
昨日、知り合いがやっている会社に顔を出したのだけど、唐突にそこの社長が、「津島さん、Sさんって知ってる?」と聞いてきた。
Sさんというのは、普段はめったに会う機会はないけれども、長年年賀状をやり取りしている古い友人だ。
「ああ、彼なら古い友人だけど、彼がどうかしたの?」
「うちのS、そのSさんの娘なんだよ」
「な、なんだってえぇ?!」
その会社には、数ヶ月前に入社したSという若い女性スタッフがいて、ボクがその会社の仕事を手伝うときは一緒の現場で過ごすことも何度かあった。
そのSが、ボクの古い友人の娘だというのだ。
彼女が家に帰って会社での出来事などを親に話している内に、「何何? その津島ってカメラマンはオレの知り合いかもしれないぞ」と、父親が言ったのだろう。
考えてみれば、ボクの二人の子どもも既に社会人になって会社勤めをしているのだから、友人の子どもと仕事の現場で一緒になっても不思議ではないのだ。
だけど、やっぱりなんだか不思議な感じがする。着実に、世代が移り変わっているということか。
感慨深い。
ボクはこう見えてけっこうシャイだから(きっぱり)、自分から女性を酒に誘ったりというようなことはほとんどしないのだけれど、相手から誘われるのはまったくやぶさかではない。かなり歳上でも構わないし、かなり年少さんでもかまわない。ストライクゾーンは広いのである。
もしSちゃんが、「このあいだはおつかれさまでした。写真のこととかもいろいろ教えてもらいたいので、よかったら今度お酒でも飲みません?」とか言ってきたら、津島にはまったく断わる理由がないのである。
そんなことになっちゃって、ああなっちゃってこうなっちゃってたら、ことと次第によっては、友人を「お義父さん」とか呼ばなければならないところであった。
感慨深い。
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- 2007/03/27(火) 13:16:52|
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Hビデオを観ながら、津島はしみじみと考えた。
“時々徹底して狂うこと”が、人間には必要なのではないかと。
オトナの目で見て面白いと思えるHビデオはそう多くはないのだが、稀に、出演者が、柴犬機で、…し、柴犬機?!、もとい、芝居抜き、の誤変換である。その、芝居抜きでかなり本気になってHを楽しんじゃってるビデオに出会うことがあるのである。
それはもう、理性も分別もかなぐり捨てて、そこまでやるかってくらいに淫らに淫らに、我を忘れて狂ったように、おのれの魂の中からわき上がる享楽に溺れ、狂おしくむさぼるのである。
ああ、だがしかし、このビデオに映っているヒトたちのやっていることがおかしいのではない。むしろ、これでいいのだと思う。
人には、“発散”、あるいは、“昇華”といったものが必要だ。狂うことをためらってはいけない。狂うべきときは徹底的に狂って、そこで発散、昇華して、すっきりして、気分をリセットしてまた普段の自分に戻っていくのである。
狂うべきときにきっちり狂えないと、十分な発散も昇華もされず、ブスブスとくすぶり続けるだけの日々をくり返さなければならない。
そんな苦悶のメールをもらったことがある。
そのメールの送信者は、せっかく狂えるチャンスを得られたのに、“理性”なのか“分別”なのかは知らないが、何かが邪魔をして、きっちり狂えなかったのだ。狂えなかったという現実に、彼女自身、「私はいったい、どう生きたいのだろう」…と、いっそうの迷路に入り込んでしまうのである。「もったいないことだ」と、ボクは返信した。
「上手に狂おう」…というのも妙な提案だけど、狂うべきときに徹底してきっちりと狂えないと、なんだか、メリハリのつかないままの人生で終わってしまうような気も、するのだ。
