「うん、一応、いろんな温泉に入ってみたいし」
「分かった。じゃあ、今日はそこにしよう」
Y温泉の直前まで来ていたのだけど、急遽UターンしてK温泉に向かったのでした。
ボクがK温泉にあまり強い関心を示さないできたのは、若い日のちょっとしたエピソードを未だに忘れずにいるためかもしれません。
若い頃、ボクは地元の出版社の依頼で、県内の温泉の浴場の写真を撮って回っていました。
その中にK温泉がありました。
撮影そのものはなんの問題もなく終えられたのだけど、あいさつをして宿を辞しようとしたとき、四十代とおぼしきひと組の男女連れも宿を出ようとしていました。
普通なら、「ああ、夫婦で風呂に入りにきたんだろうな」と、別段気にも留めないところだけど、ただ、その二人連れの醸し出す空気のようなものが、妙に、妙に、夫婦っぽくないわけですわ。
(うぬ、これが世に言う“不倫カップル”ってやつか?!)…と、ボクはピンときたわけです。
いや、真相はわかりませんよ。あれでもれっきとした真正夫婦だったかもしれません。
でも、まだまだうぶだったその頃のボクは、〈世の中の裏側〉を見せつけられてしまった気分になってしまって、それからのち、なんとはなしにK温泉には足が向かないで昨日まできてたわけです。
どうですか、皆さんの周りでは?
当人たちは夫婦を装っているつもりでも端から見ると「違うでしょ、あんたたち」って、気づかされることとかありますか?
後年、うぶではなくなったボクは、のっぴきならない“大人の事情”により、奥さんではないヒトと温泉に入りにいったことも、実はあります。
そんなときは、つとめて、つとめて周りからは夫婦連れに見られるような空気を醸し出せるよう、粉骨砕身努力するわけです。
その一方で、奥さんと一緒のときに、「いい歳してあんなにいちゃいちゃして、あの二人は絶対不倫カップルだ!」などと周りの人を思わせられたら愉快だろうなと、不倫カップルごっこに興じるバカ夫婦でもあります。
K温泉は、入ってみたらアルカリ性のちょっとぬめり感のある湯が特徴的な、悪くはない温泉でした。
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- 2007/06/11(月) 12:23:31|
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ボクの初めての外国の仕事でドイツに出発したのは、7年前のちょうど今ごろの季節だった。
東京の会社の仕事だったので、渡航の前日朝の新幹線で秋田から東京に向かい、その日は東京で打ち合わせをして、都内で一泊して翌日成田から出発するのである。
昼前に神田の会社に顔を出して、簡単な挨拶をして、「4時になったら他のスタッフも来るのでその時最終の打ち合わせをする」ということになり、「ああ、それでは、それまでの間、ボクはこっちの友人と飯を食ってきます」と、一旦会社を抜け出した。それからお茶の水から中央線に乗って新宿に向かい、東口の交番の前でY子と落ち合ったのである。
Y子と知り合ってからはまだそれほどの月日は過ぎていなかったけれども、短い時間で意気投合するものがあって、ボクに親しみを感じてくれている彼女の気配が、ボクに伝わってきていた。
ドイツに行く話をしたら、「出発前に少しでも会えない?」と言ってきたのは彼女のほうだった。
ボクとY子は東口のどこかの店で食事をして(7年前のことなのでどこの店だったかは忘れた)、それから少しの時間、静かな場所でくつろぐことにした。
そしてボクたちは、とてもゆっくりとくつろいだ。
4時には打ち合わせがあるので、はずした腕時計をときどきちらりと覗きながら時間を気にはしていたのだけど、ボクの中でも少し、名残惜しかった。
もう、4時からの打ち合わせには絶対間に合わない時間になっていた。
ボクはおもむろに、「そろそろ行かないとまずいかな」などとつぶやく。「そうよね」とY子が応じる。
「じゃあ、行ってくるね」
「気をつけてね。パソコン持ってくんでしょ? メールを楽しみにしてるわね」
会社に戻ると、社長は明らかに不機嫌だった。
「すみません、すみません、時間を読み違えてしまって…」などと、ボクはへらへらと言い訳をする。
まるで水盃(みずさかずき)を交わすかのような、せつないY子との邂逅であった。
