
クルマを走らせていて、時々は道に迷い、遠回りしてしまったり余計に時間がかかってしまったりすることもあるが、それでもボクは比較的道を知っているほうだと思う。
東北六県くらいなら、地名を言われればそこまでの道筋と大体の到達時間を予測できる。
カーナビは便利だと思うし、金に余裕があったらつけてみたいという思いもあるけど、カーナビをつけていると、それに頼りすぎてかえって道を覚えなくなってしまうのではないだろうか。
道は、迷いながら迷いながら覚えていくのが一番…と信じる昔気質の津島であった。
それに、迷い込んだ道で思わぬ発見や素晴らしい風景に出会うこともある。そういう楽しみは、カーナビでは味わえない。
恋も、まあその伝だ。
迷わずに目的地に無事にたどり着けるカーナビのようなものはないのだ。
仮にあったとしても、それに頼りすぎて、結局はほんとの恋の道を覚えるのを遅らせるだけになってしまうだろう。
恋がなかなか思惑通りに進展しなかった時、それに苛立ち、相手を責めたり嫌味の一つも言ってやろうかという後ろ向きの感情がもたげてくることがある。せめて愚痴の一つも言いたくなってくることもある。
しかしまあそれは、抜け道だと思って入り込んでいった道が実は袋小路だった…というようなもので、そういうときは潔くUターンしてどこで道を間違ったのか反芻して、もう一度スタート地点からやり直してみることだ。
何度も何度も恋の道に迷わなければ、恋愛上手にはなれないのかもしれない。
ただし、何度迷っても上手になれないのは、それはただの“ぶきっちょ”ってもんだ。
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- 2007/05/31(木) 02:24:12|
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ボクと同じように写真をやっている人と、同じ場所に立って同じものにカメラを向けて写真を撮っても、全然違うテイストの写真になっていることがある。
感性、視点、表現意図がまちまちなので当然と言えば当然なのだけど、その“違い”が、とても新鮮に感じられる。
同じものを見ていたはずなのに、“ボクにはそうは見えなかった”し、“向こうはボクのようには見ていなかった”…ということもあるわけだ。
恋も案外そんなもんで、同じ一つの恋をしていながら、実は、お互いがその恋を微妙に違う見方をしている…なんてこともあるんじゃないだろうか。
というかむしろ、“自分がこう感じているのだから相手も同じように感じているはずだ”と思い込むのが少し安易的すぎて、どこか微妙に感じ方が違っていてもおかしくはない…という考え方をしたほうが、無駄な軋轢を生まずに済むような気がする。
同じベッドに寝ていても見る夢は別…ってこと。
しかし、たとえ見る夢は別でも、同じベッドで寝ることは肝心。
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- 2007/05/30(水) 02:16:34|
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ゆらゆらとアスファルトからかげろうが立ち上る日差しの強い初夏の日の昼近く。
あなたは三分袖の涼しげなワンピースで、ガード近くの小公園のわずかな木陰の下でボクを待っていたのだった。
若者のように大げさに手を振って自分を見つけさせるのではなく、少し照れてはにかんで、それでいてつとめて冷静でいようとして、二人にしか分からないような控えめな目配せで、ボクたちは距離を縮めていった。
待たせたね。
そうでもないわ。
夜を越えることを許されないボクたちの恋は、かげろうの中におぼろげにゆらめくように、記憶にも残らぬほどのはかなさで、ほんのわずかな時間を寄り添って過ごすのだった。
夕方になる前には、改札口の向こうに消えていこうとするあなたを、さりげない握手ののち、ボクはコンコースで見送った。
余韻というものもあったし、いつかはまた会えるのだという安心感で、別れの瞬間もそれほどさびしくはなかったものだ。
少なくともあの頃は、ボクが誘うとずっとそれを待っていたかのように、あなたは喜々として約束の場所にやってきてくれたのだったね。
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- 2007/05/28(月) 14:24:22|
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反対列車待ち合わせのため10分の停車だ。
急ぐ旅ではないから気にもならないが、なんとまあ悠長な列車ダイヤなことか。
ワンマン列車の運転士は、列車を止めてドアを開けると、自分もさっさと運転席を離れてホームの隅でうまそうにタバコを吸うのだ。
こちらも、北海道のすがすがしい空気を胸に吸い込もうと、ホームに降りてみる。
先にホームに降りていたあなたは、ぐぃーっと背伸びをしたあと、振り向きざまにボクに、「もう羊蹄山は見えないのね」と、言うのだ。
ボクは、「ああ、山の陰になってしまったみたいだね」と、答える。
倶知安駅ではホーム越しに偉容を眺められた羊蹄山が、曲がりくねった線路の4駅先の蘭越では、もう小さな山陰に隠れてしまっていた。
ていうか、おいおい、同じ列車に乗り合わせたというだけで、一面識もないのに、なんでいきなり“タメグチ”なんだ?
