津島修三ブログ

カメラマン兼ライター津島修三のブログ

もう恋などしない

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今は昔、「あたしと会うときは指輪をはずしてほしい」と、女性に言われたことがある。
そこまでカタチをつくりこんでつきあうというようなつもりはボクにはなかったので、正直、そんなことを言われて少しどぎまぎしたのだ。指輪をしたままじゃなぜいけないのかと。
しかし、まあそれも女ゴコロというものだろうと、その時は彼女の気持ちを尊重して指輪をはずしたのだった。
だけれども、何度か逢っているうちに、やはりボクは指輪をはずすという“手続き”に違和感を覚えるようになった。
ボクは、いつでもどこでも指輪をしている男でいたかった。
そのうちに彼女もボクの指輪を気にしなくなり、逢うときもボクは指輪をしたままで過ごした。

むしろ、指輪などは気にならなくなる瞬間というものが、あるのかもしれない。
それはそれで、危険なことではあるけれど。

ボクはもう二度と恋などはしない。指輪をはずさなければならないような恋は。


 だって、指がむくんで指輪が抜けなくなったのだもの………
 
 
 

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  1. 2007/01/29(月) 00:26:14|
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昨日、旅の宿で

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昨日の夜、ボクは山の中のひなびた小さな温泉宿に一人でいた。
他にも泊まり客は1、2組いたようだったが、しんとして物音一つせず、風呂場でもついに他の客と一緒になることのなかった静かな夜だった。
露天風呂や料理を売り物にして派手な宣伝で遠くからの観光客を呼び込むような温泉ではなく、近郷の農家の人たちに親しまれて、毎日の日帰り入浴客や農閑期の骨休めの泊まり客で十分に商売として成り立っているという慎ましい宿だ。
客室もずいぶんとみすぼらしい。トイレも部屋の外にある。
しかし、たまにはこんな宿もいいではないか。
“道行き”気分を楽しむ旅にはかえっておあつらえ向きかも。
電車に乗って最寄りの駅まで行って、一日に何本かの〈○○温泉行き〉と書かれた路線バスに乗り換えて小一時間の宿を目指すのだ。
くねくねとうねる山道をのんびりと走るバスの中で、連れはさすがにちょっと不安になってくるな。
「ね、ねえ、ほんとにこの先に温泉なんてあるの?」
「ふふふ、さぁてねえ。なかったらどうしようかねえ」などと、ボクはとぼけたことを言って、連れの手を握ったまま、また居眠りを続けるのだ。

さて、その旅の宿で、今夜は健康的に早寝をしようかと、布団に入りかけてテレビをつけたら、今から『赤い月』という映画をやるという。
ボクは、つまらないと感じた映画は途中でも観るのをやめてしまうのだけれど、この映画は直感的に最後まで観たほうがいいような感じがした。
結果的には、非常に面白く観ることができた。予定していなかったことなので、思わぬ拾い物をした気分だった。
帰ってきてからネットで調べてみたら、原作はなかにし礼で、彼の子どものころの実体験をベースに、ほぼ事実に基づいたストーリーになっているらしい。
してみると、この映画の中に、常磐貴子演じる主人公の二人の子どもも登場するわけだが、その小さい男の子が、幼き日のなかにし礼だったのだな。
この二人の子どもがある日家に帰ってきたら、家の中では母親が房事の最中であった。
子どもたちはそれを目の当たりにしてしまった。その房事には、“大人の事情”からすれば非常に深い意味があるのだけど、当然子どもにはそんなことは理解できない。
しかも、ただの房事だって子どもにはショックなのに、その時の母親の相手は父親ではなかった。
これは子どもにはショックが大きすぎる。トラウマにすらなりかねない。

ただ、最終的には、なかにし礼は、自らが“大人の事情”を理解できる年齢になって、母親のそういう生き方を受けれることができたのだろう。
だからこそ、ありのままのことを小説に書くことができたのだろうし、自分の母親の生き様を肯定的に描くことができたのだと思う。

『マディソン郡の橋』もボクの好きな映画。
屋根付き橋の写真を撮りにきたカメラマンと地元の農家の平凡な主婦との、うたかたのアヴァンチュールのストーリーだけど、後年、その主婦が死んだときに、遺書によって彼女の子どもたちはそのアヴァンチュールの事実を知る。子どもにとって母親のそのような“心の裏側”は受け入れがたいものだけれども、遺書を読みながら子どもたちはうろたえ、しかし最後には、そんな母親を受け入れた。

月の裏側のように、人には誰も、きっと、他の人には見えない“心の裏側”が、あるのかもしれないね。
もしかしたら自分にだって、人には見せない“心の裏側”があるかもしれない。
自分の中の“心の裏側”を抱えながら、そして、誰かの“心の裏側”を受け入れながら、いつかは穏やかに一生を終えたいものだ。
 
 

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  1. 2007/01/28(日) 01:36:31|
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消去法的恋愛

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ボクはむしろ、“人間嫌い”かもしれない。
仕事で人に会わなければならないときなどは“億劫だな”と思うこともあるし、街で顔見知りに出会っても、気づかなかった振りをしてやり過ごすこともある。
女房とはべたべたしていることも多いけど、その一方で、一人で過ごすこともちっとも苦にならないし、むしろ好む。
そんなわけで、友人関係や異性の友人関係にしても、(もしかしたら発展家と思われているかもしれないけど)けっして付き合いを広げようという考えはなく、最少限の相手で十分だと思っている。
自分が気持ちよく生きていくための(そして、相手の気持ちよさも保証してあげられるような)、必要最少限の人間関係。
だから、ちょっとでも違和感を覚えると、ボクはその人間関係は即刻解消してもいいと思ってしまう。
つまらない人間関係で、一度きりのせっかくの人生がスポイルされてしまうのはもったいないもの。
こういう言い方は語弊があるかもしれないけど、何人もの人間関係をふるいにかけていって、ふるいの目からこぼれていった人たちのことは結局それまでの縁だったのだと割り切り、最後までふるいに残った人たちとの関係を大切にしていけばいい、ということだ。

