
「どう、最近彼とうまくいってるの?」などと、女性にたずねることがある。
“彼”というのは、独身のその女性にとっての既婚のボーイフレンドのこともあるし、既婚のその女性にとっての想いを寄せている相手のことであったりもする。
世の中には、いろんな出会い、いろんな恋の形があるのだ。いい、悪いという括り方はしたくない。
みんないつかは、目指したたおやかな草原へのソフトランディングができれば、それでいい。
ボクは、自分から「女友だちが多い」などと吹聴しているけれども、実のところ、そうやってボクではない“彼”との関係を心配し、声をかけてやるような間柄である場合が少なくない。
ボクがもう少し若かったら、「オ、オレじゃぁダメなのか?!」などと食い下がっているところかもしれないけれど、恋のピンチヒッターというのは、そうそう起用があるものでもなくてね。
自分自身も恋を楽しみたくないわけじゃないけど、何人かのヒトたちのいくつかの恋を思い浮かべながら、「うまくいっていればいいんだけどな」などと、ひとりごちるのだ。
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- 2006/08/30(水) 23:12:42|
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今日から津島は〈死のロード〉が始まったのである。
秋田県内の企業50社を回って取材する仕事だ。
毎日というわけではないけれども、連日、日に2社、聞き取りと撮影をして回る。
県内といっても遠いところは我が家から3時間近くかかるところもある。朝の苦手なボクは、約束の時刻に間に合うよう取材先に向かうのに、必死なのである。
しかも、別の仕事の原稿書きもまだ残っているので、こんな時間まで寝るわけにもいかない。
どないせぇっちゅうねん!…と、関西弁でぼやきたくなる心境なのである。
明日(水曜日)も県北の大館市に行くのだけど、翌日も同じ町の企業の取材なので、無線LANの設備のあるホテルが手配できたら、明日は大館に泊まろうかと思っている。
ネットで調べものをしながら原稿を書いているので、ネットにつながらない環境では仕事にならない。
2時間かけて帰ってきて、翌日も2時間かけて出かけていくことを考えると、その4時間を休息や仕事に回せるだけでも、ホテル代の価値がある。
今日訪問した1社は、鋳物工場であった。産業用の大型機器を製造する大きな工場だ。
撮影がてら工場内を見学させてもらったのだけど、ボクはワクワクしていた。
秋田は、なにかにつけ田舎臭いというイメージをボク自身持っているのだけど、こういう本格的なモノづくりの世界があったということに、感動しているのである。
なんだか、ボクの中の“男の子の血”が騒ぐ感じがするのだ。
「いやあ、写真を撮る人間として興味をそそられますね」と言ったら、
工場長さんが「自由に撮ってもらっていいですよ」と言ってくださったので、お言葉に甘えた。
おねえちゃんのお尻やおっぱいの妄想でニタニタするのも男の子だけど、モノを作っている現場についつい興味をそそられてしまうのも男の血、なのではないかと思うのである。
そんなわけで、全取材を終える頃にはボロボロになっているかもしれないけど、同時に、どんなモノづくりの現場を見せてもらえるのか、ワクワクする気持ちもあるのだ。
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- 2006/08/30(水) 02:13:15|
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うちの奥さんには少し子どもじみたところがあって、たしなめるのもはばかられるような、オサナイ所作をすることがある。
例えば、外から帰ってきたときは、子どものように、玄関で靴を脱ぎっぱなしにして家に上がってくる。
うちにはおばあちゃんも子どももいるのだから、しめしがつかないから脱いだ靴はちゃんとそろえてから家に上がりなさいと言うのだけど、なかなか習慣が身に付かない。
女房が帰宅した気配があると、ボクは時々玄関に出て行って、彼女の靴の脱いだあとが子どもじみていると、そっと靴をそろえておくのである。なんだかなあと思いつつ。
それから、階段を跳ねるようにトントンと音を立てて上がり下りすることがある。元気があるのはいいことなのだけど、他の家族が寝入った夜などにそれをやられると、あれはけっこう家の中で響くものなのだ。
昨夜も、トントンと音を立てて階段を下りてきて、ボクの仕事場に顔を出して「おとうさん、お風呂入ろ」と誘いにきた。
「あのね、せめて夜中くらいは、音を立てないようにして階段を上がり下りしようね」…と、ボクは穏やかに女房に説くのである。脱衣所でパンツを脱ぎながら。
今日は今日で、クルマで1時間の街で見頃になっているひまわり畑を見に行こうと、女房が誘うのである。
ボクは本当は今日も一日デスクワークをしていたかったのだけれども、しばしの逡巡の後、仕事よりも女房と遊ぶことを選んだ日曜日だった。
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- 2006/08/28(月) 00:12:19|
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むかし、ボクがまだ会社勤めをしていた頃、ボクの部下にあたる独身の女性が、既婚の男性と親密につきあっていることに、ボクは感づいてしまった。
「あれ、なんで彼女がこんなところにいるのだろう」…と、意外な場所で彼女の姿を見つけて不思議に思っていたら、そこに現れたのがその男性だった。
その頃、ボクはまだこういうハナシには免疫がなくて、一瞬にして頭にカーッと血が上ってしまった。
あってはならないこと、見てはいけないもの見てしまった驚愕。
嫌悪感とも言えるし、憎悪とも言えた。あるいは、わずかに嫉妬も混じっていたかもしれない。