そんなわけで、人生とはなんぞや、人生如何に生きるべきか、ただそれだけの探求のためのみに限定した、ごくごく哲学的な模索のために、やむを得ず、ときどきHビデオを観ている津島であった。
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- 2007/03/24(土) 22:09:42|
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O型男は、煮え切らないのである。
何か大きな決断を迫られたときに、いつもぐずぐずする。
たとえば「どっちにする?」と聞かれると、多くの場合は「どっちでもいい」と答えてしまう。
本人はほんとにどっちでもいいと思っているので正直にどっちでもいいと答えているだけなのだけど、相手によっては、「あ"−、あんたのその煮え切らない態度、どうにかなんないの?!」とイライラさせてしまうのである。
どうにかなんないの?と言われても、ほんとにどっちでもいいと思ってるだけなのに…。
そんな優柔不断なO型男も、時には自分自身の優柔不断さに苛立ち、「えぇい、いいやっ!」と、かなり思い切った決断をすることもあるのである。
決断をしなければならないのにしばしば迷う場面は、ものを捨てるときである。
ものを整理していて、残すものと捨てるものとに分けるわけだけど、「これは捨ててもいいかな」と思っても、「ほんとに捨てていいか」、激しく迷うのである。捨ててしまってから「やっぱりあれは必要だった」なんて地団駄踏むことになるのではないかと心配になり、「いずれは捨てることになるかもしれないけど、とりあえず今回は残すことにしておこう」などという、結局は“優柔不断な決断”をするだけなのである。
仕事で写真を撮るときなどは、保険の意味も兼ねて多めにシャッターを切る。
撮ったものを納品したり保存管理する段になれば、撮った写真を全部ストックしておく必要はない。将来的にも必要になるカット、あるいは、自分として強く思い入れのあるカットを除いて、残しておいてもしょうもないカットはどんどん捨てることにしている。
暇なときなど、そうやって写真を整理することも、カメラマンとしての必要な仕事だと思っている。
忙しくない夜などは、酒をちびちびやりながらパソコンに向かって、「これは残しておくカット」、「これは即刻捨てるカット」…と、振り分けていく。
さて、どれどれ、次のカットは?
あっ、Y子とボクのツーショットだ!
これは仕事の写真ではないけれども、Y子とドライブをしたときに、Y子のほうから「一緒に撮ろうよ」と言われ、彼女のカメラで撮って、それをあとからメール添付で送ってもらっていたものだ。
彼女を一人で撮った写真は何枚かあるけど、ツーショットはこれが一枚きり。
そういう意味ではボクにとっても貴重な写真だ。
が、しかし、“微妙”な写真でもあるのだ。
この写真を撮ったときは、ボクは自分史上最悪に太り始めていた時期で、しかもその時たまたま着ていた服がひどくだらしのないものだったから、隣に写っているY子の可愛らしさとは裏腹に、ボクのほうは、もう見るも無惨…。
たとえばY子がその写真を友だちにでも見せて、「どうどう? 今度のあたしの彼!!」なんて言ったら、「ど、どうしてこんなのと?!」と、友だちはY子の心の内にあるものを理解できずに激しく苦しむことだろう。
嗚呼、しかし、それがボクとY子の唯一のツーショットなのだ。
その写真の中のボクの姿は、ボク自身にとっても堪え難いものだったのだけれども、ボクがY子と一緒に写っている写真はその一枚しかないのだ。
でも、優柔不断なO型男は決心した。
やはりこの写真は捨てる。
確かに、捨てるのはもったいなくて今まで残してきたのだけど、ここまで自分が不細工に写っている写真を捨てずにいるのも、かえって自分が惨めだ。
よし、捨てよう!
click!
delete!
はい、捨てました!
