津島修三ブログ

カメラマン兼ライター津島修三のブログ

祈る幸せ、注ぐ幸せ

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誰かの幸せというものを考えるとき、直接的に自分がそのヒトを幸せにしてあげたいと思うことと、ただ遠くからそのヒトが幸せになってくれるのを祈るしかないこととがある。

今夜のブログで何を書こうか、ボクは少し煮詰まっていた。
載せたい写真は決まって、早々とアップしていたのだけど、文章が思い浮かばない。今夜はちょっと飲み過ぎてしまったかもしれない。
手詰まりに落ち込み、焦燥と衰弱の夜だ。
その矢先、業界の友人Cちゃんからメールが届いた。
昨日のボクの「同級生」というタイトルのブログを読んだら自分の恋愛体験とだぶり、胸がキュンとしてしまった…というような内容で、その恋愛体験というものを、メールの中に連綿と綴っていた。
ボクは少し驚いた。
Cちゃんにそんな恋愛体験があったとは、思いもしなかったのだ。
いつも元気で行動的で、やんちゃで男勝りなところも感じられ、恋愛体質ではない女の子だとばかり思っていた。

彼女にもちゃんと、心の中の引き出しの一つに、今でも住んでいる男性がいたのだ。
彼女のメールの表現を借りれば、“嫌いになって別れた人じゃなかったので、今で
も遠い親戚のように心のどこかにある人”
…。
そういうことも、あとから彼女の前に現れる男は、大切にしてあげなければならないのかもしれないね。
あとから現れた男との恋のほうが断然良くなって、昔の恋など追憶の彼方に消え去ってしまうのであれば、それはそれでいいのかもしれないけど、思い出したくもないほどの苦渋に満ちた恋でもない限り、人は案外、どんなに新しい恋をしても、心の中の奥のほうの引き出しに、昔好きだった人をひっそりと住まわせているものなのかもしれない。
だから、誰かを抱いていてその場の官能に酔いしれていても、ふと、昔の人のことを思い出してみたり、誰かに抱かれていてその場の官能に酔いしれていても、ふと、昔の人を頭の中で重ねてみたりするのではないか。
切ないけれども、それは許してしまう。
幸せには、自ら注げる幸せと、ただ祈ってやるしかない幸せとが、あるのだ。

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  1. 2006/07/31(月) 23:47:05|
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同級生

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ボクが人生で最初に好きになった女の人は、同級生だった。
気持ちが通じなくなって別れてしまってからの時期を含めると(その期間のほうが長いのだけど)、ざっと十年くらいは、“夢中”と言ってもいいくらいにその人のことが好きだった。
好きなことには変わりはなかったけれども、何か、彼女を幸せにしてやれるのはボクではないような気がして、ボクのほうから身を引いたのだった。
ボクは、女の人の愛し方に自信がなかった。男として幼稚すぎた。
それで、すっぱりと忘れてしまえればよかったのだけれども、悲しすぎるくらいに、何年も何年も、彼女のことは好きなままでいた。
なによりも辛かったのは、彼女がほかの誰かとどんどん幸せになっていくのを想像してしまうことだ。
ボク自身には彼女を幸せにしてやれる自信はなかったし、ほかの誰かとの彼女の幸せをぶち壊しにしたいような残酷な感情はなかったけれども、彼女がほかの誰かとキスをしたりセックスをしたり、結婚をして子どもができて…と、ボクではない他の誰かとそういうことをしていくのを想像するのは、麻酔もせずに切り刻まれるくらいにボクの全身に激痛が走ることだった。
人が幸せになるのを恨んだり憎んだりするのは、愛でも恋でもないのかもしれないけれども、何年もの長い間、そんな幻覚のような想いに、ボクは苦しめられていた。

さすがに人生も後半戦にさしかかると、むしろ今となっては、本心で、彼女が幸せであってくれればいいなと、思えるのだ。
ボクが幸せなキスやセックスを楽しんできたように、彼女も幸せなキスやセックスを楽しんできた人生であってほしいと、思う。
もし、あまり幸せではなかった人生だったとすれば、そのほうが辛い。どっちにしても、ボクにはもう何もしてあげられないのだから。
久しぶりにクラス会などがあったとしても、もし少しでも席が離れて座ることになったら、ボクは彼女に声をかけないままでその日を終わらせてしまうかもしれない。
彼女の今が幸せなのか、ふとした表情から読み取ることは忘れなくても。

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  1. 2006/07/30(日) 23:33:36|
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うたかたの、アヴァンチュール。

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「一度だけ、ほかの男(ひと)とデートしたことがあるのよ」
「ほほう。あなたにもそういう経験があるんだ。いつごろの話?」
「ちょうど四十のとき」
「相手は? どんなヒト?」
「十歳くらい年上だったかな。工事の監督でね、単身赴任でこっちに来ていたヒトだった」
「そのヒトを好きになっちゃったわけだ」
「好き…っていうか、優しい感じのヒトでね、悪くないなあとは思ってた。そのヒトがね、ドライブに行かないかって誘ってきたのよ」
「どこに行ってきたの?」
「十和田湖。日帰りよ」
「ふうん。で、えっちもしたんだ」
「ううん。しなかった」
「しなかったの?! 何も? キスも?」
「何もしなかったわよ。ただドライブしてきただけ」
「うわあ、もったいないなあ! ていうか、彼は求めてこなかったの?」
「ううん、何も」
「そうかなあ。そういうものなのかなあ。彼は、したかったんじゃないかなあ。オレだったら、“とりあえず”オウカガイはしてみるけどなあ。あはは」
「彼が求めてきたら、あたしはどうしていたかな…」
「もしかしたら、彼はしたかったのに、あなたのガードが固そうだったから、口に出せなかったんじゃないのかなあ」
「そうなのかなあ」
「すればよかったのに。人生一度きりだもの。楽しい思い出はいくらあってもいいと思うし。それくらい、神様も目をつぶってくれるよ」
「逆にね、そのときのあたしは、えっちをしてしまってたら、彼との大切な思い出が汚れてしまうような気がしてたのかもしれないわ」
「ううむ。ま、考え方だからね。それにしてももったいない(笑)。で、そのあとどうなったの?」
「まもなく工事も終わって、彼は帰っていったわ。それっきり」
「そうかあ。そういう思い出を持てただけでも、あなたは幸せなのかな。引きずる未練がなければね」
「未練はないわ。どちらかといえば、幸せな思い出」
「淡い恋だったね(笑)」
「淡い恋だった(笑)」

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  1. 2006/07/28(金) 23:34:37|
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愛を試す

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ひょんなことから、以前同じ職場で働いていた若い女性のデザイナーと再会したのだ。
実は彼女には当時ソフトを貸していて、できれば返してほしいと願っていたのだけれども、僕が会社を辞めたあと、ほどなくして彼女も辞めてしまったみたいで、少なくともこちらからはコンタクトをとれなくなっていた。
僕のほうのメルアドの入った名刺は渡してあったので、思い出して彼女のほうから連絡してきてくれることを天に祈るのみであった。
はたして離ればなれになってから2年近くを経て、彼女からメールが入ったのだった。
「ソフトが借りっ放しになっていました。ごめんなさい」…と。
ソフト自体はもうどうでもよかったけれど、彼女からコンタクトしてきてくれたのは、嬉しかった。
こちらの想いは、恋愛感情に近いものというよりは、歳が離れていることもあり、父親か兄の心情に近いものだったかもしれない。元気でいるだろうか。いい会社に入れただろうか。やりがいのある仕事に就いているだろうか…と。

ボクは、自分からマメに女性にメールを出したりすることはないのだが、ボクとのメールのやり取りもそれほど迷惑でもないような感触だったので、何回かはメールのやり取りをした。
「暑くなったら生ビールでも飲みにいきましょう」と書いてやったら、「ぜひ!」という返事が返ってきた。

その矢先のことだ。
ボクのパソコンの調子が悪くなって、自分でメンテナンスしているうち、ほとんどの機能は復旧したものの、メールの設定やメールボックスの中身がすべて消滅してしまったのだ。
全然ショックでないと言えばウソになるが、今までにも何度か似たような体験をしてきているから、「まあ、パソコンライフとはこんなものだろう」と、諦めの境地でもある。
問題は、生ビールの彼女だ。
そろそろ暑くなってきたので、よければ生ビールを飲みにいきたいのだけれども、またしてもこちらからは連絡を取れなくなってしまったのだ。
障害の多い恋である。

