津島修三ブログ

カメラマン兼ライター津島修三のブログ

心の段差

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作家としての取材の目的だったのだろうが、檀一雄は昭和26年に捕鯨船に乗って南氷洋に向かった。
半年ほどの長い船旅だ。
長い船上生活で、時間だけはたっぷりあって、いろいろと考えることもあって、檀は奥さんに長い長い手紙を書いた。
時期的には『火宅の人』の連作が始まる前で、つまり、彼がまだ例の“事”を起こす前のことであり、檀家、および夫婦の間は、比較的平穏な時期のことだったと思われる。
檀はこの手紙の中で、「この先、特別なことがなければ、この手紙であなたにいろいろと約束をして、それで遺書を兼ねることにしたいと思うので、この手紙はずっと保存しておくのがいいだろう」というようなことを書いている。
いつか“事”が起きてしまうことを檀は予感していたのか、あるいは、“事”を起こす心の準備があって、“その時は妻に対してどういう責任を取りたいか”を前もって宣言する意味合いがあったのか…。
(分からない人のために簡単に説明すると、『火宅の人』は、家庭のある小説家檀一雄に愛人が出来て、その一部始終を檀自身が生々しく描写した連作小説であり、前々から好意を寄せていた女性といよいよ抜き差しならない関係に陥ったことを檀は“事を起こした”と表現しているのである)

長い長い手紙の最後のセンテンスで、檀はこう綴っているのである。原文のまま書き写してみよう。

- - - -
 以上、洗いざらい色んなことを書きましたが、しかしもう何年生きるか、憫(あわ)れな人間同士であってみれば、なるべく仲良く一緒に、乗りかかった船とあきらめて、死ぬ迄信じ合って生きてゆきたいものですね。
 それには、もっとお互いに愛情の技巧に気をつけ、電車に乗る時には一緒に掛け、腕を組んで野山を歩き、月や花を愛し合い、時には立った接吻を交わし、夜の愛撫にも慰め合い、いたわり合い、お互いのよろこびの源泉を深くし、お互いのよろこびを教え合い、ヤキモチを焼かず、深く信じ、事破れた時には率直に、なつかしい昔の夫婦だったという立場から相談し合うことに致しましょう。

- - - -

上記の一節は、沢木耕太郎の『檀』からの引用だが、この本の中の檀の奥さんの述懐によると、奥さん自身は昔のタイプの女で、身の回りの世話や、夜のシトネに呼ばれれば素直に応じるなどの夫に尽くすことは厭わないが、自ら感情をあらわにしたり、夫の前で淫らになるというようなことは苦手だったのだ。並んで歩く時も腕を組もうとはしなかったし、電車に乗る時も間に子どもを挟んだりして決して夫とくっついて座ろうとはしなかった。
それを夫檀一雄は物足りなく思い、小さな不満にしていたのだ。
その小さな不満が、妻をおざなりにして愛人の許に走るきっかけの一つにされたら、なんだかたまったもんじゃないな、という気がしないでもない。
しかし案外世の中の多くの夫婦には、傍目には平穏で幸福そうに見えても、目に見えないわずかなわずかな“心の段差”が、あったりはするのではないだろうか。
普段は軽々と乗り越えているけれども、ときどき不意にその段差に蹴つまずいて「ちっ」…っと舌打ちしてしまうような。
さりとて、どんなに分かり合った夫婦でも、その段差をゼロにするのは難しい。不可能かもしれない。譲れないものもある。
せめても、段差があることを気づき、忘れず、できるだけできるだけ、蹴つまずかずに過ごしていくように心がけるしかないのかもしれない。

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  1. 2006/06/29(木) 23:30:38|
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ツシマノシゴト 6

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『手わざのコラボ』

 新潟県村上市は“鮭の町”である。
 朝日連峰朝日岳に源を発し村上で日本海に注ぐ三面川(みおもてがわ)は古来より鮭が遡上する川で、この地には古くから鮭の食文化が定着していた。今からおよそ二百五十年前に鮭の母川回帰性を世界で最初に発見し、「自然ふ化増殖」の方法を発案したのが村上藩下級武士の青砥武平次という人物であったし、明治十一年にアメリカのふ化技術を導入して日本で最初に鮭の人工ふ化に成功したのもこの村上だったそうだ。
 村上の人たちは鮭をこよなく愛し、編み出された鮭料理の数は百種以上、鮭の一人当たりの消費量は村上市が日本一なのだという。
 加工される鮭は、切腹の連想を嫌って腹は全部切らずに途中の皮をつないだままにしておく。また、他地と違って頭を下にして尾を吊るして干す流儀も「首つり」を想起させないためなのだとか。いかにも城下町らしい伝統だ。
 そんな鮭文化のメッカ村上市の鮭製品の老舗「味匠喜っ川(みしょうきっかわ)」では、鮭の加工の際に用いる桶樽の類いはすべて天然秋田杉製と決め、昭和十年生まれのご主人自ら、秋田県能代市や二ツ井町の桶樽職人の仕事場に出向いて特注品の制作を依頼している。
 喜っ川主人哲〓(てっしょう ※しょうは魚偏に生)さんの秋田杉への惚れ込みよう、こだわりは尋常ではない。なぜプラスチック等の容器ではいけないのか、他の木でつくった桶や樽ではいけないのか。
「秋田杉の赤身の柾目が一番なのです。赤身の部分に含まれるゲルマニウムには酵素を活性化させる働きがあって、それが村上の鮭の味を引き出しているのであって、柾目でも白身ではダメだし、まして板目ではプラスチック容器と同じでここまで鮭の味は引き出せません」
 驚いた。情緒的なこだわりでもなければ郷愁めいたものでもなく、“科学的に言って”秋田杉の赤身の柾目でつくった桶でなければ納得のいく味は出せないと言うのだ。造林杉では目が粗過ぎるのでやはり天然杉でなければダメなのだとも言う。

 喜っ川に天然秋田杉の桶樽を納めている能代市の小野志朗さんは七十二才。桶樽一筋五十有余年のベテラン職人だ。「商売が下手で」と自嘲しながら、弟子も取らず事業拡張もせず、一人で黙々と天然秋田杉の桶樽づくりに打ち込んできた。あと何年かすると天然秋田杉は枯渇すると言われている。「そうなったらこの仕事も辞めどきだな」と、志朗さんは寂しいことを言う。秋田杉の桶樽は大切に使えば数十年は持つというから、ただちにこの世から天然秋田杉の桶樽が消えてなくなるわけではないだろうが、秋田にはとてもかけがえのないものがあったことに僕たちは気づくのが少し遅かったのではないかと、悔やまれて仕方ないのである。