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- 2007/06/10(日) 03:43:40|
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レジャー情報誌の記者をしていた若い頃、おしゃれなラブホテルの取材に行ってとてもワクワクした気分になったことを覚えている。
その部屋で起こるであろうあんなことやこんなことの妄想が頭の中を駆け巡ったというより、ただ何をするでもなくこういう空間でのんびり過ごすのがとても心地よいものであるだろうなと想像させられたのだ。
実際、取材のときにホテルの人から聞いた話なのだけど、年配の夫婦がタクシーで乗り付けて休日の一日をのんびりホテルの一室で過ごして夕方またタクシーで帰っていくなどというケースもあるのだそうだ。その人たちが部屋においてある落書き帳に書き残していったものによると、夫婦の家は二世帯同居住宅で、あまり広くもない家だから、休日は自分たちが一日家を抜け出して若夫婦にも家でゆっくり過ごしてもらおうという気遣いなのだ。
確かに、ラブホは自分たちで持ち込めば飲み食いも出来るし、テレビやビデオも観放題だし、大きなバスタブの風呂にも入れるし、ふかふかのベッドで気持ちよく“昼寝”もできるしで、あんなことやこんなことをする目的でなくても、こんなに心地よい空間はないものだと思う。
独身時代、週末にボクの今の女房のアパートに遊びに行って泊まろうとしたとき、「今夜は何もしないで腕枕だけされて眠りたい」と、彼女が言い出したことがあったのだ。
とんでもない!…と、その時のボクは思った。
一つベッドの中にいて、何もしないで夜を越えるなんてことは、若いボクには考えられないことであった。
でも結局その夜は彼女に押し切られて、右腕を彼女の頭でロックされたまま(ボクは基本サウスポーなのでベッドでは左側に寝る)、やるせなさにさめざめと心の中で泣き、眠れぬ夜を過ごしたのであった。
しかし、当然のことながら、どんなに大恋愛のカップルでも、あつあつのおしどり夫婦でも、必ず“なんにもなし”の夜があるのだ。
その“なんにもなし”の夜をお互いが心地よく過ごせるようになれば、二人の関係はいよいよホンモノ…ということになるのかもしれない。
若い頃は「とんでもない!」と思ったけれども、このごろは、何もしない夜の心地よさをしみじみと感じることもあるのである。
そんな意味でも、「なんにもしないからホテルに行こうよ」とご婦人を誘ってみたいけど、…あんまし説得力はないか。
それに、行きゃあ行ったで、やっぱ、何にもしないで帰るのはもったいない気もするし…。
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- 2007/06/08(金) 15:55:21|
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取材で撮ってきた写真をCDにして東京の出版社へ送るために、クルマで中央郵便局に向かっていた。
ふと横を見ると、反対側の歩道を自転車に乗っていく女性とすれちがった。
「おや、あれはN子じゃないか?」
気づいたときにはもうほとんど真横で、振り返ってみても後ろ姿しか見えず、確かにN子だという確証は得られなかった。
しかし、その一瞬すれ違った自転車の女性は、急ぐ用事でもないようで、鼻唄でも唄っているようなにこやかな顔をして、のんびりと行き過ぎていったのであった。
N子とは、何年か前の短い期間、ときどき二人で酒を飲んだ仲だ。特に大きな衝突があったわけではないけれども、自然にフェードアウトするように二人の付き合いは終わっていた。
人そのものにも寿命があるように、人と人との関係にも寿命があるのだと思う。比較的短い期間で終わったボクとN子の関係は、それがきっと寿命だったのだと、ボクは受け入れることにした。
なので、撚りを戻したいというような強い願望はないけれども、今は幸せなのか、穏やかな日々なのか、ちょっと聞いてみたい気持ちはあった。
彼女の家の反対方向に自転車は向かっていたから、この先にあるスーパーにでも買い物に行く途中だったろうか。
ボクは、郵便局の窓口でCDを出すと、まっすぐには家に向かわず、少し寄り道してスーパーの駐車場にクルマを入れた。
