
改めて思い返してみると、ボクが結婚したのは1979年のことであった。
今の女房と知り合ったのはその前年の初冬のことであったから、少なくとも1978年の夏までは、恋人もおらず、もちろんフィアンセなどもおらず、毎年夏休みには、大好きな北海道への単身貧乏旅行が恒例行事になっていた。
秋田駅から一週間有効の周遊券を買って(そのころのボクは東京暮らしの学生だったけれど、一旦秋田に帰省してそこから北海道旅行に出ていた)、寝袋とカメラだけを持って、風の吹くまま気まま、その日最後にたどり着いた駅の軒下を借りて野宿するという、今だったらホームレスに間違えられてもおかしくないような旅人であった。
1977年の夏も、そのようにして道東を旅していて、旅も数日目、さすがにホームレス同然の旅人もにわかに風呂に入りたくなってきたのである。それで、今となっては記憶が定かではないのだけど、標津か、あるいはその周辺にあったユースホステルに、一夜の宿を頼むことにした。
その夜は、ベッドで休むことが出来て風呂にも入れて、久しぶりに人心地がついたのである。
ユースホステルに泊まる人間というのは、みな近い波長を持っているのか、初対面でもすぐに親しくなる。
一夜が明けて、所在なさそうにしているやつに、「今日はこれからどうするの?」と聞いてみたら、「野付半島に行ってみようかと思ってる」と、言う。
「あ、そう。そこって面白いの? ボクも行ってみようかな」。
野付半島は、知床半島と根室半島の中間でオホーツク海に突き出た砂嘴(さし)。
立ち枯れしたトドマツが世紀末的な景観を見せる観光スポットであった。
2枚目にご覧いただく写真には、その野付半島で記念写真におさまる5人の若者が写っている。

この5人こそ、その日の朝、ユースホステルで「じゃあ今日は一緒に野付半島を回ろうか」と、急遽結成されたグループであった。前日まではまったく縁もゆかりもなかった者同士。
この中に、若き日の津島も写っている。
ボクが三脚を立てて、みんなで撮った記念写真なのだ。
旅から帰ってから全員にこの写真を送呈したのだけれど、それぞれ礼状はもらったはずだが、今となっては、どこに住むどんな人だったかは、まるで思い出せない。
野付半島観光のあと、バスで標津の駅前まで戻り(当時はここまで国鉄の路線があった)、そこからは知床に行く人、網走に行く人、釧路に行く人、バラバラになるので、駅前食堂で5人で一緒に食事をして、名残を惜しんだのだった。
食堂のおばちゃんが、茹でエビをごそっとサービスしてくれて、5人して「うめえ、うめえ!」とむしゃぶりついた思い出が懐かしい。
30年も前の記憶なのに、こうして写真で見るとつい昨日のことのように思われてしまうのも不思議なことだ。
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- 2008/05/23(金) 23:19:09|
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タイムスリップシリーズ第2弾。
昔撮ったフィルムをスキャンして再生するというのが面白くなって、またまたやっちまいました。
今回はこれくらいにしておきますが、今後も時々遊ばせてください。
これも1977年の撮影。
ほんの31年前だけど、なんだかまるで、昭和初期かあるいはそれ以前の写真みたい。
右奥の小屋の入口にある洗濯機(二槽式!)が、かろうじて時代考証の手がかりになるか。
場所は秋田県乳頭温泉郷黒湯温泉。
ここは、ボクが温泉趣味にハマった“温泉原体験”の場所です。
今でも年に1、2回は足を運んでいます。
この写真から見ると、さすがに現在の建物はその後の建て替えだったのだなあと気づかされるのだけど、それでも黒湯温泉は今でもこの写真のイメージに近い、古き良き湯治場風情をよく残しています。
この温泉には、二食付きの旅館部と自炊の湯治部があり、ボクが泊まる時はいつも自炊湯治です。もう、究極のスローライフ。都会で何かに追われるような日々を過ごしている人が一度ここでの自炊湯治を体験したら、しびれちまうかも。
実際、昨今の湯治場は、近郷近在の農家の人たちが骨休めに使うよりも、都会暮らしの人たちがつかのま現実を忘れて夢見心地で過ごすために利用するということが多いのです。
♪ゆかたのキミは ススキのかんざし…
黒湯に泊まる時は、ボクはいつも吉田拓郎の『旅の宿』を口ずさんでしまいます。
あの歌のイメージにぴったりなんです。
ちょいと、“恋の逃避行”など気取って、ワケアリの女性と泊まってみたい衝動に駆られます。
ただし、湯治場の客室の壁は薄くて声が筒抜けなので、アハン♪などという声が出るような行為は慎まなければなりません。
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- 2008/05/17(土) 00:28:59|
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自分の写真生活がデジタルに移行してからは、20年以上撮り続けていたフィルム写真とは、なかば訣別したような状態になっていた。
昔撮ったモノクロネガフィルムやポジフィルムが仕事部屋の片隅に無造作に積んである。
仕事の合間の息抜きに、久しぶりにモノクロフィルムのスリーブを明かりにかざしてみた。
そして、ほとんど“いたずら気分”で、これをちょっと写真にしてみてみようかなと思った。
ボクは写真のデータをあまりていねいに記録しないほうなのだけど、このフルムの袋には'77撮影と書いてあった。31年前の夏の写真だ。
構図とか、自分の写真のスタイルも決まらず、ただただ旅と写真が好きで、むやみに貧乏旅をしてはむやみにシャッターを切っていた時代の写真だ。
この写真は、北海道のどこで撮った写真かは分からない。前後のコマに「万字炭山」という駅名板が写っていたのがあったから、そのあたりの路線のどこかの駅だろう。
かつての北海道には各地に炭鉱があって、それらの炭鉱と港を結ぶために網の目のように鉄道が走っていた。
それらの大半が今は廃線になり、今同じ場所に行ってもこのような景色はないはず。
それでも写真というのは不思議なもので、結婚前だった31年前の北海道一人旅のこの写真を眺めながら、つかのま、少しだけ気持ちを和まされたのだった。
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- 2008/05/16(金) 10:50:48|
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