苦しい恋をしている人たちを見ると、なにか、“ふるいにかける”というプロセスを忘れてしまったための、人生の回り道をしているようにも感じられるのだ。
まあ、迷ったりもがいたり苦しんだりするのも人生のうちだから、あとになって、「あんな苦しいだけの恋でも、何もないよりはマシだった」と思えるなら、それも一つの救いだけど。
 
 
 

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  1. 2007/01/26(金) 11:31:57|
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女社長

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去年の夏頃から続いていた、地元の企業約100社を取材して写真を撮って原稿を書くという仕事が、今日でやっと大団円となった。
ずっと、取材スケジュールとか原稿締切とかを気にしながら過ごさなければならなかったので、それから解放されただけでもどれほど気が楽になったことか。
でもしばらくは後遺症を引きずって、朝少し遅く目覚めて、「うわっ、寝過ごした! 取材の時間に遅刻だぁ!」などと、寝ぼけることも何度かはあるかもしれない…。

取材した100社は、どちらかといえば“男の仕事”の現場ばかりだったのだけど、うちの何社かは女性が社長をしていた。
といっても、自ら会社を興したというよりは、先代の社長の娘で後継者として会社を引き継いだとか、社長だったご主人が急逝して急遽妻が社長業を引き継いだとか、そういうパターンが多かったように思われる。
ボクなんかはひどくちゃらんぽらんな生き方をしている男だから、計画性も経済観念もなく、もちろん経営感覚もないから、取材に出向いた先の社長が女性だと分かると、それだけでもうなんだか頭が上がらない気分になってしまうのだ。
これもまあ一つの出会いとして、“女性”として向き合いたい気持ちもなくはないのだけど、同時に、“きっとボクよりははるかにしっかりとした生き方をしている人なんだろうな”と思われて萎縮して、意志の感じられるまなざしで見つめられると、蛇ににらまれたカエルのように、ちょっと視線をそらしてしまいたくなる。

ただ、こちらもまあ、それなりに少しは“手慣れた”ところもあるわけで、どこまで気を許しあえるだろうかとか、どこまで馴れ馴れしくできるだろうかとか、そういう探りを入れながら女社長と対峙するのだ。
そうすると、最初は堅い殻の向こうで警戒していたようなヒトが、しまいにはちょっと“タメグチ”で話ができるくらいに打ち解けることもあるのである。
取材が終わってしまえばそれっきりのことなのだが、なんだかちょっぴり、「もったいないな」…と、思わないこともない。
 
 

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  1. 2007/01/23(火) 23:41:48|
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ツシマノシゴト 8

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『夢見るコリドール』

 男鹿市(旧若美町)の鵜木(うのき)小学校は、明治8年創立というたいへん歴史のある小学校だ。幾たびかの校舎建て替えを経て、昭和63年に現在の校舎になった。この校舎の造りはかなりユニーク。奇抜ですらある。それもそのはず、学校建築がしばしば類型的になりがちなのを潔しとしない建築家が、「生涯子どもたちの記憶に残るような、世界に一つしかない小学校をつくろう」と企てた設計構想の結果なのだ。
 校舎は楕円形のドーナツ状をしている。中庭を囲んで緩やかな曲線を描く廊下が一周し、その外側が教室や職員室だ。実際にこの廊下に立ってみると、ちょっと奇妙な感覚におそわれる。歩いているうちにいつの間にか元いた場所に戻ってしまっていたり、一瞬自分のいる場所が分からなくなってしまったりするのだ。
 『2001年宇宙の旅』という映画に出てくる宇宙ステーションは、疑似重力を発生させるために回転するドーナツ状の形をしていて、宇宙飛行士はその輪になったチューブのような空間の中で活動していたが、この小学校の校舎も、まさしく、そんな宇宙ステーションのイメージをほうふつとさせるものだ。
 そのことは建築家自身も明示していて、「この校舎は、宇宙に浮かぶドーナツ型の都市(スペース・コロニー)であり、それがこの地に舞い降りたもの」、つまり、宇宙船のイメージであると言っている。
 鵜木小学校の校舎を設計したのは、釧路市生まれの異才の建築家毛綱毅曠(もづなきこう)である。地元北海道をはじめ、全国に多くの斬新な造形の建物をつくった。秋田の近場で言うと、弘前市の中三デパートも彼の作品だ。知らずにその前に立つと、とてもデパートとは思えないような近未来的な造形に圧倒される。毛綱毅曠の建築の底流には“風水”がある。一見奇抜なだけにしか見えないデザインにも、実は風水の裏付けがあるのだ。残念なことに、彼は平成13年に59歳という若さで亡くなっている。鵜木小学校だけでなく、もっと秋田にも風水パワーで地域や人々に力を与えてくれるような建物を建ててほしかったところだ。
 鵜木小学校は、学校経営の基本方針として、「夢のある学校」というキーワードを掲げている。それはまさに、建築家から子どもたちへのメッセージでもあったろう。曲線は人の気持ちを穏やかにする。曲線で一周するコリドール(回廊)のある学校で6年間を過ごす子どもたちが、うらやましく思えたことだった。