そういう感情をぜんぶひっくるめて、その日からボクはとても不機嫌になった。不愉快だったのだ。
彼女とは毎日職場で顔を合わせる。
彼女の前ではことさら不機嫌な態度を取った。
そのうち彼女も、ボクの不機嫌が自分に向けられているものと薄々気づくようになり、気まずいような態度を取るようになった。
その話はそれっきりになって、ほどなくボクは会社を辞めてしまったので、毎日を不機嫌に過ごすこともなかったし、その後の彼女たちがどうなったかは知る由もない。
今になってボクもさすがに“免疫”ができると、あのときの彼女には本当に申し訳ないことをしたと、心の底から思うのである。
今だったら、ボクはむしろ彼女を応援していたと思う。「ま、ほどほどに上手くやれよ」…と、目をつぶってやったり庇ってやったり、必要があればアドバイスをしていたと思う。
生きていく縁(よすが)とする物差しの目盛は、人によって大きく異なる。
結婚している者を巻き込む恋愛なんて不潔だし絶対にあってはならないと断じる人もいれば、形式はどうであれ人と人が惹かれ合うことは悪いことじゃないと思う人もいる。
どちらがいいとか悪いとかではなく、人によって違う目盛の物差しで生きているというだけのこと。
だから逆に、あの頃のボクのように、結婚している者を巻き込む恋愛を唾棄する人たちの考え方、感じ方を、否定はしない。間違っているとは思わない。
結婚というオブラートに包まれながら、決して心が通い合っているとは言いがたい関係の男女もいれば、世間の規範からはややイレギュラーながら、心の通い合える人との出会いを果たせた人もいる。
どっちでもいいのだ。人生が悔いなく幸せに終われるのなら。
彼女とは今でも同じ街に住んでいるので、いつかばったり再会することもあるのではないかと思う。
そのときには、「あのころは申し訳なかった。キミは悪くなかった。不機嫌な態度を取ってキミを困らせたのはボクの責任だ」…と、素直に詫びたいと思っているのだ。
あれは悪いことだったのだと、彼女自身が萎縮したままではいてほしくないから。
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- 2006/08/27(日) 03:56:23|
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組織の中で仕事をしていると、こちらの主張が通らないときとか、ひどく理不尽なことをおしつけられることも、珍しくはない。
仕事を失いたくないためや、生活のために、不承不承我慢するのだけど、我慢したところで希望の光が見えてきそうもなければ、我慢し続けることの意味や価値が感じられなくなってしまう。
そして、ついに組織を離れる決意をする瞬間がやってくる。
かつてボクも中間管理職のような立場で仕事をしていたときは、そんな上と下の板挟みを体験したことがあった。
有能な若い(女性の)クリエーターが、会社を辞めたいと言い出す。
貴重な戦力なので、ボクの立場では、できれば辞めないで仕事を続けてほしいと思うのだけど、同時に、確かにここにとどまることは君のためにはならないかもね、と思うのである。
慰留されても、一度決めたら決心を変えない。そういう芯の強さも、人には必要だ。
時を経て、そのようにして離ればなれになった人と、違うフィールドで再会することがある。
「やあ、ここにいたのか!」と、再会を喜びあう。
元気に頑張っている様子が、嬉しい。
一度離れた人とまた一緒に仕事をするのだから、今度こそいい仕事をしたいよねと、一層張り切る。
恋のように、仕事をしたい。
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- 2006/08/25(金) 12:19:15|
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ボクにしては珍しく多忙な日々が続いている。
暇なときは一週間以上も仕事がなく、電話一本もかかってこないのだけど、今は、一つの仕事をやり終わらないうちに次の仕事が入ってきたりして、しかも、納期的に、あとから入ってきた仕事を先に納品しなければならなかったりして、自分でもどうなるものかとハラハラし通しなのである。
S社から別々の担当者を通して仕事のオファーが2件あり、今朝はその打ち合わせのためにS社の二人の担当者をたずねることになっていた。
会社に顔を出すと、「あら、いいところに来てくれたわ」という感じで、本来の二人の担当者とは別のYちゃんが真っ先にボクを見つけて、「聞きたいことがある」というのである。
Yちゃん担当の仕事は実は昨日納品していて、つまり、前後して都合3口の仕事をボクはS社からもらっていたのだ。
その、昨日納品した案件について、二三確認したいというのが彼女の意向だったのだけれども、テーブルに向き合って話し始めたところで、今日の本来の訪問相手が現れた。さてと、そうなると、改めて、Yちゃんを含めて3人の人たちとの打ち合わせの順番を決めなければならない。
「えぇっと…」、ボクは冗談めかしてYちゃんに言うのである。「じゃあ、キミは、ボクの“最後の女”になるかい?」
Yちゃんはニタニタして、ちょっとだけ視線を宙に泳がせ(言葉を探しながら)、「いえ、あたしは“中間の女”がいい」なんて、のたまうのである。
「なんて中途半端な…」とボクらは笑いあって、彼女との打ち合わせは中断、先に本来の担当者との打ち合わせを済まして、あとから改めてYちゃんと確認事項を詰めたのだった。
フリーで仕事をしているボクの、オファー元の担当者は女性であることが多い。ボクがスケベだからというのではなく(スケベでないという意味ではないが)、女性の担当者と組んで仕事をするのは好きだ。
なんていうのか、仕事の行間に柔らかい空気が流れるような感じがするのだ。
仕事は、楽しくなくっちゃいけない。辛いしんどい仕事もあるけれども、ただ辛いしんどいだけで終わってしまうのではなく、どこかに緩い部分も欲しい。ボクの仕事の全部の担当者が男ばかりだったら、ボクは今のように楽しく仕事はできないかもしれない。
