津島修三ブログ

カメラマン兼ライター津島修三のブログ

ま・ち・あ・わ・せ

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時間になったら、駅のホームで女友だちと待ち合わせることになっていた。
携帯電話のない時代のデートの待ち合わせは、会ってみるまでは安心できないものだった。
どちらかが家を出てしまったあとは連絡のとりようがないわけだから、何かアクシデントでも起こったら、お互いの動向が分からず、その日は訳も分からないまま会えずじまいになってしまいかねなかった。
来てもらえなかったことに、ひどくうちひしがれたり、あるいは、激しく憤ったりした。
携帯電話があれば、予定の変更はもちろん、急用が出来ても少なくとも言い訳は出来るから、二人の恋に入る溝はそれほど深いものにはならない。
ただ、携帯電話では、逆に、決定的な激しいケンカさえもできてしまう。
少しあいだをおいてから話したほうが冷静に建設的な話が出来そうな場合でも、その場その時の怒りのままに話をしてしまえば、事態は収拾がつかなくなってしまう。
電話は、優しい気持ちを伝える道具にして、憎しみを増幅させる道具には使わないことだ。

ボクは、待ち合わせの時間はまだ決めておらず、「家を出られる時間になったら連絡をおくれ」と、携帯から彼女にメールを入れていた。
折り返しのメールが来るまで、ボクはぶらぶらと好き勝手に自分一人の時間を過ごすのだ。
しばらくして、「今から出ます」というメール。
「あいよ。じゃあボクも今から向かう」と返事して、うきうきと、待ち合わせの駅のホームに向かうのだ。

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  1. 2006/11/30(木) 03:16:37|
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おろおろと彷徨う愛

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愛には、“届く愛”と、“届かない愛”がある。
どんなに深く愛しているつもりでも、相手がそれを受け入れてくれなかったら、その愛は届かない。
愛は、浮遊霊のごとく、行き場を失って中空を彷徨うのだ。
届かない愛よりは届いた愛のほうが、断然いいに決まってる。
しかし、たとえそれが届かない愛であったとしても、愛したことには変わりはない。

誰をも愛せなかった人生よりは誰かを愛せた人生のほうが、断然いいに決まってる。
 
 

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  1. 2006/11/28(火) 22:06:46|
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Tsushimaほのぼの劇場

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「あのカメラマン、いやらし。さっきからあたしたちのお尻ばかり撮ってるわ」
「まあ、所詮オレたちは“見られてなんぼ”だしな」
「そりゃあそうだけど、なんか、いやだわ、あたし…」

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  1. 2006/11/28(火) 01:59:56|
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小さなウソのア・ラ・カルト

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「奥様はニセモノ」

今は昔、奥さんではないご婦人を助手席に乗せてドライブをしていたときのこと。
話に夢中になって周囲への目配りが散漫になっていたのかもしれない。交差点の手前で左に車線変更しようとして、すぐボクの左後ろを走っていたクルマと接触事故を起こしてしまった。
双方の乗員にけがもなく、比較的軽微な事故だったので、あとは保険で処理をすることとして粛々と段取りを踏んでいくのだが、さて、助手席のご婦人だ。彼女には何も問題はないし、むしろ、とんだドライブになってしまって申し訳ない思いなのだけど、といって、こちらが相手方と事後処理的な話をしているときに黙って助手席に座ったままでいるのもちょっと不自然なことに思われたので、クルマに保険証書を取りに戻ったときに、そっと小声で彼女にささやいたのである。
「済まないけど、この場ではオレの女房というテイで振る舞ってもらえないだろうか」
あ、はい、わかったわと彼女は二つ返事で、一緒に相手方に頭を下げてくれたり、「あ、ごめん。車検証とってきてくれないかな」とクルマから車検証をとってきてもらったり、それはまあ、つつましく、見事に女房役を演じてくれたのであった。
めったに事故を起こさないボクがよりによってこんなときに…と、しょげたりもしたのだけど、あれはあれで、ちょっと愉快な体験ではあった。


「小芝居上手」

今は昔、つきあいのある広告代理店から頼まれて、市内で分譲中のマンションのパンフレットを集める役を引き受けた。
たとえばカメラのカタログとかだったら、カメラ屋に行ってそこにあるカタログを持ってくればいいだけだけど、マンションのパンフレットとなるとそういうわけにもいかない。
それで、女房にも協力してもらって、マンションの購入を検討している中年夫婦というシチュエーションで、一日かけてモデルルーム回りをしながらパンフレットをもらってくる作戦に出たわけだ。
「いえね、すぐにマンションを求めたいと決めているわけではないのだけど、今の家も古くなったんで、建て替えるか、あるいはいっそマンションも検討してみようかと、それでモデルルームを見せてもらってるんですよ」…と、抜け落ちそうな床のリフォームの費用も工面できないほどの貧乏暮らしのくせに、ずいぶんと大胆なウソをつくわけである。
女房は、ここではまあ“飾り”のようなもので、黙ってボクについてきてくれればいいのだけど、これがまた、妙に自主的に“小芝居”を打つのである。「あら、このキッチンは使いやすそうだわ」とか、「やはり和室はもうちょっと広いほうがよくない?」とかとか。
あの日、女房は、芝居を演じることにちょっと目覚めたのかもしれない。
ボクは腹の中で、「この大ウソつき女めが!」…と、笑いが止まらなかったのである。