小樽から長万部まで、鈍行列車でおよそ3時間。
それくらいの時間を同じ車内で過ごすと、人はちょっとだけ、“運命共同体”のような気分になってくるのだろうか。
たった一人の客の乗り降りもない山の中の小さな駅のホームで過ごす10分間は、北海道の遅い春の気配を堪能するのには十分な時間だ。
やがて下り列車がディーゼルエンジンを唸らせて反対ホームに入ってくる。
そして、ボクたちの乗った列車は、何ごともなかったようにまたゴトリと動き出すのである。
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- 2007/05/27(日) 01:18:51|
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もうすぐ、キミとはお別れなのだね。
この半年の月日、長かったような短かったような。
少しずつ、季節が移ろっていたことは知っていたんだ。でも、それに気づかず、いつまでも時が止まったままでいてほしかった。
凍える夜、キミの優しいぬくもりは、ボクを幸せな気分にしてくれた。
何度かはキミと一緒の夜を明かしたこともあったよね。
ある朝目覚めたら、きっとキミはボクの目の前から消えているんだ。
そうしてボクは、そのとき初めて、何かとても大切なものを失ってしまったような気持ちになって、心の中でめそめそと泣くんだ。
キミがいなくなってからのしばらくの日々を、ボクは素っ裸で人前に出るような、なんとも不安な気分で過ごさなければならない。
いつか、キミがいなくても平気になる。だけど、つい今まで目の前にあったものが消えてしまうことには、何度繰り返しても慣れることはない。
辛いなあ、居間のコタツが片付けられると…
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- 2007/05/26(土) 14:05:52|
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この前の日曜日にシバザクラの撮影に行ってきたのだけど、あまりに天気が悪くて花の色もよく出ず、これで今年のシバザクラの写真を終わりにしてしまうのは我慢がならなかった。
月曜日からは好天が戻ってきたのだけど、今度はこっちが忙しくてなかなか出直せない。好天は続き、そして明日からはまたくずれていく予想。出かけるなら今日しかないではないか。
午前中はデスクワークで潰れてしまったけど、午後からなら動ける。一計を案じた。女房を誘ってみることにした。
女房は、あの場所のシバザクラよりも、周りに生えているワラビに惹かれている。前回は、せっかくシバザクラを見せに連れて行ってやったのに、ワラビ採りのほうに夢中になってしまって、亭主としてはガッカリだったのである。女房は女房で、夢中でワラビを採っていたのにボクから「いい加減にしろ」とたしなめられて、ちょっと不完全燃焼な気分だったかもしれない。
それで今日は最初から、ボクは撮影、女房はワラビ採りと、はっきり目的を決め、呉越同舟、一石二鳥の魂胆で出かけていったのだった。女房がワラビをたくさん採ってくれて、いろいろに料理して食卓に並べてくれたら、貧乏な我が家の食糧問題への貢献小さからぬものがある。
ただ、思わぬ誤算があった。「オレがシバザクラを撮っているあいだ、キミは好きなだけワラビを採っていていいから、一緒に出かけないか」と誘ったら、「うん!」と満面の笑みで応じながら、いそいそと〈お風呂セット〉の用意を始めたのである。おいおい、誰が温泉に入ると言ったよ!
とにかく、そんなこんなで、現地に着いてからほぼ1時間ほど、ボクは満足のいくまでシバザクラの写真を撮れたし、女房も、そこらあたりに生えているワラビを根こそぎ収穫できて大満足の様子であった。そして、やっぱりどうしても温泉に入っていきたいのだと言う。すぐ近くに公共の温泉施設がある。だけど今日のボクは温泉に入る気分ではなかった。それで、女房が温泉に入っているあいだ、ボクはもう少しシバザクラを撮っていることにした。
こうして、亭主の道楽と女房の実益を両立させて一日を過ごしたのだった。
ワラビは、ボクの提案でかき揚げもつくらせた。
粗塩で食うと、なかなか旨いワラビのかき揚げであった。
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- 2007/05/25(金) 00:56:50|
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過日出張でホテルに泊まった時、前夜にある女性と親しく話をしていて、「明日の朝早起きしたいので、キミの声でホテルの部屋にモーニングコールしてくれればいいのにな」と、頼んでみたのだ。
時間になったら起きる方法はいくらでもあるので、彼女に電話をさせるというのは、ちょっとした遊び心だった。
はたして翌朝、彼女は約束通り電話をかけてきてくれた。
ボクのほうから頼んでいたのだし、その電話の主は彼女以外には考えられなかったのだけど、受話器から流れてくる声は、正直、特に“聞き覚え”のあるものには感じられなかったのだ。
彼女には失礼だが、なんでもないときに突然彼女から電話がかかってきたら、ボクはすぐには彼女だと気づかないかもしれない。
それは、彼女が印象の薄い存在だということではなく、まだほんの一年余りの付き合いで実際に逢ったのも5回に満たないくらいだという物理的な問題だろう。
もし幸いにこれからも長い付き合いになれば、いきなり電話口で「ねえ」と言われただけでボクはすぐに彼女と気づき、「ん、なんだい?」と応えるかもしれない。
実は、そういう体験を、昨日した。