Yちゃんと席が隣同士のCちゃんとは、ボクは直接には組んで仕事をしたことはほとんどないけれども、ボクがS社から多く仕事をもらっていることから自然に彼女とも顔なじみになって、メールで仕事の情報交換をしたり、プライベートな話をしたりすることも増えてきた。彼女たちとは歳も離れているので恋愛の対象になることはないだろうけど(やぶさかではないのだぞ、おじさんは)、できればずっと、楽しく仕事ができる仲間でいられたらいいな、と思うのである。
そしてYちゃんとCちゃんは、木曜日か金曜日には職場のパソコンでこのブログを見て、「ありゃ、また津島のおっちゃん、あたしたちのことネタにしてるわ」と、ゲラゲラと声を出して笑うのである。
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- 2006/08/24(木) 01:33:08|
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その老夫婦は、おじいちゃんの運転で二人でドライブ旅行をするのを楽しみにしているようだった。
十和田湖の発荷峠にたどり着いたとき、湖面を見下ろす「発荷峠」の標柱のかたわらで、二人は記念写真を撮り始めた。
最初はおばあちゃんを湖面を背にして立たせておじいちゃんがシャッタ−を切った。
そのあとに、おじいちゃんを立たせておばあちゃんがシャッターを切った。
おばあちゃんは腰が曲がり、歩くときは杖を欠かせない。
おじいちゃんからカメラを引き取ると、おばあちゃんは杖をその場に置いて、曲がった腰のままファインダーを覗き込んでおじいちゃんの写真を撮って上げているのである。
夫婦が観光地に行ったときなど、亭主が女房を撮ったり、誰かに頼んでツーショットで撮ることはよくあるが、女房が亭主を撮るというケースはそんなに多くはない。
だから、この老夫婦の記念撮影シーンは、ちょっと意外であり、新鮮であった。
きっと今でも、ちゃんと愛し合っているのだろうな。
夜は今でもだっこしあいながら寝ているのかもしれないな。
亭主が女房を撮るのは愛している証拠。
亭主を女房が撮るのは愛されている証拠。
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- 2006/08/22(火) 14:27:23|
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秋田市の近郊に、「折渡千体地蔵」といって、赤い頭巾と前掛けをした小さな地蔵さんがたくさん並んでいる場所がある。(ほんとうに千体あるかどうかは数えたことがない)
なかなかフォトジェニックなスポットなのでボクは好んで出かけるのだが、過日の休日、久しぶりに女房と出かけたのである。
現地で女房を“放し飼い”にしておいて、ボクはひとしきり地蔵さんの写真を撮る。
そろそろ引き上げようかという段になって、「あたしも撮ってよ」と女房が言う。
「あいよ」と安請け合いして地蔵さんをバックにして軽くスナップするのだが、帰ってきてからパソコンに取り込んでみたら、実に、女房がなかなかいい顔をして写っているのである。
“美人”に写っているというのではない。“いい顔をして”写っているのである。
(ここに載せるのがそのときの写真なのだが、ちょっと出し惜しみしてトリミングしてお目にかける)
たとえ美人でも、写真に撮ってみると冷たい感じに写っていたり、やつれた感じ、くたびれた感じに写ってしまうことも珍しくないが、人が(本来の容貌の美醜はともかくとして)“いい顔”をして写真に写るというのは、案外貴重なことなのではないかと思う。
ほんとうに気持ちが安らいでいる瞬間。レンズを向ける者への親愛、のようなもの…。
亭主が向けたレンズに妻がいい顔をして写るということに、ボクはなんだか、嬉しい気分になるのだ。
そういえば何年か前、やはり出先でボクは妻の写真を撮ったのだけれども、そのときの写真の中の妻の表情は固く、あるいは疲れているようでもあり、あるいは、レンズを向ける者との間に盤石な絆が出来上がっていないようでもあった。言うなれば、“仏頂面”なのである。
それに比べたら、今度の写真の彼女の表情のなんと柔和なことか。
ボクは、女房が死んだら、遺影にはこの写真を使おうと思った。
縁起でもないと思うかもしれないが、遺影には、できるだけ故人がいい顔をして写っている写真を使いたいものだ。遺影の中の故人の表情が柔和なものであれば、遺された者たちの気持ちも少しは癒される。
それは、自分自身にも言えるかもしれない。自分が死んだときの遺影にはこの写真を使ってほしい…とか、今度カメラを向けられたときは遺影にも使えそうな顔をして写ろう…とか。
遺影に使うかどうかはともかく、改めて、親しい人たちの、いい顔をした写真を撮ってみたいものだと、思ったことだった。
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- 2006/08/22(火) 00:12:16|
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ブログにウソを書いちゃいけない。ここで訂正しておく。
本年5月30日に拙ブログ
http://tsushima.blog20.fc2.com/blog-entry-159.htmlに載せた写真を、ボクは「大根畑だと思う」と書いたのだけど、さっき同じ場所を通りかかったら、なんとあれはたばこ畑でした。
そういえば秋田は、「ここはなんの畑なんだろう」と思っていると、この季節になると大振りな黄色い葉が繁り、「あ、たばこ畑だったのか」と初めて気づくことがあります。
季節ごとにおもむきの違う風景が眺められるというのも、田舎暮らしの醍醐味だなあ♪