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  1. 2006/11/28(火) 01:48:55|
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恋はドリョク、なのだ。

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恋は、その初期においては、その“恋しい”という情念自体がエネルギーになって、燃焼して、激しく突っ走るのである。
が、しかし、その恋路の途上において、“恋しい”という情念はしばしば希薄になってくる。燃焼させて走り続けさせるほどのエネルギー足り得ないのだ。恋路の途上や終盤においては、アクセルになるよりもブレーキになることが多い情念になりがちなのだ。
しからば、走り続けるための代替エネルギーは何なのか。
それは、“努力”にほかならない。
“恋情”なんてのはもうアテにはならないから、最後は“努力”で走り続けることになるのだ。

津島、ここしばらく、非常に忙しかった。
どちらかといえばデスクワークが多い業態なのだけど、ここ数ヶ月は、連日取材に飛び回っている日々だ。
せめて日曜日くらいは、何もしないでのんびり休養するか、あるいは、自分の負担になることは最小限にとどめたいのである。
本日の日曜日、午前中に取材が一本入っていた。その取材を済ませてしまえば、午後は少しでも休めるのだが、ボクは、この日を自分の“努力する日”に選んだ。
ボクはニョーボに、「午前中に1時間で済む取材が一件入ってるんだけど、それが終わればあとは好きにできるから、一緒に出かけるかい?」…と、声をかけるのである。

どこへ行って何をすると示し合わせたわけでもないのに、朝の出がけの車に、ニョーボはいそいそと二人分の入浴セットを抱えて乗り込んでくるのだ。
ほんのちょっと努力するだけで連れ合いのご機嫌を取ることが出来たら、安いもんだと思うのだけど…
 
 

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  1. 2006/11/26(日) 23:46:30|
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嘘の哀しみ

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一度だけ、女に大嘘をつかれたことがある。
“女”といっても、一度だけ酔ったときにイキオイでキスをしたことがあるくらいで、それ以上に進展したことはなかった、ただの普通の“女友だち”だった。
普通の女友だち、向こうからすればボクは普通の男友だちなのだから、何も嘘をつく必要などはなかったのだ。
ボクは、女の人が結婚生活や恋愛(アヴァンチュールという恋愛を含めて)で迷っていることがあったら、ボクなりに何かサジェスチョンができないかと考える男だから、そのボクに対して嘘をつくなんていうことは無意味だったし、最初から嘘をつかずに正直に話をしていても、ボクたちの間には何にも問題もしこりもなかったはずなのだ。

彼女がついた嘘というのはこういうことだ。
彼女はある趣味のサークルに入っていて、かつてはそのサークル仲間の男性に恋愛感情を抱いていた。でも今は彼に対してまったく想うところはなくなったのだけれども、いまだに彼のほうからは何かとコンタクトしてきて、正直ちょっと鬱陶しい…と。
…と、そういう風にボクは聞いていたのだ。「キミが望まないのにずるずるとまとわりつかれるのだったら、はっきりと拒んだらいいのではないか」と、ボクは意見したりしていたのだった。
ところがだ。ひょんなことから、事実はその逆で、彼は彼女に対して特に熱心でもなかったのに、彼女のほうがずいぶんと彼に執心のようだということが露呈してしまった。
つまり、今までボクに嘘をついていたということもばれてしまったわけで、まぁ、開き直りというのか、「今まで楽しかったわ。ありがとう。さようなら」という短いコメントを残して、それっきり彼女からは音沙汰がなくなった。
ボクは、彼女に嘘をつかれていたことにはそれほど腹を立てていない。
それよりも、どうして彼女はボクにそういう嘘をつかなければならなかったのか、そこのところの彼女の心理が理解できないのだ。最初から事実を話してくれていても、ボクと彼女の間の距離感は全然変わらなかったと思うし、“事実”に基づいてボクは彼女にサジェスチョンできていたはずなのだ。

