
来月、ニューヨークに行く予定がある。
海外はおろか、県外に出る機会すら滅多にない身としては、年甲斐もなく嬉しくってしょうがないのである。
以前僕はビデオ制作会社で働いていて(カメラマンではなくディレクターだったが)、東京の会社から依頼を受けてドイツに取材に行ってきたことがある。
(今回の写真はそのときのフライブルク市の市電)
それはもう5年も前の話で、その後その会社からは仕事の話はなかったのであれっきりかと思っていたのだけど、今年6月になって、「ニューヨークの取材があるんだけど、行く?」と突然電話が入ったのだ。
取材の内容やスケジュールを確かめるまでもなく「行きます!」と即答した。
もちろんちゃんと仕事はしてこなければならないのだけど、その合間を縫っていろいろな写真を撮れることだろう。それがなによりの楽しみなのだ。
今はビデオ機材もコンパクトになって、ドイツの時は3人クルーだったけど、今度のニューヨークは僕一人だ。一人の方がかえって小回りがきいて都合がいい。
ドイツに行ったときに取得したパスポートは5年用だったので、ちょうど今年の春に失効したばかりだ。改めて取得し直さなければならなかったりして何かと気ぜわしいけど、さっそくガイドブックを買ってきたりして、遠足前夜の子供のような心地で浮き足立っている。
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- 2005/09/26(月) 22:37:05|
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上の写真、実はかれこれ20年近くも昔に撮ったもの。
最近は仕事の写真も趣味の写真もデジタルで撮っているので、10代の頃から撮りためたネガやポジは、ちょっと宙ぶらりんな存在になっている。
Macにつないだフィルムスキャナーも滅多に使わない。
たまにスキャナーを動かしてみようかと、テキトーなポジを引っ張り出してきたら、昔撮ったカーレースの写真だった。
あのころ僕は田舎の雑誌社に所属していて、カーレースの主催会社に取材に行ったら、「プレスカード出しますよ」というので、マジメニシュザイスルというよりも、いろいろ面白い写真が撮れそうという思惑で、ぜひ!とお願いしたのだった。
今でもレースクィーンというのはいるのだろうけど、相変わらずこんなハイレグのレオタード姿なのだろうか。もう少しおとなしくなっているのではないだろうか。
なにしろあの頃はバブル経済真っ盛りで、レオタードのおねえちゃんがサーキットを闊歩しているのが当たり前の光景だった。レイトンハウスやワコールだのがレーシングチームを持っていた。
可愛いヒップのおねえさんたちも、今はもう四十代のはず。
幸せに暮らしているかな?
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- 2005/09/22(木) 17:58:26|
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今夜は、ダブルベッドに独りで寝る。
おとといの夜、妻がぽつりと言った。
「日曜日、一泊で出かけてきたいんだけど…」
ほとんど間髪を入れず僕が「いいよ」と答えたものだから、妻は逆に拍子抜けしたみたいだった。
どこに行くのかとも、誰と行くのかとも聞き返されないものだから、「心配じゃないの?」…などと言ってくる。
僕は、「別にぃ」と、答える。
彼女には仲良しの奥さん連中がいるから、今までのように、彼女たちと連れ立っての小旅行なのだろう。
いちいち行き先とか同行者を明示して亭主の許しを請うまでもない。
実を言えば、僕はもう一つ先のことも考えている。
たとえば、妻が、仲間との旅行という口実で、もっと秘めた関係の人物との秘めた旅行をしようとしているのではないかと。
おそらく、世の多くの亭主族は、「うちの女房に限ってそんなことは絶対あり得ない」と言うか、「そんなことは絶対許さない」、と言うのかもしれない。
でも、僕は、そういうことがあったっていいんじゃないか、と思うのだ。
彼女は縁あって僕という男と結婚したけれども、もしかしたら僕と出会うはるか昔、たとえば学生時代の同級生なんかとほのかな想いを寄せ合っていたかもしれない。クラス会などで再会したとき、もしまだお互いの中に、惹かれ合うものがあったのだとしたら、それは今の自分の立場の手前、我慢して押さえ込まなければいけないものなのだろうか。
僕はそうは思わないのだ。自分の帰るところがどこなのかをはっきりと分かっているのであれば、人生少しくらい寄り道したっていいじゃないか、と。
彼女は確かに僕の妻ではあるけれども、彼女の少しくらいの人生の寄り道には、いちいち目くじらを立てたくはない、と思う。
彼女が僕の妻だからこそ、彼女には幸せでいてほしい、と思う。
だから、「どこへ行くんだ?!」、「誰と行くんだ?!」などといちいち詰問調に質そうとは思わない。
彼女には苦しい言い訳や嘘はつかせたくない。彼女には悔いのない人生を送ってほしい。
だから、彼女から根掘り葉掘り聞き出そうとは思わないし、旅行から帰ってきてまたいつものように同じベッドで寝られたら、それで十分じゃないかと。