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- 2006/08/20(日) 15:31:23|
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あれは何年前のことだったか。
部屋から日の出が眺められる宿に一人で泊まったとき、早起きが苦手なボクはその日の出のためだけに早起きをして、神々しく昇る朝日をデジカメで撮って、すぐにそれをパソコンに取り込んでメールであるヒトに送ったのだった。
曰く、“ボクは今こんな宿に泊まっています”…と。
暗に、“いつか、あなたと一緒にこんな宿に泊まりたいものだね”…というようなニュアンスを込めて。
年に最低でも6回は温泉旅館やリゾートホテルに泊まることのあるボクとしては、いい宿の基準として、“好きな人を連れて行きたい宿かどうか”で判断している。
最高にいい宿に出会ったときは、写真と原稿を持っていきながら担当の女性編集者に、「いやあ、今度の宿はほんっとにいい宿でした。いつか一緒に行きましょう!」と、粉をかけてみるのだけど、担当編集者Yちゃんはちっとも本気にしない。もっとも、いきなり本気にされても、こっちにも心の準備というものがあるから、「いいわ。いつにする?」などとスケジュール帳を広げられたら、ボクはかなりたじろいでしまうと思う。
幸か不幸か、女の人と一緒に旅をして宿に泊まったことは一度もないのである。奥さん以外とは。
それと、取材でモデル同行だったとき以外は。
アヴァンチュールを知り始めた人たちは、しばしば一緒に旅行をしたがるものらしい。ボクには特にそういう願望はないけれども、でもそういう人たちの心情は、なんとなく分かるような気がする。
旅行をしている間だけは、その人を独り占めできる…、そういう想いなのだろうか。
もうボクは、旅先で撮った写真をメールで送るようなことはしない。
仮にこれから新しい恋人ができたとしても、もうそんなことはしないと思う。
誰かを独り占めしたいとも思わないし、自分をアピールしたいとも思わない。
ただ、誰かがついてきたいというのであれば、特に拒みはしない。
(うーむ、いかにもO型っぽい見解だ)
写真は、昨日撮った八戸漁港
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- 2006/08/18(金) 18:54:38|
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秋田から八戸まではざっと200km。
山道を行くから表定40km/hとして5時間はかかる。
宿に15時まで入るとすれば、余裕を見て朝10時前には家を出なければならないわけだな。
出発前までに済ませておきたかった仕事もこの時間までかかってやっと仕上がったので、あとはシャワーを浴びてベッドに入ればざっと6時間は寝られる。ま、順当なところだな。
どこかに出かける予定の前夜はたいてい忙しくなる…というマーフィーの法則がある。
旅に備えて早めにゆっくり休むなどということができた試しがない。
あと、ジンクス的なことで言えば、ボクが洗車をすれば、ほぼ100%翌日雨が降る。
ひと雨欲しいときは洗車するに限る。
それから、久しぶりのデートの約束をすると、急に相手の家族の具合が悪くなったりしてキャンセルになる。家族の不調を無視してまで強行していいデートなどないわけで、そんなときは、ぽっかりあいたスケジュールを一人遊びして過ごすしかない。
たとえばたまに上京するとき、向こうにいる友人(女性の)の誰かと逢えれば旅も楽しくなると思い、事前に都合などを打診してからこちらの上京日程を調整することもある。いや、あった。
最近はもうそういうのはやめた。自分で勝手に先にスケジュールを決めて、それから連絡の一つもとって、もし先方も都合がつくのであればどこかでわずかな時間を示し合わせればいい。
むかしむかし、とても逢いたい人がいて、最初の頃は、ボクが逢瀬の希望を告げると相手も喜んでスケジュールを調整して僕に逢う時間をつくってくれた。
ところがしばらくすると、「ごめんなさいね。その日は他の予定を入れちゃってるのよ。また次の機会に誘ってね」などと言うようになった。「ああ、先約があるのなら仕方ないね」と、ボクは諦めるのだけど、もし向こうにも逢いたい気持ちがあるのならば、「どうしてもその日じゃないとダメなの? 前の日ならあいてるんだけど」などと、代案を言ってくるものなのではないだろうか。
そういうことを何も言ってこないというのは、つまるところ、「そんなには積極的にあなたに逢いたい気持ちはない」…ということなのではないか。
それからはもう、ボクは彼女をデートに誘うことはなくなった。
季節の変わり目を、受け入れなければならないときもある。
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- 2006/08/16(水) 03:24:49|
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昨日は男鹿半島を一周ドライブしてきた。
明日は一泊で八戸まで行ってくる。
もともとクルマを運転するのは嫌いなほうじゃないので、鼻唄まじりにふらふらとドライブ旅行を楽しんでいればいいのだけど、今はちょっと気もそぞろなのだ。
かなり手間のかかるデスクワークを抱えていて、それが片付くまでは、できれば他の仕事や用事はいっさい入れず、仕事場にひきこもって黙々と仕事に集中していたいのだ。
だけれどもやはり盆には実家に帰る女房に同行するべきだろうし(女房の実家は男鹿半島にある)、八戸で料理自慢の宿の取材があれば断るわけにもいかない。
精神衛生上よくないと思いつつ、少し鬱々とした気分で、ハンドルを握るのだ。
デートドライブで、助手席に座っている者は眠くなっても寝てはいけない。それが運転者への思いやりである…と、言われたりする。
ボクはむしろ、眠くなったら遠慮なく寝てほしいと思う。