少し時間が経ってからでもいいから、「生ビールの約束はどうしたんですか?」…などと、彼女からメールが入ればいいのだけど。

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  1. 2006/07/28(金) 01:42:14|
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夏の日のエリンギ

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ぷかぷかと波間を漂うような浅い眠りの果てに、朝になる。
妻がベッドから半身を起こして、ざっとカーテンを開ける。
「お、いい天気。よし、洗濯しよう。おとうさん、パジャマ脱いで!」
寝起きの機嫌が悪いボクは、聞こえないふりをしてぐずぐずしている。
妻は、よほど今朝の天気に洗濯の決心を固くしたのか、強引にボクのカラダからパジャマをはぎとっていく。
パジャマの上着のボタンをはずし、タケノコの皮でも剥くようにくるりとボクの上半身から上着をはがす。
それでもボクがぐずぐずしていると、今度はズボンをおろしにかかる。
ボクはいつも、パジャマのズボンの下にはパンツははかない。
いきなりエリンギがこんにちは。
「お、元気じゃない」妻が指先でエリンギをつんつんつつく。
そ、そりゃあまあ、朝ですから。
鼻唄でも歌わんばかりに妻はご機嫌よくボクのパジャマを抱えてふんふんと階段を下りていく。

あとに残されて、身ぐるみはがされて丸裸になって、所在なくベッドの上に横たわっているエリンギ、とボク。

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  1. 2006/07/26(水) 16:18:23|
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聞こえないふりの着信音

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ボクも女房も、ときどき携帯電話を置き忘れて家を出てしまうことがある。
その置き忘れた電話に着信があっても、知らんぷりをするというのが、今は暗黙の了解だ。
そういう暗黙の了解ができていない頃は、古くからの固定電話の感覚で、着信があったらとりあえず近くにいる者が出る…という固定観念で、ついつい電話をとってしまう。悪気はないのだ。むしろ、親切心なのだ。
親切心のつもりでも、結果的にはそれほど親切にはなっていないことが多い。それならば、いっそのこと、どんなに着信音が鳴っても電話には出ないことだ。

あれは何年前のことだったか。
日曜日に仕事があって外出した。普段と違うラフな格好で出かけたこともあって、携帯を忘れたまま家を出てしまった。
神様というのはいたずら好きで、そういうときに限って置き忘れた携帯に女の人から電話がかかってくる。
まだ夫婦間の“暗黙の了解”ができてない頃だから、女房は親切心でその電話を受ける。「はい、津島です」
ボクが出るとばかり思っていた電話にいきなり女性の声だから、かけてきたほうはどきりとする。
とっさにうまく繕えばいいのに、動転してしまって思わず自分から電話を切ってしまう。
うわあ、そんなことしたら、二人が怪しい関係だって、自分で白状してるようなもんじゃないか(^^;
その頃ボクには女性のオフ会仲間が何人もいたのだから、とっさに「オフ会でお世話になってる○○です」とでも言っておいてくれれば、ことさら怪しまれることもなかったのに。

女房は女房で、そのときなんと思ったか…。
「む、うちの亭主、あやしい…」と思ったか、ただの間違い電話と思ったか…。
女房はねちねちと詮索せずには気が済まないというタイプの人ではないから、結局その件はそれっきりになってしまった。

そんなこともあったりして、次第に、連れ合いの携帯が鳴っても出ない、という暗黙の了解ができていったように思う。
ボクも、女房の携帯の着歴やアドレス帳は見る気もない。おそらく、高校時代のクラスメートや古い友人など、何人かの男の名前はあるだろうけど。
恋人や夫婦は、“自分の目の届かないところで相手が何をしているか”を気にかけるのではなく、“自分と一緒にいるときのこの人の想いは本物か”を見抜くことなのではないだろうか。
あるいは、“自分自身の、この人への想いは本物か”…とも。

想いが本物かどうか…が見分けられなくて煩悶することも多いのだけどね。

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  1. 2006/07/25(火) 16:16:26|
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真夏の蜃気楼

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「ひとつだけ、つきあってほしいところがあるのだけど」
…と、そのヒトは言った。
水着を買いたいのだそうだ。
それで、その日のボクらの待ち合わせ場所はデパートの正面入口ということになった。
彼女はボクをはべらせて、スポーツ用品フロアの女性用水着のコーナーに向かう。
「それは少し地味すぎやしないか」とか、「その色は膨張色だぜ」などと、“連れ”としての一通りのコメントはしてみるものの、男としては、やはり女性用水着の売り場は目のやり場に困る。さりとて、彼女と離れて一人でうろちょろするのも却って不審者みたいなので、いかにも“この女性客の連れである”といった体で、金魚のフンのように彼女のあとをついて回るしかなかったのである。
デパートまで来たのであれば、こちらにもついでの用事がある。
実は、ほかの女性とふざけ半分の話をしていて、口紅を買ってあげる約束をしていたのだ。冗談のようなやりとりだったから、相手の女性は本気にはしていないかもしれないが、逆に、冗談半分の約束を本気で実行して相手の驚く顔を見るのがこちらの楽しみでもある。
やはり男が一人で化粧品売り場をうろちょろするのはなかなか度胸がいるものだが、こういうときに“連れ”がいると心強い。
ボクは自分なりに、相手の年齢や雰囲気を思い浮かべながら口紅の色を見立てるのだが、“連れ”は、「もう少し明るい色のほうがいいんじゃない?」などとコメントしてくる。
なるほど。
男のボクはついつい無難な色を選んでしまうが、言われてみれば確かに、もう一段明るい色のほうが女性には似つかわしいかもしれない。

こうして二人の買い物は無事に済んだ。
あとは残りの時間をゆっくりと過ごすだけだ。
ボクたちは、赤ワインを飲んだ。
彼女は、いつになく少し酔っぱらった。
買い物の首尾が上々だったのでご機嫌だったのか、蒸し暑い日だったのでついついワインがはかどってしまったのか。
それほどアルコールに強いわけではない彼女は、いつもより少しワインを飲み過ぎて、こちらが介抱しなければならないほどではないが、どこか芯が一本抜けてしまったような、フワフワとした心持ちでボクの目の前に漂っている。
おいおい、ボクを残して一人だけ先に酔っぱらうなよ。ボクは苦笑するしかない。
芯が抜けてクラゲのようになってしまっている彼女を、ボクは、苦笑い半分、愛惜半分のまなざしで眺めている。
何か辛いことがあって酒の酔いに紛らしているのなら切ないけれども、今日の彼女はご機嫌なのだ。ボクの前でこれだけ無心に酔えるというのも、ボクに気持ちを許している証しでもあるだろう。一緒に飲むワインが美味しい二人の関係に乾杯だ。

限られた時間を使い果たし、彼女は帰っていかなければならない。
ボクは駅まで彼女を送る。
いつものように、改札口の前で軽く握手をして、まだ少し酔いの残っているような彼女は、ふらふらと改札口の向こうに吸い込まれていった。

小さくなっていくその後ろ姿に、ボクは何か、蜃気楼でもみているような気分になっていた。

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  1. 2006/07/23(日) 23:40:52|
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陰生植物

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不思議に恋というものは、陰生植物のように、日当たりの悪いところでこそ瑞々しく育つような一面が、ある。
世を忍ぶ恋だから…というような理由ではなく、昼よりは夜を好むような、陽光よりは月光を好むような、日向よりは日陰を好むような、解放よりは呪縛を好むような、建設よりは破壊を好むような、健全よりは頽廃を好むような、危うい誘惑が、恋というものにはある。
踏切のこちら側でも、自分の生活、人生は完結するのに、踏切の向こうで何かがおいでおいでと手招きしている。
その踏切を渡ってしまいたいような、しかし、渡ってしまったらもう後戻りはできなくなってしまうような…

恋は、哀しい傷を舐めあう作業でもある。

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  1. 2006/07/23(日) 01:11:46|
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ザ・リング 2 - onnagokoro -