“嘘”について、ボクは今、二つのことを考えている。
どうしても嘘をつかなければならなくなったとき、あるいは、嘘をついたほうがいいようなときは、その嘘が絶対にばれないようにすることだ。
必要な嘘をつくことは悪いことではない。むしろそれは優しさや思いやりであったりもする。
だけれども、すぐにばれるような嘘をつくのは罪だ。必ず誰かが傷つく。
誰も傷つけたくなかったら、絶対にばれないような嘘をつき通すことだ。
もう一つのボクの考えていることというのは、人に嘘をつかせたくない、ということだ。
たとえば、仮にボクの女房が、「明日映画を観てくるわ」などと言って、実は男性とデートする予定でも立てていたのだとして、もしボクが彼女の言動に不審な思いを抱いたなら、ボクは、彼女が帰ってきてから、「どんな映画だった? 一人で行ったのか? 混んでたか?」などなど、まるで、取調官が容疑者のアリバイを崩そうとするみたいに矢継ぎ早に問いかけるかもしれない。そうすれば彼女のほうも、必死になって嘘に嘘を重ねることになるだろう。
もしボクが追及しなければ、彼女は嘘をつかなくてもいいのだ。「明日映画を観てくるわ」という言葉をボクが疑わなければ、それは嘘にはならないのだ。
ボクは、自分の女房を、それに、女友だちや親しい女性たちを、何かの悪事の容疑者には仕立てたくない。
相手の哀しい嘘をえぐり出すことよりも、どうしたらその人と仲良く幸せに平和にやっていけるか…ということに腐心するほうが、ずっと楽しい作業なのではないかと、ボクは思うのだけど。
世の中には、目をつぶってやりすごしていいことも、いくつかはあるような気がする。
 
 

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  1. 2006/11/25(土) 00:25:19|
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キミの幸せを見届けずには

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クリスマス・ツリー。
イルミネーション。
その光彩は、人を慰め、あるいは、人を突き刺す。
人間てのは、これでなかなか残忍なもので、ときどき、愛を注ぐことと欲望を満たすことの区別がつかなくなってしまう。
好きで好きでどうしようもなくて、でもその想いはどうしても相手には伝わらず、それどころか、相手は他の男になびこうとしていたりする。彼女が他の男に抱かれるなんてことは、絶対にあってはならないことだ。だとすれば、彼女が他の男のものになってしまう前に、オレの手で殺してしまうしかない。
…そこまで思い詰めるのが、ブレーキが効かなくなってしまった恋の末路だ。

愛と、欲とは、違うんだ。
てめえの(腐った)幸せしか考えられないのが欲で、相手の幸せをちゃんと考えてやれるのが愛なんだ。
彼女が他の男に抱かれるなんて、想像もしたくないことだけれども、それで彼女が幸せになるのなら、こちらは目をつぶって、それを受け入れるしかないんだ。
幸せになってくれ。幸せになってくれ。幸せになってくれなかったら許さないからな…と、半分いらだちながら、手の届かないキミを、ボクはずっと愛していくことになるのだ。

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  1. 2006/11/23(木) 02:35:35|
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ボトル一本、“うまくいかなかった恋”談義。

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酒は、心の片隅に淀んでいたものを掻き出してくれる。
かつての、うまくいかなかった恋について、彼女は滔々と語り始めるのである。
ボクは、ほおづえをついて、彼女の目を見て、うんうんと、彼女の話を聞いている。
もう少し若い頃のボクだったら、彼女の言葉のセンテンスごとに、「でも、それはさあ…」とか、「いや、そうじゃなくて…」などと、いちいち口を挟んでいただろう。
実は、そうやって女の人の発言に口を挟みすぎて、なんとなくうまくいかなくなってしまった苦い恋の経験もボクにはあるものだから、まずは聞き役に徹することだ…というのが、ボクの、失った恋から学んだ教訓だった。
うまくいかなかった恋を延々と語ること…、それは、一つの“未練”の形なのだと思う。
大嫌いになってしまった相手なら、思い出したくもないし、今さら語りたくもないのではないか。
心の隅っこでは、ほんのわずかでも、未だに思慕する感情が残っていて、それゆえにこそ、うまくいかなかったジレンマを、いらだつように誰かに吐き出さないわけにはいかないのだ。
だから、そういう女の人には、ちゃんと話を聞いてくれる相手が必要なのだ。
ボクはボクで、自分のうまくいかなかった恋の古傷を抱えていて、やはりそれは、有り体に言ってしまえば“未練”であって、それを今さらどうしたいとか、何かアドバイスがほしいとかいうのではなく、なんとなく、そういう古傷を抱えて生きていくことを共感できる人がいると、こちらもほっとするのだ。
そういうことでこの中年の男と女は、焼酎のお湯割りをぐいぐい飲みながら、お互いの“うまくいかなかった恋”を、しみじみと語り合うのである。
きっとそれでお互いが、少しは楽になるようなところがあるのだと思う。
ボクらは、本命の恋人同士というわけではないから、会っている時間や語り合っている時間や目を見つめ合っている時間の積み重ねから、いよいよのっぴきならない関係になってしまうということにはならないと思うのだが、ちょうどマッチ売りの少女がマッチに火が灯っている間だけ夢を見ていられたように、ボクたちは、ボトル一本のアルコールを酌み交わしているあいだは、ほんわかと安らいだ気分でいられるのだった。