店内を一回りして彼女の姿を見つけたら、偶然を装って彼女に声をかけ、近況を聞いてみたいものだと思った。
だけど、一回りしても店内に彼女の姿はなかった。いや、彼女も店の中にいたのかもしれないが、ちょうどお互いが商品棚の陰になってしまっていたのかもしれない。
まあそれも運命だろう。未練を引きずらず、今日は家に帰ろう。自転車を漕ぐ彼女の表情が穏やかだったのが救いだ。
あれは、初夏の昼下がりのマボロシ、だったのかもしれない。
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- 2007/06/08(金) 01:35:46|
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『バベル』を、観たんですわ。
実はそんなに期待してなかったんだけど、観てみたらなかなか面白かった。
ストーリー自体も、まあまあボクは嫌いじゃなかったけど、それよりも、映像のテイストがなかなかすごいものがあったなと。
特に東京ロケの部分が際立っていたのだけど、ストーリーとは直接関係ない1秒にも満たないような細かい細かいインサートカットが無数にちりばめられているわけ。
まるでスチールカメラマンが撮ってきた街歩き写真のスライドショーを観ているような感覚。
それだけでもこの監督ってすげーなと思った。ああいう映像の組立ができるなんて。
写真をやっている人は、そういう視点であの映画を観てみたら面白いと思う。
ああ、なんだか、動画も撮ってみたくなったな。
今は、ハイビジョンカメラも手が届く値段で買えるし、ちょっとした編集は手持ちのパソコンでも出来てしまうからね。
ストーリー?
そうだねえ、たとえば…
自分の撮りたいものが分からなくなってしまった風采の上がらない中年カメラマンが、現実から逃れるようにしてカメラ一台とウイスキーの小瓶だけを持って旅に出る。
現実逃避だけが目的だから、ただただ列車まかせにどこか遠くに行ければよかったのだが、海岸線を走る列車の窓から海を眺めてウイスキーをあおっているうち、ふと、昔つきあっていた女が住む町に行ってみたくなる。
今さら昔の女に会ってどうする。かえって自分がみじめになるだけじゃないのか?
でも、どうせ途中でのたれ死にしてしまうかもしれない旅なのだ。
この世の見納めに、遠くからでもあの女を一目見てみたい。
男は、少しだけ迷ったのち、乗換駅で発車直前の列車から飛び降りた。
この駅から違う路線に乗り換えれば、彼女の住む町がある。
俺と別れたあと、あいつはどうしているのだろうか。
苦しい生活を送っているのだろうか。それとも、いい男と出会って、俺と一緒の頃よりも幸せに暮らしているのだろうか。
山あいの、小さな無人駅に列車は止まる。あと一駅で彼女の住む町だ。
その駅から、ラケットを抱えたさほど若くはない女性が2、3人、笑い声を上げながら列車に乗り込んできた。テニスサークルの仲間といったところだろうか。
その一団が、俺の座る席の横をすり抜けようとしたとき、その中の一人の女が、「あれ?」っという声を上げて立ち止まった。
「もしかして、しゅうちゃん?」目を丸くして驚いている。
俺のほうも、あまりの唐突にあわてふためく。まさしく、俺が会いにいこうとしていた女だ。
「どうしたの? お仕事?」
「い、いや、長く続いていた仕事が一段落したんでね。気晴らしに旅でもしたくなってね」
「ここ、座っていい?」
女も、俺と出会って、まんざらでもないようだ。
「驚いた。そういえばお前はこのあたりに住んでいたんだったな」
「ふふふ、昔のまんまよ。しゅうちゃんは? 結婚してるんでしょ?」
「ああ、甲斐性のない亭主で、女房には苦労させてるよ」
「ははは、しゅうちゃんは女を幸せにできるタイプじゃないんだよね。あはは」
「お前はどうなんだ? テニスなんかしてるとこ見ると、今や有閑マダムか?」
「へん、男はもうこりごり。貧乏でも、自分の好き勝手に生きていくことにしたの。あ、ところで、あなたの旅は急ぐの? うちに寄ってけない? ひさしぶりだもの、お茶でもごちそうしたいわ。あ、しゅうちゃんはお酒か。ふふふ」
「俺は別にかまわないけど、いいのかい?」
「ふうん、けっこう小ぎれいにしてるんだな。苦労してる感じじゃなくて救われるな」
「スローライフよ。贅沢さえしなきゃ、お気楽に生きていけるもんよ」