Y子は、「また一緒に飲もうね」と言ってくれるので、今でもボクたちは少しはつながっているはずだ。今度ほんとに酒を飲む機会があったら、彼女にお願いして、改めてツーショットを撮らせてもらおうと思っている。
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- 2007/03/22(木) 17:26:37|
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ときどき会っていたN子と、もう会わないことにしたのは1999年の暮れのことだった。
その後もしばらくの間はちょくちょく顔を合わせることもあったのだけど、いずれ、“二人きりで会う”ということをやめてしまってからは、かれこれ7年余りが過ぎたことになる。
N子はボクにとっては好ましい女友だちの一人だったので、会わなくなってからもしばしば彼女のことを思い出すことはあった。
しかし、なにしろもう7年も過ぎているのだ。彼女はもうこの街には住んでいないのではないかと思っていた。
それほど大きくはない街だから、同じ街に住んでいるのなら何年かに一度くらいは偶然にばったり会うことがあってもおかしくはないはずだ。それがただの一度もないのだから、もう彼女はこの街にはいないのだろうと。
今日、取材で、ある会社に出向いた。チームで動いていて、今日は総勢4名でその会社に出向いたのだ。
実は、その会社はN子が7年前にパートで働いていた会社だった。
当然、今はもうそこにもいないだろうと思ったのだけど、仕事の合間合間に、ボクはフロアの隅々までN子らしき女性の姿を探していた。
しかし、やはりいない。彼女はもうこの街にはいないのだ。
1時間ほどの取材を終えて、ボクらはその会社から退出する。
チームの他のメンバーが先にフロアを出て、カメラバッグやらの荷物があるボクはおたおたとメンバーのあとを追う。
そして最後に受付のカウンターにいた女性にあいさつをして退出しようとしたら…
N子だ!
N子は、まだこの街にいた!
それはボクには、起こりえない奇跡のようにすら思えた。
その場では立ち止まってゆっくり話をしているわけにもいかず、ボクは歩を止めずに、「まだいたんだ!? もういないものだと思ってたよ!!」と、ニコニコしながら彼女に語りかけるのである。
N子はN子で、突然のボクの出現でびっくりしたような顔になりながら、ふひゃふひゃといった感じの笑い顔になる。
ああ、7年前のN子のままだ。
その時のボクは、先を急がなければならないこともあり、「じゃっ!」と、軽く手を上げてそのままフロアをあとにした。
それでもボクは十分に満足だったのだが、去り際にでも、「ずっと会いたかったんだぜ」と付け加えればよかった。
ああ、それにしても、N子は今でもこの街にいる!
その事実だけで、今日のボクは十分に幸せだった。
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- 2007/03/20(火) 00:06:59|
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すでに「青春18きっぷ」は購入して机の引き出しにしまってある。
あとはいつでも旅に出られるのだ。
ただし、3月中はいろいろと予定も詰まっているし、4月に入ってもほどなく取材の仕事が入ってくるはずなので、実際に旅に出られるチャンスといえば、4月に入ってすぐの、ごく限られた期間しかないのだ。
ぎりぎりまで待って、確実に旅に出られるめどがついてからきっぷを買ってもよかったのかもしれないが、スケジュール的にかなり無理めでもどうしても旅に出たくて、何が何でも旅をするぞと自分に言い聞かせる意味でも、早めにきっぷを買ってしまったことであった。
そんな風にして考えてみると、ボクのする旅というのは、どこか具体的に行きたいところがあってする旅ではなく、どこでもいいから日常の定位置から少しでも遠くに逃げ出したいような、逃避行的な感覚でする旅、であるような気がする。
遠くに行けるのならどこでもいいのだ。旅の楽しみは、出発してから、あるいは、現地に着いてから考えても遅くはない。
オンナを見る目にも、ボクにはそういうところがあるかもしれない。
一人の決まったオンナに心が釘付けになって、「このオンナと一緒になれなければ死んだほうがマシだ」などと思い詰めるのではなく、ボクの旅の目的地がどこでもいいのと同じように、相手の女もまあ誰でもよく、要は、そのオンナとどこまで“居心地感”を楽しめるか、というような。