わりない仲で気を遣いあったってしょうがない。むしろ、多少のわがまま身勝手は許しあえる間柄でいたい。
助手席ですうすうと心地よさそうに寝息を立てているヒト。そのけなげな姿がいとおしく、いつもより一層まろやかな運転をして、そのヒトの安眠を妨げないようにするのだ。
いつだったか、デートドライブの最中に寒暖の変化があって、「ちょっと着替えるわね」と言って走行中に助手席から後席に移動していきなり着替えを始めたヒトがいたっけ。
その大胆さにボクは少し驚きつつ、ボクの前でいい意味でそこまで身勝手に振る舞うそのヒトを、一層いとおしく思ったことだった。
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- 2006/08/15(火) 12:32:58|
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男と女は、時には一緒に映画を観るべきだと思う。
レンタルビデオでもいいが、できればやはり、暗く狭い小屋にこもりたい。
大きな映画館より、小さな小屋のほうがいい。
流行りの話題作やスペクタクル映画より、題名を言っても誰も知らないようなしっとりとした小品がいい。
スクリーンに見入りながら、ときどきふと意識を現実に戻して、「ああ、隣で今この人も同じ映画を観ているのだ」と、横目でちらりとその人の気配を確かめておくことだ。
何年か先、自分の隣にはもうその人がいなくなっても、同じ映画を観れば、かつてその人と観たことが思い出される。その人と過ごした日のことが蘇ってくる。その人と交わした言葉が聞こえてくる。その人の柔らかさやあたたかさが手のひらに戻ってくる。
甘酸っぱい思い出であれ、切ない思い出であれ、あの日一緒に観た一本の映画が、タトゥーのように心の中に消えない何かを刻む。
そうして、どこかの遠い空の下で、その人が偶然その映画を観たら、その人はやはり私のことを思い出している。
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- 2006/08/13(日) 01:55:01|
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このブログのログ解析を見てみると、[浮気]関係のフレーズで検索してアクセスしてこられる方が、毎日少なくない数にのぼっている。
確かに、[浮気 ブログ]という2語でYahooで検索すると、比較的上位に津島ブログがヒットする。
まったくもって不本意である(^^;
決して浮気ネタメインに展開しているブログではないつもりなのだが、毎日毎日、少なくない方々が、なんらかの浮気への関心から、拙ブログに訪れていただいているのである。
訪れてみて、期待はずれでがっかりされる方も少なくないのではないだろうか。
申し訳ないことである。何かもっとすんごい、とんでもない浮気ネタでも書いてくれ、という声でもあれば、考えなくもないですが。ネタづくりに浮気の一つのしてみてから…
それにしても、どうしてこれほどの検索エンジン経由のアクセスになるのかと、いぶかしい。
皆さん、そんなに浮気願望をお持ちなのか、あるいは、パートナーの浮気に苦しんでおられて真剣に打開の道筋を探っておられるのか…。
40代前後の既婚女性と雑談していると、確証はないにしても、自分のダンナが浮気をしているかもしれないと、あるいは、過去に浮気をしたことがあるかもしれないと、思ったことのある女性は、案外少なくないようである。
「こんどの出張はなんだか妙に中途半端に長いぞ」とか、「日曜日にパチンコに行くのに、その格好は少し決めすぎじゃないのか?」などなど。
そして、あなた自身はそれをどう思っているのか、と畳み掛けると、「ばれないようにやってくれるなら、少しくらいの浮気は見てみない振りをする」という声も、案外少なくないようなのである。
どういう理由でそういう見解になるのかは人それぞれだろうけど、「もう亭主に構われてうれしい歳でもないから、構われて鬱陶しくなるくらいなら、外に気持ちを向けてもらったほうがマシだ」とか、「給料さえちゃんと運んできてくれたら、細かいことはどうでもいい」とか、「自分も行動に制約を受けたくないから、亭主の行動も特に制約しない」とかいうようなことなのだろうか。
ちなみに津島自身は、以前、奥さんに「ホンキにならないなら少しくらい外で遊んでもいい」…と、面と向かって言われたことがあります(^^;
そんな風に、奥さんの側は比較的鷹揚でいられるのに対して、男の側は案外まだまだコセコセした考えの人が少なくないのではないだろうか。
「自分の女房の浮気なんて、絶対に許せない。ていうか、だいいち、そんなこと考えられない!」みたいな。
考えられないも何も、そもそも浮気心というのはどこの誰にもあるものなのではないだろうか。それを実行に移すか移さないかの違いがあるだけで。
まして、パートナーからこれ以上ないほどの最高の愛され方をしていてそれに酔いしれていれば、浮気心が忍び寄る余地もないかもしれないが、長く一緒に暮らしていて愛がさめきったような日常だとしたら、それはもう“隙だらけ”ということになるのではないだろうか。
パートナーの浮気におびえるのなら、まずは徹底的にこちらから愛することだ。それが一番の予防薬。
既に浮気が始まっていても、それでも徹底的にこちらから愛することだ。そうすれば、こちらから気持ちが離れていくことはない。
それでも気持ちが離れていくようであれば、それはきっとそういう運命なのだろうから、脈はないものと諦めて、いくばくかのお金をもらって、あとは熨斗を付けて差し上げることだろう。気持ちが通い合わなくなってしまったものが一緒に生きていくことほど虚しいことはないもの。
そういう日々が苦痛に感じられないほど感覚が麻痺してしまっているのであれば、それはそれでいいけど。
ところで(急に話は飛ぶけど)、観覧車って、男女二人きりで乗ると、かなりエロチックな気分になりません?