[キャプション]
直線が普通の学校の廊下が曲線というのは奇妙な印象だが、案外深い意味があるのかも。元気な子どもたちの様子を写真に撮りたくて、立ち会っていただいた校長先生に「子どもたちが廊下を走るというシチュエーションは問題ないか」と尋ねたら、どうぞどうぞと快諾。このおおらかさがいい

#2006年5月 『郷』Vol.58掲載

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  1. 2007/01/19(金) 21:37:38|
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愛し直し

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普段は一日平均100ちょっとくらいのアクセスの津島ブログだが、昨日は夜になってから異様にアクセスが伸びていって、一日としては驚愕の291アクセスにもなった。
理由ははっきりしている。
テレビで「今週、妻が…云々」というドラマが始まり、それに触発されたネットユーザーが、ネット上の“妻の浮気”ネタを求めて検索しまくった結果だ。
それだけ、こういうテーマに関心のある人が多いということか、あるいは、切実に悩んでいる人が多いということか。
津島ブログは、必ずしも浮気ネタに特化したブログではないつもりなのだが、津島自身がそういう話をあけすけに語るものだから、意外なくらい“浮気”というキーワードがらみの検索でのアクセスが多い。
もっとも、去年の4月13日に、そのものズバリの「妻の浮気」というタイトルで記事を書いているので、そういった語句で検索したらヒットしないわけはないのだが(^^;

そういった問題(軽いのや重いのや)で相談を受けることもあり、津島なりの考え方を提示させてもらうこともあるのだけど、そもそも夫婦間でこじれた問題というのは、発端や現況が千差万別で、すぱっと解決できる方程式はないと思っている。
不肖津島が、昔、妻との関係があまりしっくりいっていなかったころ、津島としては、「問題は妻の側にあり、彼女がそれを改めてくれない限りは何も解決しない」…という考え方に固執していた。そのころは一触即発だった。
結果としては、「妻を責める夫」という図式を一旦白紙に戻して「まだ自分の側にもできることがあるのじゃないか」という考え方をし始めたら、少しは気が楽になったし、徐々にいい風が吹き始めたのだった。
恋人や夫婦というのは、関係性が濃密なため、ひとたび被害感情や憎悪の念が起こると、どこまでもそういう後ろ向きの感情のままで突っ走ってしまうものだ。
でも、ボクの何人かの女友だちのように、写真という趣味を持ったらそれが楽しくなって、煮つまっていた夫婦間の問題があまり苦痛でなくなったり、「自分の結婚は失敗だった」という意識に支配されて苦悶していた人が、必ずしも夫婦関係や夫に(精神的に)依存しないで生きていけるという術を見つけて明るさを取り戻したケースもある。

DVがひどいとか、あきらかに相性が悪いとかであれば、躊躇せずに早めに見切りをつけたほうがいい場合もあるけれども、恋愛がふとしたきっかけから始まることが少なくないように、二人の間でこじれた問題だって、案外ふとしたことで解決の糸口が見つかることもあると思うのだ。
もともと、恋愛や結婚は平坦なものではないのだし。むしろ、障害物競走のようなものだ。

目の前の問題が、憎み切るべき問題なのか、もう一度愛し直してみるべき問題なのか、まずその辺りの見極めから、とりかかることだろうか。
 
 

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  1. 2007/01/17(水) 12:41:49|
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場末

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取材の仕事で自分で運転をして飛び回ることが多いので、近場であれば地図はいらないほど道は知っているし、食べ物屋も知っている。
取材に行った町でちょうど昼時になったら、今日はどこで昼飯にしようかと思いを巡らしてみるのも楽しいことだ。
実際、もう15年以上も昔のことだけれども、地元の新聞社の企画で、県内のラーメン店100店を一人で食べ歩きして記事と写真で一冊の本にまとめたこともある。
ただ、ボク自身は食通ではないし、むしろ味音痴といえるかもしれない。
ひどくマズいのと、ひどくウマいのとの違いくらいは分かるが、微妙な味付けの違いなんてのは分からないし、まあ、よく言えば、なんでもおいしいと思って食べられる幸せな人間だ。
なので、取材先の町で店を選ぶときも、味よりも雰囲気重視。(有名店でも雰囲気が好きじゃない店は敬遠する)
どちらかといえば、“今の時代によく続いてるもんだねえ”と感心させられるような、“場末感”満載な店がいい。
D市は、かつてはその一帯の中心をなす商業都市だったが、御多分に漏れず大型店の郊外進出で駅前商店街は見る影もないほど衰退している。
そのゴーストタウンのような暗い商店街の一角に、ボクが時々顔を出すラーメン屋がある。
ここは、21世紀のこの時期に、昭和40年代から時間が止まったままのようなのどかな空気が漂っている。
ここのラーメンは、それほどウマいというわけではないが、まあ悪くはない。
たぶん、うちの女房に食わせたら、「学中(学生中華)の味ね」と言うだろう。
昔はよく通学路の途中におばちゃんが一人でやっているような小さな食堂があって、下校する学生が立ち寄ってラーメンを食ったりしたのだ。そうやって学生が注文するラーメンには「学生中華」というサービス料金の設定があったのだ。汽車通学(電車通学ではなく“汽車通学”)だった女房も、汽車の待ち時間などに駅前のラーメン屋で学中を食っていた口なのだろう。
D市のラーメン屋は、ホールと厨房の間にキップ売り場のような窓口があって、まずそこで前金で注文をする。
客が窓口に立つと、店のおばちゃんは決まり文句の「休んでたえ」(秋田弁で「休んでいってください」というニュアンス)と言う。これはもう、ファーストフードの「いらっしゃませ、こんにちは」と同じくらいの、この店の伝統的なマニュアルトークなのだろう。
きびきびと働くおばちゃんは、元気はいいがそんなに若くはない。70代後半、案外80前後かもしれない。
ラーメン屋に入っても店の人と話をすることはほとんどないが、ときどきは、「この人はどういう人生を送ってきた人なのだろう」などということを聞いてみたいものだと、内心思ってみたりすることもある。
最後の一滴まできれいにスープを飲み干したボクは、どんぶりを窓口に戻して「ごちそうさま」と声をかけ、かなり満足の面持ちで店を出るのである。
 