誰でもいいとは書いたが、やはり“居心地”はよくなければならない。
そうでなければ、そのオンナを目的地とする“旅”は、ひどく味気ないものになる。
「逢いたかったよ」
「あなたは、逢う人ごとにそう言ってるのでしょ?」
「しかし、キミに逢いたかったというのは間違いないことだ」
「女はね、これはおろかな勘違いかもしれないけど、どこかで、“大切にされているのは自分だけ”…って思いたい生き物なのよ」
「キミのことは、ほんとうに大切に思っているよ」
「分かっているわ。いくら言っても、あなたにも譲れない生き方があるんだものね。その生き方を変えてほしいなんていうのは女のわがままよね。あなたの全部を愛してしまったのはあたしなんだから」
「たぶんオレたちは、一緒の墓には入れないと思うけど、そのことだけを除けば、永久につながっていられる関係になれると思うよ」
「ふふふ、あなたはね、少しだけあたしを強い女にしてくれたのよ。最初の頃は、あなたが帰っていくたびに悲しくて寂しくて泣いてばかりいたけど、今は、“この次もまた逢えるんだ!”っていう嬉しさみたいなのが勝っているのよ」
誰をも最高に幸せにしてやることはできないけれども、不幸なだけの女では終わらせたくないと願いつつ、抱きしめる腕の力を、自分なりに加減してみるのである。
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- 2007/03/18(日) 00:41:20|
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目の前に小高い山があったので、頂上まで登れるのならそこからこの港町の全景を眺めてみたいものだと思った。
しかし、頂上に続くのであろう坂道の半分も登りきらないうちに、ボクは少し後悔し始めていた。
ボク自身の運動不足のせいもあるのだが、思った以上に坂道がきついのだ。
うなだれて、ぜーぜーと息を切らして数歩歩いては立ち止まり、顔を上げて、まだまだ果てしなく目的地の遠いことに愕然とするのだ。
そんな恐ろしいほどの坂道だらけのこの町では、当たり前のように何十軒何百軒もの家々が山の斜面に張り付いて建っている。
この辺りの住人たちは、毎日当たり前の顔をしてこの坂道を上がり下がりして学校に行ったり会社に行ったり買い物に行ったりしているというのか。
「おれは、この町には住めないな。住みたくないな」と、自分の運動不足を棚に上げて、恨みごとを言うのである。
そんな坂道の途中の民家の狭い庭先で、バンダナを帽子代わりに被って洗濯物を干していた細身の若い女性がいた。
まだ娘のようにも見えたが、庭先に干していたスニーカーから察するに、中学生か小学生のいるお母さんなのだろう。
死にそうな顔をして家の前の坂道を通り過ぎようとしているボクを見届けて、「今日は暑いですねえ。大丈夫ですか? 何か、冷たい麦茶でもさしあげましょうか?」などと言ってくれないかと、ボクは心の中で彼女に念を送ったのだが、ボクの気配にはまったく気づかなかったのか、あるいは気配には気づいていたけれどもうさん臭い風体に関わらぬほうがいいと思い、気づかぬ振りをして家に入ってしまったのか、ボクがまた数歩歩いて立ち止まって顔を上げたときには、もう彼女の姿はボクの視界の中にはなかった。
- 長崎にて -
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- 2007/03/16(金) 18:26:37|
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「げっ。機長! このマニュアル、英語で書かれてます!」
「何っ?! ちっ。しょうがない。機内アナウンスで『お客様の中で英語の分かる方はいらっしゃいませんか?』と呼びかけてみろ」
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- 2007/03/15(木) 16:47:37|
- ほのぼの劇場
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なにげなくテレビを観ていたら、若い女性タレント二人の雑談トークで、「私は愛されたいタイプ」、「私は自分から愛したいタイプ」と、自分たちの恋愛観を語り合っていた。