ふと眺めたベランダに男物のジーパンの洗濯物。
「あれ、一人暮らしじゃなかったのか。誰かと一緒なんだ」
「残念でした。息子よ、息子。御飯さえ食べさせてりゃいいから、一人暮らしも同然だわ」
「へえ、息子がいたのかあ。お前もおかんかあ」
「高1よ。変わった息子でね。重量挙げやってんの。もっとかっこいいスポーツはいくらでもありそうなのにね」
「高1っていったら16か。16の息子のおかんなんだ。ん? 待てよ。俺たちが別れてからちょうど16,7年になるんじゃねえか? ま、まさか、お前…」
「ふふふ…」
…というような展開で。
タイトルは、『バーベル』なんちて。
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- 2007/06/06(水) 01:47:23|
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ボクにときどきメールをくれる女性(既婚)がこんな話をしてくれた。
彼女の女性の友人の夫が浮気をして、それが露見してしまって、あとはお定まりのドロドロの修羅場で、しまいには、夫も相手の女性も奥さん自身も、みんながボロボロになってしまったという話。
だから浮気はよくないのだ、やっちゃいけないのだ…と言ってしまったらみもふたもない。
人は、浮気心を一度も起こさずに一生を終えることのほうが難しいと思う。
一般に、多くの人が一生のうちに何度か恋愛をする。ひとつひとつの恋愛は、とても情熱的な真剣なものであるかもしれない。
この場合は、一つの恋をしている時とその次の恋をしている時とで時間的に重複していないから特に問題にならないわけだけれど、考えてみれば、浮気というのは、そのような複数の恋が、時間的間隔を置かずに発生してしまった状態に他ならないのだ。
浮気など絶対するはずがないと信じていた人に浮気をされたら、それはショックで、半狂乱になってもおかしくはないけれども、浮気の一つでダメになってしまうような関係というのは、もともととても脆い関係だったのではないかと、思うのだ。
本来、一緒に暮らすとか一緒に生きるとかいうパートナーは、支えられたり支えたりする関係なのだと思う。この人をずっと支えてあげたいと思い、この人にずっと支えられたいと思う関係。
そういう関係性がしっかり築かれていれば、たとえば大きな病気を患ったり、とんでもない不始末をしでかしても、「ここは自分が支えてやらなければ」…と考える。そういう関係性を築けないままずるずると来てしまった間柄だと、ほんのちょっとしたアクシデントでも、一瞬にして〈昨日の友は今日の敵〉になってしまう。
パートナーと〈支えあう〉関係がしっかり築けていられたら、イレギュラーな出来事の一つや二つ、屁でもないのだ。
(ツシマガウワキノヨウナモノヲシテイルカドウカハトモカク)
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- 2007/06/05(火) 00:23:09|
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この前も一つ失敗したのは、女房と一緒に山の中の温泉に行った時「この先にある滝を一緒に見に行ったことがあるよね?」と聞いたら、女房が「いや、ない」と言ったことだ。
正直に言えば、その滝へは他の女性とも行ったことはあるのだけれども、ボクの中では「確か女房とも行っているよなあ」…という記憶になっていたのだ。
うちの女房もけっこうトボケたところがあって、実際には行ったことがあるのに「行ったことがない」などと言い張ることがある。だから、真相は今のところはっきりしていない。
実際に女房を現地に連れて行けば、「あ、ここ、来たことある!」なんてことになるかもしれない。
それはいわば、“助手席シンドローム”と呼んでいいようなものかもしれない。
運転をしている者は、自分が今どこを目指さなければいけないかがはっきりしていて、道順もしっかり覚えていなければならないし、地図上でいえば自分が今どの辺りにいるのかも把握している。
それに比べて助手席にいる者は、人任せに移動しているだけだから、目的地まであとどれくらいであるかとか、自分が今どの辺りにいるのかというようなことが、曖昧になってくる。