これといった仕事の予定もなく天気もぱっとしなかったので家の中でぐずぐずしていたら電話が鳴った。
「もしもし」と言ったその最初の一言だけで、“あ、N子だ!”と、ボクはすぐに気づいたのだ。
それで、「やあ、ひさしぶり。珍しいね。どうしたの?」と、ボクは応じたのだ。
N子の電話の用件は他愛のないもので、ボクたちの会話は短い時間で終わってしまったのだけど、あとからつらつら考えてみるに、メールではしばしばやりとりしているとはいえ、実際に彼女の肉声を聴いたのは何年ぶりだろう。2、3年は経っているかもしれない。2、3年が過ぎていてもすぐに彼女の声だと分かるボクの記憶力が嬉しかった。かつてボクたちは、何度か逢瀬を重ね、その間にボクは彼女の声色を記憶できるまでに至ったのだ。
ある時期に、なにげなく「今度いつ逢える?」というようなことを問いかけたら、彼女は少し遠回しに、“しばらくはそういう予定はつくれない”というようなニュアンスのことを言ってきたのだった。
恋は引き際が肝心…といつも思っているボクは、そこにわずかな風向きの変化を感じ、もう自分の口からは「逢おう」ということは言わないことにしたのだった。
そんなことになってからもう2、3年も過ぎているわけで、今になってメールでも済ませられるような他愛ない用件で彼女が電話してきたことに、ボクは内心少し驚いていた。
確認したい用件があったというのも事実だろうが、久しぶりにボクの声も聴きたいという思いも、少しは彼女の中にあったのだろうか。
いやいや、淡い期待を抱くのはよそう。
ボクは、自分から電話をかけるよりも、かかってくるのかこないのか分からないような電話をいつまでも待っているような生き様が、性分にあっている。
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- 2007/05/24(木) 12:17:53|
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そのビデオは、どこかの地方にある場末のラブホテルの一室で撮られたもののようであった。
登場するのは、風采のぱっとしない中年の二組の男女。AV俳優などではなく、まったくの一般人。
想像するに、普段から一緒に遊ぶことが多い仲のいい二組の中年夫婦が、その普段の遊びの延長線上で、ひょんなことから「一緒にラブホに行っちまおうか!」と、トントン拍子にこうなっちゃった、という感じなのだ。
なので、エロビデオを売って儲けようなんて魂胆はなく、ビデオを撮るのもあくまでも遊びのうち。
ていうか、ほとんど固定で撮っている撮影技術も稚拙だし、画面の中でプレイをしている4人の男女の、そっちのほうの“技巧”も、笑っちゃうくらいお粗末。思わず、「そうじゃないだろっ!」って、ツッコミたくなってしまうくらい。
彼ら彼女らは、ちょっと照れたりはにかんだり、少しおろおろしたり色々試してみたりすぐにそれを諦めてみたり…。
観ていて多少“じれったい”ところはあるのだけど、それにしても、“ああ、この人たち、楽しそうだなあ…”と、ほのぼのとした気分で、ボクはほおづえついてパソコンの中に流れるエロビデオを見入っていたのだった。
ボク自身は、個人的には、やはり一対一でするのが楽しいから、それを3人や4人でするというイメージはなかなか湧かないのだけど、さりとて、そういうことを楽しんでいる人たちを否定する気にもなれない。
むしろ、後腐れのない人生の楽しみ方を知っているということに、羨ましくさえ思う。
うじうじと、嫉妬をしたり不平を言ってばかりで人生を過ごすのではなく、けろっと人生を楽しみながら(もちろん、こういう楽しみ方でなくてもいいのだけど)生きていけたら、断然そのほうが幸せだ。
よくある“商業的”なエロビデオが、男の性欲を刺激して満たすためにつくられていて、そのため、女性が“男の性欲を満たすためのもの”として扱われていることが多いのに比べると、このビデオからは、登場する全員が男女とも“均等”に楽しもうという思いが伝わってきて、その意味でも微笑ましく感じられたのだ。
長い絡みあいの果てにこのビデオは終わるのだけど、ラブホテルからの帰りのクルマの中で、さっきまでのことをネタにしながら4人がけらけらと笑いあっていることまで想像できて、「ああ、これはこれで、人の“平和な光景”というものだなあ」と、思うのだった。
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- 2007/05/23(水) 01:50:29|
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天気が良ければ今日は芝桜の写真を撮りにいこうと思っていたのだ。
ところが、朝からどんよりとした曇り空。
それで、芝桜はやめて、何か別のことで一日を過ごすことも考えたけど、何をして過ごせばいいかなかなか思いつかない。
女房に声をかけてみると、「ボウリング!」なんて意見も出たのだけど、それはボクのほうが嫌だ。ボウリングの気分じゃない。
しかたない。写真日和じゃないけど、芝桜見に行くか。
それについては、女房も妙に前向きに同意するのだ。やつの魂胆があとから分かってくるのだが…。
両親と座敷犬も連れて、計4人と1匹での芝桜見物となった。
案の定、写真向きの天気ではなかったけど、“一般人”が見物するにはまあまあ十分なスケールと美しさだ。
しかしだ、ひとしきり芝桜に感嘆の声を上げて記念の写真を撮ったりしたあとは、もうてんでんばらばら。女房は(あらかじめ予想できたことだが)芝桜よりも周りに無尽蔵に生えているワラビのほうに夢中になって、放っておいたら遭難するんじゃないかってくらいに一人でどんどん林の中に入っていくのだ。両親は、腹が減ったからレストハウスで何か食いたいと言い出し、しかしレストハウスにはペットは入れられないので、両親が食事をしている間ボクが外で犬の世話を焼き、あてもなくその辺をうろうろするのである。