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「あたしと逢うときは指輪を外してほしい」
…と、そのヒトに言われて、Tは少し困惑したのだった。
さらりとした友だち付き合いでいいじゃないか、とTは思っていた。
たとえば二人で一緒にいるところを誰か知り合いに見られても特に深く詮索もされず、あるいは、知り合いに見られることをおそれてことさら暗がりで落ち合うようなことにはならない、あっけらかんとした関係でいいじゃないか、とTは考えていた。
逢うたびごとに指輪を外すとなれば、なんだかそれはもう、ほんとうに抜き差しならない、後戻りのできない愛の沼地に足を踏み入れてしまうみたいで、それはTには違和感があった。
しかし、相手の心情も察してやらなければならない。
最初のうちの何度かは、そのヒトと逢うたびにTは左手の指輪を外していた。
何度目かに、Tは宣言した。「やはり、ボクはもう指輪は外さない」
そのヒトがほんとうに了解したかどうかは分からなかったが、流れのままに身を任せてしまうことを心許ないものと感じたTの、ささやかな抵抗でもあった。

なぜ指輪をしていてはいけなかったのか。
その指輪に、男の家庭のにおいを感じて息苦しくなってしまうのか、
あるいは、その男の配偶者の気配を感じてやましい気持ちがつのるのか。
いずれ、それも“オンナゴコロ”というものの一つなのだろう。

そのヒトにしてみれば、指輪をしている男と近い距離で親しくつきあった経験はほとんどなく、どこか、“逢うときは指輪を外す”という行為に、ひとつのセレモニー的な意味合いを持たせていたのかもしれない。

踏み込み過ぎず、早まり過ぎず、今でも二人は、仲のいい友だち同士でいるそうな。

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  1. 2006/07/21(金) 00:30:49|
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かいま見る日常

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いつのことだったか、ある女性と、一緒に蕎麦を食べることになった。
テーブルに差し向かいに座り、注文した蕎麦ができあがるまで、お互いの目を見てにこにこと他愛のない話をしている。
蕎麦ができた。
二人の目の前に置かれる。
彼女が箸箱から割り箸を取り出して、一膳ボクに手渡す。
その、渡し方だ。
ボクは小さく驚いて、あははと笑った。
彼女は、ぱちんと自分で割り箸を割ってから、ボクに手渡したのだ。

食堂に入って、連れのために割り箸をとってやることは誰でもする。ボクだってする。
ただ、割ってから渡されるというのは、初めての体験だった。
ボクがあははと笑ったら、何がおかしいのかと、彼女はきょとんとしていた。
きっと彼女にとっては、それがいつもの、当たり前の所作だったのだろう。
夫や子供にも、当たり前のように、そのようにしているのだろう。
「そりゃあ、きみ、過保護だよ。割り箸を割るくらい、本人にやらせるべきだよ」
もっと言うならば、自分からは割り箸をとらず、夫がさっととってこちらに手渡してくれるくらいに“手なずけ”たほうがいい。
誰かのために優しくしてあげるのは悪いことではないけれども、誰かに優しくしてもらえる人でも、ありたいものだ。

時々、すごく一生懸命になるヒトがいて、ボクは少し面食らう。
いつも一生懸命にしていることが、きっとそのヒトの日常なのだろう。
「そんなに一生懸命にならなくていいんだよ。今日はボクに任せてもらえないか?」

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  1. 2006/07/20(木) 01:24:06|
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ザ・リング

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むか〜しむかし、その頃会社勤めをしていたTは、会社の帰りには毎日のようになじみの喫茶店に立ち寄って、コーヒーを一杯飲んでから帰宅するのが習慣だった。
いつの頃からかカウンターの右端の席がTの指定席のようになっていて、夕方Tが店に顔を出すと、ほかの常連客が右端の席に座っていても、すっとTに席を譲ってくれるようになっていた。
ある夕刻、いつものようにTが右端の席で週刊文春を読みながらコーヒーをすすっていると、店に一人の若い女性が入ってきて、Tの一つおいて隣の席に座った。
彼女は、最近この店に通い始めたばかりの女性だったが、あまり社交的ではないTは、まだ彼女とは満足に言葉を交わしていない。店で偶然会えば、「あ、こんにちは」などと、軽く挨拶を交わす程度だ。したがって、彼女の本名も年齢も職業も住まいも知らない。
その夕刻、Tの一つおいて隣の席に座っていた彼女は、少女コミックを読みながら、何を思ったのか、ふと、こんな一言を漏らした。
「ああ、指輪が欲しいな」
それを聞いて、よせばいいのに、Tのいたずら心が反応した。
「おう、それじゃあオレと“おそろ”で買おうか?」
もちろん、ほんの冗談である。
へん! なんであんたなんかと…と切り返されてアハハと笑ってそれでおしまいになるような他愛ないジョークである。が、何を思ったのか彼女、
「うん」…と、答えたのだ!

Tは、悪ふざけの好きな男だ。シャレでそういうふうになった話なら、どこまでもシャレで突き通した方が面白い。
「よし、それじゃあ今度の給料日にまたここで落ち合って、一緒に指輪を買いにいこう」
「うん」…

その月の25日、二人はその店で落ち合って、近くのアクセサリーショップに指輪を買いに行った。指輪と言ったって、金の平打ちの、一個5500円のおもちゃのような安物の指輪だ。
たとえば明日からTがその指輪をして人前に出るようになって、友人などが「どうしたんだ、その指輪?!」などと聞いてきたときに、「あはは、ただのシャレなんだよ。名前も知らない女が『指輪』を買いたいって言ったんで、はずみでおそろいで買ってしまっただけなんだ」などという言い訳をしている自分を想像して、Tは愉快な気持ちになっていた。

彼女に対しては何の義理も負い目もないから、おそろいとは言っても、割り勘で自分の分を自分の金で買うだけなのだが、Tはそのとき、ほんの少しだけ男気を出して、彼女には5000円を出させ、自分は6000円払ったのだった。
それでこの話は終わりとなってもよかったのだが、その帰り道、彼女はぽつりと言うのである。
「あたしのアパートに寄ってく?」

その夜のことと、そのあとの数十年の話は省略するが、相手よりたった500円だけ多く払うという中途半端な男気が、Tの結婚生活の序章になろうとは、誰が予想し得ただろうか。

左の薬指に結婚指輪をしているTは、例の怨念の平打ち指輪を、今でも右の薬指にしているのだそうな。
“している”というのは正しくない。
めっきりとオヤジ体型になったTは、指もぷっくりとむくんできて、指輪を、外したくとも外せなくなってしまっているのだ。

教訓:悪ふざけもほどほどに…

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  1. 2006/07/18(火) 16:55:29|
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うまくいかない恋に泣く夜のように

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ひとくちに“写真趣味”と言っても、“写真を撮るという行為”にずんずんのめり込んでいく人もいれば、どちらかといえば機材のほうに関心が強くて、スペックの高い高価なカメラやレンズに夢中になってそれらを買わずにはいられない人もいる。
いろんな価値観があっていいから、どちらがいいとか悪いとかの問題ではないのだけれども、まあ、自ら撮ってこその写真趣味と、言えなくもないのではないか。

恋も、似たようなものかもしれない。
せっかく手に入れた恋が、うまくいくようにうまくいくようにと、そわそわしたり色々と手を変え品を変え作戦を練ったり、デートをするときにも、着るものとか行き先とかクルマの中で聞くBGMとか、これ以上はありえないってくらいに計算され尽くしたりして…。でも本当は、そうやってまるで“恋”を床の間に飾るようにうやうやしく扱うのではなく、計算なんかしなくてただ一緒にいるだけで楽しく幸せな、無防備で無心でいられるのが、ホントウの恋…なんではないだろうか。

同じような伝のことはパソコンにも言える。
世の中には、“パソコン自体”に異常なほどの偏愛の情を示す人もいて、パソコンを使って何かをするということよりも、とにかく、パソコン自体が好きで好きでたまらないのだ。でもやはりパソコンも、有意義に活用してなんぼ…って気がする。パソコンもたまにはメンテナンスが必要なのかもしれないが、できればそういうことにはエネルギーも時間も割きたくない。パソコンは、酷使してなんぼ、なんだ。
ところがだ。
そのパソコンが、ときどき、言うことをきかなくなる。
何が気に入らないんだってくらいに、スムーズに動かなくなる。
解決しなければ仕事にも遊びにも使えないというのに。
ところが、なんで我が愛機が機嫌が悪いのか分からない。当てずっぽうにあちこちいじってみるのだけど、いじればいじるほど機嫌が悪くなっていく。