ひたすら男の言葉を信じて、自分を愛してくれる人についていく…というのと、どうせ男なんて信用できないものだから、むしろ自分の直感を信じて自分が好きになった男にとことん食い下がっていく…というところか。
しかしどちらにしても、それがうまくいくケースといかないケースがあるんだな。
愛されたいという思いが強過ぎる女は、時として男には重く感じられて疎ましくなるし、自分のほうから攻めの恋をする女も、それが巧みにこちらのツボをおさえてくれればいいのだけど、微妙にツボをはずしてくるとかえってイラッとさせられるだけのこともあるし。
だからきっと、要は“バランス”なのだと思う。
押したら引く、引いたら押す…そういう緩急がちゃんとできるバランス感覚。
甘えさせてやれるような気分じゃないときに甘えてきたり、甘えてほしいときに素っ気ない態度でいたり…。
まあ、恋などせず、独りでマイペースで生きていきたいのなら好きにすればいいのだけど、誰かと一緒に心地よく生きていきたいのであれば、自分の心地よさと相手の心地よさをバランスよく考えられるセンスは欠かせないな。
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- 2007/03/15(木) 12:21:00|
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いやあ、見事な胴体着陸でした。
今日は家でのんびりしていたのだけど、なにげなくYahooでニュースを見ていたら、高知空港で今から胴体着陸を試みる飛行機があると。
そりゃ一大事。高知空港にライブカメラでもあれば着陸の様子が見られるかもしれないと、必死になってネットの中を探していたのだけど、そうこうしているうちに無事に胴体着陸を果たしていたのですね。
あとから考えたら、ネットの中をうろちょろしているよりも、テレビで生中継していたはずだからそっちを見ればよかったのに、慌ててるから必死になってネットにしがみついているのだ。
こういう男が、火事になると枕一つだけ抱えて逃げ出したりするのだろうね。
あとから録画で見たけれども、いやあ、素人目にも見事な胴体着陸でした。
まだ若い機長のようだけど、冷静沈着、判断力も操縦技術も、素晴らしいものだったように思われます。
事故は災難だったけど、この機長、一躍株を上げたといったところではないでしょうか。
いやいや、それにしても間が悪いのは、前日のJ社の機長のニュースです。
国際線で飛行中に、コックピットに飲み物を運んできたCAを機長席に座らせてデジカメで写真を撮ってあげたってやつ。
今日のA社の機長の武勇伝に対して、「ったく、J社の機長は何やってんだよ」って声があがりそうです。
ボクは個人的には、J社の機長のやったことも、それほど大騒ぎするほどのことでもないだろう、と思っています。
巡航中のことで自動操縦に切り替えていたわけだから、それだからこそ操縦桿から手を離して飲み物を飲む余裕もあったわけで、コックピットに入ってきた可愛いCAのお姉さんをデジカメで撮る余裕なんてのは、全然あったと思うのです。
ただし、ルール違反はルール違反。彼と彼女は、少し有頂天になっていたのだと思うのです。
その時コックピットにいた副操縦士を含めて当事者3人が口をつぐんでいれば、このお茶目なルール違反は露見することがなかったはずなんです。
おそらく、3人のうちの誰かが油断して口外してしまったか、その時撮った写真を他の人に見せてしまったのでしょう。
世の中には、そういうことに目をつむってくれる人もいるけど、快く思ってくれない人もいるわけで、ささやかな甘美な想い出で終わるはずだったものが、激しく糾弾され、身分も危うくされてしまうのです。
もしかしたらこのJ社の機長だって、操縦技術は卓抜なものがあって、今日のような胴体着陸だって見事にやってのけられたかもしれません。飛行機の操縦に関する知識と判断と技術には絶対の自信があったからこそ、巡航中のコックピットでいっときCAを操縦席に座らせることなど、(少なくとも安全上では)なんら問題ないと判断したのではないでしょうか。
ただし、一度露呈してしまうと、どんな言い訳も通用しません。言い訳せず、「ごめんなさい」と詫びて沙汰を待つしかありません。
もしかしたら、仕事に厳しく人には優しいナイスミドル機長だったのかもしれないのに、思わぬところで失速してしまいました。
もしも私が機長だったら…
卓越した操縦桿さばきで、キミの白い滑走路に、胴体着陸したいです。
ダ、ダメですか?