[キャプション]
喜っ川では、秋田杉の桶で塩漬けにされたあとの鮭が天井から無数につり下げて干されている。桶は用途によって柾目板目を使い分けている。この村上の鮭の味が新潟と秋田の職人のコラボレーション(共同作業)の賜物かと思うと少し誇らしい気持ちになる

#2006年1月 『郷』Vol.56掲載

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  1. 2006/06/29(木) 00:00:22|
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恋は、まったり

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最近、仲のいい若い女性のデザイナー3人と立て続けに雑談をする機会があったのだけど、ちょっと意外だったのは、この3人ともがAB型だったということ。
統計的にどうなのかは分からないけど、もしかしたら、クリエイターにはAB型の人が多いんじゃないだろうか。
ボクも一応カメラマンを名乗っているけど、優柔不断なO型なので、「え、この写真、やっぱ、だめですか。使えませんか。そうですよねえ。いいですいいです。撮り直しますから。他にも気に入らない写真があったら遠慮なく言ってください」…って、ちっともクリエイターっぽくない。
「この写真のどこがいけないんですか。気に入らないんだったら他のカメラマン使ってください。ただし、着手金はもらいますからね」なんていう強気な言い方は絶対できないのだ。
自分の仕事であまりいい評判がとれないと、「ああ、やっぱオレには才能がないんだ」…と、三日ほど寝込んだりする。
O型は、たぶんクリエイター向きじゃない。AB型のように、誰に何と言われようと自分の道を行く…って気性の人のほうがいい。(融通が利かなくて周りが苦労するけど)

クリエイターとしては大成するかもしれないけど、さて、恋愛となると、AB型の女性はどうなのだろう。
自分のスタイルがはっきりしている分だけ、相手のちょっとしたことが引っかかって仕方なく、それでしばしば揉めたり、直球でしか勝負できない自分自身にいら立ったりとか…ということはないのだろうか。あるいは、うまくいかない恋を何度か繰り返しているうちに、次第に恋に臆病になってしまったりして。
その点、O型のオヤジは、クリエイターでは大成しないけれど、結構まったりできるレンアイをする機会は多かったかなあ。ほとんど終わってしまった恋だけど、みんな、悪くない想い出だ。

何型であれ、みんな幸せになってほしいんだけどな。
よし、こうなりゃ乗りかかった船だ、おっちゃんが人体実験に一肌脱ごう。ちょいとかりそめの恋のシミュレーションをしてみようじゃないか。
とりあえず、そのうち、カクテルバーにでも行ってみよう。
どこからでも遠慮なくかかってらっしゃい。
(…って、ただのオヤジのナンパか?)

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  1. 2006/06/27(火) 23:41:52|
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誰も幸せにならない恋

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ボクは今、沢木耕太郎の『檀』という本を読んでいる。
これは、『火宅の人』で知られる檀一雄の未亡人に入念な取材を重ね、ほとんどが檀自身の実体験に基づいている『火宅の人』について、妻の立場から回想した内容になっている。
『火宅の人』本編を読んだ時も感じたことだけど、『檀』を読んで改めて思うのは、檀一雄が男としてとても不器用な人間だったということ。
寂しがり屋で甘えん坊で、どこか母性本能をくすぐって女性と親密になることはあっても、結局それは自分自身の依存心を満たすためだけのものであって、相手の気持ちを大切にするとか相手の幸せを考えるとかいうところまでは気持ちが向かない。相手は相手で、どこかで檀に惹かれるものがあるから、ダメ男だと分かっていてもなかなかはっきりと縁を断ち切れない。
そうして最後にはみんなぼろぼろに傷ついて、消耗戦のような恋の終わり方をする。
誰かを傷つけて新しい恋に走るのなら、せめて新しい恋の相手を最高の幸せに導けばいいのに、そういうこともできない。だらしない恋をだらだらと繰り返すだけだ。

人生は一度きりなんだから、恋は(そして、結婚も)、自分や自分の周りの人が幸せになるためにこそしなくっちゃダメなんだよ。

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  1. 2006/06/27(火) 00:48:39|
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女房をうしろから抱っこする

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明日我が家に遠方から客がある。
ボクも他の予定は入れず、男鹿半島にでも案内してナマハゲや日本海を見せてやろうかと、そわそわと待ち受け態勢に入っているのだ。
この客人は、ボクら夫婦が迎えることになる客なのだが、我が家はボクの両親と同居で、ずぅっと長い間ボクの母親が“大黒柱”のように家の中のことを仕切ってきたので、今回も、この母親がかなり“前面に出てくる”勢いなのだ。
もう70を過ぎて、すぐに疲れる体質なのだから、たいていのことは嫁に任せて、手が必要な時だけ力を貸してくれればいいのに、昔も今も、自分が物事の中心にいないと気が済まない性分の人なのだ。嫁、つまりボクの女房も、しばらくはこの姑の性分になじめなかったが、今では、「ああいう性格の人だから」と、あまり逆らいもせず、気にも留めず、少し距離をおいて姑を冷静に見られるようになっている。

そして今夜だ。
女房がふくれっつらでボクの仕事部屋に入ってきた。
「おかあさんが、明日は仕出しを取ろうって言い出したのよ」
あまり料理が得意ではない女房も、明日は自分の手料理でお客さんをもてなさなければならないと思い、今夜のうちから山菜の下ごしらえをしていた矢先だった。
「結局おかあさんは、あたしのやることが何でも気に入らないんだわ」
「うーむ、また始まったか。あの人は一度言い始めたら聞かない人だからね。しばらくしたら、さすがに言っていることに無理があると気づいて軌道修正したりするんだけどね」
ボクは、イスに座ったまま、女房を膝に座らせ、うしろから抱っこして、腹をさすったりおっぱいをさすったりしながら、憤懣やるかたない女房の怒りを鎮めてやろうとする。
そのあと女房とどういうやり取りをしたか、細かい台詞は忘れてしまったが、とにかくボクは気休めを言って彼女のご機嫌を取ろうとし、しまいに彼女はあははと笑い声を上げ、けろっとしてしまった。
そうだ、けろっとすることが一番なんだ。

けろっとした気分で、明日と明後日の二日間を、女房と乗り切ろうと思う。

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  1. 2006/06/24(土) 01:42:31|
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光太郎の哀切

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今週の冒頭、ボクは岩手県花巻市の志戸平温泉に遊んだのだが、その帰り道、高村記念館に立ち寄ってみた。
花巻は、東京のアトリエを空襲で失った高村光太郎が、宮沢賢治の親類を頼って戦後の数年間を過ごした土地で、現地には彼が住んでいた頃の住居が当時のまま大切に保存されていて、記念館では作品や身の回り品の展示で人間高村光太郎の実像に一歩理解を深めることができるのだった。
恥ずかしながら津島は、記念館の展示品の中で、高さ30cm足らずの小さなブロンズ像『裸婦座像』にひどく惹かれるものを感じたのだった。他の展示品はさらりと一瞥するだけだったが、裸婦座像だけは、結局二度も戻ってしげしげと見入ってしまった。このブロンズ像の制作年は1916年で、その2年前に光太郎は智恵子と結婚しているから、おそらく智恵子をモデルにした彫塑ではなかっただろうか。二人は本当に愛し合った間柄だったようだから、愛する者の想いと愛される者の想いとがこの小さなブロンズ像から伝わってきて、ボクの足を引き止めたのかもしれない。