しゃべりたいことを全部しゃべり終わった頃、ちょうどボトルも空になった。
ボクは今から夜行バスで家に帰る。
店を出て、小雨の中を相合い傘で二人でバス停まで向かう。
「じゃあ、またいつかね」
ボクたちは、軽いキスをして、手を振って、笑顔で別れるのである。

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  1. 2006/11/21(火) 01:25:41|
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滲む灯り

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マンションの広告に使うイメージカット用に、クリスマス間近い駅前のイルミネーションの撮影に繰り出したのだった。
ところが、今夕はまだ期待していたほどのイルミネーションにはなっていなかった。
同行の広告代理店マンと、「どうする? この状態で撮ってしまう? それとも出直す?」。
出直しましょうと彼が言うので、駐車場まで引き返しつつ、「あ、オレちょっとこのあたりの写真撮ってから帰りますから」と、ホームに停まっている発車間際の列車が見える辺りで彼とは一旦別れた。
数カット撮って駐車場まで戻ると、彼がまだいて、「すみません、やはり今日のうちに撮れるだけ撮ってしまいます」と言う。
クオリティを高めたいけれども、制作スケジュールを考えると時間優先にしなければならないという苦渋の判断だったのかもしれない。
「いいっすよ。じゃあ、撮りましょう」と、また二人並んで駅前に向かったのだった。
イルミネーションを撮る前提だったので、レンズにはクロスフィルターを装着したままになっていた。
さっき撮った駅のホームの蛍光灯も、にじんで写るのである。
歩きながら彼が問いかける。
「津島さんは鉄道が好きなんですか?」
秘密の趣味が露見してしまったみたいでドキリとしたが、「うん」…と、にっこり答えるボク。
(こいつ、ちょっといい奴だな)と、なんとはなしに、彼に好感を抱いた、そのときの津島であった。

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  1. 2006/11/18(土) 01:17:52|
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恋は達成感

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仕掛かり中の仕事に今ひとつ身が入らないのは、この仕事に“達成感”が期待できないからだ。
誰に向けて何をメッセージする仕事なのか。そのためにこそ自分のスキルは必要なのだ…と、そういう、言い換えると、はっきりとした“着地点”が見える仕事だと、こちらも張り切る。多少のハードワークも、むしろ張り合いになる。
その逆に、今やっている仕事の意義がよく分からないとき(滅多にないことなのだけど、そういう、“着地点”がどこなのか分からない仕事、ってのが稀にある)は、とても虚しくなる。
仕事で写真を撮ったり文章を書いたりするときは、それで受け手が楽しんでくれたり感動してくれたりすることを目指したい。
頑張っている人や頑張っているご商売を取材するときは、自分の写真や文章で最高の宣伝になるようにこちらも頑張りたいと思う。
仕事というのは、自分が儲けるためのものだけではなく、誰かが喜んでくれるためのものでもありたい。少なくともボクはそう考えるので、「こんなやり方の仕事をしても誰にも喜んでもらえないよなあ」という仕事には、なんだか釈然としない気分になってしまうのだ。
自分の一存でどうにでもなることならばボクは最善を尽くすけれども、「仕事のクオリティはともかく、とにかく納期を優先してくれ」みたいな言い方をされると、「この人は、この仕事で何を成し遂げたいのだろう」…と、なんだか、仕事に向ける足取りが重くなってしまうのだ。

さて、そういう意味では、恋も、妙味は“達成感”だろう、と思う。
惚れた女を自分のものにするとか、一緒になることが叶わなければ恋が成就したとは言えない…というのではなく、しまいには別々の生き方をすることになる関係であっても、あとから思い返してみたときに、「あれはあれで悪くなかった」と思えるような“達成感”のある恋だったならば、それは自分なりの大切な想い出として温かく心の中にしまって生きていきたいと思う。
ボクには、終わってしまった恋はたくさんあるけれども、“達成感”を味わえた恋も、少なくはなかった。
(達成感を味わえなかった恋もあったけど…)

- 白神山地(秋田県藤里町 岳岱自然観察教育林)-
 
 

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  1. 2006/11/16(木) 18:44:34|
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Tsushimaほのぼの劇場

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「ったく、あんたって人には、学習能力ってものがないのっ?!」
「ち、違うんだ。オレはもうよそうって言ったんだけど、か、彼女のほうが…」
 
 

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  1. 2006/11/15(水) 01:02:33|
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Tsushimaほのぼの劇場