ほんの小さな、修復しようと思えばあっさりと修復できるような恋のトラブルが、意思とは裏腹にどんどんこじれていって、しまいにはもう取り返しがつかなくなってしまうような、そんな恋の愁嘆場を見るような思いだ。
こんなことにかまけてはいられないんだよ。もっと楽しく、のほほんとやっていきたいんだよ。こんな泥沼みたいな気分で過ごすのはもう嫌だよ。

そんなこんなで昨夜は、うまくいかない恋に泣く夜のように、Macのトラブル(たぶんボクの調整ミスだったのだろうけど)に泣かされて、何時間も寝てないのである。
例えて言うならば、無意識に言った一言がひどく恋人を傷つけてしまい、恋人はもう完全にヘソを曲げて、こちらはこちらで、何がいけなかったのか思い当たるところもなく、恋の終焉の気配におびえながら、泣きたい気分で過ごした夜だった、ということだ。
ということなので、寝不足なので、今夜はそろそろ寝ます。

追伸 我が愛しのMacは、少しだけご機嫌を直しつつあります。

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  1. 2006/07/18(火) 02:03:17|
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確かに君は泣いていた

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あの日、確かに君は泣いていた。
それは、肉体の痛みとか心の痛みといったような、はっきりとした理由のある涙ではなく、揺れて波打つ心が鎮まってきたときの、上澄みのような涙だったのではなかったか。
あえて涙の理由(わけ)は聞かず、ただじっと君を抱きしめていたボク。君の涙を引き受ける吸い取り紙のように。

その涙にまったく無関係ではないボクは、君にとって、優しく、そして残酷な存在だった。

- 宮城県鳴子 江合川 -

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  1. 2006/07/16(日) 00:01:33|
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あの日溢れた脂汗

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明日、仙台まで行ってくる。
午後からの会合なので、朝早く秋田をクルマで出発し、夕方会合が終わったらその日のうちに帰ってくるか、さもなくばクルマの中で夜を明かして翌日のんびり写真を撮りながら帰ってくるか、というところだ。
仙台では、若い頃、一、二年ほど出版社で仕事をしていたことがある。その頃ボクは既に秋田で結婚して子どももいて、仙台の仕事といっても一家で仙台に転居してまでやるような仕事ではなかったから、毎週月曜の朝クルマで秋田から仙台に向かって、一週間会社で寝泊まりしながら仕事をして、土曜の夕方には秋田に帰っていくというパターンの日々だった。まあ、単身赴任のようなものだ。
そのころボクは30を少し過ぎていたのだけど、実は、19か20になったばかりの若い女友だちがいた。それというのも、ボクには、秋田で毎日のように通っていた喫茶店があったのだけど、当時高校生だった彼女もときどきその店に顔を出すようになっていて、少しだけ言葉を交わす間柄だった。
ちょうど、卒業と同時に仙台のデザイン学校に進むのだという話を聞き、「おう、オレも最近は仙台にいることが多いから、じゃあ、たまには向こうで一緒にメシでも食おう」と、声をかけていたのだ。
彼女自身、デザイナーを目指すくらいだから、カメラマンというボクの商売にも(あるいは、カメラマンというボク自身にも)少しは興味があったみたいで、「はい、ぜひ!」と、ボクの申し出を喜んでくれたのだった。
実際、仙台では何度か電話で彼女を誘い出してメシを食ったりしていたのだった。とはいえ、歳も離れていたし、その頃は(!)奥さん以外の女性と特別に親しい関係になろうなどという発想はまだなかったので、ほんとうに、ただ若い子にメシをおごってやって、それだけで喜んでいるというような塩梅だった。
ある夕刻のこと、少し金も入ったし、久しぶりにまた彼女を誘って一緒にメシを食おうかと考えた。
彼女の部屋に電話をしてみたけれども、まだ帰っていないようだった。(まだ携帯のなかった時代のことだ)
しょうがないなと思いつつ、30分ほどしてからもう一度電話をかけてみたけれども、やはり出ない。さらに15分ほどしても、まだ出ない。「ったく、人がせっかくメシをおごってやろうとしているのに、何をしてるんだ」…少し苛つき始めているボク。
15分ほどしてまた電話。それから10分後。5分後。5分後…
ボクは苛立っていた。前もって約束していたわけじゃないから、彼女に罪はない。クラスメートと、あるいはクラスの男の子と、なかよく食事か飲み会をしているのかもしれない。
しかしボクは、落ち着かない気分になっていた。それまでは会社にいて、仕事をしながら電話をかけていて、連絡が取れたら仕事を切り上げて待ち合わせの場所に向かおうかと考えていたのだけれども、もう仕事も手につかなくなっている。よほど、彼女のアパートの前まで行ってみようかと思い始めていたところだ。(そんなことをしてもなんにもならないのに。むしろ、悪い方向に向かうかもしれないのに)

そして、煩悶が極限に達しそうになった時、ボクははじめて、重大なことを忘れていたことに気づいた。それは、ボクが結婚をしている身である、ということだ!
この2、3時間、ボクはそのことを完全に忘れ去っていたのだ。
のめりこむような関係を目指しているわけではないと、頭の中では考えていたはずなのに、自分が妻帯者であることも忘れて、一人の若い女性のことで今は意識が一杯になってしまっていたのだ。はっと我にかえり、ボクの全身からは、気持ち悪いくらいに脂汗が噴き出した。

彼女自身は、案の定というか、同じ世代のボーイフレンドが出来て、そっちと一緒にいるのが楽しくなり、ボクは、彼女にメシをおごってあげる役割は終えたのだなと悟り、あとはそれっきりになってしまったのだけど、それにしてもあの時は、自分の中の得体の知れない心のうねりに、自分で驚いてしまった。

不倫という言葉は嫌いなので“アヴァンチュール”と言い換えておくが、およそこういったことは、割り切った関係でいようとか、抑制をきかせた関係でいようとか、十二分に心がけたつもりになって向き合っていても、実は、自分自身の意識とは別のところで、何かが暴走し始めてしまっているかもしれない…という怖さがあるのだと思う。
フランス映画の旧作『隣の女」は、まさしく、“何かが暴走し始める”恐怖を描いた作品だ。結婚前に映画館でこの作品を観た時は、単なる“作り話の世界”としてだけ観たのだけど、最近思い出してレンタルビデオで観てみたら、「そうそう、こんな風に人を狂わせてしまう怖さがあるんだよ!」と、とてもリアルな話に思えてきたのだった。

さすがにこの歳まで生きてくると、いろいろと価値観、人生観も変わってくるわけで、今は基本的にはアヴァンチュールもありだと思っているのだけれど、それは一つには、自分自身がのめり込む寸前の“恐怖体験”を味わっている、ということも大きいと思う。言わば、そこで一つの免疫が出来てしまったのかもしれない。
免疫がない人がああいう世界に足を踏み入れてしまうことには、ボクは心もとなさを覚える。人生は楽しく充実したものであるべきだから、そこにそういう要素を見いだしたのなら、あえて止めはしないけれども、途中で墜落したりせず、最後の最後まで無事に軟着陸できるよう、一種の緊張感は持ち続けていてほしいものだと思っている。


- 奥入瀬渓流 -

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  1. 2006/07/14(金) 00:51:23|
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フリータイム・ハネムーン

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何年前の話かはともかくとして、ボクら夫婦が結婚式を挙げたのは6月12日のことだったから、その年でいえば今日7月12日は結婚してちょうど一ヶ月めだ。
あのころはけっこうイベントごとを大事にしていたから、きっとボクたちは、結婚一ヶ月めを(無事に)迎えたことを記念して、昼に落ち合って一緒にランチをしたか、夜ちょっとだけ飲んだのかもしれない。

慌ただしい結婚だった。
四月の中頃、どうも妊娠したらしいという兆候があり、GW明けに二人で話し合って結婚することに決め、驚く(あるいは、呆れる)親をなだめて、すぐに女房の実家に挨拶に行き、式場や披露宴会場の手配、招待者への案内状の送付など、ほぼ一ヶ月に渡る上を下への大騒動だった。
行き当たりばったり人生のボクらしいっちゃあボクらしい出来事ではあった。