知っての通り、智恵子はのちに不幸な病気を患い、二人の結婚生活は20年余りで終わった。
智恵子の没後、六十を過ぎて花巻で閑居していた光太郎は、智恵子を想い、『裸形(らぎょう)』という詩を書いている。


智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。
つつましくて満ちてゐて
星宿のやうに森厳で
山脈のように波うって
いつでもうすいミストがかかり、
その造型の瑪瑙質に
奥の知れないつやがあった。
智恵子の裸形の背中の小さな黒子まで
わたくしはいみふかくおぼえてゐて、
いまも記憶の歳月にみがかれた
その全存在が明滅する。

わたくしの手でもう一度、
あの造型を生むことは
自然の定めた約束であり、
そのためにわたくしに肉類が与へられ、
そのためにわたくしに畑の野菜が与えられ、
米と小麦と牛酪とがゆるされる。
智恵子の裸形をこの世にのこして
わたくしはやがて天然の素中に帰らう。


惚れた女の裸に焦がれ、それを抱けない今となっては、せめて彫塑でその裸体を再現しようと試みるのだ。
それは、芸術家の創作意欲というよりは、心底人に惚れた者だけが陥る、狂気に近い執着心のようなものだったのかもしれない。

そんな矢先、青森県から、十和田湖畔に建てる十和田国立公園功労者記念碑の制作依頼が光太郎に入る。光太郎は、ここぞとばかりに(智恵子をイメージした)裸婦像の制作を提案する。そうして完成したのが、現在の十和田湖畔休屋の「乙女の像」だ。
訪れたことのある人なら分かるだろうが、「乙女の…」という名前にはいささか似つかわしくないような、ふくよかなおばちゃん体型の像だ。あれは、光太郎にとって、智恵子そのものなのだ。詩にうたわれた智恵子の「裸形」なのだ。

生涯に、ちゃんと誰かを愛せた人を、ボクは羨ましいと思う。
さて、ボクは、愛する人に、何を遺せるだろうか。

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  1. 2006/06/22(木) 23:25:40|
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彼女はタダでスタ☆レビを観れたのに

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結婚して間もない頃の話。
ご多分に漏れず、ボクたちはよく夫婦ゲンカをした。
今でこそお互い、性格はかなり丸くなったけど(丸くしてなけりゃ夫婦なんてやってけないと悟ったから)、当時はまだ言葉も感情も直球でしか勝負できず、ちょっとでもカチンとくることがあると、即、冷戦状態だ。
ボクたちのケンカは、大声を出してなじったり、手を上げてしまうような攻撃的なケンカではなく、むすっとして何日でも口をきかない陰湿なケンカだ。
彼女に粗相があって、それをボクが不愉快に思い、そこで彼女から詫びのひと言でもあれば、まあ、ことなきを得るのだけれども、彼女も負けん気が強い人だから絶対に自分から折れようとはせず、対抗して口をきかない作戦に出る。そういうふてぶてしい態度がいっそうこちらの神経を逆撫でし、最初はほんの小さなきっかけだったはずなのに、めちゃくちゃに長期戦の冷戦になったりするのだ。ボクのほうに非がある逆パターンもあったけど。

冷戦モードになると、ボクは、彼女と同じベッドで寝るのが嫌になり、リビングのソファで寝たりするのだった。ソファで寝るというのは、「いかに今回の事案について不快な思いをしているか」をアピールする、ハンガーストライキのような意味合いが、ボクにはあった。
ただ、あとになって考えてみると、夫婦ゲンカをした時にソファで寝るのは、いつもボクのほうだけだった。「あなたと同じベッドで寝る気にはなれないわ」などと、女房のほうが他の部屋で寝ることはただの一度もなかった。これってなんだか、イキオイ的に、ボクのほうが負けてるってことではないか? なんてふてぶてしいアマなんだ!

あるとき、その夫婦ゲンカの真っ最中に、秋田でスタ☆レビの公演をやることになった。
彼女はスタ☆レビのファンなのである。
有名ミュージシャンが秋田で公演をやることは滅多にない。彼女も見たいのではないかと、ボクは思った。
ケンカ中の女房にご機嫌を取るなんて冗談じゃねえ…と思ったけれども、それとこれとは別、ケンカはケンカとして、彼女はスタ☆レビを見てくればいい、とボクは思った。
それで、プレイガイドでチケットを一枚買って、クルマのダッシュボードにのせておいた。口に出しては言わなかったけれども、「ほらよ、チケット買っておいてやったから、コンサート見てきな」…っていうことだ。
ところが、公演が迫っても彼女は何の反応も示さないし、ついに公演が終わってしまっても、チケットはダッシュボードにそのままになっていた。
ったくもう、人の好意を無駄にしやがって…

ずいぶんあとになって、そのときのことを思い出しながら二人で話し合っていたら、彼女は、「誰があんな手で丸め込まれるものか」…と思っていたそうだ。
なんでそう卑屈な取り方をするかなあ(^^;
目の前にタダのチケットがあるのだもの、憂さ晴らしを兼ねて楽しんでくれば良かったじゃないか。楽しんだあとは、引き続き気が済むまでケンカを続けてもいいのだし。

結局、ボクはチケット代が死に金になってしまったし、彼女はお気に入りのスタ☆レビのコンサートをタダで見損ねてしまった。
こういうのを業界的には、“高い授業料”と、言う。(ま、そんなに高くはないけどね)

あのころはお互い不器用で、何かあると一触即発だった。
まあ、高い授業料を払い続けてきたおかげで、最近は少しは学習効果が現われてはいると、思うのだけれど。

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  1. 2006/06/21(水) 23:08:07|
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帰ってくれ!〈心の叫び(笑)〉