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「ほら、見てごらんよ。今日もいい天気だよ♪」
「感謝しろよ。オレが草食動物で…」
 
 

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  1. 2006/11/14(火) 23:09:00|
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Tsushimaほのぼの劇場

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「ご、誤解だよぉ。浮気なんかしてないってばぁ。お、お前だけだからぁ」
「ちゃんとあたしの目を見ておっしゃい!」
 
 

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  1. 2006/11/13(月) 22:36:35|
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支えのない不安

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どっかの都知事が、昨今の若年者の自殺の多発に、辛辣なコメントを述べているようだ。
ま、あの人らしいと言えば言えなくもないのだが、なんか、世の中の上のほうにいる人の言うことだろうかと、ボクは少し首を傾げたくなる。
いじめに遭って自殺をする者(あるいは、自殺を予告する者)を、「甘ったれている。自分も若い頃いじめに遭ったけれど、自分は闘って克服した」と、いうような言い方をしている。
強く生きられる人はそれでもいいのだ。だけど、世の中のすべての人が強く生きられるとは限らないのだ。心が弱っている人に「強く生きろ。頑張れ」と、(激励のつもりで)声をかけることが、どれだけ余計に当人を追いつめるかということを、彼は何も分かっちゃいない。それに、これは、いじめをされる側の問題ではないのだ。いじめをする側の問題だ。それをどう収束させていくのかという考えもなしに、追いつめられている人、心が弱っている人に上からものを言うこと自体が、すでに“いじめ”に近い神経ではないのか。
あなたが強い人なら、心が弱っている人には、時間をかけてでも強く生きられるようになるまで手を差し伸べ続けてやることではないのか。

恋愛や結婚で失敗をする人もいる。
いろいろな事情や背景があるだろうから、一括りには言えないけれども、周りがどんなに同情したり激励したりしたとしても、まず打ちのめされているのは当人自身だ。それこそ、強い人なら、さっさと気持ちを切り替えてすぐに人生をやり直し始められる人もいるだろうけど、誰もがそんなに強くいられるとは限らない。立ち直れないくらいのダメージを食らっていることもある。しかも、ボディブローのように、あとからじわーっときいてくることもある。まして、そういう人には、同情したり励ましたりしてくれる人はいても、真に立ち直れるまでそばにいて支えてくれる人というのはほとんどいない。孤独なのだ。

そういう“孤独感”を分かろうとしない人に、偉そうなことは言ってほしくない。

- ほたるいか漁のころ/滑川漁港 -

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  1. 2006/11/12(日) 00:40:22|
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Tsushimaほのぼの劇場

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「おぼれるっ、おぼれるぅ〜」
「あほか」

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  1. 2006/11/09(木) 21:43:16|
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疼く旅心

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唐突に、激しく旅心が疼く。
そうなるともう、矢も盾もたまらない。
PCに向かって仕事をしているのだが、その仕事を中断して、「駅から時刻表」で列車時間を調べたり、H.I.S.のサイトで最安チケットを調べたりするのだ。
なにせ貧乏性なものだから、旅はまず、「いくらで行けるか」というのが最大の関心事だ。
予想外に安く行けるのが分かるともう狂喜乱舞。
一気に本気で旅行プランを練り始めたりする。
そうやってどんどん後回しになっていく仕事の流れ…。

今日は、急に北海道に行きたくなった。
行きたくなった…と言っても、ただの遊びの旅行ではなく、自分の興味の湧いた話題を取材してくるのが本来の目的だ。(このブログでも時々載せている「ツシマノシゴト」のシリーズは、いつもそういうノリで取材に出かけている)
取材が目的とはいえ、元来の放浪癖、どちらかといえば、「取材を口実にした長距離徘徊」、である。
北海道に安く行くとなると、鈍行列車を乗り継ぐことになるのだけど、それはボクには、ちっとも辛いことでも窮余の一策ということでもない。むしろ、こんな贅沢な旅はない、と思う。
学生時代、北海道には、周遊券を買って鈍行列車を乗り継いで、何度も旅をしたんだ。
自分で言うのもなんだけど、なんて素敵な体験だったかと思う。

仕事の手を休めて、ネットで調べ倒していたら、すごく安いパスがあることも分かったし、鈍行列車の乗り継ぎで所定の目的を果たせる行程を組めることも分かった。
これはもう、神様が、「絶対行ったほうがいいって」と、プッシュしているようなもんだな。
本当に行けるかどうかはまだ分からないけど、すごくワクワクした気分になっている今が、一番幸福だな。