 

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  1. 2007/01/15(月) 00:07:56|
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Tsushimaほのぼの劇場

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「おとうさぁ〜ん、どこぉ〜?」
「お〜い、ここだよ、ここ!」
「どこなのよぉ〜。全部同じに見えるんですけどぉ〜」

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  1. 2007/01/13(土) 12:39:51|
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三つのメッツ

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「ホテルメッツ」というホテルチェーンがあるのである。
これはJR東日本の系列のホテルで、首都圏を中心に東日本各地で、ホテルメッツ渋谷、ホテルメッツ川崎といった名称で営業している。
同じJR東日本系列のホテルメトロポリタンが、バンケット部門も充実させたシティホテルという位置づけであれば、メッツのほうは宿泊に特化したビジネスホテルという役割のようだ。
そして、札幌にもメッツがある。
正確には、ホテルサッポロメッツという。
札幌は当然JR東日本のテリトリーではないので、札幌のメッツはJRとは無関係のホテルのようである。
ホームページで見ると、札幌のメッツもビジネスホテルのようである。
ところで、だ。
その札幌のメッツのHPを見たときに、ボクは一瞬「うぬ?!」と、目を見張った。
実は、秋田にもメッツという名前のホテルがあるのだが、なんだか、記憶にある秋田のメッツのロゴマークが、サッポロメッツと同じみたいなのだ。
ということは、同系列か?
しかし…、秋田のホテルメッツは、ラブホテルらしいのである。ボクはよく知らないが。
札幌でビジネスホテルを経営している会社が、秋田ではラブホテルを経営?
あるいは、秋田でラブホテルを経営している会社が札幌ではビジネスホテルを経営?
こういう“プチ都市伝説”めいた話に、津島は妙に引っかかるのである。
あー、どうにかしてすっきりしたい!
そうやって改めて見てみると、どちらかと言うと安普請な感じの施設が多いらしい秋田のラブホテルの中にあっては、ホテルメッツはかなりかっちりした雰囲気を持っているらしく、こういう業種には珍しくタワー式の立体駐車場まで持っているらしく、もしかしたら最初はビジネスホテルとして営業するつもりではなかったのかと思われるほど、館内も整然としたつくりになっているらしく、客室もありがちな淫猥な雰囲気はなく、むしろしっとりと落ち着いた大人好みの空間になっているらしい。いや、ボクはよくは知らないのだけど。

さて、ずっと、県内の40余りの酒蔵を訪問して取材する仕事を続けてきたのだけど、金曜日に最後の二つの蔵の取材を終えて、やっと一段落、今はほっとしているところだ。
取材といっても、ほとんどデータ収集みたいな概観的な取材なのだけど、実は、成果物として形になるものとは別に、蔵元や杜氏さんから聞かされた裏話とか本音とかいうもののほうがはるかに面白いのだ。そういう話を聞けただけでも今回の取材は自分にとっては大きな収穫だった。
何軒かの酒蔵からは帰りがけにオミヤまでいただいて、毎夜至福のひとときを過ごしているのである。
ボクは、若いころはほとんどビールしか飲まなかったのだけれど、歳もとったせいだか、このごろは日本酒も悪くないな、と思い始めている。
フランス人やイタリア人が葡萄から作った酒を飲むのならば、日本人は米から作った酒を楽しもうぜ、と。
山あいの、ちょっとひなびた温泉宿に、ワケありの同行者と二人で投宿し、夕食は軽く済ませたあと、ひと風呂浴びて、宿のおねえさんに部屋までぬる燗のお銚子を3本ほど運んでもらうのだ。
それを差し向かいで差しつ差されつ、飲み切ったらそこで今夜はおひらき。
二つの布団は少しだけ間をおいて並べて敷かれているけれど、結局片方の布団は使わずじまいで、一つの布団で二人して蔦が絡むように絡み合ったままで夜を越えるのだ。
朝になって、そろそろチェックアウトの時刻。
部屋を引き払う直前に、ボクはとりあえず3万円ほどを同行者に渡しておく。
「いや、なにね、オレが直接払ってもいいんだけど、宿の人間は勘が鋭いからね。“奥さん”が自分の財布から支払った…というテイにしておいたほうが、無難なんだよ。あ、釣りはあとで返してくれ。あはは」

いや、ボクはよくは知らないのだけどね。

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  1. 2007/01/13(土) 01:13:16|
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そこが居場所でないのなら

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人をあやめるのは、確かにそれは断然良くない。
あやめてしまったら、自分自身の人生もそこで終わってしまう。
だけれども、ほんとうはあやめるつもりなどなかったのに、何かの歯車が狂ってしまって、心のコントロールを失い、何かに憑かれて、“あやめさせられる”…というようなことも、起こっているのかもしれない。

よく、恋人同士や夫婦の間で、いがみあって憎しみあって呪いあって、お互いを傷つけあいながら生きている人たちがいる。
二人で生きるということが人生の潤いにならないのであれば、関係を清算して別々に生きたほうがよほど心の安寧を取り戻せるし、少しでも出遅れた幸せを取り戻せる可能性がありそうなものなのに、なんだか、誰かと傷つけあいながら人生を台無しにするために生まれてきたような生き方しか出来ない人も、案外少なくないのだ。
誰かを傷つけたり、憎んだり、呪ったり、ましてあやめたりしたって、それで自分が幸せになることなどないのに。
誰にだって必ず“居場所”はあるはずなのだ。
居場所でないところに留まって不平不満をいうのではなく、もう一度最初から本当の“居場所”探しを始めることだ。
最初からやり直すというのは、とてもエネルギーのいることだけれどね。
 