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うちの女房との結婚前の日々の話が出たついでに、その頃の笑い話をもう一つご紹介しておこう。
結婚前の2、3ヶ月は、週末にはボクが彼女のアパートに泊まるというのがパターン化していたのだけど、そんな夜に、あるとき別の男性が彼女のアパートに訪ねてきた。
高校の時のクラスメートのようだった。
彼女とは深い仲というわけでもなかったようだが、田舎の高校生というのは男女関係なく“幼なじみ的感覚”でつるんで遊ぶことが多いので、その延長線上で、社会人になってからも連絡を取り合ったり、たまには遊んだりするものだ。彼も、“同性のだちっこ”に近い感覚で、ときどき彼女のアパートに遊びにきて、彼女のほうも、つまらぬ意識もせずに部屋に上げていたのだろう。
ボクは彼女とはまだ数ヶ月のつきあい。彼と彼女はもう5、6年のつきあいになるだろうから、こっちが断然“後発”だ。
彼は、いつものように何げなく遊びにきただけだろうから、部屋に別の男(ボク)がいることには関係なく、ずかずかと部屋に入ってきた。
ボクはボクで、彼と彼女の他愛ない話が済んでよき頃合いに彼が帰っていってくれれば何も問題はないわけで、部屋の隅っこで一人黙々とテレビを見ていたりするわけである。

ところがその彼が、なかなか帰らないのだ。
もうほとんど話す話題もなくなっているのに、不自然なくらい遅い時間になっても彼は腰を上げようとしない。
思うに、彼は、ボクのほうが先に帰るだろうと読んでいたのかもしれない。
ボクが帰ったあとになって、「おいおい、アイツは何者なのだ? アイツとはどういう関係なのだ?」などと彼女に聞きたかったのだろう。
そのボクが一向に帰る気配がないものだから、彼的にも、「こうなりゃ持久戦だ」って気分になったのではないだろうか。

持久戦も何も、いい加減帰ってほしいのである。そのあとにこっちはすることもあるんだし…。
こっちは、半分眠くなりかけているのだ。
それでも彼は帰らない。
まあ、オトナなら、“空気を読む”ということもするものだけれども、逆にあの時の彼は、「こうなりゃ意地でも帰りたくない」とか、思ったのかもしれない。案外彼も、少しは彼女に気があったのかな?

冗談抜きでボクは本当に眠くなって、「悪いけど、オレ、寝るから」と言ってコタツで横になった。ま、ほとんど、狸寝入りである。このあと、彼はどう出るかと。

ほどなくして、「じゃ、帰るから」と言って、彼はやっと腰を上げた。
それは、負けを認めたようなものである。無念であったろう。お気の毒に。

あのとき、彼ではなくボクのほうを選んだのが、彼女にとって正解だったのかどうかは分からないけど、とりあえず、四半世紀も一緒に暮らす間柄になっちまいました。

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  1. 2006/06/21(水) 00:01:23|
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しのび逢い

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月曜日から一泊二日で温泉の取材なんである。
仕事で温泉に行けるなんてうらやましい、などとよく言われるのだけど、これがどうして、なかなかしんどいのだ。
ボクの取材は、一人で行って、写真もまんべんなく撮ってこなければならないし、話を聞いたり自分のインプレッションを混ぜたりして記事も書かなければならないので、滞在中はずっと緊張の連続。“命の洗濯”どころか、帰ってくるとどっと疲れ果ててしまう。しかも、帰ってきたらすぐに原稿を書かなければならないから、書き上がるまでは気が抜けない。
ひどい時には、温泉に取材に行きながら、気ぜわしくて自身では一度も風呂に入らずに帰ってきてしまうこともある。
確かに、仕事とはいえ、タダで温泉に泊まってうまいものを食って風呂に入ってふかふかの布団で休んだりするのだから、仕事の部類としては恵まれているほうかもしれないけど、たまにはプライベートで泊まって気兼ねなくのんびりまったり過ごしたいと思うのは、贅沢な悩みだろうか?
特に今回は、仕事がちょっと立て込んでいて、宿に泊まりながら別件の原稿を一本仕上げなければならなかったりする。
今回の取材先は、普通に泊まれば一泊25000円もする高級温泉旅館のようなのだけれど、そんな優雅な宿に泊まりながら、あくせくあたふたと過ごさなければならないかと思うと、一層我が身が哀れなのである。
この温泉取材は今回で30回目となる長期の連載で、正直、中にはスカな宿もあったけど、逆に、ほんとうに良くて、「ああ、やっぱ、こういう宿は、ご婦人と二人きりで泊まりにきて、しみじみとした夜を過ごすことだよなあ」…なんて思わせられることもある。
この場合のご婦人とは、奥さんでもいいし、他に志願者がいるのであればそういう方でも構わない。(あくまでも、妄想の世界ですから)

そうそう、そういえば、独身時代につきあい始めたガールフレンド(今の奥さんなんだけど)のアパートに泊まりにいくと、たまに彼女は、「今夜はただ(何もしないで)腕枕だけで眠りたい」などと言い出すことがあったのだ。
若いボクは、おいおいそりゃないだろう、と思うのである。オトコがオンナの部屋に泊まるということは、もっとほら、なんというか、こう、めくるめくファンタジーな、イベントがあるでしょうよ、と。
かなり後年になってからは、何もしないで腕枕だけで夜を過ごすということにも抵抗はなくなったけれども、血気盛んなあの頃は、非常に苛立ったまま悶々とした夜を過ごしたものだった。(彼女の意向に逆らってまで自分のしたいようにできる力関係ではなかったので…)

まあ、めくるめくファンタジーになるのか、何もしない腕枕だけの夜になるのかは、その時になってみないと分からないけど、“お忍び旅行”に使えそうな宿、たっくさん知ってるんだけどなあ…
でも、自分で使えそうなチャンスは、まるでねえんだよなあ…(^^;

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  1. 2006/06/19(月) 02:02:30|
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和む恋

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今日はクルマで1時間ほどのところに仕事に行ってきたので、行き帰りはラジオでFMを聞いていた。
若者向けの番組で、若者の恋の悩みに答えるコーナーをやっていた。
今日の相談者は十代の女の子で、「そろそろ大学受験の勉強に本腰を入れなければならないのだけど、好きな男の子のことが気になって全然勉強に身が入らない。どうすればいいんでしょうか?」というような内容だった。
それに対して、出演者や一般の人たちが意見やアドバイスを寄せるのだけど、ボクに言わせれば、こういう人に対しては、そもそも的確なアドバイスなどできない…としか言えないのではないかと思うのだ。
なぜなら、今その子がしている恋とかいうものは、自分の人生の益になるような恋ではなく、ふらふらと夢遊病者のように得体の知れないものにうなされているだけのような恋でしかないのだから。つまり、既に精神状態が尋常ではないのだ。精神状態が尋常でない人に、ああしたほうがいいこうしたほうがいいなんてアドバイスしたって、なんの意味があるだろうか。
このことは、この子だけが特別ひどい…ということではなく、人は誰でもしばしば、尋常ではない精神状態に陥ってしまうものだ。
十分に分別のある年齢に達しているはずの女性が韓国のタレントに夢中になって家庭や日常をおざなりにしてしまったり、老人ホームの中で好意を寄せている異性が他の同性といい仲になっているのではないかと邪推して刃傷沙汰になったりもするのだ。
恋心やそれに準ずる感情は、しばしば“心の病気”すれすれのものになる。