どこへ旅をしたときのことだったかは忘れたけど、
電車に乗ってその街を離れようとしているボク、駅のホームまで見送りにきてくれた女友だち、まもなく発車の時刻、電車のデッキとホームで向かい合うボクと彼女、「ねえねえ」と耳打ちするような仕草をするボク、「え、何?」とデッキの中のボクに顔を寄せる彼女、その寄ってきた彼女の唇を奪ってぷちゅっとお別れのキス、一瞬何事かときょとんとする彼女、そうして閉まるドア、にっこり笑って手を振って遠ざかっていくボクと彼女…。
いいねえ、鉄道の旅は。なんだか甘酸っぱくて(^^)

ちなみに、本日の写真は、
あるスキー場のジャンプ台を農水省が買い取って、広域農道の一部に転用したものです。
 
  [疼く旅心]の続きを読む

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  1. 2006/11/07(火) 19:14:09|
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Tsushimaほのぼの劇場

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「とうちゃんとうちゃん、ボクもいつかとうちゃんみたいに屋根のついた立派な重機になれるかなあ」
「無理だな。だいいち、おれはお前のとうちゃんじゃないし」
 
 

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  1. 2006/11/07(火) 00:16:31|
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泣きたい夜のニュージャージー

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GoogleのMapsというページを見ると、地図の他に衛星写真まで閲覧できるようになっていた。
まだ全世界をくまなく網羅しているというわけではないらしく、首都圏の友人の家は、「たぶんこれだな」って見当がつけられたけれども、秋田の我が家は、識別できるクオリティの写真ではなかった。
ではアメリカではどうかと、ニューヨークを見てみたら、唖然。
人の姿こそほとんど分からないものの、走っているクルマの大体の形が分かるくらいに鮮明なのだ。
ビルの屋上で素っ裸で大の字になっていたら、かなり鮮明に撮られてしまいかねない。
自分の知っている土地でも、地図で見るのと写真で見るのとでは、まるでリアリティが違う。

去年の旅でボクは、深夜にJFK空港に降り立って、マンハッタンを横切ってハドソン川対岸のニュージャージーの日本人が経営する宿に泊まることになっていたのだけど(そのあたりの顛末記は、このブログからリンクしている「New York Journey」をご高覧ください)、空港に着いたらまず宿に電話を入れることになっていたのに、そもそも電話の掛け方もよく分からないし、やっとつながったと思ったらすぐに小銭がなくなり、教えられていた宿までの路線バスの最終の発車時間が迫り、間一髪でバスに飛び乗ったものの、途中から、教えられていた道とは違う道を走り始めていた感じがしてあわてて飛び降り、さりとて、真夜中のアメリカ東部、物騒な感じではなかったけど、人っ子一人通らず、どっちに歩いて向かえばいいのやら、まさに「ここはどこ? おれは誰?」状態。
泣きたい気分で果てしなくトボトボトボトボ何時間歩いただろうか。
あてもなく一つの四つ角を曲がったら、嗚呼神様!、そこに警察署!
一も二もなく飛び込みましたよ、この東洋人のおじさんは。
宿の住所のメモを見せながら、「道に迷ってしまったんだよ。どうすればいい?」
「そこに駅があるから、電車で行けば?」…。なんてつれない。
「電車ぁ? こんな時間に走ってるのかよ? どこで降りればいいのよ? 降りてからどう行けばいいのよ?」
「あー、はいはい、わかったわかった。じゃあそこで座って待っててな。なんとかするから」
それからしばらくして、巡回に出るパトカーに乗っけてもらって宿まで送ってもらったのだけど、今、Googleの衛星写真をスクロールしながら、ああ、オレは、アメリカ最初の夜に、こんな寂しい通りをトボトボ歩いていたんだなあ。おう、あのとき飛び込んだ警察署はここだったのか!…と、感慨ひとしお。

自分の歩いた道を真俯瞰の写真で見るのも、なかなか味わい深いもんだなあ。
 

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  1. 2006/11/05(日) 22:43:20|
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イライライライライライラ…

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人にはきっと“運気”というものがあり、こわいくらいに何事も快調にいくときと、その反対に、努力したり気持ちを切り替えようと思ってもうまくいかずにひどく鬱屈した気分で過ごさなければならないときがある。
たとえばこういうことだ。
同居している父親が、役所に届ける書面の清書をボクに頼む。
悪筆な父親の手書きの文章は読みづらく、しばしばボクがワードで清書してやるのだった。
家族からの頼まれごとだから、まったくやぶさかではなく、すぐには無理でも、期日までにはやっておいてやろうと思うのだ。
ただ、その言い草が気に入らないのだ。
おずおずとボクの仕事部屋に顔を出して、「忙しくて、こんなのはやってられないだろう」などと言いながら、その書面の下書きを見せるのだ。
そうじゃないだろう!
「忙しいところを申し訳ないけど、これ、やってくれないかなあ」と、なんで素直な頼み方が出来ないんだ?!
用を頼む側としての恐縮している気持ちは分からないでもないけれども、頼みたいのであれば、堂々と懇願すればいいじゃないか。
その上で、こちらがどうしても応じられなければ、こちらが恐縮して、「申し訳ないけど今は‥」と断るまでのことで。
自分の親ながら、ああいう、堂々としていない卑屈な気性には、ちょっとがっかりなのである。
もうちょっと男気のある父親の元で育ちたかったと、今さらながら思うのだ。