結局、寄せ集めのツアー客を必死に束ねる添乗員みたいな慌ただしさで一日が終わってしまったのであった。
ま、家族3人(と1匹)に孝行した一日だった、と思えばいっか。
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- 2007/05/20(日) 23:13:46|
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「お嬢さんお嬢さん、そろそろ到着ですぜ」
フェリーが港の防波堤を回り込み、ほどなく函館の桟橋に着岸しようとしている。
カーペットの2等船室のボクの横で、彼女は気持ちよさそうにすうすうと寝息を立てていた。
手には読みかけの推理小説のアンソロジーを絡めたままだ。
彼女にはこの本がよほど面白いらしく、せっかくの二人きりの観光旅行だというのに、旅行中かたときも手放すことがなかった。

駅のコインロッカーに荷物を預けて身軽になって街に散策に繰り出す時も、本だけは必ず持っていこうとするのである。
そうして、彼女はよく、読みかけの本のページを開いたまま、すやすやと居眠りをすることがある。
「読んでるうちに眠ってしまったら、途中からストーリーがあやふやになってくるんじゃないのか?」とボクがからかうと、「いいの。そうやって眠るのがあたしは好きなんだから」と、言い張るのだ。
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- 2007/05/20(日) 03:11:52|
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机の引き出しに、無造作に女性とのツーショット写真を入れている。
うちの奥さんは、ボクの行状をいちいち詮索しないし、細かいことは言わない人なので、仮にそれらの写真を奥さんに見られても、それほどのおおごとにはならないはずなのだ。といって、これ見よがしに見せつけるようなこともしないのだけど。
もっとも、その写真袋の中に入っているのは、唯一一人の女性とのツーショット写真ばかりではないので、「やれやれ、発展家ですこと」と呆れられることはあっても、「ははあ、このヒトと深い仲だったのだな…」と推定できる情報はないのである。
ま、そのあたりが逆に、キンケイドとフランチェスカのような、たった一つの奇跡的なロマンスを育めないボクの欠点でもあるのだけど。
その中の何枚かの写真は、彼女のカメラで撮られたもので、おそらく逢った数日後に彼女から送られてきたものだったのだろうが、写真の右下に '00 5 28 という日付が入っているのだ。
そうかあ、あれからもう7年もたっているのか。
あの日のことは、今でもよく覚えているぞ。
ボクと彼女は、その町で保存している古い木造校舎を見物していたんだ。そうしたら、その施設の管理人らしいおじさんが、その校舎のことをボクらにこまごまと説明してくれて、それから、「写真を撮ってあげましょう」と、彼女の手からカメラを引き寄せようとするのだ。
もちろんボクらは夫婦ではないので、その申し出にちょっとどぎまぎしたのだけど、今ここであたふたするのは却って怪しまれるので、開き直って少し堂々と、「ああ、じゃあ、お願いしましょう」と、二人並んでポーズをとって写してもらった写真だ。
二人とも、普通の夫婦のようにニコニコして写真に写っているのだけど、嬉し恥ずかし、内心、少しドキドキしていたのだった。
彼女からは今でもまったく音沙汰がないわけではないけれども、少なくとも、もう二人並んで一枚の写真におさまるようなことは、彼女は望んでいないのだと思う。言葉では確認しないけれども、空気でそれを感じる。
寂しいけれども、いつかは卒業しなければならない恋もある。
7年前の五月のことが、なかったことにしてしまいたいほどの忌まわしい記憶になっていない限り、おそらく彼女もこれと同じ写真を持っているはずだ。
せめて、今でも持っていてほしい、と思う。
※本日の写真は、函館の夕景をジオラマ写真風に加工してみたものです。
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- 2007/05/18(金) 18:04:13|
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女房と、ほぼ同時に風呂から上がり、バスタオルで身体を拭きパジャマを着ようかという瞬間、「何、それ?」と、女房がボクの腹の辺りを指差す。
見ると、ぽっこりとメタボリックにふくよかな腹の上に、さらに小さなふくらみがある。
単なる脂肪か何かの固まりかもしれない。本人には違和感はないし、あまり神経質でも慎重でもないので(それに、どちらかというと医者嫌いでもあるので)、この程度の“異変”は気にかけない。放っておく。
女房もパジャマに着替えながら、「先に死なないでね」…などと言うのである。
「あなたの腕に抱かれて死ぬのがあたしの夢なんだから、あなたに先に死なれたら困るのよ」と、言うのである。
それから女房は、歯磨きを始める。そうして、「あなたの夢は?」と、聞くのである。
「そうだなあ。まず、右手をきみに握ってもらって、左手を誰か別の女に握ってもらって、二人目の女に右足でもさすってもらって、三人目の女に左足をさすってもらって、問題は、四人目の女だなあ。どこを…」と言いかけると、女房は歯磨きをしながらたまらず噴き出すのである。