無神経で残酷かもしれないけど、ボクがその十代の女の子に声をかけるとしたら、「あんた、そりゃ無理だよ」と、言ってしまいたい。
「あなたは、彼のことを想う気持ちを、自分の中では瑞々しい恋心として“美化”したいのだろうけど、ほんとの恋って、そんなもんじゃない。恋にときめくなんてのは、ひよっこなんだ。ほんとにちゃんとしっかりとした恋をしたものは、その恋でむしろすごく落ち着くんだ。その恋で和むんだ。愛する人がそばにいてくれるから、自分は安心して今やらなければならないことに集中できるんだ。それが、ほんとの行き着くべき恋なんだと思うよ。悪いことは言わない、今のあなただったら、彼か進学か、どちらかを諦めることだ。それが嫌だったら、今からでも遅くはないから、“愛する人が見守っていてくれるから、心安らかに受験勉強に集中できる”…っていうような、人と人が愛し合うことの真髄を、目指してみることだな」

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  1. 2006/06/18(日) 01:20:48|
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幾通りもの恋の成就

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津島は今、シニア世代を対象にして活動を行うNPO(申請中)に参加していて、これからはこの活動のために割く時間も増えてくるのではないかと思っている。
そういう中で、いつか取材してまとめてみたいと思っていたテーマが一つある。
それは、高齢者の恋愛事情だ。
たとえば、だんなさんに先立たれて未亡人になって慎ましく生きてきた女性がいるとしよう。その、世間からは“おばあちゃん”と呼ばれるような年齢の女性が、ある日、恋をする。まさか自分がそういう状況に陥るなどということは予想もしなかったのに、気がついたらいつの間にか自分は、どっぷりと、“恋する乙女”になっていた。

さてどうするか、だ。
この恋に、突っ走っていいものかどうか。
子どもたちは、「世間体が悪い」と言って絶対反対するかもしれない。
いつか自分が死んだら亡夫と同じ墓に入ることになるはずだったのに、他の男性と本気の恋をしてしまったらどうすればいいのか。
ややこしいことになるまえに、すっぱりとこんな恋は諦めてしまったほうがいいのかもしれない。だけどそれで自分は絶対後悔をしないのだろうか…

津島の私見で言わせてもらうと、恋はじゃんじゃんしたほうがいいと思う。
子どもたちが嫌がるのなら、アヴァンチュールのように、何食わぬ顔をして陰でこっそり濃密な時を過ごす関係でいるのもいいかもしれない。
逆に、自分が子どもの立場なら、「いいよいいよ、その人がほんとうに好きなのなら、残りの人生はその人と一緒に生きたらいいよ。墓のこととかは、これからゆっくり考えよ」と、言ってやりたい。
さらに、ボク自身が彼女の熱愛の相手ならば、「ボクたちは一生“恋人”のままでいいんじゃないだろうか。あなたには子どもたちもいるし、亡くなっただんなさんもいるんだから、最後はだんなさんと同じ墓に入ったらいいと思う。ボクは、あなたと一緒に過ごす時間を持てたというだけで十分に幸せなのだから」…という言い方をしたいのだけど…。

人を好きになってしまう気持ち、それは我慢するべきものではないかもしれない。
人を愛おしく思う気持ちをどう昇華させればいいのか、そういう考え方をするのも、恋における“前向きな考え方”なのだと思う。

-秋田県にかほ市 元滝 -

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  1. 2006/06/16(金) 01:26:54|
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七つ下がりの恋

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七つ下がりの雨と四十過ぎの道楽は止まぬ…という言い回しがある。
荷風の墨東綺譚(ぼくとうきたん。墨は正しくはサンズイに墨)には、…中年後に覚えた道楽は、昔から七ツ下がりの雨に譬えられているから…という一節がある。
七つとは、今で言えば午後4時頃。午後4時頃に降り出した雨はなかなか止まないものだ。それと同じように、歳がいってから覚えた道楽もなかなか止めようにも止められないもの、といった意味になる。この場合の道楽とは、まあ、男女のことと限定していいだろう。

ボクの友人Kは、まさに七つ下がりの恋の味を覚えたクチ。
Kはそれまで、所帯を持つ者が(あるいは、所帯を持つ者同士が)連れ合い以外の者と懇ろになるなどということは、あってはならないことだと考えていたし、そんな輩を見かけると激しく唾棄し、もちろん、自らも、そんな妄想など、みじんも脳裏をよぎることはなかったのだ。みじんも?! さて、それはどうかな。ちょっとはよぎったかもしれない。でも、彼にはそれを行動に移す度胸はなかった。一度も?! さて、それはどうかな。…ま、いいや。
Kにとっては、七つ下がりが新しい恋の始まりだったことは、かえって良かったのではないかと思う。
歳がいけば、それなりに思慮も働く。無軌道に無茶もしない。人生が後半に差し掛かっているという自覚があるから、せめてそういったことどもを、悪い方向には向かわせず、いい想い出にしなければという思いが強い。相手のヒトにも、少しでもいい想い出にしてもらえればという心根で接する。
この期に及んで女房を泣かせる真似もしたくない。だからいっそう女房も可愛がる。

いい気なもんだとあざ笑う人もいるだろうが、降り始めてしまった雨は、濡れつつ濡れつつ、楽しむしかあるまい。
  1. 2006/06/14(水) 19:03:50|
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前向きな気持ち

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あるとき、こんな出来事があった。
ボクが温泉取材の記事を載せている雑誌の編集長から、「実はね、温泉に入浴中のところを君に写真に撮られた…っていう、匿名の女の人からの電話があったんだよ」と、教えられたのだ。
青天の霹靂。
いくら根がスケベな男とはいえ、ほんとうにそんな盗撮まがいなことをしていたら、ボク一人の信用問題だけでなく、取材先の温泉や雑誌の信用にも関わってくる。もしボクが魔が差してそんなことをやって露見してしまったら、結局自分の仕事の口をなくすだけの自殺行為だから、100%あり得ないことなのだ。
「事実無根で、ただの嫌がらせか何かだと思う」というボクの言葉を編集長は信じてくれて、その場はそれでおさまったのだが、これといって人に恨みを買うようなことをした記憶もないし、なんでボクが攻撃の対象になったのか、不可解でとても気持ちの悪いことだった。