行き当たりばったりといえば、新婚旅行も行き当たりばったりだった。
そもそも、満足な貯金もないから旅行費用のあてもなく、半分諦めてもいたのだけれど、女房の長姉がポンとお祝い金を出してくれて、それを元手に急遽新婚旅行実現の運びとなった。とはいえ、あまりに時間に余裕がなく、旅行の計画を立てているヒマも、泊まる宿の予約を取っているヒマもなかった。
それで、とりあえず九州を回る周遊券を買って、列車を乗り継いで九州を目指し、宿は行った先々の案内所で紹介してもらえばいいという、まさに行き当たりばったりの旅。
綿密な予定を立てていないから却って面白いこともあった。秋田から大阪あたりで列車を乗り継いで博多を目指すところ、途中で思い立って京都で途中下車して半日嵐山あたりで遊んだり、一泊のつもりで行った長崎が二人ともかなり気に入ったので急遽もう一泊することにしたりとか。
長崎の一日めは定期観光バスで観光地巡りをしたのだけど、二日めは、話し合って自由行動にしたのだ(!)。
新婚旅行で別行動なんて普通は考えられないと思うかもしれないけど、案外、夫婦は何でもかんでも一緒でなければならないという思い込みのアンチテーゼとして、こんなのもありなんじゃないかと、ボクたちは思っていた。
ボクはやはりどうしても鉄道が好きで、せっかく路面電車王国の長崎まで来ているのだから心ゆくまで路面電車を楽しみたい。一方女房は、そんなに電車には興味はなく、むしろ、心ゆくまで美術館や博物館巡りをしたい。そういうお互いの利害が一致して、夕方4時に長崎駅前で落ち合う約束だけをして半日別行動をとったわけだ。
小さなケンカもしたけど、おおむね、実に楽しい新婚旅行であった。

今になって、ボクはまた新婚旅行以来の長崎を訪れたいと思っている。
取材したいものがあるのだ。経費は出ない仕事なので、旅費を自腹で工面できるかどうかが実現の鍵なのだが、他の旅行先ならともかく、長崎となれば、やはり女房は、「なに、あなた、一人で行く気?」と、噛み付いてくるに決まっている。
連れて行くのはやぶさかではないのだけれども、資金がねえ。
「いや、これは仕事なんだから、オレは一人で行く!」、と言い切る度胸もボクにはなく…。

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  1. 2006/07/12(水) 23:25:30|
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好きな人とは堂々とkissをしよう

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去年ニューヨークに旅をした時の宿は、日本人が経営しているところだった。
ニューヨークは日本人観光客には人気の高い街で、そういう日本人客相手の宿は探してみると何軒かあるようだ。
ボクがお世話になったのは、マンハッタンからハドソン川対岸のニュージャージーにあった宿で、建物自体は高層マンションだ。宿のオーナーはそのマンションの住人で、夫婦二人住まいで部屋が余るので、その余った部屋を日本人観光客に提供するという、まあ、下宿か民宿のようなものだ。
仕事のほうはリタイアされていて、今は部屋貸し業一本で生計を立てているのだが、ホームページで予約状況を見てみると稼働率はかなり高いようで、ニューヨーク近郊で夫婦二人が生活をしていくには十分な収入になっているようだった。
奥さんはアイルランド系のニューヨーカーだった。ご主人がニューヨーク大学に留学中に今の奥さんと知り合い、恋愛の末に結婚、一時は日本で暮らしていたこともあったようだが、最終的には、奥さんの“ふるさと”であるニューヨークに戻り、今はご主人もこの土地に骨を埋めるつもりでいるのだろう。
ボクが訪れた時は、奥さんが少し体調を崩されていてベストな状態ではなかったようだが、そういう奥さんをいたわりながら、夫婦二人、生きていく場所、あるいは、死んでいく場所にはこだわらないという生き様が、ボクにはとてもうらやましく感ぜられたのだ。
恋愛や結婚は、基本的には当事者二人の問題だと思うのだが、いざ実際に結婚するとなると、婚家のしきたりとか家風、隣近所のつきあいなど、いろいろなことにわずらわされる。
それも、苦にならない程度というか、あっさり乗り越えられるものであればいいけれど、稀には、そういう重圧に押しつぶされて、恋愛や結婚そのものがダメになってしまうこともある。あるいはまた逆に、しきたりや家風、隣近所のつきあい、土地柄などといったものに安住さえしていれば、それでなんとなく結婚生活を送っている気分になってしまうこともある。

生きていく場所、死んでいく場所なんて、どこでもいいのかもしれない。
好きになった人と、自由に堂々とkissをしながら生きていけたら、それで人生は十分に幸せなのかも。

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  1. 2006/07/11(火) 01:11:16|
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セットとパンツと夏のカキ

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前々から一度行ってみたいと思っていたところがあって、それは、山形県鶴岡市に残されていて一般公開されている映画『蝉しぐれ』のオープンセットだ。
原作者藤沢周平は鶴岡の出身で、彼の時代小説は庄内藩(鶴岡周辺)をモデルにした海坂藩という架空の藩が舞台になることが多く、そういった縁もあって、『蝉しぐれ』の映画化に際して鶴岡市郊外にオープンセットが組まれることになった。
ロケ終了後もこのオープンセットはそのまま現地に残されて、鶴岡の観光スポットの一つになっている。
映画のセットというのは、カメラに写る部分だけそれっぽくつくってあって、裏に回ればつっかい棒でも立てかけてあるのかと思っていたのだけれども、この『蝉しぐれ」のセットは素晴らしい。野っぱらに五軒の茅葺き屋根の集落をまったくゼロから作り上げてしまったような趣なのだ。戦前あたりまでだったら東北のどこにでもあったような農村風景が完璧に再現されている。
しかも、撮影に入る一年前にはこのセットを完成させておいて、一年間雨風にさらして、くたびれた感じの風合いを出したのだそうだ。
素晴らしいな。日本映画も捨てたものじゃないな。
『蝉しぐれ」自体は、ボクはNHKのドラマで一度観ているけれども、映画版のほうは、セット一つにもこれだけ凝るくらいだから、映像的には相当美しい作品に仕上がっているみたいで、ぜひ早いうちにDVDで観ておかなければならないと思っている。
写真ブログをやっている皆さんにもお勧めしておきたい。

うちの奥さんも藤沢作品は好きなほうなので、『蝉しぐれ』のセットを見に行かないかと誘ったら、喜んでついてきた。
ところがこの奥さん、むやみやたらに温泉に入りたがる人で、ちょっと遠くまで出かけるということになると、相談もしないうちから、バスタオルやら着替えのパンツやらを荷物に加え始めるのである。
ボク自身は実は、昔から雑誌の取材の仕事などでずいぶん温泉回りをしているので、今さらプライベートでまで温泉に積極的に入りたい気持ちはないのだけれど、たまには奥さんの温泉趣味につき合ってやらないと、彼女のストレスになるだろうから、キホンテキには、逆らわないようにしている。
今日の日曜日も、「『蝉しぐれ』のオープンセットを見に行こう」と誘っているのに、何のためらいもなく、あたりまえのようにバスタオルとパンツを用意しているのである。

往路では山形県遊佐町の「道の駅鳥海」でトイレ休憩したのだけれど、そこで奥さんの目にとまったのが岩ガキだ。
一般に、カキは冬の味覚というイメージが太平洋側の人にはあるだろうが、日本海側では、岩ガキが今が旬。港の近くでは、とれたてのカキを、その場で殻をむいて食べさせてくれる店が出る。
奥さんは、3個で千円の岩ガキを買って殻をむいてもらい、ボクが、「オレはいいよ」と言ったら、一気に3個をぺろりと平らげてしまった。こんなにカキ好き(カキフェチ?)な女だとは知らなかった。ちなみに、帰りに立ち寄った秋田県にかほ市の「道の駅きさかた」でも、ぷりぷりの生ガキにレモン汁を絞って、2個も食っている。ここまでくると、ちょっと呆れる。今夜あたり、カキの夢にうなされるんじゃないだろうか。
「道の駅きさかた」には、日本海の水平線を眺められる温泉大浴場があって、晴れて彼女が用意したバスタオルとパンツが役立ったのである。