それから、本気とも冗談ともつかぬ口ぶりで、「いざとなったときに連絡しておいたほうがいい人がいるんだったら早めに教えてね」と、言うのである。
「うむ。たくさんいるからなあ。いよいよやばくなったら、連絡先のリストでもつくっておくか」
「惚けて意識朦朧になってからじゃ遅いから、早めのほうがいいよ」
「わかった。そうするよ」
そんなわけなので、ボクが住所かメールアドレスを把握している皆さんのところには、いつかボクの女房から突然連絡がいく日がくるかもしれません。
先着四名様まではとりあえず触ってもらう場所を確保しておきますので、早めにご参集ください。
よろしこ。
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- 2007/05/17(木) 00:26:47|
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津島は夕食時に少し酒を飲むので、食後、ベッドに寝そべってテレビを見ているうちに小一時間ばかり寝入ってしまうことがある。
雑用やら仕事やらやりかけのことがあるので、目が覚めたら一度起きて仕事部屋に行き、夜半過ぎまで机に向かい、深夜になってから風呂に入りベッドにもぐるのである。
小一時間の眠りから覚めて寝室を出ていこうとすると、「あら、起きたの? いびきをかいていたわよ」と妻が声をかけてくるのもいつものパターン。
今夜は、ズボンのポケットに入れていた携帯の着信で目が覚めた。ディスプレイに“ゆか”と名前が表示されて、女友だちからの電話だったのだが、眠りが深かったみたいで、寝ぼけていて、“ゆか”という字を見ても一瞬誰だか思い出せなかったりして。
津島とは一回り以上も歳が離れている“ゆか”は、女友だちとはいっても、つやっぽいほうの女友だちというより、ざっくばらんなつきあいの女友だちだ。
津島が電話に出ても、“ゆかです”などと殊勝に名乗ったりはしない。「あのさあ…」などと、いきなり本題に入るのである。
さすがに夜中にはめったに電話してこないのだけど、今夜電話よこしたのは、「ネットがつながらないんだけど、何か原因が分かるか?」という話だった。NTTのフレッツを使っているということで、すぐにこちらでネットで調べてみたら、今夜はNTTの回線が広く障害を起こしているようだ。復旧の見通しも今のところ立っていないと。
その旨を伝えてやったら、「ああそうなんだ。こっちはネットにもつながらないから原因も分からなくてね。どうもありがとね」と。
そのままずるずるとPCを前にしていたら、また“別のオンナ”から電話がかかってきた。
今度は東京に住む娘からだ。「YouTubeが見れないんだけど、どうして?」というSOS。
新しく買ったPCで初めてYouTubeにアクセスするのだということで、東京と秋田でお互いにYouTubeのトップページを開きながら、「今、そっちではどういう表示になってる?」などと聞き出し、Flash Playerのダウンロードの方法とJavaScriptを有効にする方法を教えてやる。「それでもうまくいかなかったらまた電話して来い」と言ったら、ほどなく、「できた! パパありがとう(ハート)」…という短いメールが届いたのだった。ふだんはお父さんお母さんと呼ぶのだが、こういうときはちょっとおちゃらけて「パパ!」と呼ぶシャレっ気のある娘だ。
先日、別のある女性としみじみと語り合っていたとき、その女性が「実はね…」と言いかけて、「あ、やっぱり言わないほうがいいかな」などと言いよどむので、「なんだよ。言いかけてやめるなんて気持ち悪いじゃないか。言ってくれよ」と急かしたら、なるほど、あまり誰彼なく打ち明けられないような彼女の秘密を話してくれたのだった。もちろんその内容まではここでは書かないけれども、彼女の中でずっと封印していたのかもしれない“彼女の背負う十字架”のような話を聞かされ、そこまで言わせてしまったボクにも、何かしら“責任”のようなものが生まれる思いだったのだ。
腹を割って話が出来る関係というのと、好きで好きでしょうがないという情念でつながっている関係というのは“ベツモノ”、であることが少なくない。
ほんとうは、一番大好きなヒトが一番腹を割って本音で話が出来る関係であることが理想なのかもしれないが、しばしば、恋情とハラワタの部分とは、違う方向に向けられるのである。
津島だってほんとうは、好きで好きでしょうがない…って思われていたほうが楽チンでいいのだけど、「津島のことは好きだけど本音の話は出来ない」と思われるくらいなら、「それほど好きではないけど本音で話が出来る相手」と思われていたほうが、まだしも自分には居心地がいいかなと、思ったりするのである。
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- 2007/05/15(火) 22:51:46|
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17時30分、ボクはおねえさんにメールを書いていた。
そういうことはボクの行動規範としてはさほど突出したことでもないので、内容さえ他愛のないものであれば、そういうメールを書いているボクのことや書いているメールの内容を誰かに覗き込まれても、ボクはさほど動揺しないのだ。
ただ、17時30分に書いていたメールは、ちょっと他の人(主に奥さん)には覗かれたくない内容だった。
その少し前にボクは外出先から帰宅して、おねえさんからメールが届いていたのを読んでそれについての返事を書いていたところだった。
その時点ではうちの奥さんは外出していた。“奥さんがいないうちに…”と強く思ったわけではないけれども、まあまあ、少し安心してリラックスしてメールを書いていた。