ほどなくして、電話の主を絞り込むことができた。
その人は、それまで時々会って酒を飲んでいた我々の仲間内の男の、奥さんだった。
ことの発端は、この男の浮気。
奥さんにばれないように,うまくスマートに浮気を楽しむのならそれも男の甲斐性かもしれないが,この男はへたくそな浮気をして奥さんにばれてしまい,しかも、ばれたあとに開き直るような態度までとってしまったみたいなのだ。
奥さんはもともと繊細な神経の持ち主だったようだが,このことで激しく混乱し,どうやって調べたのか(亭主の携帯のメモリーを盗み見したのだろうが)、ある日突然ボクに電話してきて,いかに苦しい思いをしているかを延々とボクに語って聞かせたのだった。ボクはボクなりに,どういう考え方をすれば気持ちの整理がつくかということを話して聞かせた。あのときは一時間あまりも電話していたのではなかっただろうか。
その後もときどき携帯にメールが入ることがあり、その都度ボクは,どういう考え方をするのがあなたがた夫婦にとって最善なのかということを,ボクなりに述べていたのだ。

それで彼女の混乱もおさまったものだと思っていたのだが,その矢先の例の嫌がらせの電話だった。
つまり、ボクは相変わらずアヴァンチュールそのものは容認するスタンスをとっているわけで、彼女からすれば,「口先だけでは取り繕っているけれども,夫に浮気をされた妻の気持ちも分からない最低男」ということになるのだろう。だからこの男を陥れてやろう…と。

これを、“後ろ向きな考え方”、と言う。
一番大事なのは,夫婦の平和で幸せな関係をどうやって取り戻せばいいか、ということではなかったのか。そういう出発点から物事を考えていかなかったら,誰にも益のない不毛な消耗戦になってしまうだけだ。
現実,夫婦間の問題をすっきりさせられないこの男は,我々としてはもう仲間として認められなくなってしまったし,奥さんはもう,まったくお話しにならない、と。
前向きな気持ちのない人に差し伸べる手などないのだ。

人は実際,いつも“前向きな気持ち”と“後ろ向きな気持ち”の狭間で迷う。
たとえば、最近ちょっと素っ気なくなったような人には、ついつい嫌みなひと言も言いたくなってしまうものだ。「どうせオレのことなんか、もうどうでもいいんでしょ?」などと(^^;
でも、言われる側からすると,そういう言い方をされると却って一層気持ちが冷めてしまいかねないのだ。どんどん悪循環に陥ってしまう。
嫌みを言いたくなる気持ちをぐっと堪えて,いかに「今でもあなたのことを大切に想っている」…ということを伝えるか…。
人を愛するってことは,そういうことなんだと思う。

神様は,前向きな気持ちの人の人生しか,味方しないのだ。

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  1. 2006/06/12(月) 23:48:32|
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恋のログ解析

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自分のやっているホームページやブログにログ解析を組み込んでおくと、わざわざコメントを残してくれなくても、誰が見に来てくれていたか、大体見当をつけることができる。
厳密には個人を特定するところまではいかなくとも、ホスト名から推理して、「ああ、これはあの人だな」…と、判断することができるわけだ。
そんなこんなで、こちらもひそやかに一喜一憂しているのだ。
「あ、この人、ひさしぶりだなあ」とか、毎日のように朝7時過ぎにはアクセスしてくれた記録が残っていて「ああ、彼女は今日もいつも通りのおだやかな一日が始まったのだな」などと、ちょっとほのぼのとしたりして。
そうかと思えば、なじみの人が最近になって顔を見せていない様子が分かってくると、自分にあまり自信のないボクとしては、「とうとう嫌われちゃったかな」などと、寂しい気持ちになったりもする。

出会いに別れはつきものだとしても、しばらくメールのやり取りも途絶えて「オレたちはもうこのままフェードアウトなのかな」と思い始めているときに、その人からのアクセスログを見つけると、「あ、まだこちらに向けている思いも少しはあるのだな」と、一人で有頂天になるのだ。完全に終わりにしてしまいたい恋ならば、もう二度とこちらのホームページやブログを見ることもないだろうから。

終わりかけている恋には、男と女では男のほうが未練がましいのではないかと、(女性に)言われたことがある。
一概には言えないと思うのだが、ボク個人に限って言えば、けっこう未練がましいほうかもしれない。
本当に終わってしまった恋ならばその現実は受け入れなければならないけど、一度は想いを寄せた人であれば、たとえほんとうに終わってしまったものだとしても、終わってしまったあとでも想いを寄せ続けていたっていいんじゃないか、と思う。

それくらいは、失恋者の自由にしてほしい。

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  1. 2006/06/12(月) 01:26:13|
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再会

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苦い終わり方、あるいは、冷め切った終わり方をした相手ならば、できれば二度と逢う機会などないほうがいいと思うものだが、人はしばしば、悪くない距離感のまま一旦は終わることもあるわけで、そういう相手との、時を置いての偶然の再会などは、なかなか心地よいものである。
たとえばうちの女房は、高校卒業後、名古屋のちょっとした大きな会社に就職して、数年で秋田にUターンし、それからもう四半世紀以上が過ぎているのだけれども、何年かに一度、その時の同期の人間で集まろうという誘いが来て、女房は嬉々として名古屋に飛んでいく。女房にとっては、四半世紀も昔にわずかな時間を過ごしただけのその同僚たちとの思い出は、とてもかけがえのないものなのだろう。

その伝でいけば、恋も、たとえそれが終わってしまう恋であっても、何年後かの偶然の再会がとても甘酸っぱい心浮き立つものであるために、あまりしこりを残さない終わり方でありたいものだ。

長く長く続く恋もいいけれど、たとえ短い恋であっても、何年後かにそこから第二章がはじまるような、そんな再会の楽しみのある恋もいい。

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  1. 2006/06/11(日) 01:48:24|
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封印

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最近は女性をモデルにして写真を撮ることはめったにないが、昔は、モデルを同行させて温泉取材に行くということがよくあった。
たいていの場合は一対一だったので、ちょっとだけ、ガールフレンドとドライブをしているような気分を味わわせてもらうことができた。当然ながら宿の部屋は別々にとるので、あくまでも“気分”だけなのだが。

そんな風にして、例によってモデル同行の温泉取材の話が決まり、急なことだったのでちょっとだけ知り合いの女性に、「モデルになってもらえないか」と頼んだら快諾を得た。
それで、山の秘湯に二人で取材ドライブに出かけたのだが、この子はなかなか肝のすわった子で、普通だったら入浴シーンではバスタオルを身体に巻き付けての撮影になるところを、彼女は、そんなめんどくさいものはいらないと言うのだ。ボクがよほど信頼されていたのか、たとえ自分のハダカの写真が世の中に出回ったって自分は自分…と達観していたのか。
そんな次第で、かなり自然な撮影ができて、カメラマンとしては非常に有り難いことだと思ったのだった。
問題はその夜だ。
ビールを飲みつつ差し向かいで夕食を済ませると、仲居さんが「お部屋はどのようにしますか?」と、聞いてくるのだった?
「へっ?!」
どのようにもなにも、最初から一室ずつ別々にお願いしますと言ってあったはずなのだが…。
仲居さんが言わんとしていることは、「うふふ、なんだったらお二人一室でも、こちらは一向に構わないんですよ。うふふ、えへへ」…みたいなことなんだろう。
め、滅相もない…と言いかけたら、このモデル、「あたしは一緒の部屋でもいいけど」と、しれっとして言う。
あの、ボク、こういうことには、あまり慣れてないんですけど…。