今ちょっとだけボクがイライラモードなのは、そのオヤジの一件だけではないのだけど、天気もいいしせっかくの三連休でもあるのに、なんだかいろいろなことが(ボクの一人の中で)噛み合ない気分になってしまって、少しばかりくさくさしているのだ。
そんなわけで、今、久しぶりに香を焚いている。
気休めかもしれないけど、たまに香を焚いて、自分の気持ちを落ち着かせる。
iTunesに入れていた音楽を適当にスタートさせたら、エリック・クラプトンから始まった。
気分転換には悪くないな。
親父の用事も早く片付けて、ちょっとでもいい運気を取り戻さないとな。

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  1. 2006/11/05(日) 14:22:09|
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白神山地晩秋

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世間は三連休かもしれないけど、ボクの目の前には未着手の原稿の山がうずたかく積もっている。
三日間をフルに仕事に費やしたかったのだけど、うちの奥さんは三連休らしくて、昨日のうちから、「あした、どこ行く?」などと、ニッコニコしていた。
まあ、一日くらいは仕事の手を休めて奥さんと遊んでやらなければならないだろうとは、覚悟していたのである。
そして今朝、ベッドの中で、「どこに行く? どこにする?」…と、二人とも優柔不断なO型なので、当日の朝だというのに、まだどこに行くかも決まらないのだ。
そういえば彼女、いつか白神に行ってみたいと言っていたので、「じゃあ、白神にするか?」、「あ、いいね、うん、白神にしよう」。
我々の話の中で白神へ行くと言えば、大体は秋田県藤里町の岳岱自然観察教育林を指す。
白神山地の中心部は世界遺産になっていて、原則入山禁止だが、その周辺部に位置する岳岱はいわば世界遺産白神山地のショーケースのようなもので、森の前までクルマで乗り付けられるし、その森の中を軽装でぐるっと1時間ほどかけて散策し、ブナの原生林の魅力を堪能するわけだ。
我が家から岳岱まではクルマで3時間。朝寝坊なぐうたら夫婦がその日の朝に思いついて、昼近くに家を出発しても、日帰りで行って来れる距離なのだ。
白神山地のブナ原生林は、紅葉した葉もほとんど落ちて、季節はもはや晩秋のおもむきだ。
ボク自身はなんだかんだ言って年に1、2回は足を運んでいるので別段珍しくもないのだけど、奥さんは初めてで、すっかり紅葉も終わってしまっているのに、それでも、「すごいすごい!」「きれいきれい!」を連呼。そんなに感動してもらったら、連れてきた甲斐もあるというものだ。
うちの奥さんは、自分が興味を持つと、「この先はどうなっているんだろう」…と、人のことなど構わずにどんどんどんどんと一人で先に行ってしまう癖がある。子供じみた無邪気な癖だ。あとからボクが追いついて、いつも彼女の姿を探さなければならない。しかし最近はそれも少し癪なので、ボクは追いつこうともせず、探そうともしない。ゆっくり自分のペースで歩いていって、目につきやすいところにたたずんで、彼女のほうにボクを見つけさせるようにしている。
そういうやり方に変えてみても、案外はぐれたりすることはないようだ。犬を散歩に連れて行ってリードをはずしてみても、犬はそんなには飼い主から遠くまでは離れないのと同じことか。
山に入る前に下の集落の店でおにぎりとお茶を買っていて、それをブナの森の中のベンチに腰を下ろして飲み食いした。
「外で食べるおにぎりって、美味しいねえ♪」…と、奥さん。ふふふ、亭主は、キミにそういう感覚を味わわせたかったのだよ。

紅葉を愛でるピクニックというよりは、冬支度の直前の森に名残を惜しむ散策であった。
地表は落ち葉で埋め尽くされている。
さくさくと落ち葉を踏みながら過ごした、晩秋の休日であった。
 

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  1. 2006/11/04(土) 00:01:34|
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保険