 

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  1. 2007/01/12(金) 00:40:26|
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約束の時間の過ごし方

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ボクは女房と旅をしていた。
めったに訪れることの出来ない土地だし、二人が興味を持つものは微妙に違っていたので、ならば一日別行動をしようということになったのだ。
夕方4時に駅前で合流し、どこかで飯を食ってからホテルに戻ろうと。
こういうアイデアは例えば、カップルのうちどちらかが写真にはまっていて、他方が写真にまったく興味がない時などには有効だ。
写真に夢中な者とそうでない者とが一緒に行動すると、お互いに相手に気を遣い過ぎたり、逆にイライラさせられたりして、精神衛生上よろしくないことが少なくない。
別行動というアイデアに女房も快諾してくれて、ボクは一日心置きなく写真を撮って回ることが出来て大満足だったのである。
そして4時。
ボクは少し早めに駅前の約束の場所に向かう。
しばらく女房を待つ。しかし、女房はなかなか現れない。
次第に苛立ってくるボク。もしや女房の身に何か…と、悪い想像もしてしまう。
かなり遅れてやっと現れる女房。
ごめんごめんと詫びるのだが、そのとき既にボクはすっかり機嫌を悪くしている。
女房の身を案じるよりも、待たされて不機嫌にさせられた自分が表に出る。
せめて、「だめじゃないかぁ。心配しちゃったぞぉ」などと、くだけた言い方が出来ればいいのだが、まだまだそこまで相手側の気持ちを気遣うゆとりはない。

それが二十数年前の新婚旅行のときの話。
今だったら、そんな女房との生活にもしっかり馴染んで、仮に彼女が30分も遅れて約束の場所にやってきて「ごめんね、待たせて」と言っても、「ううん、ボクも今来たばかりだから」などと、笑いながら見えすいたジョークの一つの言えるゆとりは、あるのである。
 
 

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  1. 2007/01/10(水) 23:54:58|
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死ぬかと思った

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企業や施設を訪ねて、代表者にインタビューをして記事にまとめるのも、ボクの仕事の一つだ。
企業経営者には一家言持つ人が多く、普通では聞けないような話まで聞かせてもらって、なかなか刺激的な体験になることも少なくない。
たとえ業績がやや足踏み状態でも、代表者が社業への情熱を失わずひたむきに頑張っている様子がうかがわれると、ボクは応援の気持ちも込めて、明るく希望の感じられる文章にまとめようとする。
ところがだ、今日訪問した会社はすさまじかった。
会社の外観からして、「もしかしたら潰れてんじゃないかしらん」と思われるほど、どよんとしたたたずまい。
玄関の引き戸に手をかけたら普通に開けられて、「あ、やってるんだ」とほっとしたほど。
社長が応対してくれて、とにかくインタビューを始めたのだけど、これがもう、出る言葉出る言葉、信じられないくらいネガティブな話ばかり。
業績が芳しくないのは(言われなくても見ただけで)よく分かるけど、社業の暗い話、業界の暗い話、地域の暗い話、時代の暗い話…、もう、この人に暗い話をさせたら、延々キリがないのだ。
しかも、その暗い話が止まらない。こちらから一言質問を投げかけると、一人で延々と5分も暗い話を続けるのだ。
こりゃたまらんと思って、言葉を遮るようにして次の質問をすると、そこからまた暗い話を5分続ける。
しかも、その話は今回のボクの取材の趣旨にはほとんど必要ない話ばかりなので、ぼーっと聞き流しながら、なんだかこの人のネガティブさに、自分の生気が吸い取られていくようにすら感じられたのだ。
世襲でしかたなく家業を継いだのだろうし、もともと企業経営者の器ではなかったのだろうけど、世の中が悪いとか時代が悪いとかいう以前に、「あんたの性格が一番問題なんじゃないの?!」とボクは叫びたかったのだ。
苦しいのはどこもみんな苦しいのだ。そんな苦しい中でも、一縷の望みを託してみんな歯を食いしばっているんじゃないか。
本音の本音で言っていいんであれば、「悪いことはいいません。もうこのご商売はお辞めになったほうがいいですよ」と、言ってやりたかった。

どんなに辛くても、そこから出る言葉が後ろ向きの気持ちなのか前向きの気持ちなのか、もうその時点で、半分結論は出ているようなものなのだけど。

あまりに息苦しい会社の訪問を終えて外に出て、ボクは大きく深呼吸をしたことだった。
なんでもない外の空気がとても美味しかった。
それにしても、死ぬかと思った。

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  1. 2007/01/10(水) 18:44:53|
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美しい国、ということ

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何年か前までは、シートベルトをしないでクルマを運転しても、違反としての罰則規定はなかったんじゃなかったかな。
それから、ほんの数年前までは、運転中に携帯電話を使っても法的にはなんら問題はなかった。
だけれども今は、ホーリツがシートベルトにもケータイにも容赦しない。
必要があればどんどん法律を変えていったり新しい法律をつくっていくのが世の中だ。
それで世の中が平和になって人が幸せになるのだったら何よりだ。
運転中に携帯電話を使えないのは個人的には窮屈な思いだが、それで交通事故が減って悲しまずに済む人が増えるのは、世の中の平和や人の幸福につながることだから我慢しよう。