その意味でも、ボク自身はどちらかというと助手席に座るのはあまり好かない。自分が今どこにいるのかが判然とせず、少し苛立ってくるのだ。
人には、運転席タイプの人間と助手席タイプの人間があるのかもしれない。
- 秋田県にかほ市 元滝 -
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- 2007/06/02(土) 23:43:57|
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【秋田県民にしか理解できないネタ】
津島中学校修学旅行団は、まだ一人宿舎に戻っていない生徒がいますが
おおむね予定通り今日の日程を終了しました。
ご安心ください。
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- 2007/06/02(土) 10:57:39|
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『英知のほとばしり』
仙北郡美郷町六郷は、湧水の里としてよく知られている。
街の中には主だったものだけでも60カ所余りの清水があり、今でも冷たく清らかな水が湧出している。
六郷の街の中心部は巨木が多く、街全体がすっぽりと森の中に包み込まれているような、とても風情のある街だ。夏の暑い日、六郷の緑陰に憩い、清冽な湧水でノドを潤してみるという「避暑ドライブ」も悪くないだろう。
この六郷の湧水群は、扇状地形のなせるわざであるが、六郷の人たちは、ただ一方的に天の恵みに浴していたわけではない。
ここは、秋田を代表する穀倉地帯である仙北平野の一角でもあり、農民にとって水は生命線。藩政時代から藩は水源域の七滝山の森林伐採を禁じ、山の保水力を高め、水源涵養に努めてきた。
米づくり農家にとって、水の確保は最大の関心事の一つ。ことに水不足の年など、地域ごとの水の取り合いとなり、時間で区切って水を分け合ったり、話し合いがつかない時などは近隣の集落同士で流血事件に発展するような水争いも絶えなかったという。
そのような水との苦闘の歴史の末に生み出されたのが、「円形分水工」と呼ばれる極めて合理的な分水施設だ。
六郷中心部から東方にある関田円形分水工は、丸子川から取水された水が地下を通って円形のタンクに貯められ、それがタンクの周囲にあけられた180個のオリフィス(孔)から溢れ出す。その水が各地域の受益面積に比例して集められて一本の堰になって流れていく。たとえば、全体の10分の1の水の配分を得る地域は、18個のオリフィスから溢れる水を一本の堰にまとめて引いていくことになる。
この分水工が完成したのは昭和13年(1938)。当時の最先端の分水法だったという。それから70年近くになろうとしているのに、今でも立派に現役で現代社会に役割を果たしているのだから、大いに評価していい存在と言えるのではないだろうか。
この分水工の水は、農業用水としてだけではなく、地域の人々の生活にも役立っている。分水工のある位置が標高約90m、町の中心部の平均標高が約50m前後。この高低差を利用して、町内の消火栓にポンプを使わずに消防用水を送り続けてきたのだ。
「日本人は、水と平和はタダだと思っている」などとよく言われることがある。しかし実際には、現代の水風景には、多くの先人の労苦と英知がしみ込んでいるのだろう。一杯の水を飲む時にも、そんな人と水の歴史に、想いを馳せてみたいものだ。
[キャプション]
六郷の円形分水工は、美郷町役場六郷庁舎前から東の「六郷温泉あったか山」方向4kmのところにある。現在は小公園風に整備されていて、間近に水の躍動を眺められる。湧水群が静の水風景とすれば、分水工は動の水風景だ。マイナスイオンも全身に浴びることができるだろう
#2006年7月 『郷』Vol.59掲載
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- 2007/06/01(金) 18:11:33|
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【車両通行規制】
この先、車幅3m、車重3tを超える車両は通行できません。
制限以下の車両は勇気(または覚悟)をもってお進みください。