ところが、ほどなく奥さんが帰ってきた気配。あ、ちょっと微妙だなあ。この部屋を覗きにこなければいいなあ。
玄関から、「あら、おとうさん、帰ってたのぉ?」という声が聞こえて、そのまま奥さんは台所のほうに向かっていった。
やれやれ…と思っていたその刹那、唐突に「おとうさんおとうさん」と言いながら奥さんが部屋に入ってきた。ボクは、つくろう間もないまま、画面をクリックして書きかけのメールをウェブブラウザの陰に隠して、なんでもない振りをしてYahoo!のニュースページを見ているのである。ただ、そういう少しボクの慌てた素振りと“書きかけらしいメールを陰に隠した”ことは、奥さんにはしっかり見られてしまったのである。
奥さんは後ろからボクの首に手を回したまま、「今夜飲み会があるんでしょ? まだ出かけなくていいの?」などと言っている。
「う、うん。そろそろ出かける」と言うと、「分かったわ」と言って、彼女はおもむろに部屋を出ていくのである。
ボクは、ひどく動揺したわけではなかったけれども、心の中でちょっと冷や汗をかいた気分で、急いでメールの残りを書いて送信して、それから飲み会の会場まで送ってもらうために奥さんを同乗させてクルマで家を出た。
飲み会が終わったあとも、ボクは携帯で奥さんに迎えを頼み、クルマで拾ってもらってから、帰りがけにスーパーで買い物をしたいという奥さんにつきあって一緒に店内をうろうろして、「あ、その柿ピーも買ってくれ」などと言うのである。
そうやって家に戻ってくるのだけど、飲み会帰りなのにまだ少し飲みたい素振りでボクがいると、奥さんは「チューハイなら冷蔵庫に入っているわよ」と、声をかけてくれるのである。
そしてボクたちは、一緒に風呂に入り、一緒にベッドに滑り込むのである。
ボクは、ワルイことはしていない。
ただ、タイセツにしたいと思うヒトがちょっと多過ぎるだけなのだ。
メールを送った相手もタイセツな友人だし、そのメールを書いているところを覗かれてしまった奥さんもまたタイセツなヒトだ。
そのことをきっと分かってくれているであろう奥さんに、少し甘えているボクであるかもしれない。
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- 2007/05/13(日) 23:24:02|
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男と女のことについては、歳も歳だから、相等に達観しているつもりではあるのだ。
それでも、ふと、なじみのヒトに対して嫉妬のような感情がわき上がらないでもない。
「ボクに対して気のあるようなそぶりを見せるけれども、陰で他の男にも同じようなことをしているのではないか」とか、「確かにボクのことを慕ってくれてはいるけど、ボクがキミの本当の意中の人ではないこともはっきりしていることだ」とか。
ジェラシーというのは、人間の感情の中でも、特にブレーキが利きづらい部類のものだ。
下り坂にさしかかったブレーキの利かないクルマのように、知らず知らずのうちにずんずんと激しさを増していってしまう。
言い換えれば、人間は、ジェラシーさえ克服できたら、かなり幸せで平和な生き方が出来るということではないだろうか。
かなり幸せで平和な生き方をしたいボクは、つとめておのれの中にあるジェラシーを克服しようと思っている。
キミが他の誰かのことをボクと同じくらいかボク以上に好きでいたっていいじゃん。キミの瞳にはボクしか映っていないようなそぶりだけど、そのB面で全然違う男とつながっていたっていいじゃん。ボクはただただ、キミに優しくしていたいだけだ。キミに優しくしていたい気持ちが、キミに届くか届かないか、ただそれだけのこと。届かないのならそれはもうしょうがない。じたばたしない。
ジェラシーというものに割くエネルギーがあるのなら、その分をボクは愚直にキミに優しくすることだけに費やしたい。
いつか失う恋でも、そのほうがきっといい想い出になるから。
- 2007/05/11(金) 18:06:12|
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今度の旅でボクたちは、秋田から青森まで日本海の海岸沿いに北上するドライブルートを選んだ。
そのルート上に、波打ち際に露天風呂があることで有名な〈不老ふ死温泉〉がある。
この温泉にはボクたち夫婦にちょっとした思い出があって、今回の旅でもちょっと立ち寄ってみることにしたのだ。
ゴールデンウィークのさなかのことで、また、全国的に有名になりすぎた温泉でもあり、まさに芋の子を洗うようなにぎわい。もとより風呂に入るつもりはなく、どんな塩梅かなと、ちょっと様子を見るためだけに立ち寄ってみたのだ。
ボクたち夫婦が知っている不老ふ死温泉は、日本海の海岸段丘の下の、海が荒れた日には波しぶきがかかろうかというような、木造二階建ての秘湯風情たっぷりの温泉宿だった。全国的にもまだあまり知られてはおらず、もっぱら近郷近在の人たちが利用する地元指向の温泉だった。
今は、鉄筋コンクリートの巨大な温泉ホテルになってしまっていて、昔日の面影はまったくない。需要があるからそういう大きなキャパのハコも必要なのだろうけど、自分などはなんとなく、“昔のほうがよかったな”…という思いも、捨てきれないのである。
二十年ほど前のことだったと思う。
うちの両親が、ボクらの子どもをディズニーランドに連れて行くと言い出して、さっさと東京に行ってしまった。
土曜の午後、ボクと女房は、ポカ〜ンという感じで二人だけ家に取り残されてしまったのだ。
さて、何して遊ぼうかねえ。温泉にでも行ってみるかい?