今の日本の法律では、女性が離婚して300日以内に生まれた子供は前夫の子供とみなす、と規定されているのだとか。
たとえば、堪え難いほどの暴力的な夫から決死の覚悟で逃れて、やっと本当の人生のパートナーに巡り会えて本当の意味での愛の結晶が生まれたとしても、手続き上の離婚成立から300日以内であれば、法律上はその子は前の夫の子供と見なされてしまうのだ。
子供のためにちゃんと戸籍を整えたければ、一旦前の夫の子供として出生届を出し、それから養子として新しいパートナーの戸籍に移す手続きをしなければならない。
まぎれもなく新しいパートナーの子供なのに、法律がそれを認めてくれない。なんという不条理!
子供の父親が誰なのか科学的に判断する手だてのなかった時代の法律なら、それでも仕方なかったかもしれないが、今だったらDNA鑑定で一目瞭然なのではないか。
やっとつかみかけた幸せの前に、カビの生えた古くさい法律の壁が立ちはだかる。
新しいパートナーの子供として出生届を出そうとしても、役所で法律を盾に受理されないというケースが起こっているようだ。

運転中に携帯電話を使ったら即刻反則金を払わなければならないような法律はすぐにつくるのに、やっとつかみかけた幸せをあたたかく支えてあげる法律はなぜつくれないのか。

人々の、一人一人の幸せをちゃんと考えてあげられる国が、“美しい国”と言えるのではないのか。
 
 

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  1. 2007/01/10(水) 01:38:17|
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旅に病んで...

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ひょんなことから、来月あたりちょっと旅をしようかなと思い始めたら、もう矢も楯もたまらず、PCで仕事をしながら、その仕事を中断して、PCで列車の時刻を調べたり運賃を調べたり、現地の宿を調べたり、果ては、現地の近くに住む友人に「安い宿は知らないか」などとメールを入れたりするのである。
急に仕事が入ることにでもなればマボロシに終わってしまう旅行計画だが、スイッチが入ってしまった恋愛衝動と同じで、もうキモチはすっかり行く気になっていて、今さらあとには引けない気分なのである。

そして、ものごとにはタイミングというものがある。
言わないほうがいいタイミングと、言うならば今しかないというタイミングと。
夜、女房が風呂に入った気配だった。
ボクもあとから風呂に入った。
まったりと、バスタブの中でリラックスしている女房。
(よし、今だ! 言うなら今しかない!)
「あの、来月あたり、ちょっと旅行してこようと思うんだけど…」
「へっ?! …ったく、あんたって人は…」
呆れる女房。
金がないだの、仕事したのに入金がないだのと言いながら東京や九州までも旅行して、「その上、また旅行かよっ!」…って、女房の顔にそう書いてある。
「いや、旅行って言ってもね、遊びじゃなくて、取材を一本してこようと思ってるんだ」
「あんたって人は、まるで浅見光彦ね。プライベートで旅行して、行った先で必ず一つ仕事してくる…」
あ、はい、へへへ、ま、確かに。
子供が親に何かを買ってもらおうとするときに「だってクラスのみんなが持ってるんだよ」なんて言い方をするように、ボクは、その旅がどれだけ意味のあるものかを女房に力説する。
「秋田とO市にゆかりのあるKという人物がいて、そのKの母親の回想をMという女流作家が小説にまとめているんだけど、それを今度の記事のモチーフにしたいんだ」
いや、ほんとにそれだけの理由なら、あえてボクがO市まで出かけなくたって記事を書けなくはないのだ。
非常に、説得力としては弱いのである。
バスタブからあがって脱衣所に向かいながら女房は、「浅見光彦のように、ちゃんと一仕事してきなさいよ」。
「あ、はいっ!」

よし、これで第一関門突破。

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  1. 2007/01/09(火) 01:50:29|
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コトバ、以外の理解

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我が家にはマルチーズの座敷犬がいるのだが、
ボクはことさらこいつを可愛がっているわけでもないのだけれども、
こいつが妙にボクの膝の上を好むのだ。
朝、こたつに入って新聞を広げながらトーストを食べ始めると、
「ちょっとその場所を貸せ」とでも言わんばかりに前足でボクをつついて
強引に膝の上にのってきて丸くなってしまう。
我が家には家族が6人もいるのだから、別にオレでなくてもいいだろうと思うのだけど、
なぜだか妙にボクの指名率が高いのだ。
その逆に、滑稽なのは、うちのおふくろが「ほら、おいで。おやつあげるよ」などと、
食い物でつっておびき寄せようとしても、かえって離れていってしまう。
きっと、おふくろのそばでは落ち着けないのだ。
おふくろはそういうところのある人なので、
「犬とはいえ、人をみてるんだな」と、ボクは内心にやにやするのである。

デートやドライブをするときなど、特に必要な会話がなくても、
他愛ないことでもいいから言葉にしてキャッチボールすることは、
二人の関係を潤いのあるものにするためにも大切なことのように思われる。
用があるときしか言葉を発しないというのは、
言葉でコミュニケートするという人間の特権を半分しか使っていないようなものだ。
その一方で、会話が途切れたときの気まずさから、何か次の話題を
ひねり出そうとしてそれがなかなか出てこないときなどは、けっこう脂汗のにじむ思いだ。

そうしてまた、それとは別に、言葉を交わしていなくても、
二人の関係、その場の空気、が“成立”していることもある。
“言葉など必要としない関係”、と言ってもいいだろうか。
会話が途切れても気まずくならず、むしろ、そこに流れている空気が心地よく、
二人はしばしその静寂を楽しむのだ。
言葉を交わすことは大切だけれども、言葉を交わさずとも通じ合える境地に達することの
出来た二人は、幸せだ。