しかし、ここまで包囲網を敷かれてしまったら、「いや、やはり別々に」とも、なんだか言い出せない。無粋である。
「じゃ、じゃあ、この部屋に布団二つ敷いてください」

その夜のことは、酔っていたのですっかり忘れてしまったが、爽やかな朝があけて、何事もなかったように淡々と二日目の取材が続き、そして無事に帰着して解散となったのだ。

これは、恋ではない。
彼女とは友だちだと思っていたし、温泉から帰ったあとも変わらず友だちとして彼女を見ていた。
ただ、あの温泉取材の二日間のあまりに自然な展開に、ボクは感銘すら覚えていて、「ああ、なんだかこういう関係も悪くないなあ」と、思い始めていたのだった。
そうして、今度プライベートにドライブに誘ってみようかなと思っていたところ、唐突に彼女は他の男友だちにプロポーズをされたのだった。
恋愛感情を持っていた相手ではなかったので、突然のプロポーズには困惑していたようだったけれども、自分の年齢のことなども考えて、そのプロポーズを受けることにしたのだった。
こうして、ボクと彼女のプライベートドライブは、“マボロシ”に終わってしまった。

それから何年かしてボクが会社勤めをしていた頃、毎朝決まった時間に通勤でクルマを走らせていると、ボクの前を見慣れたクルマが走っていることがしばしばあった。
彼女のクルマだ。どうやら、子どもを保育園に送っていくところのようだった。
どこかで声をかければ、彼女も気づいて、昔を懐かしがってくれるかもしれなかったが、結局ボクは声はかけないことにした。
カッコつけ過ぎと思われるかもしれないけど、彼女の今が幸せだったらそれでいいじゃないか、と思ってしまう。
彼女のあらわな肢体が写っているポジはまだファイルの底のほうにしまわれたままだが、永遠に人目には触れない、封印された二人だけの記憶だ。

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  1. 2006/06/09(金) 00:26:14|
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風邪に喘いで

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季節外れの風邪に苦しめられている。
咳、鼻水、鼻づまりがひどい。
こんな重症でも、我が家では普段通りに夜は女房とWベッドで寝る。
それでも未だかつて、女房がボクから風邪を移されたということがない。
つねづね、神経の図太い女だとは思っていたけれども、すぐ横でゲホゲホ咳き込んでいる亭主と一緒に寝ていても風邪を移させないのだから、気質もさることながら、体質的にもなかなかの女だ。
こんな女房でも、昔は生理が重くて、毎回一日二日は横になっていなければならなかったし、こっちがいたわってやらなければならなかったけど、そのころに比べたら、ずいぶんと逞しくなったものだ。
進化論的な意味で、彼女も〈進化〉を遂げたのかもしれない。
「こういうときは汗をかいたらいいのよ」と言って、蜂蜜ホットドリンクをつくって飲ませてくれたりする。
そういうやさしい気遣いは、咳き込んでいる亭主の隣で平気でタバコを吸う豪放磊落さとは矛盾するようにも思うのだけど、まあ、そのあたりは“進化の途上”ということで、大目に見ることにしよう。
もうすぐ結婚記念日だし。

- 碓氷峠にて -

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  1. 2006/06/08(木) 01:15:46|
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cup and saucer

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我が家のカップボードの奥のほうに、今はあまり使っていないコーヒーカップがしまってある。
何年か前のボクの誕生日に、ある人からプレゼントされた品だ。
女の名前の差出人で家に送るのは差し障りがあるだろうからと気を回して、当時ボクが働いていた職場に架空の会社名で送られてきたものだ。
ボクはその前からネットのオフ会にもよく顔を出していて、女の人たちと酒を飲んだりメールや電話のやり取りをすることも珍しくなかったから、女房もそういうことには慣れていて、誕生日に女の人から贈り物があったからといって別段騒動にはならないのだけど。(美味しいものでも入っているのじゃないかと、ことわりもなく先に封を切ってしまう悪い癖が女房にはあったけど…)
何はともあれ、そのコーヒーカップは、しばらくはそのまま職場に置いて、仕事中はそのカップでコーヒーを飲んでいたのだった。
コーヒーが好きだと言っていたボクの話を聞いていて、誕生日にはコーヒーカップを贈ろうと決め、どんなカップなら津島さんにお似合いだろうとあれこれ迷いながら品定めをしている彼女の姿が思い浮かぶことだった。
四十を過ぎてから他の男性と親しい間柄になることがあろうとは、彼女自身思いがけず、戸惑いつつもふわふわと浮き足立つような彼女の心模様が、こちらまで伝わってくるようであった。
彼女からの誕生日のプレゼントは、3年ほど続いただろうか。
その都度、何があの人にお似合いだろうと真剣に品定めをしている彼女の気持ちが、しくしくと伝わってくるのであった。
その後、彼女からのプレゼントは途絶えた。
彼女の中でのボクのプライオリティ(優先順位)が後退してきているのだろう、とボクは理解している。
家庭であったり仕事であったり趣味であったり(あるいは他の男性であったり)と、人はプライオリティが目まぐるしく移り変わる。それは、その人自身の魂が決めることだから、変わってしまったことにはあらがうことはできない。
いや、むしろ、今が本来の彼女の日常であって、僕と出会った頃は、大人になってから罹ったハシカのように、発熱して何かに幻惑していただけなのかもしれない。
やっと彼女は平熱に戻ったのだ。

彼女との秘密の旅も、もうそろそろ終点が近いのだろう。
寂しくないと言えば嘘になるが、帰るところがある人はちゃんと帰してやらなければならないし。

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  1. 2006/06/07(水) 00:21:58|
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去る人に花

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すごく長生きをする人もいれば、あっけなく夭逝する人もいるように、恋にも、寿命というものがあるのかもしれない。
それは人智では抗えず、命運に身を任せるのみ。
なじんだ人が自分から離れていく、あるいは、いつのまにか遠くに感じられるようになるのは、寂しいことであり腹立たしいことであり、つい、その人を怨んでしまいたくなる。
そんな後ろ向きな感情をぐっと抑えて、どれだけ最後をスマートに終えられるか。
「君と出会えて楽しかったよ」などと作り笑いをしたりする。
ほんとうは心の中では泣いているのだけど。

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  1. 2006/06/06(火) 02:16:15|
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迸る - hotobashiru -