まあ現実問題、十中八九、いや、九分九厘、彼女はそういう秘めた行動をすることはないだろう。もし亭主にまったく気配を感じさせずにそのようなことをしているとしたら、むしろ賞賛してやりたい。「裏切られたっ!」などとは思わない。
人生は一度きりなのだから、人は「幸せな人生にしたい」ということに貪欲であっていい、と思う。
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- 2005/09/19(月) 02:35:33|
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『終の住処(ついのすみか)』
ヴィクトル・スタルヒンという名のロシア人をご存じだろうか。
戦前から戦後にかけ日本のプロ野球界で大活濯したスター選手だ。彼の一家が日本で最初に生活を始めた地、北海道旭川市では、昭和五十七年に市営野球揚をスタルヒン球揚と改名している。このことからも、彼が偉大な野球選手であったことと、今でも旭川市民に深く敬愛されている人物であることがうかがい知れる。
しかし、彼の(わずか)四十年の生涯は、決して栄光に彩られたことばかりではなかった。むしろ、不遇の連続。日本人よりも日本人らしいといわれた温和で明るい人柄から、周囲の多くの人々に親しまれていたが、彼の心にはいつもすさま風が吹いていたのではなかったろうか。
ロシア革命で幼いスタルヒンの一家は亡命を余儀なくされ、転地に次ぐ転地の未、旭川市に住みついた。地元の学校に通い、天性の運動能力から野球部のピッチャーとして頭角を表し、スタルヒン少年は市民の誇りともなったが、旭川を離れたくない彼の意に反して強引な方法でプロ野球界に引さ抜かれ、野球選手として活躍はするものの、時局の悪化で「須田博」と日本名に改名させられたり、そうかと思えば、彼自身が望んだ日本国籍の取得は生涯かなえられず、戦中は敵性外国人とみなされて軽井沢に幽閉。この不幸な時代に耐え切れなくなった最初の妻レーナとは、昭和二十三年に離婚している。
失意のスタルヒンは、その年の東京のロシア人クラブのクリスマス・パーティーで高橋久仁恵という女性と出会い、すぐに恋におちる。
久仁恵さんは中国ハルビンの生まれだが、父親は秋田県雄物川町の人、母親はやはりロシア革命で追われた亡命ロシア人だった。戦中、雄物川町の実家(崇念寺というお寺)に疎開していた久仁恵さんだが、戦争が終わると母親とともに東京に戻り、戦前からやっていた洋裁の仕事を再開したところだった。
昭和二十五年に二人は結婚。野球選手としてはピークを過ぎていたスタルヒンだったが、事業家の才覚のあった久仁恵さんは、さまざまな事業を手がけながら夫の心のよりどころになっていったのである。先妻の子供ジョージの世話もしていたという。
昭和三十年にスタルヒンはプロ野球の世界から引退、そのわずか二年後に突然の交通事故で四十歳の若さで亡くなった。短く儚(はかな)いスタルヒンの生涯だったが、晩年に秋田の血を引く女性と出会えたことが、彼の魂にとっては唯一の救いだったのではないだろうか。
「老後は秋田の自然の中で暮らしたい」と言っていたという彼の願いはかなえられなかったが、彼の魂は今、雄物川町崇念寺の墓所で安らかに眠っている。もちろん、最愛の妻久仁恵さんとともに。
[キャプション]
スタルヒンと久仁恵さんが新婚時代を過ごした東京青山同潤会アパート前でのスナップ。日本人より日本人らしいといわれたスタルヒンの温和な人柄と、気丈な女性であった久仁恵さんの人柄が、二人の腕の組み方にも表れているようでほほ笑ましい。(秋田県雄物川町崇念寺本堂にて撮影)
#秋田さきがけ コミュニティー マガジン『郷』Vol.51掲載(2005年3月)
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- 2005/09/16(金) 02:05:21|
- ツシマノシゴト
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時間はボクに味方してくれているのだろうか、刃向かっているのだろうか。
二人の絆が太くなっているのか(あるいは、せめてあの頃のままなのか)、
少しずつ痩せ細りつつあるのか、どちらとも判然としないまま、
秒針の刻む音が、不安を掻き立てることがある。
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- 2005/09/13(火) 03:58:56|
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“墓場まで持っていく秘密”…という言い方がある。
その言葉の響きの重々しさとはうらはらの、
心浮き立つ時間のあることを、知ってしまった人たちがいる。
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- 2005/09/12(月) 02:18:54|
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ここに、一人の女性を写した2枚の写真がある。
写した季節と場所が違うだけの、同じ人を写した写真。
だけれども1枚は、
僕がまだその人に口づけもしていなかった頃の写真。