ていうか、キホンテキには奥さんには逆らわないようにしているから…

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  1. 2006/07/10(月) 00:52:38|
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digital Love

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ボクがこのブログを始めたのは去年の8月で、ブロガーとしてはまだ新参者といえるかもしれない。
それでも何人かはおなじみさんが出来て、ネットを通して人と人が出会う妙を、改めて感じるのである。
ボクがインターネットに手を染めたのは、もう10年も昔の95年の暮れだった。これは日本では、特に地方では、かなり早いほうだったと思う。
なにしろ、秋田からインターネットに接続するのに、一番近いアクセスポイントは仙台にしかなかった。ネットに接続するたびに秋田から仙台までの市外通話料金がかかっていたのだ。
自分でホームページを開設したのも結構早かったと思う。HP制作ソフトなんてものはなく、一からタグ打ち。ネットスケープも有償で、通信販売で買い求めたのだった。
自分で撮った写真を並べるだけのホームページをやっていて、ISDNが開通して常時接続が出来るようになったころから遊びで掲示板も開いてみることになり、その頃からぼちぼち秋田でもネットが普及してきて、ボクのHPの掲示板にも地元のネットユーザーがぽつりぽつりと顔を出すようになってきた。
なかなか活況を呈してきて、「一度会ってみたいものだね」という話になり、いわゆる“オフ会”というものを開くようになった。多い時には10人以上もの人が集まり、まるでクラス会のような奇妙な連帯感で盛り上がり、その後現在に至る人脈の大半は、こうしてネットで知り合った連中が占めるようになった。
秋田出身で東京で働いている人とか、ネットで秋田のことを調べていたらたまたまボクのホームページに出会ったというような人も現われて、人づきあいの輪はどんどん広がっていった。(なぜか不思議に大半は既婚の女性なのだが、)遠方に住む彼女たちがボクらのオフ会に参加するために単身秋田に遊びにきたり、ボクが上京する時は示し合わせて酒を飲んだりすることもあった。
そういう中から、波長が合うのか、とりわけ親しくなっていくヒトも出てくるのだが、当人たちはうしろめたいとは思わないまでも、さすがに世間のすべての人が祝福してくれるわけでもなく、まるで時間や空間のわずかな隙間を見つけるようにして、二人の邂逅を歓ぶのだった。
逢っている間は、相手の想いはその一挙手一投足から感じ取ることが出来る。逢っていない間は、しばしば届くメールの行間から、想いを感じ取ることが出来る。
しかし同時に、しばらくぶりで届くメールの行間から、季節の変わり目を感じないわけにはいかなくなる時もある。
野暮な男なら、「どういうつもりなんだ? オレたちはもう終わりなのか?」などと、詰問する仕儀にもなるのだろうが、ボクならば、何も語らず触れず、そのままにしておくことを自分の流儀としたい。
ネットでつながっているというのは、まるで隣家の人と親しくなるようなもので、窓を開けてちょっと目配せすればそれだけで通じるものがあるのだが、隣家の窓のカーテンが閉められたままだと、目配せすらも出来なくなる。

ながく運用してた掲示板も、スパムが増えたりして管理が煩わしくなり、この春から、このfc2のブログサービスを借用して掲示板代わりに使っている。この「津島ブログ」は、ボクの写真趣味のためのブログだが、もう一つ、昔からの仲間との交流の場としてのブログを開いているわけだ。
ひところの掲示板のように、みんなが好き勝手に書き込みしてバカ話で盛り上がるというのではなく、ほとんどボクの独り語り。つぶやきであったり日記もどきであったり。
他の人のコメントはとても少ないから、直接的には盛り上がりに欠ける大人しいブログなのだが、ログ解析を見てみると、上で述べたような、今はほとんどメールをくれなくなったヒトが、ほぼ毎日のようにそのブログを覗きにきていることが分かる。しかも、このログ解析は訪問時刻まで記録されるので、ああ今日は昼前にちょっと覗いてみたのだなとか、ああ今日は晩ご飯の支度の前に覗いてみたのだなとか、何とはなしに向こうの暮らしぶりまで垣間見えるような気がしてくるのである。
それにしても、なぜ今になっても彼女はボクのブログを見続けているのだろうか。
もう二人のことは過去のものとして、今は違う方向を向いていてもいいと思うし、(縁があるのであれば)他の男性に夢中になっていてもいいと思う。
今の彼女の心のひだの奥にあるものが、ボクにはよく分からない。
ただの暇つぶし?
それならそれでもいいだろう。
しかしボクはボクで、彼女も読んでいることを少し意識しながら、彼女が悲しまないように、時にはにやっと笑ってもらえるように、話題を選んで言葉を選んで、ブログを続けているのだ。
少なくとも、ログ解析に彼女の気配を感じている間は。

デジタルに始まった関係であっても、1か0で終わるのではなく、その中ほどの微妙な数値で、長く引きずったりするものなのだ。

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  1. 2006/07/08(土) 16:15:05|
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背中に女房

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ボクの自宅の仕事場は、古い木造二階建て住宅の、玄関横の三畳ほどの小部屋だ。
ボクの仕事は、まあ大抵、机一つとノートパソコン一台あれば事足りてしまうので、部屋の狭さはあまり苦にならない。というか、貧乏性のボクとしては、この狭さがちょうど心地いい。
我が家は現在、ボクを入れて六人と座敷犬一匹という家族構成だが、ボクの仕事部屋に出入りするのは女房と座敷犬くらいのものなので、機密の保持の面でも、まあまあ安泰だ。
パソコンはボクにとって欠くことのできない商売道具で、写真を整理したり加工したり、原稿を書いたりそれをメール添付で送ったり、ネット検索で調べものをしたりと、超万能ビジネスギアなのだ。
というわけで、朝から晩まで部屋にこもって一心不乱にパソコンに向かっていると、同居している母親などは、「あら、うちの息子、最近忙しそうだこと。あまり根を詰めて身体壊さなければいいけど」などと心配する。
かなりしばしば、あやしいサイト巡りをしているとか、各地のお嬢さんたちとのメールのやり取りに時間を割いているなどとは、口が裂けても言えない。

ボクは今、市民活動団体のホームページづくりをしている。金にはならない仕事だけれども、ボク自身が団体のメンバーの一人なので、まあ、ボランティアのようなものだ。
ボクはMac班なので、ホームページ制作ソフトはGoLive、ブラウザはSafariをメインに使っている。
GoLiveでページをつくり、ひと作業終えるごとにSafariに呼び込んで見栄えをチェックする。
パソコンはボクにとって超万能ビジネスギアでもあるけれども、同時に、オモチャでもある。ボクの中のアソビの部分にも、パソコンは欠かせない。たとえばこのブログも、ボクにとっては、趣味、アソビの部分だ。ほんとは、このブログを見たどこかの出版社の三十代後半くらいの独身女性編集者などから、「あら素敵。この津島さんて人に何か連載の一本もお願いしようかしら」なんて仕事のオファーが舞い込んできたらもっけの幸いなのだけど、今のところそんな兆しはない。

まあとにかくそんなわけで、仕事機能とオモチャ機能が同居しているパソコンなのだが、Safariでタブを二つ開いて、一方はつくりかけのホームページの見栄えチェック用とし、もう一方はこの津島修三ブログを開いて、仕事をしながら、ときどきブログのほうもチェックしているのである。