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- 2007/06/01(金) 12:52:24|
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街でばったりと昔のガールフレンドに出会ったのだ。
何年ぶりになるだろう。実に懐かしい。
ボクたちはそこで少しの間、立ち話をしていたのだけど、「上がってお茶でも飲んでく?」と、彼女が言ってきた。
そう、彼女のマンションはすぐそこにある。忘れもしない。つきあっていた頃には1、2度部屋に上がったこともあったから。
「散らかってるけど、その辺で休んでて」
ああ、見覚えのある部屋だ。
またこの部屋に入る日があるとは思ってもいなかった。
ボクのほうは今でもずっと彼女にほのかな想いがあるのだが、「もう終わりにしましょう」と言ったあの日の彼女の決心を、ボクは尊重しようと思っていた。そして、今は彼女にも別の恋人がいるようであったから、今の彼女の平穏な日々を、ボクは邪魔したくないとも思っていた。
テーブルの上にポケットアルバムが無造作に置いてあった。断りもなくそれを開いてみる。友だちと行った旅行の写真のようであった。楽しそうな彼女の笑顔がはじけている。
ピンポーンと、ドアホンの音。
「はーい」と言いながら小走りに玄関に向かう彼女。
何かの集金らしい。彼女の声で、「あちゃー」とか言っている。
「足りないのかい? いくら?」
「千円ほど…」
ボクはジーパンの後ろポケットに入れていた財布から千円札を取り出して彼女に渡した。
それで支払いを済ませてから、気まずそうな笑いを浮かべて「ごめんね」などと言っている。
「いや、いいよ、それくらい。ピンチなのか?」
「う、うん、ちょっと。給料日前だから」
「そう。じゃあ、これだけあればとりあえず足りるかな」
ちょうど財布の中に5千円札があったので、それを彼女に差し出した。
「いいの? ごめんね、じゃあ、お言葉に甘えて、ちょっとだけ貸してもらうね」
「いいってことよ。オレとお前の仲じゃねえか」
ボクもあまり金回りはいいほうではなかったが、曲がりなりにも昔惚れていた女だ。ここは一つ気っぷのいいところを見せておかないと。
それに、今金を貸しておくと、それを返してもらうときに、少なくともあともう一回は彼女に会える…という、そんな未練がましいシタゴコロも、なくはなかった。
彼女がコーヒーを入れてくれて、小さなテーブルをはさんで向かい合って座り、ひとしきり想い出話に花を咲かせる。ボクがコーヒーをブラックでしか飲まないことを彼女は今でも覚えていて、最初から砂糖もミルクもすすめられなかったのが、ボクは密かに嬉しかった。
そのうち、また玄関のほうでなにやらガチャガチャと音がしている。
リビングに腰をおろしたまま、彼女が身をそらせて玄関のほうを覗いている。
「あ、彼だわ」
「えっ?!」
ボクはかなり動揺した。ここで浮気をしているわけではないし、二人でハダカでいるところを見られたわけでもないのだから、そんなに慌てることもないとも思うのだが、彼氏に変に疑われないためには、どんな言い方をすればいいのか。ボクは、いつになく狼狽した。
「荷物だけ置いていったみたい。クルマを駐車場に入れてから戻ってくるんだわ」
「やっぱ、オレはここにいないほうがいいよな。顔を合わせないうちに帰るわ。コーヒー、ごちそうさまな」
「あ、ごめんね、あたしから誘っておきながら。お金、近いうちにちゃんと返すから」
「うんうん、じゃ、じゃあ、ほんとに帰るから」
ボクは、よその家の奥さんと浮気をしていたら突然亭主が帰ってきてパニクっている間男のような慌てふためきぶりで、靴のかかとを踏みつぶしたまま、大急ぎで彼女の部屋をあとにしたのだ。
「ごめんねえ」
「うんうん、そのうちまた!」
上半身だけドアの隙間から見せて見送っている彼女に、ボクは満足に目も合わせず、ひたひたとマンションの廊下を小走りに走り、角を曲がってエレベーターに乗り込んだのだった。
心臓が、ばくばくいっていた。
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- 2007/06/01(金) 00:43:22|
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