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- 2007/03/13(火) 22:35:01|
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我が家にはパソコンが3台ある。
1台はボクが普段常用しているiBookで、もう1台はiBook購入前に使っていた古いMac。そして、今はほとんど女房の“ゲーム専用機”と化した超古いMacだ。
女房は地元の小さな出版社で働いていて、一通り簡単なDTP仕事はできる。稀に会社から仕事を持ちかえったり人に頼まれたりして自宅のMacでも仕事をすることはあるけれども、ほぼ、“ゲーム専用機”と化している。
専用機と言っても、入っているのはソリティアだけだ。それをまあ、飽きもせず、毎日数十分はシュタシュタやっているのだ。
昨日の日曜日も、女房は昼下がりからシュタシュタやっていた。
亭主のボクはちょっと考えた。
女房のMacはOSも古過ぎてネットにもつなげないが、今は使っていないボクの旧機なら、まだネットにもつなげられるし、フリーのゲームソフトをダウンロードすればソリティア以外のゲームも楽しめるのではないか。
そのことを女房に提案した。
「じゃあ、お願いしようかな」
「よしきた。それじゃあさっそく作業しよう。見られたくないものも入ってるから、少し時間がかかるぞ」
「何か秘密のものでも入ってるの?」
「ふふふ、亭主には、表の顔と裏の顔があるのだ」
いや、実際、旧機には、そのころ親しかった女性との頻繁なメールのやり取りが残されたままになっていた。
メールの中身自体は他愛ないものだが、そんな他愛ないメールであっても、その日の女房の気分次第では、そんなものを見てしまったら、なんだかもやもやと面白くない気分になってしまうかもしれない。
だから、できればそういうものは女房の目に触れさせたくない。
「じゃあ、あたし一人で温泉に行ってくるから、お願いね」
「ああ、行っといで」
見られるとまずいものを隠すというよりも、不要なデータやファイルは少しでも消してしまってパソコンの中身をシンプルに軽くしておいたほうがいいだろう、という思いでもあった。
そうして女房が温泉に行っている間、久しぶりに旧機を立ち上げてネットにつなげて、ハードディスクの中身の点検に取りかかるのである。
出てくる出てくる。不要なものや恥ずかしいものや、ちょっとヤバいものなど、さまざま。
消しておくべきだと思ったメールソフトにもたどりついた。
そうしたら、その女性からのメールをストックするフォルダも見つかった。
取っておいてもあとからどうなるわけでもないのに、なかなか捨てられないでいる古いラブレターのように、気になる人からもらったメールはなかなか削除できないものだ。
今さらながら驚いたのは、そのフォルダの中の彼女からのメールの量がおびただしいものであったことだ。
今でも彼女とは友人関係を絶ったわけではないので、たまにメールのやりとりもするけれども、それも月に一度あるかないか程度。
しかしそのフォルダの中身を見ると、ほぼ毎日のように実に頻繁にボクと彼女はメールのやり取りを楽しんでいたようだ。やはりあの頃は、お互い、気分が盛り上がっていたのだろうな。
これを全部なかったことにしてしまうのは少しもったいないと思い、一部だけでも温存できないものかと思ったけれども、甘美な想い出は時として人を切ない気持ちにするだけだ。この際だから思い切って全部捨ててしまおう。
女房のために大事な想い出を消さざるを得なかった…という無念ではなく、むしろ、こういうことでもなければずるずると意味もなく引きずるだけなのでちょうどいい機会だったのだ、と思うことにしたいと思う。
パソコンのリセットが完了した。
温泉から戻ってきた女房がさっそく新しいゲームを試している。
ボクの気持ちも、なんだか少しだけリセットできた気分だった。
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- 2007/03/12(月) 23:55:26|
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「来ちゃった」
少し伏し目がちに、精一杯のつくり笑顔で、その顔をやや赤らめながら、ひなのはそう言った。
「やあ、よく来たね。長い旅だったけど、疲れなかったかい?」
「ううん、平気です。あの、これから、よろしくお願いします」
ひなのの、ドクドクという鼓動が、ボクには手に取るように実感できた。
つとめて平静に振る舞っているボクも、それは同じこと。
お互いのそれを静めるように、あるいは確かめあうように、ボクは背中からひなのを抱きしめた。
「いずれ、きっちりと妻にはキミのことを説明して分かってもらうつもりだから、それまでボクを信じて、ボクのそばにいてほしい。大切にするよ、ひなの」