夜半、夕食のあと、引き続き仕事をしていると、「お父さん、お風呂入らない?」と、女房が部屋に入ってきた。ボクは「うーん」と生返事をしてパソコンの画面に見入ったままだ。女房もボクの背中越しに画面を覗き込んで、今亭主が手がけている仕事を見物している。
その刹那、ボクはハタと気づいたのである。
今、画面に出ているのは純然たる仕事の部分なので、女房に見られて困るものは何もないし、むしろ、亭主のスキルを自慢したいくらいなのだが、ふと見ると、タブのところに、陰で開いているページのタイトルが表示されている。そこには、〈津島修三ブログ 妻の浮気〉…と、ある。
ログ解析を見ていると、ここ数日、〈浮気 ブログ〉という検索ワードで拙ブログにアクセスしているケースが妙に多い。浮気専門ブログを開いているつもりもないのだが、どういういきさつでそんなアクセスが多いのだろうと、「妻の浮気」というタイトルで記事を書いたページを開いたままにしていたのだ。
(あ、こりゃちょっとまずいな)…と、ちょっと焦った。仮に女房に読まれたとしても、そんなにヤバイことは書いてないつもりだが、ボクがフランス映画を好むことに対しても「軟弱な男ね」って目で見下すところのある女房だから、「妻の浮気」という文字を見ただけでも、「まだそういった言葉の周りでうろちょろしてるの?」…と軽蔑されかねない。
そんなわけで、女房が気づいたかどうかは分からないが、ボクはそっと、ブログページは陰に置いたまま、タブの×印をクリックして画面上から〈津島修三ブログ 妻の浮気〉という文字を消したのである。
ああ、気づいてなければいいけどな。そわそわ…

区切りのいいところで仕事を中断して女房と風呂に入って、話をはぐらかそうと思ったけれど、ボクが風呂場に向かったら女房はちょうど風呂から上がったところだった。
今夜は、何かにつけタイミングが悪い。

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  1. 2006/07/07(金) 02:30:28|
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月島あたり

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人間も歳がいってくると、やることが地味になってくる。
少し前までだったら、帰りの時間が心配になるくらい遠くまでクルマを走らせたり、わずかな時間を惜しんで、綱渡りのような、しかし濃密な、逢瀬を楽しんだこともあったのに、この日の行程ときたら、築地で落ち合って、勝鬨橋を渡って月島に出て、差し向かいでもんじゃ焼きを食って深川の地下鉄の駅で別れるという、なんだか、“老いらくの恋”のような塩梅だ。
たったそれだけじゃ物足りなかないかと、男のボクに問われれば、まあ物足りなくもないと答えるしかないのだが、お互いに帰るところある身なれば、無理強いもできまい。
むしろ、こんな“うすくち”の邂逅でも、そのひとときをボクと過ごすことに決心した人の、心意気を讃えよう。
いつものようにゆったりとした足取りで、いろんなものに興味が湧いてにこにこしながらきょろきょろし、つかず離れず、二人は並んで歩く。彼女が何かで立ち止まれば、ボクはその辺りで彼女を待ち、ボクが惹かれるものがあってカメラを構えると、彼女はその辺りでのんびりと待っている。

いつか一つになる恋もあるけれども、いつかは別々のところに帰っていく恋もある。
ボクにとってあれは、悪くない恋であった。

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  1. 2006/07/05(水) 18:05:32|
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潜伏期

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「しゅうちゃんのところに、遊びに行こうかな」…と、Oちゃんからメールが入ったのだった。
それがどれほど思い詰めたものか、あるいは軽い気持ちなのか分からないが、細かい詮索はどうでもいい、「おう、おいでおいで。今ならヒマだから、いつでも歓迎するよ」と返信してやった。
Oちゃんは秋田と東京の中間の街に住んでいる。だんなさんと、娘が一人。
年季の入ったキャリアウーマンとして職業的スキルは会社から高く評価されているみたいで、年収は多分ボクよりもはるかに多いはずだ。
普通だったら出会うはずもない二人だったが、そこがインターネットの魔力。当時ボクが開いていたホームページのBBSに頻繁に顔を出すようになり、お互い、パソコンを前にしながら仕事をしていることが多いこともあって、時にはふざけっこのようにひっきりなしにメールのやり取りをして遊んでいた。
結局、男と女の関係にはならなかったけれども(ボクは、何でも確認しないと気が済まないほうなので、「どうしたいの?」とたずねたら、「あなたとは男女の仲になるつもりはない」と言うので、こちらもそういう距離感でつき合ってきた)、しゅうちゃん、Oちゃんと、おたがいをちゃんづけで呼び合って、かなり意気投合した女友だちの一人としてつきあってきた。
他の仲間も交えて何度か酒を飲む機会もあったのだけど、そのOちゃんから、ひさしぶりに飲もうよというお誘いだったわけだ。

一度ものごとを決めたら彼女はフットワークがよく、自分でハンドルを握って高速道路を走って秋田までやってきた。
その彼女を迎えてから、まだ日も高いので、そのまま郊外まで走って湯船から日本海の見える温泉に入る。
そうして夜になって、彼女はネットで予約を入れておいたホテルにチェックインし、すぐに一緒に飲屋街に繰り出した。
もう何年も昔の話なので、そのとき二人でどんな話をしたかは覚えていないけれども、とても楽しい酒席だったという記憶だけはある。
これは恋愛ではないから、二人してこの先の何か一つの目標を目指さなければならないということもないし、あるいは、大切にしていたいものをいつか失うのではないかという不安を内包することもなかった。学生時代にとても仲のよかった異性のクラスメートと、お互い別々に結婚しても昔と変わらずに無邪気なくらいに仲良くしていられるような、そんな感覚でつき合っていた二人だった。
もし、もし彼女が、もっと違うつき合い方を望んでいたとしたら、それに応える準備がボクにないわけでもなかったけれども、少なくとも、自分のほうからはそういうことは切り出さないようにしていた。
楽しい酒席を終えて、夜の街を並んで歩いて(そのとき手をつないでいたかどうかは覚えていない)、ホテルの前で握手して、半日の二人のデートは終わった。翌朝彼女はホテルをチェックアウトしてそのまま自分の街に帰っていった。

Oちゃんの性分からすると、ボクとは本当にああいうつき合い方をしたいためだけにわざわざ泊まりがけで秋田に来たのだと思う。それ以上の思いはなかったと思う。
だから、二人にとって、うしろめたくもなくさしさわりもなく、申し分のないひとときであったのだが、彼女が自分の街に戻ってみると、だんなさんがとても不機嫌だったという。
それはそれでまた、痛いほどだんなさんの心情が理解できる。ボクとOちゃんのあいだには何もなかったとは言え、男友だちと酒を飲むのに泊まりがけで出かけていく妻を、無条件に認められる亭主なんて、世の中にはそう多くはないだろう。
せめて、「秋田で大勢のオフ会仲間があたしを待ってくれている」というような、上手な嘘をつくべきだった。
これは、彼女の失策だった。

そんなことがあって、その後彼女からの音信は途絶えるようになった。
自分ではやましい気持ちはないとはいえ、だんなさんの機嫌を損ねてまで好き勝手に振る舞っていいことではない。
まあ、今はしばらく、彼女は家庭にウエートをかけておいたほうがいいのかもしれない。ボクのメールアドレスは、昔も今もこれからも変わっていないので、たとえ何年先になっても、彼女がボクにあてたメールは間違いなくボクに届く。
そして、「何を今さら…」とは思わず、「おう、久しぶりだねえ。元気だったかい?」と、こともなく応えるボクがいる。

してみると、二人の関係にとって今は、一種の“潜伏期”のようなもの、なのかもしれない。

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  1. 2006/07/04(火) 01:07:22|
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カサノヴァな日曜日

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少し艶っぽいお話でもして、「こう見えても、おじさん、けっこうモテるんだぜ」…って自慢したいところなのだけど、最近は優しくしてくれるのは女房だけで、なんだかずいぶん、艶のある話からは遠ざかっているような気がする。
津島は、『艶福家』という言葉が好きだ。
手許の辞書には、「多くの女性に愛され慕われる男性」とある。ただの女たらしとはちょっとニュアンスが違うのだ。艶福家は、女を泣かせたりはしないのだ。
自分の妻を含めて、“取引口座”はいくつか持っていて、「っとにもう、このヒトったら浮気者なんだから…」などとぼやかれることはあっても、それでいて案外女性の側からも憎みきれないキャラで、別れることよりはこれからもつながっていたいと思わせる憎めない男、そういう男に、憧れるわけだ。
歴史上のプレイボーイに、カサノヴァとドンファンがいる。ドンファンは架空の人物なので、二人を並べて考察するのは適当ではないのだけれども、この二人、一口にプレイボーイといっても、まったく対極の存在だった。
ドンファンは、いわゆる女たらしで、女にだらしなく、ほんっとにどうしようもないやつ。一度でもドンファンに関わった女は、ドンファンなんて名前は聞きたくもなく、「あんなやつ、地獄に堕ちてしまえ!」と口汚くののしる。
一方のカサノヴァは、やはりプレイボーイであることには変わりはないのだが、女性の評判は至って芳しい。女あしらいがスマートなのだろう。「カサノヴァ君とだったら、これからもつきあってあげてもいいわよ」となるわけだ。
ドンファンはただの女たらし、カサノヴァは艶福家。やってることは表面上どちらもほとんど変わらないのだけど、なんていうのか、ハートが、違うのかな。