女房も、「あ、それいいねえ」と言うので、不老ふ死温泉に電話してみたら今からでも泊まれるという。
それで唐突な夫婦での温泉行きとなったのだった。
今回も、その時の思い出話をしながら、ボクらは不老ふ死温泉をあとにして、左に海を眺めてさらに北に向かってクルマを走らせていたのだ。
「覚えているかい? 隣の部屋に中年夫婦が泊まっていてさあ、壁越しに、まだ日の高いうちから変な喘ぎ声が聞こえてきたんだよな。お前は『テレビの音じゃないの?』って言ってたけど、壁に耳を当てて聞いてみたら、やっぱり“生”の喘ぎ声だったんだ。それにつられて、オレたちも“しちゃった”んだよね。あはは」
「あら、あたしたちはしてないわよ」
「…?! してるさぁ! してないわけはないよ!」
「いや、あたしはあなたから全身マッサージをしてもらって、それだけで終わったはずよ」
そ、そんなはずはないっ!
くたびれてしまった今ならともかく、まだ三十代の元気盛り、子どものことも気にならず、旅の宿の解放感、目の前にうすぎぬ一枚をまとっただけの柔肌のオンナ…、しないわけがなかろうて!!
まあ、今さら二十年も昔の話で、したのしないのと議論するのもおとなげないので、「おっかしいなあ、あはは」と、大笑いしながらその話はおしまいにしたのだけど、夫婦で同じ時を過ごしてきたはずなのに真逆の記憶…、これはどうしたことだ。
あの旅の宿でキミとエッチした…というほっこりとした想い出を、二十年以上あたためてきたボクの記憶はどうなるのだ?!
二十年も昔の話だけれども、もしあのときほんとうに女房の言う通り何もしていなかったのだとしたら、それはなんだかとってももったいないことだと、今ごろになってちょっともやもやした気分になっているのであった。
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- 2007/05/08(火) 22:55:16|
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海峡をいくフェリーの桟敷席にいると、さまざまな人間模様がかいま見られる。
隣で寝てる奥さんに旦那さんがそっと上着をかけてやっている中年夫婦もあれば、段取りが悪いらしい旦那さんを奥さんが冷淡な目つきと言葉でなじっている老夫婦もいたりする。
夫婦で旅をすると、その夫婦がこれまでどういうつながりで生きてきたのか、これからどういうつながりで生きていこうとしているのか、そういったことが生々しくあぶり出されるものなのかもしれない。
「新成田離婚」なんて言葉を聞くことがあるけれども、夫の退職を機に「今までご苦労様、これからもよろしく」という思いをこめて夫婦で外国旅行をしても、今までの夫婦のつながりが危なっかしいものだったら、「これからもよろしく」どころか、結局その危なっかしさが増幅されて、いよいよ収拾がつかなくなってしまうわけだ。
なんだか、しみじみ、分かるような気がするなあ。
今回のボクたちの旅は、日頃ボクが一人旅ばかりしているから、その罪滅ぼしを兼ねて、基本的にニョーボのわがままや希望を優先する旅にした。ボクのペースとか、「オレはこうしたいんだ」っていう、こちらの思いや感情は極力おさえて、ニョーボの希望や、ニューボが喜びそうな趣向を優先するわけだ。そうすれば先方だってこちらの気遣いを汲んでくれるから、ボクのほうも気持ちよく旅を続けられる。
それは、結局は自分自身のためでもあるのだけどね。
ボクが何かで苛立ってニョーボをなじってばかりいたら、ニョーボはずっとつまらない気分で旅を続けなければならないし、そういうニョーボのつまらなそうな顔を見ていたら余計にこちらもしらけてくる…、そういう悪循環を断ち切りたかったら、つとめて、相手のご機嫌を優先させてやることだ。
ただ、そのために必要以上に金を使うとか、贅沢をするとかいうことではない。
今回だって、なるべく金を使わないことにして、GWのさなかに二名素泊まり一泊6千円という、もう何が出てきてもおかしくないような場末のモーテルのようなビジネスホテルに泊まったのだけど、あらかじめニューボにその旨を話したら、「いいよ、どうせ寝るだけだから」と、ちっとも気にかけない。結構なことである。
安いだけが取り柄のホテルだから、ベッドはセミダブルだ。
ふだんもそのサイズのベッドで寝ているから全然気にならないのだけど、あらためて、旅先のホテルで通された部屋のベッドがセミダブルだと、なんだかちょっと照れてしまうバカ夫婦であった。
- 写真は、海峡を渡るフェリーに函館山が見えてきた、の図 -
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- 2007/05/07(月) 11:47:31|
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関東や西日本では、桜の話はもう過去のものだろうが、北日本では今がちょうど桜や菜の花の話題で盛り上がる季節なのである。