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  1. 2007/01/07(日) 22:30:35|
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そしてまた平穏な日々

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暮れにわざわざクルマで東京まで迎えにいってやった娘は、明けて三日に東京に戻っていった。
といっても、すんなり戻っていったわけではなく、当たり前のように、「盛岡までは送ってくれるんでしょ?」と、言うのである。
去年の夏休みに帰省したときも、「帰りのキップが取れない」とぐずぐず言ってるので、「いいよ、じゃあ、盛岡まで送ってやるから。盛岡からだったら自由席でいくらでも帰れるだろう」と言ったのが運のつき。
娘はもう、盛岡あたりまで送ってくれるのは当然のように、決め込んでいるのだ。
(東京まで送れと言い出さないだけでも幸いと思うべきか)
まあ、東京で健気に頑張っている可愛い我が子だから、親父としてもそれくらいのサービスはしてやらないとね。
三日は夕方までにこちらの仕事を一区切りつけて、盛岡からの最終の上りの「はやて」に間に合うように家を出たのだ。
秋田から盛岡までは100kmあまり。峠越えの一般国道なのでおおむね2時間半ほど見ておけばいい。
職場の人たちへの土産を買いたいということで途中のショッピングセンターに立ち寄る。
同行する女房も、「じゃ、あたしもおやつを買ってくる」と、娘と一緒に店に入っていく。
ところが、この二人がなかなか店から出てこないのだ。
こちらは、ちょうど間に合う時間を逆算して家を出ているので、途中で時間を食ってたら最終の新幹線に間に合わなくなるのだ。
うちの奥さんは、こういうところがちょっと天然で、買い物を手短に済ませるのを忘れて延々と買い物をしてしまう。
早めに済ませろと先に言わなかったこちらの落ち度でもあるからと、彼女らを責めはしなかったけれども、いらいらいらいらしながら、ボクは運転席で彼女らを待っていたのだ。
まあ頑張って走ったので、盛岡には少し余裕を持って着き、駅ビルの中で3人で最後のコーヒーを飲む時間は持てた。
娘は、飄々と手を振って、最終の新幹線で東京に帰っていった。
中学の頃には登校拒否も経験し、この子の行く末はどうなるのだろうと案じたこともあったのだけれども、それがここまで逞しくなったのだから、親父としても感慨深いものがあるのだ。

さあ、娘も東京に戻っていった。
これで我が家の正月もひとまずお開きか。
盛岡から秋田まで、今度は急ぐ必要はないから、ゆっくりとしたスピードで、女房と二人、夜のドライブを楽しんだのである。
 
 

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  1. 2007/01/07(日) 01:45:25|
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うちのニョーボの抱き枕

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先日夜中に暇つぶしでCSを観ていたら、メル・ギブソンの映画をやっていた。
ああ、メル・ギブソンも今はいろいろ面白い役をやるようなったけど、デビュー作はかなり奇天烈な映画だったよなあ。
ほら、あの…、えぇと、……と、こんな風にして、歳のせいなんだか、この頃少し、なんでもないことがなかなか思い出せないのだ。
完全に忘れているわけではなく、確かに頭の中に入っているのに、それがなかなか出てこない。
そして半日もたって、もうそんなことどうでもよくなってから、「あ、マッドマックス」などと、ふいにそれが思い出されるのだ。
できることなら、いっぺん頭の中をデフラグかけたくなる。

そして、威風堂々たるこの建物、旧横浜正金銀行本店である。
日本の近代経済で大きな役割を果たしてきた銀行なのだけど、一方、近代文学史の中でもちょっとだけ顔を出す銀行の名前なのである。
日本の近代の小説家の一人が、若かりし頃、この銀行のニューヨーク支店やリヨン支店で働いていたことがあるのだ。
だから、近代小説を乱読した人であれば、「ん、横浜正金銀行? どこかで聞いたことがあるな」と、ちょっと引っかかるのである。
その小説家というのは、他ならぬ…、ほら、あの、ランティエ(利子生活者)としても知られた…、あ"−、なぜ出てこない、その名前っ?!
ランティエというフランス語はするする出てくるのに、肝心の小説家の名前が出てこない。
くそっ、意地でも思い出してやるぞ…と、食事をしているときもクルマを運転しているときも、イメージで脳みその中を引っ掻き回してみるのだけど、やはりどうしても出てこない。
答えを言ってしまえば永井荷風なのだけど、言われてみれば「そうそう、荷風」とすぐに分かることなのに、その永井荷風の四文字が出てこないのだ。これはかなりの重症か?!

まあ、これまでの自分の人生はまんざらでもなかったし、あとはゆっくりと老いを楽しむのもオツなものだと思うのだが、どうもまだ宵っ張りの癖は抜けず、仕事があるときはもちろん、用がないときでも、だらだらと遅い時間まで起きている日々だ。
ボクとニョーボの就寝時刻には、ほぼ1〜2時間のずれがある。
もう既にニョーボが寝入っているベッドにすぅーっと滑り込んでいくのだが、こんなとき、ニョーボはたいていボクに抱きついてくる。
しかし、これを“愛に由来するもの”と考えてはいけない。彼女はもうほとんど寝ぼけ状態なのだ。愛もへったくれもない。
要するに、彼女にしてみれば、寝返りを打ったついでに、そこにあった抱き枕に抱きついたに過ぎないのだ。
しかもこの抱き枕、メタボリックという上質な素材で出来ているので、ぽよんぽよんと、すこぶる抱き心地がいい。
若いころは、女の抱き枕になってやれるような気持ちのゆとりはなかったけれども、この歳になれば、「はいはい、どうぞお好きなだけ♪」と、我が身を投げ出す。
うかうかしていると、寝ぼけたまま腕枕まで求められる。
ボクは、右腕をロックされたまま(ボクは左利きなので、ベッドでは左に寝る)、窮屈な格好で本を読んでいる。
何分もしないうちにニョーボはまた反対方向に寝返りを打って、ボクは抱き枕からも腕枕からも解放される。
そうしてやっとボクも眠くなってきて、本を閉じて読書灯を消して、一日が終わるのだ。