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いささか生々しい話で恐縮だが、ボクの40代の女性の友人で、結婚生活が既に破綻していた人がいて、もうどう見ても修復は不可能に思えたので、ボクは、「さっさと別れてすっきりしちまえよ」などと(いささか無責任に)進言していたのだ。
本人も、そうしたいのはやまやまだったけれども、一点だけ、躊躇させるものが彼女にはあった。
それは、「年金受給の権利」だった。
会社員の妻である彼女は、今、前後の見境なく家を飛び出してしまうと、それは、将来の年金の受給資格を放棄することにもなってしまいかねないのだ。
「そんなことより、今大事なのは…」とボクは言いかけたのだけど、しかし考えてみれば、自分の側に非があって結婚生活が破綻したわけではないのに、年金の受給資格まで放棄してしまうのはいくら考えても割に合わない。
結果的には、彼女は、家を飛び出すという形ではなく、協議離婚という形で、応分の権利を放棄することなく人生をやり直すことが出来るようになって、まあ、不幸中の幸い、ということだったのである。

ボクが、別の30代の独身の女性の友人と雑談していたときのことだ。
冗談話をしているうちに、“生命保険”の話になった。
たとえばボク自身、昔、借金苦で絶望的な気分でいたときには、「今ここでボクが死んだら、保険金で借金はあらかた返せて、残された家族も当面はなんとか暮らしていけるのではないか」…などと、ついつい考えてしまうこともあったのだ。
結局ボクにはそんな度胸はなかったので、生きながらえながら折り合いをつけていくことにしたのだけど、“何もしてやれなかったけど、せめて幾ばくかの金は残してやりたい”…と、気の小さな男は考えるものなのかもしれない。
「でも、あなたはあたしには保険を残してはくれないわよね」…と、その30代の独身の女性の友人は、唐突にボクに言うのだ。
おいおい、オレたちはそういう間柄ではないだろう…と、ちょっと動揺しつつ、「いいよ。きみがオレに保険をかけて、オレが死んだあとにその保険金で生きていくというのなら、それでも構わないぜ」…と、ボクは苦笑しながら答えるのだった。

金で幸せは買えないけど、金が幸せの足がかりになるのなら、最低限の金は必要だね。

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  1. 2006/11/03(金) 01:23:12|
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眼鏡橋

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旅はシンプルでラフなほうがいい。
デイバッグに最低限の荷物を詰め込んで、宿も、まあとりあえず雨露がしのげて横になれれば十分だ。
過日の九州駆け足旅行は、二泊がカプセルホテル、一泊が、何が出てきても不思議ではないような幽霊ホテルのようなおんぼろホテルだった。
最初のカプセルホテルに泊まった翌朝、「さあ、じゃんじゃん写真を撮るぞ」と、デイバッグを背負って勇んで街に繰り出したのだけど、すぐに挫折してしまった。
荷物がずしりと肩に食い込むのだ。かさばる荷物といったらノートパソコンくらいのものなのだけど、それにしては妙に重く感じる。
何か、目に見えない違うものまで背負ってきてしまったかしらん。
とにかく、こんなんじゃとても一日長崎の街を巡ることは出来ないなと、一旦長崎駅まで戻って荷物をコインロッカーに入れ、カメラ一台だけの身軽になって改めて出陣したのだった。

はるか昔、新婚旅行で長崎を訪れたとき、二日間滞在したうちの一日目は、定期観光バスで二人して稲佐山などを巡ったのだけれども、二日目は、ボクのほうは路面電車を乗り回しながら市内の写真を撮り歩き、女房のほうは一人でのんびり美術館や博物館を巡っていたようだ。
そうして、夕方駅前で再び合流するのだ。今のように携帯電話などなかった時代だから、何か突発的な事故でもあって合流場所に集合できないようなことにでもなっていたら、どうなっていただろう。

しかしまあ、新婚旅行からしてそんなものだったから、ボクたち夫婦は、一緒に生きるという道を選択していながら、なんでも無理に相手に合わせるのではなく、自分のペースで人生を楽しみ、そしてお互いのそういう生き方を尊重するということが、いつのまにか暗黙の了解になってきたような気がする。

ところが、ボクが泊まり出張から帰ってくると、寝室のベッドの掛け布団がとんでもなく乱れて、半分ずり落ちかけていたりするのだ。
女房は、夜中に一度掛け布団をはだけたりしてしまうと、それを自分で掛け直すことができず(横着なのか不器用なのか…)、寒くなってずるずるずるずるとボクに体をすり寄せてくるのだ。そういう夜は、ボクはほとんど壁に体を押し付けられたままで朝を迎える。
そんなわけで、二人で一緒に寝ている普段の夜は、はだけた布団を掛け直してやるのはボクの仕事なのだけど、彼女が独り寝になると、自分で布団をはだけていながら、それを自分で掛け直すということもできず、さりとて身をすり寄せる相手もいなく、まるまった掛け布団と格闘しながら、どんどんどんどんひどくなっていく状況に悪戦苦闘していたであろう彼女の夜がしのばれて、「やれやれ…」と、ボクは嘆じるのである。

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  1. 2006/11/01(水) 11:59:48|
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