津島は最近落語を好んで聴いているので、秋田市の市立図書館からも落語のCDを借りているのだけれども、その市立図書館は、秋田市内の桜の名所である千秋公園の入口に位置している。桜まつりの頃は図書館周辺も交通規制がかかり、花はさておき図書館にだけ用がある人間にはめんどうくさい時期でもあるのだ。
その千秋公園の、ほんの四日前の満開の桜の下での仲間との花見では、大いに飲み語らい、露店も並び人出も多く、春の喧噪に酔いしれたものであったが、昨日図書館に行ってみたら、もう桜まつりは終わってしまっていたようで、図書館周辺の露店もすっかり跡形もなくなっていたのである。
祭りの余韻も何もあったものじゃない。こんなにもさっぱりと切り替えられなければならないものなのか。
祭りのあとのわびしさとはよく言うけれども、なんだか本当に、ついこの間までとても愛してくれていたはずの人の、心変わりを目の当たりにするような、戸惑いを感じるのだ。
そうかと思うと、女房に、「今年のGWは下北半島の横浜町に菜の花を見に行こうか」と軽く約束をしていたのだけど、よくよく調べてみたら、横浜町の菜の花が見頃を迎えるのは五月の中旬になるらしいのだ。今行っても何もない。さて、どうしたものか。
連休も残り三日。女房と、どこでどうやって過ごそうか。
「ただ一緒にいるだけで十分に幸せ♪」ってアイダガラでもなし。
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- 2007/05/04(金) 02:06:44|
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津島がブログに載せている写真というのは、仕事か何か別の用事で出かけていったときに“ついでに”撮ってきたものとか、行った先でたまたま撮れたものとか、いわば、“偶然性”の写真が大半なのだ。
今さらながら、それじゃいかんのではないかと、思い始めているのである。ほんとに、今さらながら、なのだけど。
もうちょっときっちり、“何を撮らなければならないのか”という目当てを持って撮影に向かわなければならないのではないかと。

“偶然性”に頼ってしまうのには、ボクが朝に弱いことも関係ある。
早朝というのが写真撮影にも貴重な時間帯なのは分かっているのだけど、早起きが苦手な人なので、かなり日が高くなってから起き出して、それからおもむろに出かけるので、月並みな写真しか撮れないし、しまいには段々日が暮れてきて満足な写真も撮り切らないうちに一日が終わってしまったりするのである。

さて、秋田には、角館という桜で有名な町がある。秋田は例年ゴールデンウィークの頃が桜の見頃で、角館にも全国から観光客が訪れる。
ボクにも角館の桜の写真がないわけではないけれども、例によって、“ひまなときに”、“日が高くなってから出かけて”、“ついでに撮ってきた”ような写真ばかりで、今さらながら、これじゃあいかんのではないかと、思うのである。
それで、今年は意を決して、朝暗いうちに家を出て、早朝の桜の写真を撮ることにした。
一応女房にも「一緒に行くか?」と誘ってみた。
女房もボクと同じで朝早いのは苦手なので、「あたしは行かない」と言うかと思ったら、「行きたい」と言うのである。
ほんとは独りのほうが気兼ねなく撮影に集中できていいのだけど、まあ、女房一人くらいついてきても支障はないだろう。
ところがだ、女房は、ボクに断わりもなく息子夫婦にも「一緒に行く?」と声をかけちまったのだ。そしたら、やつらも行くと言う。
独りかせいぜい女房と二人での撮影行のつもりだったのに、結局四人で角館に向かうことになっちまった。
そして例によって、女房はいそいそと〈お風呂セット〉を用意するのである。

まあそれでも、撮影のほうはほぼ意図した通りに撮れたのでよしとしよう。
写真を撮っていたのは6時から7時あたりまでの早朝で、日中だったら観光客で溢れかえっている通りも静かなものだろうと思っていたのだけど、確かに、さすがに観光客はほとんどいなかったけれども、そのかわり、カメラマンの数が半端じゃなかった。
世の中、静かな写真ブームだそうだけど、すごいなあ、みんな、こんな早くから夢中になって写真を撮りまくっていたのだね。

帰りに三セクの花葉館という温泉に立ち寄って朝湯だ。
特に好きな温泉というわけでもなかったので、ボクは以前に一度しか利用していなかったように思う。
確かそのときも女房と一緒だったと思うので、「ここ、一度来てるよね?」と言ったら、「いや、あたしは初めてだわ」と言うのである。
「えぇ? ほんとに? おかしいなあ。オレは誰かと来てるんだよなあ。あれはキミっぽかったけどなあ…」
女房以外のおねえさんと温泉ドライブをしたことがなかったわけでもないので、女房が違うというのであれば他のヒトだったかもしれないのだけど、でも、ぼんやりとした記憶の中の同伴者は、女房っぽかったんだよなあ。
あれは、一体誰だったのだろう…。
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- 2007/05/02(水) 23:21:17|
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