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- 2007/03/10(土) 18:14:25|
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「いつか必ず秋田に行きます」と言っていた“ひなの”だったが、どうやらやっと本気で秋田に来る気になったらしい。
金曜日の午後、「これからそちらに向かいます」と、ひなのから連絡が入った。
「ああ、明日になったらやっと逢えるのだね。楽しみに待っているよ。気をつけておいで」
はじめて逢うひなの。小柄な人だと聞いていた。
明日になればボクたちは逢えるのだ。
ぎゅっと、少し強く抱きしめてもいいよね。
キミの存在を、ボクはまだ妻には知らせていない。
でも、心配することはない。ボクの気持ちは本物だから。
ずっと、ずっとずっと、大切にするよ、ひなの。
[ひなのの旅路]の続きを読むテーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2007/03/10(土) 00:57:43|
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昨日、アップルストアから、注文していたiPod nanoを出荷したというメールが届いたので、今日一日待ってみたのだけど、今日は届かなかったのでたぶん明日になるのだろう。
ううむ、明日かあ。
明日は広告の仕事で一日県北のほうに行ってるんだなあ。帰りはたぶん夜になる。
そうすると、荷物が日中届いて、それをボクよりも先に仕事から帰ってきた女房が見つけて、「何、これ?」…ってことになるのだ。
女房には、iPodを買う(買った)ということは言ってないし、予定としては、現物が届いてからも少しのあいだはヒミツにしておいて、ころあいを見計らって(彼女の機嫌のいいときに)、「実はさあ、買っちゃったんだ、これ」とか、なにげに白状するつもりでいたのだ。
自分で稼いだ金で自分が必要としているものを買うのだから、もっと堂々としていてもよさそうなものなのだけど、なぜだか、奥さんにはついつい隠してしまいたくなる。
こういうのって、案外、男が浮気をするときの感覚に似ているかもしれないね。
家庭を壊すつもりはさらさらなく、ほんのちょっとだけ別のところに目を向けてみただけなのに、それに奥さんがどういう反応を示すのかが怖くて、ひたすら隠す…みたいな。
今常用しているこのiBookを買ったときも、少しのあいだは奥さんに内緒にしていたんだ。
それで、少し時間を置いて、いよいよ白状する勇気がついたときに、「実はこれ、買いました。仕事で
どうしても必要だったので」(アンダーライン部分強調)と力説して。
このときは奥さんも理解してくれて、「そうだよね。仕事で使うものだものね」と言ってくれたので、なんだかかなりほっとしたのだった。
それに比べたら、iPodは必ずしも仕事に必要なツールとは言いがたいので(ボイスレコーダー代わりに取材に使うつもりもあるのだけど)、いよいよもって言い出すタイミングが重要だ。
例えて言うならば、タチの悪い亭主と離婚するかどうかで迷っている40代の女性の相談に乗ってやる名目で酒を飲むのならば許容範囲だけど、何の問題も抱えていない若いキャピキャピの20代前半の女の子とデートをしようとするのを、どうやって奥さんに納得させようか…みたいな。
そんなわけなので、明日一日、iPodのことを無事奥さんに隠し通せたとしても、いつかタイミングを見計らってちゃんとボクから奥さんには言うつもりなので、諸君は勝手に「ご主人、ipod買ったんですってね!?」などと、うちの奥さんにはこの話を振らないように。(お願いだから)
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- 2007/03/09(金) 00:36:07|
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毎朝、いつも少しだけ憂鬱なのである。
「ああ、今朝もこんなにシーツが乱れている。夕べも激しかったものなあ」
ボクと妻は、それほど大柄ではないから、セミダブルのベッドに並んで寝ることもそれほど苦ではない。
しかし、朝になってシーツが乱れているのを見ると、ちょっと憂鬱な気分になってしまう。
自分の口から言うのもなんだけど、ボクと妻は、夜ごとベッドの上で激しいのである。
[乱れたシーツ]の続きを読むテーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真
- 2007/03/06(火) 12:53:45|
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『パフューム』という映画に、ちょっと惹かれている。