もう1枚は、初めての口づけのあとの写真。
シャシンというものには、そういう、他の人には見えないものまで、写っている。
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- 2005/09/11(日) 02:12:03|
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久しぶりに再会した私たちは、どちらからともなく自然に手をつなぎ合って、街をそぞろ歩く一日を過ごしたのだった。
私たちは、手をつなぐことが相応しい間柄だったろうか。
それには疑問が残るだろう。
もしその光景を、私か彼女の知人に見られでもしたら、「えっ、何? どういうこと?」…と、激しく困惑させることだろう。
その知人が想像力の逞しい人なら、その光景に嫌悪し、あるいは憎悪するかもしれない。
しかしながら、当の手を握り合っている者同士の心のうちは、なんと自然で穏やかなものだったろう。
何も追わず、何からも逃げず、何も隠さず、何も誇示せず、私たちはただ当たり前のように手をつなぎ合って、街をそぞろ歩いた。
帰るところがある者同士の、それはもう一つの“帰るところ”、だったのかもしれない。
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- 2005/09/08(木) 00:47:27|
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小動物というものは、おおむね非常に警戒心が強い。
自分より大きなものと出くわすと、ためらう間もなく逃げ出す。
種の保存のために、自然に身に付いた処世術だ。
つまらぬことに命を懸けたりはしない。
自分の命が危険にさらされそうになったら、何はさておきその危険を回避する。
プライドも何もあったもんじゃない。
カマキリだけはちょっと違う。
カメラを向けて近づいていっても逃げ出そうとしない。
それどころか、こちらを威嚇するような仕草までする。
踏みつけたら一瞬でぺちゃんこになってしまうというのに、カマキリはなんであんなに強気でいられるのだろう。
「命根性」という言葉ある。
「あいつは命根性が汚い」などという言い方をする。
以前会社勤めをしていた頃、ヘリコプターに乗る仕事があった。
それは本来は同僚の担当だったのだけれども、同僚は激しく尻込みした。
自嘲的に、「俺、命根性汚いもの」…と言った。
高いところが怖いという人もいるし、事故の不安もある。
でも、仕事なら普通は腹をくくって業務に就くところだろう。
その業務を放棄することになるヘリ搭乗拒否は、まさしく命根性の汚いもののなせる技だ。
僕はその逆で(「命根性がきれい」という言い方はあまりしないみたいだけど)、高いところに登ったりヘリやセスナに乗るのが大好きだ。
万が一事故に遭ったらどうするんだと言われたら、「その時はその時だ」と答えるしかない。
ヘリの話があった時も、最初から僕は乗りたくて乗りたくてうずうずしていた。
本来の担当である同僚が尻込みしたので、「ちぇ、しょうがない。じゃあ、僕が乗るよ」…と、内心有頂天で引き受けたのだった。
カマキリも、あれも性質的に「命根性がきれい」な生き物なのだろう。
強力な武器を持っているわけでもないし強いものに立ち向かって無事でいられる可能性も少ないけれども、「その時はその時だ」なんて、カマキリはココロの中で思っているのかもしれない。
というか、カマキリの子供が卵からおぞましいくらいに大量に孵るところをみると、一匹や二匹の無鉄砲なカマキリのガンとばしの結末など、カマキリ界にとっては、取るに足りないことなのかもしれないけど。
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- 2005/09/03(土) 02:14:08|
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夏が、終わろうとしている。
暑い暑いと言っているうちに、その暑い夏が終わろうとしている。
小さなことだけれども、この夏、ボクは一つ学習した。
それは、“暑いときはシャワーを浴びろ”…だ。
今までは、あまり頻繁にシャワーを浴びる習慣はなかったのだけれども、今年の夏は、朝目覚めて身体が汗ばんでいたらまずシャワーを浴びる。日中家にいてじっとり汗ばんできたらすぐにシャワーを浴びる。夜帰宅して体が汗まみれになっている感覚だったらまずシャワーで汗を洗い流す…。
汗が洗い流されると汗腺が解放されて皮膚呼吸が復活する感じがする。
それに、いわゆる“打ち水”と同じ理屈なのか、シャワーあとの己の体感気温がずいぶん涼しく感じられるのだ。
なんだか、シャワーが癖になりそうだ。
女性と食事などしていて、少し蒸し暑く感じてきたら、「僕は今、無性にシャワーを浴びたい!」…などと叫んでしまいそうだ。
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- 2005/09/01(木) 02:16:16|
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