あのゴンドラの狭い密室。そこに、目の前にいる人と二人きり。しかも、扉は外から鍵をかけられていて…。
しかもしかも、自分たちが乗っているゴンドラが最上部近くにいる間は、他からの視線も遮断されて…。
最初はそのつもりがなくても、乗ってしまったら、もう、絶対、なんかしたくなっちゃいますよね!(^^;
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- 2006/08/11(金) 22:58:26|
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夕方になれば、そこから先は、ふたりには別々の時間が待っている。
深い海の底で、残り少ない酸素ボンベの中の酸素をぎりぎりふたりで分け合って命をつないだような、耽溺の時間が、もうすぐ終わる。
ゆっくりとゆっくりと(残りの時間を惜しむように)、足ひれを動かして、ボクらは海面に浮上していくのだ。
海面に顔が出たら、一つ大きく深呼吸をして、そこからはボクらは別々の時間の中に入っていく、振り返りもせず。
ふたりで白いシーツの波間に漂っていた、あの暑い夏の日の昼下がりの、わずかな時間。
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- 2006/08/09(水) 23:09:29|
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津島は隠れ鉄道オタクですので、本日は鉄道ネタでご機嫌を伺います。
今日本では、路面電車が見直されています。
かつては、モータリゼーション時代のお荷物として、我が秋田を含めて全国各地でどんどん廃止されていったのですが、自動車万能神話が崩れ始めている現代においては、「いや待てよ。路面電車も案外悪くないんじゃないか?」という再認識をされるようになったわけです。
それで、廃止寸前だった路線が息を吹き返したり、新しい路線が誕生したりしています。(今日の写真は、今年誕生した富山市の新しい路面電車です)
ただ単に古い交通機関が蘇っただけではなく、新時代の交通機関として生まれ変わったのが、昨今の新世代路面電車の特徴です。
その象徴的なスタンスが、いわゆる“バリアフリー化”。
従来の電車は、走らせるための機械や機器などを車体の床下にたくさんぶら下げていたため、どうしても床面が高くなり、乗り降りするたびに一段か二段のステップを上がり下りしなければなりませんでした。
高齢者や身体に障害のある人にはそれが“バリア”になっていたわけで、車イスでの利用は物理的に不可能でした。
そこで、新世代路面電車は、発想の転換が図られ、誰でも利用しやすい交通機関に進歩を遂げたのです。
機械、機器を極力小型化し、一部は床下ではなく屋根上に載せることで、床面を地上すれすれくらいまで低くすることに成功しました。乗り場から車内に乗り込むのに段差は意識しなくて済むほどに縮まり、車イスやベビーカーでも介助なしに乗り降りできるようになりました。
このような取り組みはヨーロッパが先進地で、国内の路面電車の会社もヨーロッパの車両メーカーから電車を輸入して走らせていました。
最近になって、日本の車両メーカーも低床路面電車の開発に力を入れ始め、各地で走り始めています。
ボクは今年の秋に長崎に旅行するのですが、路面電車王国の長崎でも低床電車が走り始めているようです。路面電車に乗るのが目的の旅ではないのですが、市内で写真を撮り回るのに一日乗車券でも買って路面電車を乗り倒そうと考えているところです。
この長崎の路面電車は、国内の車両メーカーが開発したもので、“Little Dancer”というプロジェクトネームを持っています。
市街地の急カーブでもくねくねするすると走り抜ける様を“小さな踊り子”となぞらえたようで、なかなか粋なネーミングだなあと感心したのですが、実は、ダブルミーニングで、もう一つ意味があるのだとか。
リトル・ダンサー → 小さな段差
はい、きれいなオチがついたところで、おあとがよろしいようで…
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- 2006/08/09(水) 12:33:14|
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サラリーマンではないボクは、夏はラフな格好で過ごすことが多い。
Tシャツに短パンというのが定番だ。
鹿の子織の黒いTシャツを持っている。
もう、6年あまりも着ている。
いい加減、色も褪せ、ぼろぼろだ。
女房が、「それ、もう捨ててもいいんじゃない?」と、言う。
異論はない。十分に元は取れたし、今さら後生大事にとっておくような代物でもない。
ボクも、「いつでも捨ててくれていいから」と、女房には言ってあるのだ。
このTシャツは、7年ほど前の誕生日に女性からプレゼントされたものだ。
ボクの着る服はたいていは女房が買ってくるから、クローゼットに見慣れないTシャツを見つけたとき、最初女房は怪訝な顔をした。
「どうしたの、それ?」
「ああ、おねえちゃんからもらったんだ。誕生日プレゼントだって」
「ふーん」
我が家では、こんなことでは女房は妬かない。
むしろ女房は、ボクの女友だちとの付き合いでは、かなりご相伴にあずかっているのだ。
結婚している者が宅外の女性から品物をもらうのは一般的にはタブーなのかもしれないが、そんなヒミツめいた関係ではなく、比較的フランクな付き合いの女性たちばかりだから、みんな遠慮なくボクに贈り物をしてくる。
コーヒーカップであったり、ワインであったり、果物であったりと。
もちろん、もらいっぱなしにしているわけにもいかないので、こちらからも時にはお返しをしたりするのだけど。
海の近くに住んでいるヒトからクール宅急便で鮮魚が届いたこともある。
ボク宛の荷物なのに、そのときは、ボクの帰宅前に女房が勝手に開封して、あらかた手を付けていたのであった。
女房は、子どもみたいに無邪気なところがあって、自分に届いたのではない荷物でも、やけに自分で開けたがる。
「開けていい? 開けていい?」と、しつこく聞いてくる。