ボクは、わざわざ時間を割いたり金を払ってまでは映画を見ることはあまりしないのだけど、この映画だったら金を払っても観ていいかなと、思っている。
ちょうど仕事も一段落してきたし、今週あたり、映画館に足を運んでみようかなと。
人の心には“琴線”というものがあり、ヒット中とか評判がいいとか誰かが大絶賛しているとかとは関係なく、おのれの心の中の琴線を弾かれて、妙に一つのものに惹かれてしまうことがある(ちょうど、“恋”のように)。
まるで、目に見えない大きな力から、「この映画は観ておいたほうがいい」と、導かれているような感じ。
ボク自身は、エロイカ・バリアントという、柑橘系のオードトワレを使っている。
毎日まめにつけているわけでもないので、小瓶なのになかなか減らない。もう十年以上になるかもしれない。誰かから贈られたものだったかもしれないけど、誰からであったかはもう忘れてしまった。
惚れた女に会うときに必ずつけるわけでもないし、何の必要もないときにぴちゃぴちゃと手首や首筋につけて自分一人で楽しんでいたりもする。
ボクとK子は、大きな公園の中をゆったりと並んで歩いていた。
ふと、「今日は香水をつけていないのね」と、K子が言うのである。
「あ、いや。持ってきてるんだけどね、なんだか、つけるタイミングがなくってさ」と、ボクは少し慌てて、バッグの中からバリアントの小瓶を取り出して両の手首にそれをすり込むのである。
K子は苦笑いして、「いいのに。わざわざ今さら」などと言う。
それはそうなのだけど、ボクをほのかに柑橘系の香りのする男だと記憶してくれているK子の気持ちが嬉しくて、今からでもその気持ちに応えてやらねば、と。
移り香が、彼女を困惑させることになりはしないかという心配も、なくはなかったのだけど。
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- 2007/03/06(火) 00:04:31|
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あれは、結婚してまだ間もない頃のことだったと思う。
いわゆる“歯車が噛み合わない”という感覚で、ボクと女房の関係はかなりぎくしゃくしていたことがあった。
ボクは一生懸命修復の努力をしていたつもりだったけれども、それでもどうしてもうまくいかない。
しまいには、「こんな女と結婚してしまって、オレはなんて不幸なんだ!」と、強く思い始めるようになっていた。
「もうオレたちはおしまいなのかもしれないな」と、思い始めていた。
そういう諦めの気持ちの中で思いを巡らしているときに、「きっと彼女のほうも不幸だと思ってるだろうな。あれ、待てよ。オレも不幸だと思ってるけど向こうも不幸だと思ってる…。これってどういうこと? 彼女が不幸だと思っているのはオレのせい? オレに何かが欠けていた?」…と、なんで二人ともが不幸なのかが気になってきた。ボクのせいで彼女が不幸なのだとしたら、それはオトコの沽券にもかかわることだ。
それで初めて気づいたのだけど、その頃のボクは、彼女が幸せな気分に浸れるための工夫や努力は何一つしていなかったのだ。ただただ「この女と結婚してオレは不幸だ」という意識に凝り固まっていて。
結婚には、しばしばこういう“錯覚”がつきまとうものかもしれない。
自分と関わって生きていくことで相手には幸せになってもらわなければならないのに、「自分は不幸だ」と、まるで自分一人が“被害者”のような思い込み方をしてしまう。
一人の女を幸せにしてやる…などという大それたことは、無力なボクには出来ない相談だけれども、せめて、“あまり不幸だとは思わない”…くらいの気持ちにはなってもらえるかもしれない。
そんなこともあったりして、明日の日曜日、女房が突然どこかに遊びに行きたいと言い出してもいいように、少したまっている仕事を今日のうちに片付けてしまおうと思っている津島であった。
(嗚呼、なんて健気なジブン…)
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- 2007/03/03(土) 12:33:52|
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電車の発車の瞬間のギリギリまで、ホームとデッキの間で別れを惜しむ。
もう大体話すこともなくなり、ただじっと目を見合ったり、気恥ずかしくなって目を背けてみたり。
そして発車のベル。
じゃあね、と握手をして、その手を引き寄せて、軽い口づけを交わす。
口づけの甘酸っぱさ、あるいはほろ苦さは、口づけをしている時間の長さとは比例しない。
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- 2007/03/01(木) 10:53:41|
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