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ボクたちはブレーキペダルに軽く足を添えて、いつでも止まれる準備でクルマを走らせている。
もし、「もうやめよう、ブレーキに足を添えながら走り続けるのは…」と思ったら、その瞬間から、果てしのない暴走が始まる。クルマも恋も。
どくどくと、胸も頭も顔も、たぎって熱くなっていく感覚。溢れて溢れて迸って、ただ奔流に身を任せるしかない情念。
たとえば強く乳房を揉みしだけば、「痛い」とあなたは叫び声を上げる。それでももうボクは、力を緩められなくなってしまっている。
あなたの柔肌に食い込むほどの、ボクの指先の力。
うっすらと、血がにじむほどの、狂ったような恋に身をゆだねたくなる、たとえば満月の夜などは。

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  1. 2006/06/05(月) 00:17:28|
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渡船場で待つヒト

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約束はできなかった。
出向いた先でなじみの女とひめやかな時間を持つのは甘美なものだが、どうしても仕事のついでになってしまい(それ自体、どこか相手にうしろめたいわけだが)、また、仕事の展開次第では、逢う約束をしていても反古になってしまう危険もある。それではあまりに彼女が可愛そうだ。

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「そっちまで行くんだけど、逢えるかどうかは分からないんだ。天気次第で予定が狂うかもしれないし、仕事がどれだけ順調にいくか、まるで見当がつかなくてね。もちろんボクは君に逢いたいから、どうにかして時間はつくりたいんだけどね。うまくいったら連絡するけど、ダメでも怨まないでくれよ」
「分かってるわ。あたしも逢いたいけど、仕事が優先だものね。ううん、皮肉じゃないのよ。逢いたいって言ってくれるだけであたしはうれしいんだから。相変わらずあたしはまだ携帯を持ってないけど、その日はずっと家にいるから、いつでも電話をちょうだい」

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けなげな女である。
そんなにしばしば訪れられる土地でもなく、やはり彼女には逢っていきたい。
そんな想いとは裏腹に、午前中は天気が優れない。ボク個人の仕事だったらこの程度の曇り空でも平気でビデオカメラを回してしまうところだが、クライアントの社長は曇り空の絵を嫌う。天気のことは仕方ないじゃないかと言いたいのだが、曇天下で撮ったビデオテープを納品するといつもねちねち言われるのだ。予報では晴だと言ってたのだ。陽射しが出るまで粘るしかない。
昼頃になってやっと高岡市上空に太陽がのぞいた。ボクは急いで金屋町の千本格子の町家の家並を撮影したのだった。それから雨晴海岸に向かったのだが、晴れているにもかかわらず遠方が霞んでいて、立山連峰は姿形も見えない。これでは、〈雨晴海岸から望む立山連峰〉という定番の絵はがきショットは撮りようがない。どうしたものかと、東京のクライアントに電話をしたら、「撮れないならしょうがない。金屋町の絵だけでいいよ」と言うので、その時点であっけなく仕事は終わってしまった。

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よし、それではこれからデートだ。
彼女の家に電話しよう。
「もしもし、あ、ボクです。今仕事が終わったんだよ。きみのほうは、これからの時間大丈夫? ええとね、今伏木なんだけど、これから中伏木から万葉線で越ノ潟まで行って、渡し船で堀岡に行くから、よかったらきみ、堀岡で待っていてくれないかなあ」
わかった、じゃあ今から出かける準備をするわ…という、彼女の弾んだ声。

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今は第三セクターの路面電車としてJR高岡駅前と越ノ潟を結んでいる万葉線は、もともとは越ノ潟からさらに東に線路が延びていて、別の軌道会社との相互乗り入れの形だったが富山駅前までつながっていた。ところが、富山新港の開削のため越ノ潟と堀岡の間に水道ができて線路が分断、万葉線は越ノ潟が終点となり、堀岡から先は廃線となった。

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そして、越ノ潟と堀岡の間は路面電車やバス時間に接続して富山県営の無料の渡船がつないでいる。かつては運賃20円をとっていたらしいが、運賃をとるためのコストが高くつくとかいう理由で無料になったらしい。

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越ノ潟と堀岡のあいだはわずか3分ほど。地域住民の生活の足として、自転車ごと乗り込む人も多い。今、この両岸を結ぶ橋の建設が進んでいて、完成の暁には、風情のあるこの渡船も廃止になるようだ。
堀岡の渡船発着場に、見慣れた彼女のクルマ。ああ、久しぶりの彼女。
彼女の腰に手を回しながら、
「君に逢いたくて、天の川を渡ってきました」…つまらないジョークを言うボク。

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彼女のクルマに乗って国道8号に出て、沿道のガストに落ち着くボクたち。
逢えるか逢えないのか分からないのに、逢ったら不思議なほど話すことがたくさんある二人。
時間はあっという間に過ぎていく。
少し表情が翳っていく彼女。テーブルの上にのせているボクの右手に彼女の左手がかぶさる。
「泊まって、いけないの?」
「すまない。明日には秋田で仕事があるんだ。どうしても今日のうちに富山を離れないと」

誰かを幸せにしてあげたいのに、逢うごとに誰かを哀しませているようで、少しだけ、ボクの胸が痛んだ。

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そして… [渡船場で待つヒト]の続きを読む

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  1. 2006/06/03(土) 22:27:56|
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待ってろよ、万葉線

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富山県は市街電車が2市で3社も走らせており、“隠れ鉄道オタク”としては、ちょっとした垂涎の地なのである。
四月に仕事で富山に行った時も、街中を走っている電車を眺めているだけでもうきうきと心躍ったのだけれども、仕事が忙しくて、三日間の滞在中一度も乗ってみることはできなかった。滞在最終日の夕方、高岡駅前。すべての仕事のスケジュールを終えて、「ああ、乗りたいなあ。でも、今から電車遊びしてたら、帰着が遅くなるものなあ」…。
時刻表を眺めて、ぎりぎりまで電車遊びを画策しながら、結局涙をのんで写真を撮っただけで帰ってきたのだった。

その後になって、ボクの富山での仕事に小さなミスが発覚し、クライアントは、「それだけのためにわざわざもう一度富山に行くほどでもない」と言ってくれたのだけど、こちら的にそれではちょっと後味が悪く、お金はいりませんからもう一度行かせてください、とこちらから申し出たのだった。
富山まで往復のガソリン代だけでざっと八千円ほどかかる。それはこちらの自腹。でもそれで自分の仕事にけじめをつけられるのなら安いものかも。
今回はスケジュールがタイトではないから、うまくいったら高岡の市街電車・万葉線に乗ることもできるかも。
〈仕事上のけじめをつけるため〉というより、実は電車が目当てなんじゃないか?…という、困った中年オヤジなのである。

というわけで、今からいってきます!

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  1. 2006/06/01(木) 16:54:46|
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