好きにしなさい、と答えるしかないだろう。
「いや、それだけは開けないでほしい」というのも、なんだかカクシゴトの匂いがしてくるし。
そんなわけで、女房も出所を知っているこの黒いTシャツは、ボクとしても十分に元を取れたし、プレゼントをしてくれた女性との思い出の余韻にも十分すぎるほど浸ることが出来た。
恋の減価償却は、つつがなく満了したのである。
捨ててしまわれても全然惜しくないのだけれども、風呂に入るときに脱ぎっぱなしにしておくと、いつのまにかまた洗濯されて畳まれてクローゼットに仕舞われているのだ。
まさか、女房が嫌みでそうしているのだとも思えないのだが。
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- 2006/08/08(火) 11:48:52|
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怒濤の週末であった。
猪苗代からの客人というのは、一歳と二歳の乳幼児を含めると総勢5名であった。
それだけではない。
娘が仕事の夏休みが取れたからと東京から帰省していた。
それから、姪(ボクの妹の娘)も、祖父母孝行と竿燈見物で一泊二日で慌ただしく東京から遊びにきていた。
土曜の夜の我が家の最大瞬間人口は、平生の6人に対して、実に13人に膨れ上がっていたのである。
日曜日はそのうちの10人で動物園に行ってきた。
大人だけだったら、もっと違う秋田の楽しみ方もあるのだけど、なにしろ小さい子どもがいるので、子どもを飽きさせないために、スケジュールはすべて子ども中心だ。
たった一歳や二歳の子どものために、大の大人が、よってたかって、猛暑の秋田で子どもたちにつきあってやっている。幸せな子どもたちだ。
ちゃんと人に愛されて育った子どもは、いつかちゃんと人を愛せる大人になるだろう。
大人たちは、全力で子どもたちを愛することだ。
猪苗代班は、夕方には秋田を離れることになっていた。
うちの息子の嫁さんも、お盆には実家に帰ることになっていたのだけれど、どうせなら、少し早いけどみんなと一緒に帰ったら?…という話になって衆議一決、まず6人が帰っていった。
姪もほぼ同じ頃帰っていった。
娘もこの日東京に戻る予定だったのだけれども、秋田新幹線の指定が取れないとのことで(秋田新幹線は全席指定)、どうしたものかとぐずぐずしていた。
一応、「盛岡まで特定(立ち席)特急券で向かって、盛岡から自由席のある東北新幹線の列車に乗り換えて帰ればいい」…と進言していて、ほぼその方向で話が決まりかけていた。
ここでお父ちゃんは、つい油断して、言わなくてもいい一言を言ってしまったのだ。
「何なら、盛岡まで送ろうか?」
言ってすぐに、お父ちゃんは後悔したのである。
猪苗代班をとりあえず無事に見送って、ほっとして気持ちが緩んでいたのだ。つい、気持ちが大きくなっていたのだ。
娘は、間髪入れず、「うん!」と叫んだ。
秋田から盛岡まで片道120km。往復すれば5時間から6時間はかかる。
しまった。それでなくても、二日間のお客さんの相手で少しくたびれているのに、さらにこれから盛岡往復かよ。
あとには引けない。
ならば、女房と息子も巻き添えにして、「今から盛岡に冷麺を食いに行こうぜ」と誘って、親子4人、暮れなずむ秋田を出発したのである。
そういえば、うちの二人の子どもたちがまだ小さい頃、一家四人でクルマに乗って夜中に我が家を出発して、「ミステリーツアーだ。朝になるまで行き先はヒ・ミ・ツ!」なんてドライブをよくやったものだ。
ミステリーツアーも何も、どこに行くかなかなか決められず、とりあえずクルマを走らせて、走りながら行き先を考えていただけなのだけど。それでも子どもたちはとても喜んでくれた。
久しぶりに親子4人で夜の国道を走りながら、そういう昔のことを思い出したのだった。
娘は、盛岡駅から東北新幹線「やまびこ」の自由席でゆっくり座って東京に帰っていった。
手を振って見送って、それから女房と息子と3人で、「ぴょんぴょん舎」で冷麺を食って、我が家に帰ってきたのである。
全く、怒濤の二日間であった。
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- 2006/08/07(月) 22:07:31|
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忙しいのである。
仕事が結構立て込んでいるのだけど、仕事以外の用事も入る。
実は、うちの息子は既に結婚していて、猪苗代出身の嫁さんと我が家に同居している。
二世帯同居家庭なのである。正確には、ボクの両親も健在でこの家に住んでいるので、我が家は三世帯同居家庭なのである。
今、秋田は「竿燈祭り」の期間中である。
猪苗代の嫁さんの実家の家族が「一度竿燈を見てみたいものだ」と言っていて、それならぜひおいでなさいと我が家で招待し、嫁さんの兄さん夫婦、その幼い子ども二人、そして嫁さんのお母さんが、我が家を宿にして遊びにきている。
そうなれば我が家としては、一家をあげてお客さんを歓待しなければならず、今日はボクは運転手になって皆さんを男鹿半島に案内してきたのだ。
小さい子どもたちがいるので、水族館をメインにしたドライブがいいだろうと考えた。
アザラシだのシロクマだのペンギンだのと、幼子(おさなご)がとても喜んでくれて、忙中閑あり、何よりの休日だったのである。
運転係の秋田のおじちゃんは、水族館の売店で商品のシロクマの指人形で遊んで写真に撮ったりするわけだ。
夕方には竿燈祭りの会場までクルマで送って、ゆっくりと秋田の夏の祭りを堪能してもらう。
恋愛をしたり結婚をしたりしても、パートナー間の、一対一の人間関係こそが一番の妙味であって、それ以外の人間関係は、特に望まないものであったり、時には煩わしいものであったり、ひどいときには、せっかくのパートナー間の一対一の関係すら脅かすものになったりするものなのだけど、考えてみれば、今日ボクが一緒にドライブした面々は、誰かが恋愛したり結婚したりしたからこそできた人間関係なのだ。つまり、うちの息子が猪苗代出身の女性と出会って恋愛をして結婚をしなかったら、今日のようなメンバーで男鹿半島一周ドライブをするなんてことはなかったわけだ。