今日の日曜日。
女房が、買物に行くからつき合って、と言う。
最初に入ったホームセンターで、女房はいろいろ買い込んで、買物かごがずんずん重くなってくる。それでもって、「お父さん、ちょっと持ってよ!」と、半分怒ったような言い方をして、買物かごをボクに差し出す。
その店では、欲しいものが全部見つからず、もう一軒別のホームセンターに行くことにした。
その店でも女房は買物かごをとって、さっさとボクの前を歩いていくのだけど、買物かごがあまり重くならないうちに今度はボクのほうからさっと手を伸ばしてその買物かごを持ってやったわけだ。
どうよ。たとえて言うならば、こういうさりげない気配りが、“カサノヴァ的”なんだな。

…ドンファンとカサノヴァの話をするのに、日曜日に女房とホームセンターで買物かごをやりとりした話になぞらえて紹介することになるとは思わなかったが…

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  1. 2006/07/03(月) 02:30:09|
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カミさんの一面

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日本代表が予選リーグで敗退してから、国内のW杯熱は一気に冷めきった感がある。
これでもうちょっとでも勝ち進んでいたら、まだかなりの経済効果があっただろうから、そういう意味でも誤算だったと思っている人は少なくないかもしれない。
個人的には、一度行ったことのあるドイツか、今年行く予定だったブラジルか、そのどちらかが勝ち進んでくれたら、ちょっと嬉しいかなと思う。
昨夜のドイツ戦を観ていたけど、苦闘の末のPK戦で我が(心の)祖国ドイツが辛勝したのは、痛快であった。

ボクが仕事で一週間ほどドイツに行っていたのはかれこれ6年前のことだ。
その頃からボクはインターネットを楽しんでいて、まだホットスポットなんていうのはない時代だったけど、ローミングサービスで海外でもネットにアクセスできるらしいと聞いたので、ノートパソコンとドイツ仕様のモジュラージャックアダプターを持ってドイツに渡ったのだった。
女房には、「向こうでうまくネットにつなげたらメールを送るよ」と言い置いたのだけど、それはまあ社交辞令のようなもので、律儀にメールを出すつもりもなかったし、彼女だってそれを求めてはいないだろうと思っていた。
そもそも、当時はまだ携帯メールも普及前で、女房とメールのやり取りをするという習慣はなかったし、考えてみたら、独身時代を含めて手紙を出し合ったことも皆無だったかもしれない。だから、夫婦の間で改まって文字でやり取りするというのには慣れてなくて、照れもあった。
国内で泊まりがけの出張をする時でも、わざわざ女房に電話を入れることはなかったし、そういう意味では放任主義的な夫婦関係だった。

さて、それでドイツ。
ホテルの部屋で、持参したモジュラージャックアダプターを介して電話線とパソコンをつなぐ。
国際電話料金とは比べものにならないが、ダイヤルアップで市内電話料金がかかるので、翌朝のフロントからの料金請求額を気にかけながらネットにつなげてみる。
ドイツにいながら、秋田在住のボクあてのメールをチェックできるのは、なんだか不思議な感覚だった。
そして、少し照れながらも、女房にもメールをする。日本とドイツではサマータイムで7時間の時差があって、ドイツで夜20時にメールをすると、その時点で日本は午前3時だ。当然女房は寝ている。朝起きてからメールチェックをしたとして、それに返事を書いて、それをボクが読むのはほぼ一日後だ。
それでも、そうやってドイツと日本で女房とメールのやり取りをするのは、ちょっと面映い体験だった。
そのうち、だんだん仕事がきつくなってきた。4、5日過ぎると、連日の疲労の蓄積にその日の疲れが積まされて、へとへと疲労困ぱい。同行者がいたのだが、夕方ホテルに戻ってシャワールームの順番を待っている間ちょっとベッドに横になっているつもりが、結局そのまま明け方近くまで爆睡してしまう。
当然、女房へのメールは割愛。PCを起動させてダイヤルアップで接続してメールをチェックしたり書いたりするという気力もなくなっている。
そうやって、丸一日のブランクをつくった時に、日本の女房から怒りのメールが届いたのだ。「なんで昨夜はメールをよこさなかったの?!」…と。
これはちょっと意外だった。一日メールをさぼったくらいで気にかけるような女房ではないと思っていた。どちらかといえば、「メールは、書きたけりゃ書けばいいし、書きたくなかったら書かなきゃいいし、あなたの好きなようにすればいいわ」くらいに淡々と考えているのだと思っていた。
へえ、外国にいる亭主から一日メールが届かないとむしゃくしゃするか。我が女房にもそういう一面があったのか…。

ちょっとだけ、女房が愛おしく思えた瞬間だった。

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  1. 2006/07/02(日) 00:56:36|
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微妙な嫌悪

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陰口のような話になっていささかうしろめたいが、おそらくその人はこのブログを目にすることはないだろうから、当人の心証を害することはないものとして、そっとここで触れておきたい。
ボクは、自分のほうから「つきあいましょう」と女性にアプローチすることはほとんどなく、そういう意味ではいつも受動的。メールやらなにやらのやり取りの中で、相手のほうに、もうちょっと近づきたいという気配が感じられた時に、「ボクでいいのであればいくらでもおつきあいしますよ」と、おずおずと。
だから、たとえば最初のうちは盛り上がっていて途中から少しトーンが落ちてきても、「ああ、そろそろ飽きられたのだな」と、こちらの諦めも早い。

そんな風にして、たとえばメールのやり取りをしているうちに東京辺りに女友だちが出来る。用事でボクが上京することになった時は、「じゃあ、一度逢いましょうか」ということになる。場合によっては、その人に逢うことが主たる目的で、上京の用事というのはあとからとってつけたようなものであったりすることもある。
逢うとか逢わないとか、逢って何をするかとかいうことは、少なくともボクにはあまり大きな問題ではなく、メールなどを介して、離れたところに住んでいるもの同士でも気持ちの通じる関係になれるということに、ちょっとした醍醐味を感じているだ。

ある時も、しばらくメールでやり取りをしていてかなり親しくなった女性(既婚でまだ子どもはいなかった)と上野駅で落ち合うことにした。印象としては、ちょっと“心の線の細い”感じのする人だった。
直接的には初対面でも、ネット上のつきあいがしばらく続いたあとで会ってみると、まるで古くからの大親友ででもあったかのような感覚になってしまうのは、ネットコミュニケーションの不思議な力なのかもしれない。
駅前でお茶を飲んで、そのあとは何か希望はあるかとたずねたら特にないというので、上野本郷界隈を徘徊しながら写真を撮ってみたかったボクに同行してもらうことにした。
そうして夕方までの半日、軽く一杯飲んで別れるまでの間、密会といえば密会、デートといえばデートともいえる楽しいひとときを過ごしたのだ。

その後、秋田に戻ってからも仲のいいメール友だちの関係でいたし、彼女の気持ちが萎えた時には励ましたり慰めたりしていたのだ。
そのうち、彼女から、「チャットで知り合った男の人とドライブしてきた」という報告が入った。
この時点で、ボクは彼女に対して一気に興ざめした。
恋愛は人の自由だと思うから、彼女が他の男性と接点を持つ事自体は、ボクはとやかく言うつもりはない。
ただ、その時の彼女の行動が、あまりに拙速に過ぎると感じられたのだ。心の線の細い人だとは前々から感じていたのだけど、彼女の行動には、心の渇きを癒すためなら手当たり次第…という風に、思えて仕方なかった。がっかりしたのである。
同じような感覚でボクに近づいてきてたのだとしたら、願い下げにしたかった。

ボクのほうから交際を断った、数少ない女性の一人だ。

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  1. 2006/07/01(土) 01:31:11|
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