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  1. 2007/01/05(金) 21:15:10|
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ボクの指先の彼女のぬくもり

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厳寒時に戸外で写真撮影をしていると、堪え難いほど指先がかじかむことがある。
ずっと手袋をしていて、写真を撮る瞬間だけ手袋を脱ぐのだが、その脱いでいるわずかな時間だけでも辛いのだ。一刻も早く手袋に手を突っ込みたくなる。
そんなボクには、なかなかありがたい手袋がある。
axes quinというブランドのゴアテックス製の手袋で、親指、人差し指、中指の三本の指の部分がちょうどフードつきのジャケットのようになっていて、通常は普通の手袋だが、フードを取るように手袋の指の先をめくると、三本の指の第一関節から先が露出する。これは、手袋をしたままカメラのボタン操作をしたりシャッターを切る際にはたいそう都合がいい。
僕にとって、冬の写真撮影には欠かせないアイテムだ。

実はこの手袋、何年か前に女友だちがボクにプレゼントしてくれたものだ。
その頃ボクと彼女はちょっとウマがあっていて、誕生日など、なにかにつけて彼女はボクにプレゼントをしてくれた。
ある年の、冬を前にした時期に送られてきたのがこの手袋だ。
寒い季節の写真撮影は大変だろうからと、わざわざ彼女が見立ててくれたものだ。
もちろんボクは、毎年冬になってこの手袋をするたびに、寒さから救われるのと同時に、彼女のぬくもりもいつも指先に感じているのだ。
今ではせいぜい年賀状をやりとりするくらいの、少し素っ気ない間柄になってしまって、寂しい思いもないではないのだけれど、ボクとしては、この手袋はぼろぼろになるまで使い切りたいと思っているのだ。

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  1. 2007/01/04(木) 16:01:12|
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指先の冷たい彼女

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口元に運んでいたコーヒーカップをテーブルに置くと、やにわにF子はボクの右手をとって自分の両手で包み込んだ。
「ね、冷たいでしょ、あたしの手。冷え症なのよ。だから、寒い季節に北のほうに旅をするなんてのは、考えられないよ」
「だったら、あったかくなってから来ればいいさ」と、ボクはニコニコしながら答えつつ、内心、寒い季節の北の土地にもそれなりの風情があるのにな…と、少し残念に思うのだ。
旅をするなら、北と南のどちらがいい?
ボクは、どちらかといえば北に惹かれるのだ。今現在でも日本の中の北のほうで暮らしているけれども、それよりも更に北のほうに行ってみたい。厳寒の季節でも構わない。寒い季節にこそ行ってみたい。
女性はどちらかというと南が好きという人が多いようだ。
「ふふふ、ボクとキミとでは、アヴァンチュール旅行の計画を立てても意見が合わないな」…と、はなっからそんな計画を立てる計画もないくせに、話もしないうちからアヴァンチュール旅行の話は立ち消えになるのだ。
この冬のうちに一度北海道に行ってみたい気持ちもあるのだけど、仕事との絡みで行けるかどうか。
あこがれのNew Yorkも2月が飛行機代が最安値になるみたいで、行くとすればこの時期しかないなと思うのだけど、これも、仕事の絡みとフトコロの絡みで、きっと行きたくても行けないままで終わってしまうだろう。

コーヒーを飲みながら、誰かが「南のほうにでも旅をしない?」と言ってきたら、ボクはやにわにその人の手を取って自分の両手で包み、「な、オレの手って妙に熱いだろ? 南向きじゃないんだよ」…と言っても、ちょっと説得力がないかな。
冗談でも誰かが「一緒に旅をしない?」と言ってきたら、(考えてもいいかな)…と、少し本気で思ってしまうような、そんなワクワクするひとときに憧れて。

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  1. 2007/01/02(火) 23:40:03|
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風に吹かれて

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タンポポの綿毛のように、ただ風にまかせて、彷徨の人生を送りたいのだ。
自分の意志でその場所にいるのではなく、「気がついたらここにいた」などと言えるような。
あと何年で借金が返せるのだったかな。気ままに生きられない我が身が辛い…。
過日、初心者向けのデジカメ講座の講師をしたとき、ボクは、「写真は、技術と感性と“ご機嫌”だ」…と、講釈した。
シャッターを切るときの自分の気分が“ご機嫌”でないと、そのとき撮った写真は、ココロなしか暗いものになっていたり空虚なものになっていたり味気ないものになっていたりするのではないかと。
ご機嫌な気分でシャッターを切ると、その“ご機嫌さ”が、写真を通して観る人にも伝わるのではないかと、思う。
だから、写真には、技術も感性も大事だけれど、まず自分自身がご機嫌でいることが一番大切なのではないかと。
ときどきため息をつきたくなるようなこともあるけど、せめて写真を撮っているときだけでも、ご機嫌でいたいものだなと、思うのだ。
誰かがボクをご機嫌にしてくれたり、ボクが誰かをご機嫌にできたら、それだけでも今日からの一年は意味のある一年になるだろう。

というわけで、みなさん、新年明けましておめでとうございます!
今年も、ご機嫌な気分で写真を撮っていきましょうね♪

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  1. 2007/01/01(月) 18:05:02|
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