人の人生とはなかなか味わい深いものだなと、水族館の売店でシロクマの指人形で遊びながら、津島は考えていたのだった。
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- 2006/08/06(日) 00:24:19|
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遠くからそっとキミを、ボクは見守っていたい。
何日も言葉を交わさない日が続いても、それは、
想いが薄れたりとか、どこか違うところに想いが
傾いたりとかを意味するのではなく、
饒舌に言葉をかけるのとは違う愛し方もあることを、
キミに知ってほしいからだ。
ボクはいつもここにいる。
さびしくなったら声をかけてくれればいい。
さびしくなかったら忘れてくれていていい。
いつもボクは、キミの声が届く距離にいる。
それだけは言っておく。
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- 2006/08/04(金) 00:03:48|
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昨日、あれほど、「どんなに忙しくとも飲むべき酒は飲む!」と、声高らかに宣言してたのに、実は、酒席が流れちまったのだ。
相手は、「暑くなったら生ビールを飲みましょう」と約束していたMちゃんだったのだけど、このブログでなにげに彼女に向けて呼びかけていたら彼女からメールが入り、いよいよ懸案の酒席の実現にこぎつけた矢先だった。
昨日になって、「急な仕事が入っちゃって、今日は行けなくなった」と、彼女からメールが入った。
実はボクは、あまりショックではない。
仕事なら仕方ない。(仕事を口実にエスケープされたのなら悲しいけど)
どっちみちボクのほうも仕事はあるのだし、酒席がキャンセルされたのなら、そのまま通して夜まで仕事を続ければいいわけだ。
Mちゃんもドタキャンを恐縮がっていたけれども、なに、気に病むこともない。ちまちましたことで一喜一憂することなく、長く楽しくつきあっていければ一番だ。
それはそれとして、このごろ何かと予定がずれることが多い。
今仕掛かっている仕事がお盆前までという約束だが(それもずれ込むだろうけど)、その間に、別件の取材執筆が2件入る予定になっていた。
それが立て続けに、お盆過ぎにずれ込んだのだ。
八戸に行くのが16日。十和田湖に行くのが20日過ぎということになった。
この予定変更は、こちらとしては願ってもないことだった。なんか、ラッキーって感じ。
運命の歯車に潤滑油が注されて、ころころと気持ちよく回り始めたような感じ。
人生、たまにはそういう時もあるんだな。
そういえば、秋には九州にも行けそうだ。
前々からどうしても取材したいところがあったのだけど、取材経費は出ないし、原稿料をもらっても交通費だけで大赤字になるので、機会をつくりあぐねていたのだ。
ところが、とつぜんANAとJALがとんでもないスーパーバーゲンを始めて、国内一区間、秋田から東京までバスで行くよりも安い運賃で飛べることになったのだ。
この機会を逃したら、貧乏カメラマンとしてはあと何十年九州の地を踏めないか分かったもんじゃない。
幸いボクは両社のマイルカードを持っているので、さっそく会員先行予約に申し込んでみた。
フフフ、取れたのだよ、チケットが♪
待ってろよ、九州。
嗚呼、予定が狂うのって、大好き!
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- 2006/08/03(木) 12:12:54|
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仕事上のつきあいのある女性のデザイナーが何人かいるのだが、彼女らは一様に、実によく働くのである。
夜の遅い時間まで,あるいは、明け方や,完徹までもする。
ボクも一応こんな時間まで机に向かっていることは珍しくないけれども、仕事はしつつもこんな時間になるともう酒を飲み始めているし、一見うしろ姿は深夜まで熱心に仕事をしているように見えても,実は単に“ブログ業務”に従事しているだけだったりもする。実にぐうたらなのである。
彼女たちも,決してそんなハードワークを楽しんでいるわけではない。こういう仕事はどうしても納期に縛られるから,納期を守るためにはプライベートな時間や眠る時間を削るしかないのだ。
カラダを壊したりしたら何にもならないから,「大丈夫か? 無理するなよ。ちゃんと休み取れよ」と、よその会社の女の子に声をかけたりするのである。
ボク自身が今仕掛かり中の仕事も,実はちょっと大変で,延べにして5万字ほどの原稿を書かなければならない。クライアントから示された納期から逆算すると、一日平均4千字くらいのペースで書き続けなければならないのだが,なにしろボクはぐうたらだから,日々、そのノルマが消化できない。なんとかなるよなんとかなるよと言いながら夏休みの宿題を先送りにして,結局夏休みの最終日に青ざめて泣きを見るようなものだ。(実際,そのような人生だった)
実は、明日も酒席のお誘いがあるのである。「申し訳ないけど仕事が詰まっているので」…と断るのが順当なのだろうけど,いや、ボクはやはり酒席を取る。つまらない酒席なら,たとえ暇でも仕事を口実に断ることもあるけど,親の死に目でもない限り優先したい酒席、というものもあるのだ。
日々のノルマも満足に消化していないのに,酒を飲んだらまたその分ロスタイムに加算される。
やはり終盤は、徹夜の連続ということになるのかもしれない。
しかし、「あいつは仕事が遅い」となじられながら,恋も楽しみ,酒も楽しみ,仕事も楽しみながら老いぼれていく人生を,ボクは選んでいる。
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- 2006/08/02(水) 00:43:38|
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